尾崎喜八 その他の詩

 

久方の山

立春

眼前の蜜蜂に

花壇にて

二十五年

充実した秋

十一月

生けるがごとき君への歌

四月の詩

元旦の笛

春の前夜

眠られぬ夜に

春 愁

受難の金曜日

関 心

車 窓

玉のような時間

転 調

朝のひととき

雲の走る夜

夏への準備

寒夜に思う

番所の原

山の湖

無名の冬

ひそかな春

大日小屋(金峰山)

行者小屋(八ガ岳)

七丈の小屋(東駒ガ岳)

将棋頭ノ小屋(木曾駒ガ岳)

今 日

演奏会から帰って

音楽に寄せて

詩を書く

オルガンのしらべ

浜 辺

朝のコーヒーを前に

 

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 久方の山 
    
(マックス・ピカート博士及び佐野利勝教授に)

 久しぶりにすっぽりと
 深く履いたしなやかな強い山靴、  
 老おいにせばまった左右の肩をひろげさせ  
 たわんだ背骨をまっすぐにする
 厚地のルックサックの適度の重みよ——
 今日わたしは山へ行く。
 ああ、山へ行く、
 久しぶりに、
 杖をかかえて。

 青い蛇紋石の崩壊斜面や
 脂肪光沢をした華麗なチャートが
 きれいに露出している日当りの朝の沢、
 ときどきかすかな小鳥の声を聴きながら
 明るい冬の静かさを登ってゆくと、
 とつぜん現われた峠のむこうに
 薄雪刷いた隣国の    
 歌のような山々谷々のひろがる風景……
 そういうのが今日のわたしの山旅だ。

 青春のさかんな体力が衰えると
 老年の豊かな心や智慧の力がこれに代る。
 よく連続した時間による人間の完成は
 青春から老年へと大きく懸かった
 一本の美しい虹の弧線だ。
 若い時代の強力な閃光と老境の柔和な輝き、
 その漸変し震動する光の波が
 やがては消えるこの弓形アーチ六十年の構成だ。 

 久しぶりに今日わたしは山へ行く。
 どんな遭遇、どんな見ものも、
 けっして見落とさず、軽んじもしない。
 わたしは美に満ち意味に満ちたこの世界が
 また大きな謎でもあることを今こそよろこぶ。
 そしてその脈々と波うつ謎の深みへと
 自分の思惟や心をひそめに行くのが
 ほんとうに楽しい。

 

 

 

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 立 春

 このようにして、本来ひとつの魂は
 貴く真摯に形成されてゆくものか——

  鰭ひれのある小舟がうれしげに泳いで、
  青い目をした二匹の魚さかなが神妙に櫂かいをあやつり、
  虹いろの小鳥が一羽、マストの上で
  くちばしのコンパスを直角にあけて、
  光芒をはなつ一つの天体をくわえている。

 この新鮮なふしぎな把握と、親和の夢の造形が、
 これを描いているほとんど幼い魂のなかで
 どんな酔いと予感と喜びとにふくらまり、
 どんな独自の人生や果て知れぬ運命の
 ひろびろとした獲得にまで発展して行くのだろう?

 無心にとがった舌の先を口尻から出し、
 すでに男子のものである小さい拳こぶしに 
 ペンテルを握りしめている六歳の児よ!

 

 

 

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 眼前の蜜蜂に

 深く沈潜し、
 おもたく担って帰るがいい。
 大部分の花粉はこの春風に奪われるが、
 一片の甘美な蠟はお前に溶け、お前をやしなう。
 そしてその力の記憶は、
 お前と共に一旦は亡びても、
 お前の知らぬ遠い世嗣よつぎの     
 いつかの春の面輪おもわのなかに     
 強く晴れやかによみがえるだろう。

 

 

 

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 花壇にて

 寒明けのただかわいた土をぬいて、
 アネモネ、福寿草、クローカスの花の包みよ、
 お前たちの緻密に重く割れひらく
 その明るい豊かな萠発の妙味を
 そもそも何にたとえよう。

 そのように深い根の吸収から
 地下の隠忍と研鑽とをかさねて、
 てらいもなく、見てくれもなく、
 ただほのぼのとふくよかに噴きいでたお前たちが、
 けさの私にしみじみと詩の方法を思わせる。

 

 

 

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 二十五年

 私がようやく山の魅力にとらわれて以来
 私の四時しじの地平線に彼らのきびしく美しい屹立があり、 
 その「在ること」が私の精神に一つの拠りどころとなり、
 夢やあこがれの遠い清さやかな星として、 
 薫陶のもっとも始原的なものとして、
 彼らが私の世界に関与して以来——
 あたかも二十五年の歳月が流れた。

 回顧の遠望に彼らは欲望もなく横たわっている。
 その端麗な青い輪郭が春の果てしに煙っている。
 喜び、誇り、侮い、苦しみ、
 かつて切実であったもろもろの体験も
 霞む大気とその澎湃との奥に眠っている。
 しかし顧みることは水平に見ることだ。
 そして透視法の遠近は
 われわれを救いもすれば過たせもする。

 今私は自分の二十五年を垂直に切りはなつ。
 するとまざまざと現われたその断面に
 なんと惨憺たる、また陸離とした
 類難の岩層、迷いの鉱脈、愚劣の砂礫、
 その間に鏤ちりばめられた稀なる成果の錯綜だろう!
 眼を覆おおいたいような魂のこの閲歴、 
 しかもそれこそ
 私自身にほかならぬ赤裸々の切口きりくちだった。

 

 

 

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 充実した秋

 深まる秋の高原に霜のおとずれはまだ無いが、
 林の木々や路の草には
 もう赤が染み、黄の色が流れている。
 大空をしずかに移る鱗雲、
 きのこの匂い、鷹の叫び、
 きつつきも堅い樹幹に
 堅い穴を掘りはじめた。

 沢沿いの栗山にいが栗がぎっしり、
 里はどこでも枝をしなわせて林檎があかい。
 もっと遠い盆地をかこむ
 あの南へ向いた大斜面には、
 幾村々の葡萄園が
 琥珀や紫水晶の累々の房で重たかろう。

 乾いた音のする両手を揉みながら、
 「今年ことしなりものの出来がよくて…」と 
 目を細くして言う八十歳の老農の
 その栗色の皺深い顔や、はだけた胸にも、
 物を制して物の自然を全うさせる
 あの「よろず物作り」の 
 かくしゃくたる秋の結実が笑み割れている。

 

 

 

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 十一月

 濃い褐色に枯れた牧場まきばの草が   
 いちめんに霜の結晶でおおわれている。
 春には桜草の咲きつづく湿めった窪地に
 けさは寒い霧が灰いろに立ちこめている。
 どこかで鶫つぐみの声はするが姿は見えない。 
 しかし今、山のうしろから晩秋初冬の朝のよろこび、
 大きな真赤な太陽がゆらゆらと昇って来た。
 霜の高原が見るまに金と薔薇いろに染まる。
 湿地の霧がきれぎれになって消えてゆく。
 ふりかえれば西の山里も朝日をうけて、
 その上に菊日和のきょうの空が
 まっさおに抜けたようだ。

 

 

 

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 生けるがごとき君への歌
        
(亡きマルセル・マルティネを思いて)

 ——ロマン・ロランさんは此の椅子におかけになり、
 私たちの娘アンヌマリーは大病のあとの
 青い大きな眼を大人おとなたちに向けて、おとなしく
 壁ぎわのあの椅子にすわっていました。
 ロランさんは子供の顔と、その上に懸かっている
 額の画とを見くらべるようになさりながら、
 慈愛の祖父のような悲しい笑顔でおっしゃいました、
 「よく似ている……」と。
 画はボッティチェリの少女でした……
 私たち親どもの胸が
 オーヴェルニュの噴井ふきいのようにこみ上げました。 

 ——秋だった。
 秋はパリーの東の一角
 このメニール・モンタンの空にも海のようにひろがっていた。
 私は病苦にむしばまれた肉体と心とを
 庭の籐椅子によこたえて、
 小さい家族の食事のさまを眺めていた。
 おりからペール・ラシューズのうしろへ沈む太陽が、
 芝生の上の質素な食卓で食べている子供たちや妻の姿を
 凹凸のある薄赤い塀の面おもてに踊らせていた。
 ときどき黄色い栗の葉が散って来た。
 パリーも夏の休暇が果てて人々が
 旅や田舎から帰って来る時だった。
 気がつくと
 私は一枚の赤い蔦つたの葉を噛んでいた。
 と、突然、病いの苦しみや死の思いをこえた何ものかが、
 この世ならぬ別の現実の感情が、
 いきいきと自分のうちに蘇るのを私は党えた。
 夕日の空はおもむろに透明な枯葉の色に変っていた。
 それはなつかしいピサロの秋、

 マルケの秋だった……

  ああ、マルセル・マルティネ、
  清貧な詩人の高潔なたましいよ!
  そういう君たちを思い出すことが
  今どんなに僕の心をきよめ、
  どんなに僕を泣かせることだろう。
  もはや永遠に時と処とを異にしながら、
  それでも僕は痛切に君に会いたい!

 

 

 

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 四月の詩 

 郵便を出しにゆく郊外の町かど、
 出あいがしらに今年最初の燕に逢った。
 ぼくはそれを見送りながら、
 幾十のむかしの春をなつかしく、
 フーゴー・ヴォルフの「春が来たエール・イスツ」を口ずさんだ。 

 一人の老いた大事な友の病いが篤い。
 見舞いに行ったアトリエの庭の
 薄い黄いろい伊予みずきの花のあたりを、
 どこの天からおりて来たのか、
 今年最初の紋白蝶が希望のように飛んでいた。

 桜がほころび、雉鳩がむせび、
 窓のむこうに雲雀の歌、うちかすむ多摩の丘々。
 そしてあしたからは四月の春だ。
 東京の空に柔らかだった満月が夜ごとを欠けて
 ついたちは清らかな復活祭の鐘に明けるだろう。

 心を痛ます事のいよいよ多いこの時代、
 自然の営みは漫々とみなぎり進んで
 ほとんど人間のそれをかえりみない。
 それでも強くすがすがしく目をみはって
 すべてに向おうとおのれに誓うあすからの四月だ。

                (一九五六年三月末日作)

 

 

 

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 元旦の笛

 元日の朝には笛を吹こう。
 祈りと祝福、無限の思いを
 歌口うたぐちふかく吹きこんで、 
 老いをしのぐ息と指とで
 歌のしらべを造形しながら、
 ゆたかに、満ちて、晴れやかに、
 みなぎるように吹き鳴らそう。
 猜疑と敵視と混乱の
 この慰めもなく貧しい世界に、
 せめてふたたびめぐって来た
 新たな年のねがいとして、
 美と喜びと調和への
 人類のあこがれ、天の律呂りつりょを 
 深くひろびろと吹きおくるのだ。
 窓のむこうは多摩の横山、
 かすみの奥に富士も見える。
 家をかこんだ冬木の枝に
 頬白だろうか、チチと鳴く声。
 手をあたため、歌口しめして、
 バッハ、ヘンデル、モーツァルト、
 元日の朝にはこの一管の竪笛たてぶえを吹こう。 

 

 

 

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 春の前夜
     
(藤木九三君に)

 いただいたピレネーの山羊の小鈴は、
 夜の書斎の棚の上、
 愛するおもかげたちの写真の前に
 スイスの羊のそれとならべました。

 梅の花に雪がふり、
 雪の地上に星かげがあります。
 おそらくこうして幾十の春が
 かつて私たちの予感に花やいだのでした。 

 いま、晴れやかに老境を生きて、
 凌駕を誇る時の流れにほほえみながら
 なお生々せいせいとおのれの樹液を感じうるのは、  
 秘たちが耐えつつ努めることを学んだからです。

 そして力を知ったからです、——
 梅の花上の夜の雪、匂う星かげ、
 写真の中の古い顔々、アルプスの鈴、
 このはかない優しいものらを愛しうるのも。

 

 

 

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 眠られぬ夜に
       
(安川定男君と同加寿子夫人に)

 いよいよ深く独自の美を成したいという
 切なる思いが日夜私につきまとう。
 歓喜と諦念、枯淡と絢爛、
 なみなみと拡がる衝動の周期の輪から
 一つは一つと未前の歌が生み出せたら……

 或る夜、私のために
 「告別」のソナタが演奏された。
 ピアノが歌う濡れかがやいた旋律と流勤とは
 たましいの春の夜空の銀河のように
 私のむなしい郷愁へと
 聖なる光のつづれを織るのだった。

 しかしまた別の大変奏曲が私を圧倒した。
 巨匠のつばさの翔けたきわみ、
 芸術の達し得た天の底が、
 すべての野望を打ちひしいだ。
 私は三十三個のきらめく破片に砕かれた
 その音楽の夢の実体を
 敬虔な手に拾いあつめて思いに沈んだ。

 新らしい美の創造へとくすぶる意欲よ、
 それはもう再び炎を呼びいださないか。
 私の郷愁、それはほんとうにむなしいか。
 しかしこの煩悩をたえず強く攬拌したら、
 やがてしずまり澄んでゆく水底みずぞこから    
 私自身の天体や
 朝や樹木が立ちのぼるかも知れない。

 

 

 

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 春 愁
   
(ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って)

 静かに賢く老いるということは
 満ちてくつろいだ願わしい境地だ、
 今日しも春がはじまったという
 木々の芽立ちと若草の岡のなぞえに
 赤々と光りたゆたう夕日のように。
 だが自分にもあった青春の
 燃える愛や衝動や仕事への奮闘、
 その得意と蹉跌の年々としどしに     
 この賢さ、この澄み晴れた成熟の
 ついに間に合わなかったことが悔やまれる。
 ふたたび春のはじまる時、
 もう梅の田舎の夕日の色や
 暫しを照らす谷間の宵の明星に
 遠く来た人生とおのが青春を惜しむということ、
 これをしもまた一つの春愁というべきであろうか。

    

 

 

 

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 受難の金曜日カールフライターク
        (富士川英郎君に)

 まだ褐色に枯れている高原に
 たんぽぽの黄の群落がところどころ、
 そよふく風には遠い雪山の感触があるが
 現前の日光はまばゆくも暖かい。
 かつて私が悔恨を埋めた丘のほとりの
 重い樹液にしだれた白樺に
 さっきから一羽の小鳥の歌っているのが、
 二日の後の古い復活祭を思い出させる。
 すべてのきのうが昔になり、
 昔の堆積が物言わぬ石となり、岩となる。
 そしてそこに生きている追憶の縞や模様が
 たまたまの春の光に形成の歌をうたう。
 『うるわしの白百合、ささやきぬ昔を……』
 そのささやきに心ひそめて聴き入るのは誰か。
 悔恨長く、受苦は尽きない。
 ただ輪廻りんねの春風が成敗をこえて吹き過ぎる。
  
               (一九五九年三月二十七日金曜日)

 

 

 

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 関 心

 今年の庭のライラックの
 異常にゆたかな花着きと
 咲きたわんで紫匂う房の重たさ。
 若木としては度をこえた豊満と充溢とが、
 それを待ち望んだ心を乗りこえて
 むしろ私を不安にする。 

 若葉に照りはえた座敷では
 孫娘がはじめてのソナタを練習している。
 彼女の幼い指が柔らかに動いてゆく、
 深い雪をこころみる足のように。
 白と黒との鍵盤タステンの    
 弾力の中をためらいながら。

 ああ、その一日も早い習熟を私の待つ
 ベートーヴェンのト短調……
 しかもやがては同じその指で
 再会のない『告別』を弾かれるだろう身が、
 同じように幼い庭木の異常な開花と早熟とに
 矛盾した危惧を感じている。

 

 

 

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 車 窓
     
(妻に)

 ほら、

 其処へ出て来た長い狭い青葉の谷、

 あれをまっすぐ登って峠をこえると、

 けっきょくは木曾の入口、

 中山道なかせんどうの贄川にえかわへ出るのだ。
  
 お前とふたり富士見流寓の或る年の冬。

 ぼくはこの先の小野おのの学校で話をして、

 それが終るとすぐ次の会場へと四キロの道を

 あの谷奥の小さな部落へ急いだのだ。

 行きも帰りも、車はもちろん、

 雪が深いので馬さえも無い。

 膝近くまでつもった上ヘ

 なお濠々と吹きつもる吹雪ふぶきの道で
 胃潰瘍の胃が燃えるように痛んだ。

 そしてまた夜の汽車で急いで帰った。

 そんな思いをして貰ったなにがしかの謝礼が

 あの頃の苦しい暮らしの料しろだった。
 
 十数年の遠い昔を回顧しながら、

 いま梅雨つゆの晴れまの松本行急行列車、 
 大きな窓を青嵐せいらんに打たせてゆけば、
 クリーム色の雲かとばかり

 栗の花咲く小野、筑摩地ちくまぢの山里が    
 
 懐かしくも「清く貧しかりし日の歌」のようだ。

 

 

 

 

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 玉のような時間
       
(まいん・べるくの友らに、上高地にて)

 原始林の中のこの片隅が
 そのまま一幅の小さい画であり、
 一篇の歌であることを認めよう。 

 崖錐がいすいの湿めった苔や朽葉をうずめる   
 これらおびただしい岩鏡いわかがみの花   
 燦々と、冷えびえと、
 朝露に濡れ、山気を吸い、
 こずえを洩れる空の光や陽ひに打たれて、  
 刻まれたルビーのように、珊瑚のように、
 豊かに満ちて咲きこぼれている。
 そしてこの画、この片隅の造形に
 午前の山々の晴朗と深みとを与える

 えぞむしくいの幽邃なさえずり、  
 みそさざいの鋭いトリラー……  

 私たちは今日これから山をくだって
 それぞれ遠く都会の塵や騒音へと帰ってゆく。
 それならばこうしてたたずむ数分間が、
 嘆賞を共にする事によってのみ結晶する
 一顆の宝石でもあることを認めよう。 

 

 

 

 

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 転 調

 高原に暗いさびしい真珠いろの
 大きな雲がさがって来た。
 ひろびろとかげった風景には
 冷めたい霧と忍従の空気がみなぎり、
 たそがれを想わせるあかるみの中で
 あれほどの鶯や郭公の歌もいつか絶えた。
 足もとの荒い熔岩をこまかにつづる
 伊吹麝香草と舞鶴草の花、
 いまはそれだけが無心な、辛抱づよい、
 火山高原の真実だった。

 しかし遂に、雨にもならず
 霧も晴れ、
 涼しい風に雲がちぎれて
 明るく転調した分散和音の音形に変じると、
 ふたたび堂々と姿を現わした夏の主題
 力づよい太陽と山々の起伏とが、
 こんどは日光諸山や北アルプスの
 遠いきれいな装飾音さえちりばめながら、
 夢のようにそばだつ大浅間や、
 赤、黄、樺色に蓮華躑躅の燃えひろがる
 鬼押出しの熔岩原の
 目もさめるような展開部へと進み入った。

 

 

 

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 朝のひととき

 山から帰って来て、また始まる都会の朝を、
 シューベルトのアンダンテの
 かぎりもなく美しい悲歌に聴き入っている。
 まだ目にちらつく雪渓や岩壁のイメイジ、
 澄んだ光線と清らかな空気の流れ、
 原始林の暗い匂いと泉のような小鳥の声々…
 すべてが新鮮に保たれているきのうの記憶に
 ふさわしい絃楽の調べをない合わせながら、
 充実した余生の密度と深度を測るように
 朝の時間の深みへと心の錘おもりをおろしている。   

 

 

 

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 雲の走る夜

 私の夜よるの窓の前、  
 川べの空を、
 ただならぬ風に吹きはこばれて
 梅雨つゆの乱雲がしきりなく飛んでゆく。
 遠い田舎ではくろぐろと屯たむろし、 
 都会の空へさしかかれば
 不気味に燃えて集積する。

 しかしそのあわただしい威嚇的な雲間にも
 常に二三の星はどこかしらに見える。
 そして天の座標を知っている眼には
 対流圏の混乱をこえて
 永遠の光の点の布置がわかる。

 

 

 

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 夏への準備

 玄関の垣根に去年の鉄線花クレマチスの蔓をからませ、
 小石の道にことしも松葉牡丹ポルトウラカの種を蒔こう。
 軽やかに夏をひるがえるその多彩な花たちが

 やがて成人する子供らのために

 祖父母の家の印象を鮮かにするだろう。
  
 人々と共に耐えたあの苦難の幾年を

 私たち大人おとながすっかりは忘れてしまわず、 
 時には厳粛に思い出すよすがとして、
 山の家から抱いて来た白樺や落葉松からまつ
 今はこんなに成育したのに手入れをしよう。
  
 あやまちの記憶と悔いの心とは

 この世の風光と別れる時に私の持ってゆく荷物だ、

 いつか清めの星が生の最後の夕かげに

 救いとゆるしの柔らかな涼しい光で

 新らしい旅のゆくてを照らし出すとき。
  
 家の土台を洗い、その周囲を掃き清めて、

 なお生きて住む日を紛まぎれもないものにしよう。 
 花たちの種を托した砂には如露じょうろの水の霧を降らせ、 
 木々の古い蜘蛛の網をはらい、茂った枝を刈りこんで、

 明日あすへつなぐ希望や善意の証あかしとしよう。 

 

  

 

 

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 寒夜に思う

 枯木の枝に冬の星座が氷りつき
 家の周囲にひしひしと
 結晶を強める霜のひびき。
 世界は冷えて涸れかわき、
 人はおのれを守るのに急で
 他をかえりみるいとまもなく
 愛や希望の夢もない

 しかし今
 霜と星とこがらしの夜を
 私の聴いているバッハの衆讃前奏曲が
 「おんみを装え。
  おお美しき魂よ」と歌う。
 私の貧しくみにくい魂をも
 装う恩寵があるとするならば
 それは内に熱く充実して
 氷の下に未来の春を身ごもっている
 この一見痩せ枯れた世界への、
 深くて篤い、人間的な信頼のほかにはないだろう。

 

 

 

 

 

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 番所の原
       (妻に)

 山また山の乗鞍山麓、
 番所ばんどこの原、
 その六月の若葉と花の
 静寂の美をつくした無人の果てに、
 ああ、親しい人々の誰が想おう、
 この世の塵労に疲れたおまえが
 いま遠く来て、夕日の中、
 懐かしく空を見上げてすわっていると。

 温愛と善意とに人間苦を耐えて
 つねに晴朗に見えるおまえゆえ、
 世間のみか、私でさえ
 ともすれば女人のまことに想い到らず、
 存在のあわれの深みを測り得ない。
 おまえの真の故郷が天ならば、
 その母なる国を思って
 私は恥じる。

 草にすわったおまえを柔かにかこんで、
 ただ見る若い草紙樺そうしかんばと白樺と
 花もさかりの小梨の原、
 めぼその囀り、あおじの歌の
 銀のさざめきが慰め慈みの雨と降る。
 峯をつらねた乗鞍の偉容と残雪の壮麗……
 ここはおまえの望郷の席で、
 私のではないようだ。

 

 

 

  

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 山の湖
      (白駒の池)

 歳月の奥の思い出のように、
 隔絶のうつくしい歌のように、
 ひとりおとずれて来た山中深く
 湖はあかるく青くたたえている。

 そこだけ雪の吹きわかれる
 きらびやかな天の円錐の底に、
 人の世を遠い清らかなさびしさを
 鳴きとよもしてはひたと黙する小鳥の声。

 ひとむらの黄花石南を目の前に、
 曲りくねった岳樺に身をもたせ、
 世界の不安も、われも忘れて
 高峻の夏の光に溶け入る心よ!

 煩悩もなく、焦慮もなく、
 運命に満たされてそれをぬきんでた山の湖水が、
 照り曇る空のさまざまをうけとって
 晴れやかな水のしじまに醒めている。

 

 

 

 

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 雉

 禽舎の雉きじがしきりに鳴く、  
 金緑色と深紅しんくの絹を裂くように。
 腹がへったのか、寂しいのか、
 それとも故郷の飛騨の谷の
 つめたい泉や澄んだ日光が恋しいのか。
 東京の梅雨空つゆぞらに雲が切れて、
 午後三時、蜜のような日が射しはじめた。
 涼しく生まれた西風が
 禽舎を囲む白嘩や樅もみの枝から
 こがね色の雨後の雫をぽたぽた落とす。
 お前の獄ひとやは都会の庭の片隅だ。
 待ってくれ。じきに行ってやる。
 あいにく私はサン・ジョン・ペルスの
 光と渾沌の渦まく詩を読んでいるところだ。

 

 

 

 

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 秋

 きのこ採りの路からそれて
 しばらく此処で休んでゆこう。

 高原でもこのひっそりとした一角だけは
 十年まえと変らない。
 西風に染まった山なみも、
 黄ばんだ六本の白樺も、
 しんみりと日光に暖められた芝草も、
 そのあいだに横たわる火山岩も、
 すべて昔のあの頃の
 秋とその歌とを失わずにいる。

 若いジークフリートの葬送が
 喪絹を懸けた太鼓の曇ったとどろきや
 悲しく壮麗なラッパ斉奏のひびきと共に
 どこか遠くで行われているような昼の夢想に、
 私の落ちこんだのも此処でのこんな秋だった。

 オルレアンの野にその寺院と町の見える
 ロアール河の秋めいた風景への連想から、
 生涯の夕暮に「シャルル・ペギー」を書いたロランと
 その人へのせつない思慕に
 私の心が泣いたのも此処でのこんな一日だった。

 そして、ごらん、
 その岩の陰からあの白樺の木の下まで
 薄桃色の花が風に吹かれて咲いている。
 これは日本には無い犬サフラソだ。
 犬サフラン、Herbstzeitloseヘルプストツァィトローゼ……
 秋の牧場のこの花と、それを見事な詩に書いた
 あのヴェルフェルヘの愛から、人知れず、
 その球根を私が此処へ埋めた花だ。

 さまざまな昔が回想され、
 すべての回想が風と太陽に蒸発して、
 世界が透明な光になごむ秋———

 妻よ、
 もうしばらく此処で休んでゆこう。 

 

 

 

 

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 無名の冬

 いま私のすわっている堆積山地のこの丘に
 羊歯しだが枯れ、ぎぼしも枯れ、
 ちいさい身軽な四十雀が
 古い水楢の枝から枝ヘ
 寒気の精のように歌っている。
 それで私もきらきらと
 世界の冬とその光とに目ざめている。

 私はいろいろな物の名を知っている
 木や、鳥や、山や草の……
 しかし、結局名はすべて符諜にすぎない。
 だいじなのは形象とその心だ。
 私の根源に深く作用して、
 遠く変貌をとげさせる実存とその意味だ。

 観る者、加わる者にとって名はいらない。
 名のさまたげや重荷を捨てて、
 たがいに溶けあい照らしあう実相の世界に
 明るい澄んだ心で参与すること、
 水や日光のような自分でありたいと
 私が願ってからすでにどれだけの年が過ぎたろう?

 

 

 

 

 

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 ひそかな春

 梅への道が氷って堅い。

 よみがえりの日光を心に信じ、
 うらぶれた冬枯れの風景に
 一脈のやわらかい空気の波、
 ひと刷毛のなごやかな青空の色、
 金属のような枝をふるわす
 清冽な小鳥のひと声を夢みながら、
 かたくなに凍結した自然の中に
 心は春の創造をこころみていた。

 信じながら待つ思いのせつなさに、
 モーツァルトの幸いのメロディーや
 シューベルトの純な一ふしを口ずさんで
 ふるさとの冬まだ堅い道を行けば、
 ああ、果たせるかな、時より早く
 北ぐにのささらぎを凛々と
 そこに綻びている星のような一輪の白!

 梅への道はついに春への道だった。

 

 

 

 

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 大日小屋(金峰山)

 まだ出来たてのほやほやの
 木の香も高い小屋だった。
 泊まっているのは営林署お雇いの
 木を伐り出しの山人足か、
 隅のところに寝具が二た組、
 片づけてある鍋、薬罐、
 囲炉裏の灰も新しかった。
 私達はこれから頂上をきわめて
 御室おむろの沢から水晶峠、
 黒平くろべらの今宵の宿まで降るのだ。
 もう昨夜の金山部落も有井の家も
 富士見平の尾根にかくれて遥か下、
 「人は美なりとはやせども
 わが美わしきを我は知らず
 自然のごとく我はただ在り」と今朝書いた
 あの娘と手を振り合う約束の大日岩は
 これから縦八丁の登りをまだまだ上だ。
 あたりでは頻りに駒鳥が歌っている。
 明るい沢が鳴っている。

 

 

 

 

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 行者小屋(八ガ岳)

 もうずいぶん古び破れた無住の小屋、
 赤岳と横岳の鞍部からまっしぐらに
 美しい名にひかされて急降下はして来たものの、
 ここで一夜を明かすとはさすがに心細かった。
 有るのは床板と天井と板羽目と
 枠のはずれた囲炉裏だけ、
 山小屋炉辺の歓談などとは
 遠い都会での世迷事よまいごとだった。
 友は水探し、ぼくは焚木集め、
 それでも一本の蠟燭を中にしての
 一杯のウィスキーはうまかった。
 時折の夜風とむささびの叫びには驚かされたが、
 それも馴れれば深山の真夜まよの歌、
 あすは阿弥陀あみだへ登ろうと友が言い出し、
 ぼくは上諏訪での温泉でゆの味を空想した。
 それから雨具にくるまってうとうとしたが、
 今思えば二人にとって、行者の小屋よ、
 人生は漸くにしてまだ道の半ばだった。

 

 

 

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 七丈ノ小屋(東駒ガ岳)

 

 甲斐駒七丈ノ小屋の朝、
 寝過ごしてご来迎らいこうは拝みそこねたが、
 これからの登頂に心が勇む。
 くっきりと残雪を塗りこんだ北岳の大彫刻、
 続いて間あいノ岳、農鳥と
 朝日に燃える南アルプスの壮観はどうだ。
 八ガ岳はまるで歌でも歌っているようで、
 編笠から立科までの長い旋律が美しい。
 玲琥の富士は元より、木曾駒、御岳、
 その又先の北アルプスには霞が棚びき、
 槍も穂高も常念も
 まだ暖かに柔かに眠っている。
 ぼくはあたりに多い岩雲雀を聴きながら
 岩に腰かけて湯の湧くのを待ち、
 コーヒーを入れたらコテコテと
 バターを塗ったパンの朝食を詰めこんで、
 さてゆっくりと残雪と花崗岩、
 その間を単身頂上へ向かうつもりだ。

 

 

 

 

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 将棋頭ノ小屋(木曾駒ガ岳) 

 組立カメラ、三脚、動植物の採集用具、
 それに二日分の食糧、着換え、おまけに雨具、
 まったく柄にもなく大きな重い荷物だった。
 そして伊那から頂上をきわめて上松へと
 木曾駒を乗り越そうという野望だった。
 ところが午前中の内うちノ萱かやから大樽のあたり
 急いで下山して来る連中にたびたび出逢う。
 不思議に思って訊いてみると
 今夜は山は大荒れだと言い、
 中止した方がいいと言われた。
 ぼくの天気予知ではそんな筈は全く無い。
 なおも一人登って行くと又下山の人達に出逢う。
 最後に将棋頭の小屋番というのに逢って
 断然やめろと言い渡された。
 しかし小屋はもうすぐだった。
 ぼくは未練を捨てきれず、
 小屋の中を覗いたが内部はもうからだった。
 火の気の始末がちゃんとしてあり、
 寝床がきれいに積まれていた。
 するとこの片づけられた無人の小屋を前に
 或る恐ろしさが突如ぼくに襲いかかった。
 ぼくは背中の大きな重い荷もおろさず、
 そのまま逃げるように伊那へ戻って
 吹き出した風の中を終列車で帰京したが、
 その数日後ふたたび頂上をたずねた時には
 同じ小屋が、そんな事、
 どこ吹く風かと通り過ぎるぼくを眺めていた。

 

 

 

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 今 日きょう
       (満八十歳の誕生日に)

 森の中にはまだ雪があるが
 路のへりにはもうたんぽぽが咲いている。
 しかしまことの春はまだ来ないで、
 時おり北風に追われて帰って来るのは
 寒い灰いろの気まぐれな冬だ。

 蝶に出遭えば蝶を歌い
 鳥を聴けば鳥を歌った遠い日よ、
 それも今では遥かな思い出。
 霊だけは静かに醒めているが、
 愛の心は寂しいながら既に老いた。

 しかし今一度立ち上がれ、その心よ、
 老いを忘れて若さの笛を吹き鳴らせ!
 たとえ明日あすはあえなくなろうとも
 まだ来ぬ春を引き寄せて今日を花やげ!

 

 

 

 

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 紐

 これが何を何に結びつけ、
 どんな人と人とを繋ぐ縁えにし
 強く太やかな紐となるかは知らないが、
 私は毎日そこばくの閑暇に
 その中へ甘美な夢を綯いこむ事を続けている。
 下の部屋から聴こえて来るのはピアノのアレグロ、
 そのアレグロからアンダンテヘと
 移る絶妙な瞬間を思いながら、
 弾いている娘の遠からぬ未来を
 夢想の糸として加える事も忘れはしない。

 衰えた生命は神にゆだねても
 愛する者たちの幸福を
 願いながらするこの静謐せいひつな仕事の境地よ、
 それを幸いの時間と観じてほほえむ
 そんな小さな春がまだ私にもあったのか。     

  

 

 

 

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 演奏会から帰って

 私は遠い町の聖堂から帰って来た。
 其処ではバッハのオルガンが壮大に鳴り響き、
 シュッツの讃歌が清らかに雄々しく流れた。
 そしてしばしば私の心をおびやかす
 暗い死の思想を吹き払った。

 なぜならばあの巨匠達は今もなお
 彼らの敬虔雄大な音楽で
 堂々と我らの中に生きているではないか。
 それならばどうか私もそうあるように!
 肉の形骸は煙と消え、土と化しても、
 仕事は残って人の心に思い出され、
 望みの星となって世界の夜空を照らすように!

 遠い町の聖堂から帰って来て
 今私は疲れた体で眠りに入る。
 しかし窓の外の夜更けの空は
 きらきら光る星々の衆讃歌に満たされながら
 美しい明日あすの朝日を予告している。

 

 

 

 

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 音楽に寄せて

 或る楽器の音が、その調べが、
 私の眠られぬ夜の心を揺すり、
 覚めている知覚の中で戯れる。
 それは時には優しく慕わしく、
 時には雄々しく勇ましく、
 また時には平らかに洋々と行きながら
 眠られぬ心の闇の空間に
 燦然たる模様や遠い風景を描き出す。

 それは昨夜私が聴いたオーボエの
 ソナタが目を醒ました歌だろうか、
 或いは今までに聴いたさまざまの
 美しい音楽が蘇よみがえった輪舞だろうか。
 いずれにもせよ一日を生きた数多くの
 空しい心づかいや労苦が一掃されて、
 ここに本来の生活の意義が
 力づよく認識されたこの喜び!

 音楽に耳を傾かたむけ目を瞠みはることを
 もう私は只事とは思うまい。
 只事とは徒いたずらにあくせくと生きる事、
 来る毎日に愚かしく追われる事だ。
 音楽はそのような生活の遥か彼方に、
 われわれの心の本国であるあの愛と
 善と美との理想の姿を、
 たまたまの目醒めとして繰りひろげている。

 

 

 

 

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 詩を書く

 私は初冬の曇り日の一日を
 朝から一篇の詩を考えながら過ごしている。
 さまざまな言葉は流木のように寄って来るが、
 心に叶ったそれは未だ見出せない。

 詩は霊感から生まれた言葉の造形だ。
 その言葉は何でもいいという物ではない。
 幾十の中から卒然と現われて
 まっすぐに肯綮に当たるものでなくてはならない。

 自分が植えれば必ず花が咲き実が成るという
 そんな不遜な考えでは詩は出来ない。
 楽々と書けるのはすでに心の老いの兆きざし、
 真に詩に苦しむのは魂と体の若さの証拠だ。

 

 

 

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 オルガンのしらベ

 枕につけた耳の底で
 まだあの音が鳴っている、
 バッハの壮大なオルガン曲の
 あの目ざましいトッカータとフーガが
 花の香のような残響をさえ伴って。

 鎌倉から東京目白は程遠いが
 久方ぶりに神々しい歌のいくっかを
 聴きに行くと思えばあの教会が
 自分の魂の拠りどころ
 救いの世界のように思われた。

 レコードなんぞ物の数かは!
 敬虔な心で人間の生きの身が弾く
 あの音楽をあの教会の高天井の下で
 この耳でこそ聴きたかったのだ、
 このごろの雑念を神の嵐に吹き曝そうと。

 

 

 

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 浜 辺

 のびのびと晴れやかな春の浜べで
 寄せてはひろがる波の裾を
 数知れない海辺かいへんの鳥たちが
 畳むように、縫うように
 楽しげに駈けたり飛び跳ねたりしている。

 沖によこたわる大島の姿も
 今日は柔かに霞んで影絵のようだ
 湾を包む岬のみどり
 いくつかの漁村、ひとつの町
 すべてがこの一日の一刻ひとときを酔っている。

 ただその酔いの天地にはっきりと覚めて
 砂浜の一点に佇んでいるのは私だけ、
 どんなささやかな美も大きな調和も
 敢えて決して見のがしはすまいと
 この金と青との水陸に明るい目を放っている。

 

 

 

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 朝のコーヒーを前に

 朝の食後に一杯の濃いコーヒーを
 ゆっくりと啜るのが私の長年の慣わしだ、
 窓からの風景を眺めながら
 又は誰かの短い文章を読みながら。

 この幸福な慣わしは私の仕事の
 何十年間を付いて廻って来た
 そしてそのサーヴィスは妻がした
 私はそれを当然な事として受けて来た。

 しかしそういう天与の慣わしの一切が
 私から取り上げられる日の遠くない事を知っている、
 そして過ぎ去った幸いの日への思慕の情が
 それもまた空しく永遠の底へ沈んで行くのを覚悟している。

 

 

 

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