詩集「その空の下で」 (昭和四十五年)
されど同じ安息日の夕暮れに 十五年のその昔、美砂子よ、お前は二歳、 今、成人してその天からの春の知らせの深い意味を しかしその年老いた今日きょうの私を
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音楽会で 片膝に載るほどの小さいオルガソを弾く娘は ああ、私にしてもっと若かったら!
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シューマンと草取り 少女がシューマンのピアノ曲を練習している。 雑草の美は美で認める私ではあるが、 しかしそのシューマンを少女は結局 そして私はさっぱりとした花壇を後に
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一つのイメージ 君は君自身のアルプを持たなくてはならない。 君はそこに君の牧草をなびかせ、畑を育てて、 君の知恵と力と信念とに営まれる其処は君自身の世界、
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ほほえましいたより 「じゃ、行ってくるよ」と軽く別れの言葉を残して、
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復活祭 「天は笑い、地は歓呼する……」 生涯を詩にうちこんで幾十年、 木々の梢に歌ほとばしらせる小鳥たちや
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晩年のベルリオーズ 寒さと雨とぬかるみのパリの片隅、 人生は「ただ動く影にすぎなかった」のか。 燃える情火にその天才を焼き尽くさせた男、
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森林限界 画のようでもあれば歌のようでもあった なんという清浄な日光、颯々たる風! この上は孤絶の山頂さしてひた登りに登るのだ。
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詩人と笛 その一 詩人が堅い木管の小さい笛を吹いている。 笛などは年甲斐もないと言って彼を笑うな。 その二 息と指との造形から そして或る時は物語に暗いドイツの森に、
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夏 行げぎょう 回想や想像の中では山でも海でも 骨身にこたえる暑さにも負けず、 焼けつくような蟬の合唱、空中の燕のきしり、
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鎌倉初秋 きらびやかに暑くたくましかった 片隅の静かな庫裡くりのあたり そぞろ歩く若い女性の人影が
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古い山の地図を前にして グラスから冷たい飲み物を飲みながら、 二十メートルずつの間隔の広さ狭さで
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続けかしの歌 彼女がいつも健かだということ、 二十年も昔に貰った信州の田舎の菊を 道の上の霜がきらきらと溶け
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二つの現実 どうしたものか隣席の若い女性が
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エリュアール 或る日突然エリュアールの訪問をうけた。 エリュアールは私の書棚をぐるりと見渡した、 彼はおのれの過去について語らなかった、 だがその澄んだ美しい限は言っていた、 彼は機嫌よく帰って行ったが、
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その空の下で 安達太良山あだたらやまもここから先は足で登るか、
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黄道光 「波と鐘」、「前世」、「ローズモンドの館やかた」 それらの歌は私の青春の一時期と絡み合い、 私はそこから記憶の断片をとりあつめて、 愛するデュパルクよ、君の雄々しい歌が今終わった。
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沈みゆく星に寄せて 窓からの眺めを夜に変えて 八月も終りに近い夏の夜の しかし私は知らない、いかなる明日あすが自分に来るかを。
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