詩集「歳月の歌」 (昭和三十三年)

遠い分身

雪の星月夜

山頂の心

岩雲雀

風 景

台風季の或る日から

秋の林から

山荘の蝶

山荘をとざす

目 木

女と葡萄園

桃林にて(I)

桃林にて(II)

桃林にて(III)

渓谷(I)

渓谷(II)

渓谷(III)

木曾の歌(奈良井)

木曾の歌(鳥居峠)

木曾の歌(開田高原)

木曾の歌(寝覚)

我等の民話

 

 蛇 

 君たち、私に遭遇するや
 
 たちまちいわれもない憎しみと
 
 不条理な恐怖とに痙攣して、
 
 世にもいまわしい姿かたちに弾力ある
 
 怨念おんねんのいきもの、まがつみの霊へのように、
 
 必殺の杖や石をかまえる者よ!
  
 水無月みなつきの水浸みずく草はらを行く私は
 
 涼しく長い銀のながれだ。
 
 勿忘草わすれなぐさの空色をさざめきよぎり 
 
 かおる薄荷はっかの草むらをわけて、
 
 行くとしもなく行きながら 風無き波 ──
 
 私は発端もなく終末もなく
 
 白昼をゆらめき進む燐の軌跡だ。
  
 呪まじないの形に強くわがねた環からほどけて、
 
 錯迷から錯迷へと溶けては湧き、
 
 円から円へずるずると霧立ちけむる緑銀の渦巻、
 
 私にとって楽しく快い自律の動きが
 
 君たちにはそれほど厭いとわしく堪えがたいか。
  
 雷雨の待たれる片明りの野の木立に
 
 古代ゲールの竪琴のように身を懸けた私が、
 
 なめらかに硬い七宝のあたまを上げて
 
 気圧の変化と湿気の波とを瞑想している時、
 
 その純粋観客の不動の姿が
 
 君たちの瞋恚しんいを燃え立たすというのか。
 
 背せなの鱗をいろどり濡らす華麗な縞と斑紋と
 
 エナメルのような腹の青じろさや葵の色によそわれて
 
 悦ばしめる他人目よそめのための仕草もなく、
 
 苦痛のきわに声も洩らさず、
 
 忍辱にんにくの化身のように強く耐え、
 
 おおかたは亡命者か賢者のように退避する私が
 
 それほど独善に、また不信に見えるか。
  
 常時の保身とたまたまの反撃とは
 
 私にあって存続の原理だ。
 
 そして存在とはついに業カルマではないだろうか。
 
 しかも私の常の柔和と決定時の崛起、
 
 私の勤勉と懶惰と底知れず深い執念、
 
 私の美と醜悪と魅力と危険——
 
 私が私そのものである時
 
 君たちは私に逆説の権化を見る、
  
 あたかもルーテルの烈火の卓を流し目に
 
 おのがほのぐらい祈禱所へ韜晦とうかいする  
 
 あのユマニスト、
 
 ロッテルダムのエラスムスのように。

 

 

 

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 遠い分身

 海抜二千メートルの曠野の草から
 
 鐘をつるした避難の塔が立っている。
 
 人は一篇の詩を銅板に刻んで
 
 安山岩のその表面に嵌めこんだ。
 
 ―私の詩だ。
 
 あわれ、ほかの誰の詩でもなく、
 
 或る年の秋に私がそこの夕日に書いた
 
 私自身の「美うつくしガ原はら」の詩だ。
  
 今夜東京には寒々さむざむと冬の雨が降っている。
 
 それならば北方の遠い信濃はおそらく雪だ。
 
 雪は吼えたける風に巻かれて
 
 あの高原のあの広大なひろがりを
 
 悲しく暗く濠々と駆けめぐっていることだろう。
  
 鐘は深夜の烈風におもたく揺れて
 
 その青銅の舌で鳴りつづけているかも知れない。
 
 そして私の詩碑が他郷の夜の吹雪のなかに
 
 じっと堪えていることだろう。
  
 いとおしいのは、しかし雪の夜も、
 
 赤や黄に躑躅つつじの燃える春の日も、  
 
 芒すすき、尾花や、松虫草の秋といえども同じことだ。  
 
 なぜならばあの詩あの文宇はまさに私の一部であり、
 
 その私がこの世ではまだ生きの身だからだ。
 
 死んでの後は知るよしもない。
 
 せめてなお生きて喜び悲しむかぎりは、
 
 人々よ、
 
 どうか私の詩を私とだけ在らせてくれ。

 

 

 

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 雪の星月夜
          (大町にて)

 正月もまだ松の内という山の町の
 酒と炬燵と嬌声とにいきれた宿を
 ひとりひそかに抜け出して、
 雪と氷の坂道を夜目にも白い裏山へのぼる。
 滑落に心をくばる緊張と
 息もとまるような零下十数度のきびしい空気に、
 心臓はおどり、顔はひび割れてこわれそうだ。
 しかし丘に立って呼吸を整えながら見上げる空の
 なんという森厳華麗な星月夜だろう!
 どんなに遠い、どんなに小さな星屑までも
 鮮烈な箇々の光を発揮しているので、
 もう一々の星座の網をたぐることもできない。
 ただ見る光の砂か、心耳にとどろく光の連弾。

 若い星、成年の星、老いたる星の幾千が
 滴るばかり、こぼれるばかりに天をうずめて、
 山々の雪の尖峯や氷の壁とすれすれに、
 ある者はあんな深い狭間はざまにさえも光っている。  
 私の精神はこの頭上の世界のシンフォニアに高められ、
 祝聖され、
 酒も炬燵も嬌声も何するものぞ、
 満天の星の感銘をしっかりと抱きしめて、
 あすは早朝わきめもふらず
 この山の町を去ろうと思った。

 

 

 

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 山頂の心

 海抜三千百メートル、
 岩の楼閣北穂高の
 岩の頭にがっちり立ってる。
 真白に吹き上げて来る横尾の霧は
 寒くしょうしょうと身にしみるが、
 霧が晴れればかっと明るい眼前に
 きのうの槍があり南岳があり、
 急登三時間の大キレットも
 かえって今では懐かしい歌だ。
 たとえ飛騨側の朝の尾根から
 Go back! Go Back! と
 雷鳥のさそいの声は響いて来ても、
 あとへ引く心はさらさら無い。
 見ろ、北は秋風の越中立山、
 南に釣尾根が天の廊下だ。

 

 

 

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 岩雲雀

 今日のながい前途のために
 結束して登る人々は黙々と登って行き、
 登頂を遂げて、満ち足りて、
 降る者らは三々五々と賑やかに降って行った。

 今ここには高処の大きな不在がある。
 ひろい鞍部はしんと照り澄む日光と、
 灰白色の堅いこまかい風化砂礫と、
 骨もあらわなヴィリジャンの這松だけだ。

 この一時ひとときをそよと吹きすぎる風もない。   
 常念の頂きはすぐ眼の前から
 最後の斜面を大波のように盛り上げて、
 夏の朝の空間にどっぷりと漬かっている。

 今日一日をなお此処で遊ぼうか、
 (小屋はむこうの岩蔭で昨夜ゆうべの寝具を干している)   
 それとも大天井・燕つばくろへと北しようか、  
 (越中越後の空の青さよ!)  

 天地しんかんとしたこの高みで
 私の心がまったく白い。
 と、この大きな不在の意味を深めるように
 近くの這松から一羽の岩雲雀が囀りはじめた。

 キョロリ……キョロリッチロ、チッチリチ……
 八方晴れた空気の海に領土宣言の歌を撒く
 灰色と赤錆美しい山の小鳥よ、
 三千メートルの地の突角はお前の世界だ。

 キョロリ……キョロリッチロ、チッチリチ……
 そうか。それならばやっぱり私は帰ろう。
 あすからまた人間苦の世界だが、
 今日は涼しく暗い一ノ梓川へと
 水の流れに沿って下りよう。

 

 

 

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 風 景

 太陽と紫外線と岩石と
 暗い森林の樹脂の香
 朝夕の濃い霧のおもいで、
 ——山の国からの帰りだった。
 もう東京の空も近く、
 夏の川べりの風景がひらけ、
 支線の電車はごうごうと
 ひとつの長い鉄橋を渡っていた。

 子供らの遊んでいる緑の堤防、
 釣る人の点々と見える明るいみずぎわ、
 その夏景色の水の上を、
 ほとんど橋の高さとすれすれに、
 魚をねらう小さい鷗のこあじさしが  
 二羽三羽風にむかって浮きただよい、
 弓のように翼を曲げて、その軽快な急降下と
 白い上昇とをくりかえしていた。

 人間苦の都会に燃えとどろく夏を生き、
 そこでの無償の労役から
 心の喜び、魂のための清涼を生むという、
 あの原始林での朝の誓いを
 私はけっして忘れない。

 ひろびろとした水上の鳥は
 生への熱中の美を型どっていた。
 遊ぶ子供らと釣る人々の遠い姿は
 この世の無心の風景だった。
 私は運転手の制服の肩と
 黒いコントローラーとの間に見える
 歌のような多摩の横山に人知れず手を挙げた。

 

 

 

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 台風季の或る日から

 ピアノの鍵盤へかろく置かれた手のように
 連山の襞をおさえて横たわっている厚い雲、
 それが今にどんなテーマのうねりを起こし、
 どんな広々とした発展へ放たれることだろう。

 たとえ雨を呼び、暗い嵐を引き出そうと、
 私にはすべての準備が成っている。
 自然や人事の両極端を知る者は
 均衡の凪なぎの光と静けさとを  
 みずから創造することができるのだ。

 しかしついに何事も起こらず、
 昼間は夜へと暮れて行った。
 風がそよ吹き、雲が割れ、
 山を離れた下弦の月が
 夜もふけた高原の露に重たいひろがりや、
 遠い開拓地の花蕎麦を白くあわあわと照らしていた。

 

 

 

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 秋の林から

 秋の林には、時おり、ふと、
 なにか小鳥の声の響くことがあった。
 その声は澄んだこだまを生んでじきに消えたが、
 回復された沈黙はもう元のようではなかった。
 或るまったく新らしい感情が
 そこに住んで生きることをはじめたように思われた。

 そのように、林を通るしぐれもあった。
 乾いた苔や下草を濡らす程ではなく、
 やがて夕日に華やぐかろい木の葉を
 しっとりとさせるくらいの訪れなのに、
 其処には何かこまやかな語らいがあったように
 ほのぼのとした空気が醸されて残った。

 そんな秋の林で見出されたさまざまなきのこ
 とりどりに眼や心を悦ばせる色と形で、
 畳へひろげられた白紙の上、
 山荘の黄いろい燈下にぎっしりと押し合っている。

 

 

 

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 山荘の蝶

 森の空間を流れるように落ちて来て、
 しばらくは静かな日あたりの花や小石に
 蜜をもとめ、身を暖める蝶のいろいろ。

 古い山荘の風雨に白けた窓枠や露台の手摺りを
 ビロードの屑や七宝の破片で飾るように
 つよい翼を閉じては開くエルたては、孔雀蝶、

 「カンバーウェルの麗人」や「喪服の蝶」の名を惜しげもなく、
 秋を熟して甘美に濡れたルビーのような一位の実に
 魅惑されてひしめきつどう黄べりたては、  
 霧のような薊あざみの花にシトロン黄の山黄蝶、 
 なよなよと風にも堪えぬ姫白蝶、
 あれもこれも都会を遠い山の蝶だ。
 青々あおあおと山川やまかわ遠く私も来て        
 一夏の仕事を終り、厚いノートや本を閉じ、
 みちたりて却ってかろく明るい心を、
 あすは帰京のあわい哀れに、
 この高原の九月の午後、
 陶然と無為の絢爛に見入っている。

 

 

 

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 山荘をとざす

 もういちど家の中を見てまわる。
 がらんとした本棚、一物もとどめぬ机、
 残してゆく調度や寝具‥‥‥
 生活の余韻と新らしい空虚とが
 まだどの部屋でも対立している気配だ。
 これからおもむろに沈黙の時がはじまって、
 家はやがて一冬の永い無住を眠るのだろう。

 窓も雨戸ものこらず締めた。
 幾週間の夏の成果は鞄の底におさめてある。
 その鞄も荷物も玄関に並んでいる。
 電灯のスイッチを切り、柱時計の振子をとめる。
 迎えの車が離愁をそそる警笛を響かせて
 もう森の中を近づいて来る。
 そとへ出て鍵をかける。
 ちょっと我が名の表札を見上げる。
 樹々を打つ秋雨あきさめの奥で黄びたきひがらが鳴いている。
 雨蛙も鳴いている。
 自動車が大きくカーヴを切って、
 濡れた芝草の中にぐいと停まる。
 ドアがあく。
 乗る。
 雨蕭々、小鳥の声‥‥‥
 断絶のドアがばたんと締まる。

 

 

 

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 目 木

 「もう目木めぎの実が赤く熟れ‥‥‥」と 
 あのリルケが時禱詩集に書いたように、
 高原の白々と朽ちた牧柵に沿って
 私にも同じ目木の実の赤い秋だ。

 北独逸ヴォルプスヴェーデは私にとって未知の土地だが、
 今日の果て遠い空の青さと濃い日光と、
 高緯度の泥炭地方に吹きひろがる西風のような
 この爽かに悲しい空気の感触とが、
 私に其処をむかし体験した風景のように思わせる。

 灌木かんぼく目木は枝組みも強くこまかに、  
 秋は黄に光る貝殻の葉と針のとげとげ、
 ちいさい堅い珊瑚いろの実を点じて
 周囲のしらべに特異なひびきを添えている。

 パウラ・ベッカー、クララ・ヴェストホフ、
 なぜか私は彼女ら二人をこの目木赤い高原にあわれむ、
 まだ薄倖の予感もなかった芸術女性の若い二人、
 北辺の秋色と田舎の狩の女神のような、
 ついに画廊の誉ほまれに遠かった、パウラとクララを。     

 写生帖を膝に、鉛筆と画筆を手に、
 しばしこの植物と野のひろがりとを瞑想していた私は、
 やがて堅いケント紙を引裂いてまるめた。
 そしてこのような断念こそ、一人の詩人の
 寥郭の秋の心にふさわしいものに思われた。

 

 

 

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 女と葡萄園

 今われわれはおびただしい円熟と
 ゆたかな重力の場とのまんなかにいる。
 葡萄の房は鍾乳石をまねている。
 みちみちた甘い汁液と果肉のジェリーが
 今にもメロディーのようにみなぎって垂れそうなのを、
 薄い透明な皮膜の包みが
 乳房のように危うくも持ちこたえている。

 澄んだ鋏の音がする。
 重い甘露を切りはなつ都会の女性にょしょうの白い顔は    
 厚い葉かげや日光の縞にまぎれて見えないが
 わかい両腕を高々とさしのべて
 胸をそらせて立った姿は人像柱カリアチードを想わせる。    
 しかしその自尊に燃える星のような明眸も
 この自然の鷹揚な施与せよには圧倒されて、   
 棚の下の日かげの卓に匂やかにすわる時には、
 もう全くすなおな少女の昔に帰っている。

 

 

 

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 峠

 下のほうで霧を吐いている暗い原始林に
 かすかな鷽うそや目細めぼその声、
 しかしいよいよ心臓の試みられる登りにかかれば、
 長いさるおがせをなびかせて  さるおがせ
 しろじろと立ち枯れしている樹々の骸骨を
 高峻の夏の朝日が薄赤く染めていた。

 澎湃とうちかえす緑の波をぬきんでて         
 みぎは根石・天狗の断崖のつらなり、
 ひだりは見上げるような硫黄岳の
 凄惨の美をつくした爆裂火口。
 登る心は孤独に澄み、
 こうこうとみなぎる寂寞が
 むしろこの世ならぬ妙音を振り鳴らす
 透明な、巨大な玉だった。

 頂上ちかい岩のはざまの銀のしたたり、
 千島桔梗のサファイアの莟、              
 高山の嬉々たる族よ‥‥‥
 風は諏訪と佐久さくとの西東にしひがしから  
 遠い人生の哀歌を吹き上げて
 まっさおな峠の空で合掌していた。

 

    

 

 

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 桃林にて(I)

 農夫が彼の果樹園で
 桃の林を剪定している。
 樹液のかよいはじめた柔らかい枝が
 くるいのない鑑別の鋭利な鋏に
 惜しげもなく切り落とされる、
 あたかも有害な欲望や
 気まぐれな着想が整理されてゆくように。
 花や実りのためにする
 この果敢な切り捨てと抜擢とは
 詩人の作業に彷彿としてはいないか。
 青いやわらかい空気の中に
 とおく鷽うその口笛さえひびく早春を   
 人けもない多摩の田舎の桃林で
 剪定の鋏の音が星のようだ。

 

 

 

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 桃林にて(II)

 昔の川の流れが鷹揚に置いていった
 ふかく肥えた土壌の遠いひろがり。
 農夫らの自然への信頼と明るい智慧と
 強靭な持続の意志とが、
 よくこの独特な、富裕な
 果樹園地帯の風景を完成した。
 幾何図形の木々の点列と、
 その灰いろの中にかすむ緑の下萌したもえよ。  
 いさぎよく刈りこまれて錯落とした
 枝のあいだの純粋な空間が、
 やがて流れる蜜の香や  
 重い桃色の波の予感を
 目ざめのへりのまどろみのように
 かろく恍惚と支えている。

 

 

 

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 桃林にて(III)

 桃林はついにみずから粧よそおった、  
 土がふくらみ、
 春風がさまよい、
 水の光が雲にうつるこの田舎で。
 待ちのぞまれた桃の林の
 桃いろの花の奇蹟を眼の前にして、
 どんな徽宗きそうが、ボナールが、蕪村が、  
 この田園の野趣と王朝艶美の表現に
 彼らの丹精をつくすことか!
 しかし農夫は悠然と
 くわえ煙草の青い煙をなびかせながら、
 この完璧の中にもなお
 隠れているわずかな瑕瑾かきんを見出して、  
 やおら腰のうしろの鋏を抜く。

 

 

 

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 渓 谷(I)

 高原と山々とのこの国に
 都会を遠い余生を托して矍鑠かくしゃくたろうとする私には、   
 渓谷もまた自己拓開の新らしい場だった。
 なにか心の慰まぬ日、私は其処へ下りて行った。

 山峡やまかいの谷は両岸の新緑いよいよ重く、 
 梅雨つゆの雲また漠々と垂れて、  
 残雪に日照りかがやく峯の威容を
 谷奥の空の高みに隠していた。

 私の心もまた欝々と重かった。
 晴れやかになろうとこの谷までは来てみても、
 ただ単調に思われる水の流れ、
 悩ましい栗の花の香、眠たげなねむの花の色だった。

 その単調、その憂鬱を打破するように、
 私はざぶざぶと冷めたい流れを押し渡った。
 足に巻きつく強い水脈、瀬々せぜのせせらぎ、    
 ようやくにしてよみがえる鮮明な生の意欲が私にあった。

 

 

 

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 渓 谷(II)

 朝まだき、荒い瀬音が谷を満たして
 きりぎしの霧や若葉をふるわせるとき、
 青く、つめたく、逞しく
 うねり、巻きこむ水のフーガを
 孜々ししとして縫ってさかのぼる魚群であった。   

 真昼を燃える岸の山吹、山つつじ、
 小鳥のさえずり、蟬の合唱、水の音、
 この渓谷の全奏にピチカートを打って
 おりおり跳ねる溌剌とした影像は
 銀と薄黄の弓なりの魚形。

 さて、今は月影くらい初夏の宵、
 七ツ釜の深い淵瀬の水そこに
 ほのぼのと鰭をそよがせ、身を伏せて、
 鰓蓋えらぶたの鰓の呼吸もやすらかに    
 まどろんでいる若い夫婦の岩魚いわなである。
  
              (或る新婚に)

 

 

 <ルビ> 孜々 しし、鰓蓋 えらぶた、岩魚 いわな

 

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 渓 谷(III)

 国文学の森山先生は釣の達人、
 六月のもっとも日の永い土曜日を
 学校から一時間の汽車とバス、
 帰ると着替えもそこそこに飛び出して、
 朴ほおの花今を盛りの釜無谷かまなしだにのみぎわづたいに
 もてなしの岩魚いわな十本を釣り上げて来た。
 美しい斑点ちらした藻の色の背と薄黄の腹、
 体長三十センチの岩魚の焼物は
 串をぬいても三日月がたに堅くそり、
 塩を振られた皮の焦げめは夕焼色にかんばしく、
 赤みを帯びた肉は畳まれたように厚い。
 あぶらが乗ってしつこくなく、
 颯々として青嵐の気がある。
 先生は銘酒「真澄ますみ」を献杯しながら、    
 国文学大系や俳書のならぶ書棚から
 大型の原書、アイザック・ウォルトンの
 「釣魚大全コンプリート・アングラー」をとって私に示した。    

 

 

 

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 木曾の歌 (奈良井)

 奈良井川のながれを見おろす道ばたで
 今辞儀をしながらすれ違ったうら若い一人の女性、
 ----白いブロードのブラウスに紺のスカート、
 涼しく切って波をうたせた匂やかな髪----
 あれはきのう地区の教職員の総会で
 選ばれて木曾節を踊った女の先生だ。
 竪に割れて両岸せまった断層谷の
 その下段を縫う古い街道の行きどまり、
 時の流れに片よせられて静かに朽ちてゆくような
 暗く古さびた昔の宿しゅくのどこかの家から、    
 袋の底の錐きりの穂のように出て来たに違いない。  

 この山里に今をさかりの笹百合のように
 ういういしくて、あでやかで、
 明眸むしろ犯しがたい妙齢の女との
 鴬の歌も老いた夏の木曾路のすれちがい。
 憂鬱に亡びるものと溌剌と生まれるものとの
 この背離はいつの世でも宿命的だ。
 朝霧晴れた奈良井の谷の夏景色から
 あの珊々さんさんと玉をまろばす「鱒」の五重奏曲の    
 輝かしい主題と変奏を思っていた私の心に、
 甘美に暗い「死と乙女」のそれが、その時以来、
 しばらくまつわって離れなかったのも是非がない。

 

 

 

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 木曾の歌 (鳥居峠)

 われわれは木の根・岩角をつたいながら、
 今では人も通わない中山道なかせんどうの廃道を      
 息を切り、汗を垂らして登って行った。
 下ではこるりの、上ではめぼその囀りが     
 深山の昼のしじまに響いていた。

 峠に近く幾百年を経た橡とちの原始林があった。   
 梢の空に高々と白い花の泡を盛り上げながら、
 たそがれのような下道は苔と朽木の匂いだった。
 星鴉ほしがらすがしわがれた声でやわらかに鳴き、     
 青げらがけたたましい叫びを上げて飛び立った。   

 やがて前方の視野がからりと開けて
 われわれは古い峠の頂上へ出た。
 きらきら震える暑い空気と山谷の波、
 その夏霧八里のかなたに
 木曾御岳おんたけが厖大な夢のように浮かんでいた。   

 あたりは耳を聾するえぞ春蝉の合唱だった。    
 石碑にとまった彼らの一匹に近づいて
 その熱烈な朗吟に眼と耳とで聴き入っていると、
 ひとくさり鳴いてはにじり歩く蝉の頭を大写しに、
 銀の木曾川と藪原やぶはらの古駅とが焦点外れのパノラマだった。   

 

 

 

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 木曾の歌 (開田高原)

 もしも私たちがこの土地の生まれだったら、
 そして十八のお前が藤屋洞ふじやほらの、    
 私が二十歳はたちで把たばノ沢さわの若者だったら、   
 銀いろの蜘蛛が高原の白い木いちごの藪に
 人しれず涼しい虹を編むように、
 私たちもひそやかな恋の幸福を編むだろう。

 地蔵峠のむこう、末川から西野まで
 ビロードのような牧草地の丘の起伏、
 山おだまきや下野草しもつけそうや羊歯しだのあいだを流れる小川 
 昼間の明るい霧をとよもすほととぎすの声、 
 どのいえでも飼っている馬と、どこからでも見える御岳おんたけ……   
 そういうものが私たちの愛の背景となるだろう。

 小さくて、粗食に堪えて、働き者の
 木曾馬はこの土地では大切な家族の一員、
 そのために私は夏草の丘ひろびろと鎌を振り、
 お前は暗い広い台所のかまど前から
 彼らの気のいい素朴な顔に
 弟妹へのようないつくしみの声をかけるだろう。

 そして七月・九月の福島の馬市に、
 ジャンパーを着て鳥打かぶったお前の父親が
 狡猾そうな鋭い眼をした買手の男と
 ポケットの中で指の符諜の取引をしている時、
 トゥベルクリンの注射をされ、目方を衡って売られてゆく
 愛馬を撫でて涙ぐむお前に私が涙ぐむだろう。

 

 

 

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 木曾の歌 (寝覚)

 方形の節理にそって割れた白い花崗岩のかたまりが
 巨大な積木を倒したように横たわっている。
 そのあいだを或る時は青く泡だち、
 或る時は鞣なめされたように流れている木曾川の水。   
 私は爼岩と呼ばれる巨岩のはじに腰をかけて、
 このあたりが地質時代の或る昔に
 一つの滝のすさまじい落口であったろうという
 遠いまじめな地学の夢にふけっていた。

 角かどばった禿頭にふさふさ眉毛の老人が     
 旅の者である私に近づき、じろりと眺め、
 やがてたたずんで独りごとのように言った、
 「発電に水を取られてからというもの
 この寝覚ねざめノ床とこは岩の墓場だ。    

 床ばかりか世の中全体が味気なくなり、
 人間の気持もすさみきって軽薄になった。
 かけはしや命をからむつたかつら。
 芭蕉翁の昔なんぞ、自然にも人心にも
 こんにちでは薬にしたくも見つかりはせん……」

 以前には校長だったというこの老人に
 私は一々かろくうなずきながら、
 今しも谷間の空を飛んで行く一羽の青鷺を目で追って
 その下流と此処との大きな落差を
 それとなく心づもりに測っていた。

 

 

 

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 我等の民話
      
(ハンス・カロッサ追悼)

 その人は空をきざむ氷雪の山々と、
 或る偉大な音楽家の名と、
 歌や伝説で名高い二つの河の出あうところ、
 由緒ある二つの国と国との境の町に
 年久しく住んでいるということだった。

 古く強い魂と、日光のように寛容な心と、
 世界の展望への深くひろびろと澄んだ明知。
 重厚に、質素に、世に目立たず、
 頼もしく慕わしくその人は生きていた。
 そしてときどき其処から、ゆっくりと
 丹精こめてつくった贈り物を、
 右手のする事を左手に知らしめない心づかいで、
 世界に散らばるもろもろの
 心まずしい敬虔な人々に彼は届けた。

 幾年に一度の思いもかけぬ聖なる宵に
 私たちの許へも届けられるその贈り物は、
 ささやかな包みから夥しい中身となって拡げられ、
 贈り主の深く洞察的な柔らかいまなざしと
 好意にほころぶ微笑の面輪とを想わせた。
 そしてその一つ一つを手にとると
 それぞれがまた幾つにも分解して、
 或いは叡知、或いは警告、或いは鼓舞や慰めが、
 人おのおのの内心の願望や求めに応じて現われるという
 驚くべき魔術を演じるのだった。

 ああ、その人が、このごろの秋の或る夜、
 急に召されて遠いところへ旅立ったそうだ。
 その救世の魔術の大いなる功徳くどくが   
 いよいよ必要なのは実に私たちだったのに。
 知らぬ天国は私たちの知らぬ間に
 彼の手を借りねばならないほど
 それほど貧しくなっていたのだろうか。
                 (昭和三十一年九月)

 

 

 

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