詩集「二十年の歌」 (昭和十八年)

  ※ 他の場所にすでにアップロードしている作品はここでは省略し、この詩集にのみ掲載されて
   いる文章および冒頭の自序のみといたしました。(サイト管理人)

  自 序      
  「空と樹木」から      

テニスの試合

雨後の往来

田舎の夕暮

雨 

友だちが歸つた後

生 活

新しい季節

歸り道

井戸端

雪解けの日から

 

 

  「高層雲の下」から      

高層雲の下

野の搾乳場

野の小川

音 樂

夕ばえに向つて

ヴェルハーレンを憶ふ

昆陽先生の碑前にて

我家の臺所

裏 道

静かな夏

水 際

晩 夏

秋 風

女 等

母 

古典の空

花崗岩

も ず

落 葉

冬の木立

眠られぬ夜のために

日の暮れ

蛇窪に別れる

 

  「曠野の火」から      

小作人の墓碑銘

曳船の舵手

老教授

靄 

 

冬の林

私の古い長靴

妻を待つ間

初夏の小屋

 
 

西 瓜

秋の歌

甲州街道の牛

冬の蠅

 
 

朝の街道 (注1)

土と落葉と水たまり

私のかはゆい白頭巾

夕暮の歌

 
 

菫 

精神的寂静

クリスマス

故郷にて

 
  「旅と滞在」から      
 

友 

三國峠

神津牧場

前橋市遠望

 
 

猪 茸

夕べの泉

若い白樺

アルペンフロラ

 
 

西北風

積雲の歌

夏 野

秋 

 
 

醒めてゐる貧

初冬に

セガンティーニ

雲 

 
 

大いなる夏

輪鋒菊

航 海 (注2)

日 川

 
 

甲斐の秋の夜

金鋒山の思ひ出

秩父の早春

和田峠東餅屋風景

 
 

天井澤

雪消の頃

高原の晩夏に寄せる歌

 

 
  昨日と今日(拾遺)      
 

訪 問

伊那小屋の朝

美ケ原熔岩臺地

早春の山にて

 
 

軍 道

高原の五つの練習曲 (注3)

夏山思慕

槍澤の朝

 
 

秋の流域

野邊山ノ原

春淺き

慰問晝

 
 

内原の朝

若い下婢

決意はすでに堅い

新たなる曆

 
 

此の糧

少年航空兵

峠 路

シンガポール陥落

 
 

特別攻撃隊

 

 

 

 

     注1)詩文集では「朝の甲州街道」となっている。
     注2)詩文集では「星空の下を」となっている。
     注3)詩文集では「高原 その一〜その五」となっている。
     ※注はいずれもサイト管理人による。

 

 

  高村光太郎君に捧ぐ


          われは我が魂と運命とをひつさげて
          我が遠き國よりおんみへ來ぬ、
          過ぎし日に我が救ふを得たることごとくを
          おんみに與へ且つはおんみに灑がんがため。
                  エミール・ヴエルハーレン

   

自 序                 

 詩を書きはじめてから今年で二十三年目、最初の詩集が出てから滿二十年になる。けふ五十一歳の静かに碧い初夏の空を仰ぎながら、此の二十年というこしかたをこころにゑがけば、それが遠いとほい世の事のやうにも思はれるし、又つい此のあひだのやうな氣もするのである。
 ともかくもそれ以來五冊の詩集が出たのであるが、「空と樹木」、「高層雲の下」、「曠野の火」のやうな初期の詩集はすでに久しい以前から絕版になつてゐて、今ではいづれも容易には手にはいらない。尤もたまにとんでもない場末の古本屋で發掘して來た人から署名などを頼まれたりする事はあるが、それもごく稀な場合である。それで今度三笠書房から詩集出版の慫慂をうけたのを機會に、其の三冊と目下品切だといふ「旅と滯在」とに收めた百六十八篇の中から八十篇を選び出し、それに未だどの詩集にも入れてない新舊の作二十一篇を加へて此集を編むことにした。但し昨年出てこれも現在品切中の「行人の歌」からは一篇も採らなかつた。「行人の歌」はそのままの内容で再版の機を得たいからである。それにしても此の自選詩集「二十年の歌」を見れば、私の詩の歩んで來た現在までの道程は先づ一應わかつて貰へるわけである。
 おそらく此本よりも早く、別に散文集「詩人の風土」が出版されるだらう。詩にせよ散文にせよ、私の書くものは常に一面自叙傳風な正確を具へてゐるから、兩々相俟つて、「我が生ける日と心の記」ともいふべき物になるかも知れない。
 此の詩集のために校正の筆をとりながら、ふと、les beaux joursという言葉が唇にのぼつた。なんといふ惠まれた恩寵の日々の連鎖が、私のために編まれたことだらう!
なるほど人生は刻々と移つてとゞまる時がない。「肉體と靈魂とは流のやうに流れて行く。歳月は老いたる樹々の肉のうちに記される。」その私の年輪は蹉跌と悔、別離と出會い、涙と歌とのひしめき合つた五十の輪の結集である。然しなんと私が愛されたらう、なんと幾たび救はれたらう! 友に惠まれ、その時々の伴侶に惠まれ、常に誰かしらの獻身の手で正しい道へ引戾された私。この大きな一生の負債おいめを、私は自分の藝術、自分の行ひで返すのほかは無いのである。
 三十九歳の時の誕生日の朝、私はこれと同じ感謝の心から次のやうな一篇を書かずにはゐられなかった――

  僕が生まれた日からけふの日まで、
  やがては時のかなたに殘されてゆく身をもつて、
  それぞれに僕を愛してくれた無數の人々、
  僕がその愛に價しなかつたあの人々の悲しい名が、
  なんと神聖になつかしく、思ひ出されることだらう。

  愛とは、求めるところのいささかも無い
  おのれの犠牲だといふ事を
  身をもつて僕に教へたのはあの人達だ。
  千の名の中に僕の名を夢にも呼び、
  千の顔の中にやすやすと僕の顔を見いだして、
  急いで駈けて來る心を持つてゐた今は亡い人々よ、
  こんにち以後僕は誓つて高貴なあなた達に價したい。

  時の再生の風がそよ吹く。
  固い莟にも宇宙の春の約束が祕められてゐる。
  生きる日の親しいどよめきが街の空にあがる。
  懷しい死者等の記憶が存在の匂となつて立ちまよふ。
  僕が善くなるために未だ全く遅くはあるまい。
  愛せられた者、僕の、けふは誕生日だ。

 詩集「二十年の歌」を私は三十年來の友高村光太郎君に捧げるが、それは私の感謝をうくべき遠い昔の幾多の人のおもかげを、此の老いたる友をとほして到るところにみるからである。

    昭和十七年六月十日

                         尾 崎 喜 八

 

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 伊那小屋の朝

 小屋の屋根からは陽炎が立つていゐ。
 僕は山でもひとりぼつちの一兵卒だから、

 こんな陽炎までふるまふ今朝の麗らかな山頂を、

 單純に、しんからありがたかつた。

 壮麗の、
 森嚴のと云つたつて
 結局は言葉の貧寒な雪の山巓だ。

 青玉あをだまのような空の下にぎつしりと稜かどをならべた
 この中部日本の廣大な結晶群が僕を默らせる。

 こんな朝のさばさばした人間關係。
 七彩の虹を吐く雪の上へながながと影をよこたへて、

 死んだ親父おやぢによく似た小屋番のおやぢの横顔に
 僕はカメラの覘いをつける。
 
 

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 慰問畫

 大日本おほやまと、秋はさやかに、
 日のひかり隅なき今日けふ
 うららけき此の日曜を、
 縁に座し繪をかく我が娘
 
 見はるかす收穫 とりいれの野は、
 缺くるなき祖國のすがた。
 黄をば溶き、赤をも添へて、
 なほ足らぬ秋の色かな。
 
 美しき此の繪を見つつ、
 ほとほとと感じ入りけん、
 ちひさなる従姉ひそかに、
 「與へよ」とせがむが聞ゆ。
 
 「いな。これは大皇軍おほみいくさ
 勇士ますらをを慰めんとて  
 今日はしも描かける繪なれば、
 許して」と我が娘は云ひぬ。
 
 「さらば」とて歸り行きしが、
 やゝありて「これも共に」と
 持ち來てしクレヨンの繪は
 その飼へる犬の親子ぞ!
 
 あはれ、行け、このこゝろざし、
 海山をこえて遙かに  
 大陸の戰いくさのにはの 
 ますらをの猛き心へ。


 

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 内原の朝

 衣袖ころもでや常陸の國の  
 新墾あらきはる内原の野に、
 朝まだき霜をゆるがせ、
 紫の筑紫にひゞき、
 裂帛の「あな明さやけ、おけ」
 「彌榮」の諸聲きこゆ。
 
 さやかなり赤松林、
 木未こぬれ分け朝日のぼれば、
 幾百の日の丸兵舎、
 開闢はじめなる世をさながらに、
 ひむがしの光りを浴びて、
 太ふとしくもならび立つ見ゆ。
 
 日の本の農民の道
 盡してぞ報いまつらん
 增產の推進隊、
 その數も八千あまり、
 頼もしや喇叭鼓隊の
 音につれて足をとゞろかす。
 
 これを見つ、この聲聽きて、
 誰かまた胸打たれざる。
 大御民一億にして
 この誠とりて止まずば、
 聖戦みいくさの遠く續くとも 
 皇國すめみくにたえて揺るがじ。 

 

 

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 決意はすでに堅い

 晩秋のけさの帝都に露はしとゞ、
 宮苑のめでたき松も、紺碧の玉の甍も、
 ひとすぢの雲の棚びく靑空の下に
 美々しく濡れて森嚴玲瀧、
 ここぞ萬民のひとしく仰ぎ見るところ。
 
 つはものは征きて遠く戰ひ、
 銃後は守つて默々といそしむ。
 三軍に一絲のゆるむなく、
 官民に一人の懈怠なく、
 一億心を一にして國本の指すに隨ふ。
  
 譎詐謀はかりごとをめぐらして狂奔するのは誰か、
 暴慢力をたのんで恫喝を弄するは誰か。
 深い海底の地殻の憤激、
 山嶺の雪にうづもれた沸々の烈火、
 洋うみは太平でも大日本は火山の國だ。
  
 「趙家の老寡婦を嚇し得て
 來り擬す神州男兒の國」、
 矢は弓弦を放れようとして滿の極、
 けさ晩秋の國土に露は玲瀧を結ぶとも、
 決意はすでに堅く、風を袂にして我等は待つ。
        
                 (昭和十六年十一月十日)

 

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 新たなる曆

 ハワイ海戰、マレー沖海戰、
 あの赫々の大戰果にも惨として驕らず、
 我が海軍将兵は唇を眦を決して、
 あすの作戰に從事してゐると人は言つた。
 その言葉む幾たびか心に繰返しながら、
 私はただ一人燈火管制下の我町を視て𢌞る。
 十二月の深夜はすでに霜のけはいがして、
 空はいちめん星の海、
 すばるの西に土星はかたむき、
 アルデバランの東に木星は燃える。
 私は此の星の下に安らかに眠る同胞を思ひ、
 とほく潮風くらい大洋に敵を追ひ敵をもとめ
 大君の御楯となつて今し散りゆく同胞を思ふ。
 こころ嚴粛の氣に滿たされ、
 目は田園につゞく街造の闇む凝視する。
 月、月、火、水、木、金、金、
 この七曜こそ我が忠勇の海軍が
 切々琢磨幾十年の曆だつた。
 あゝ我等また道のいと遙かなるを肝に銘じ、
 烈々眞摯、絕えて驕らず、
 やがて明け放れる大東亞の大いなる朝あしたまで、
 此の新たなる曆を日每繰りつつ
 銃後一心の誠を捧げて進まなければならない。

                 (昭和十六年十二月十三日)

 

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 シンガポール陥落

 シンガポール陥落す。
 汝等が最後の牙城ここに潰ゆ。
 これ天の時、天の理なり。
 天はみだりに起ちて手を下さねど、  
 時滿つれば昭々の理を明らかならしむる事斯くの如し。
 汝等かの歐羅巴の片隅に國をなせども、 
 つとに世界制覇の野望を東亞に伸べて、
 無辜を虐げ、弱きを亡ぼし、
 その天輿の福利を掠奪するや久し。
 悲憤怨嗟は人間の事にして、
 破邪顯正は天のところ、
 つひに我等起つて天譴の雷を汝等に下す。
 これ時にして理、
 しかも理を履んで理を超ゆるもの
 我が大和民族傳統の力なり。
 見よ、皇軍の征くところ、艨艟も寸斷され、
 千古の密林坦道と化し、
 幾百の堅壘悉く潰えて、     
 汝等が東亞劫掠最大の牙城、不落の要塞、
 シンガポールは陥つたり。
 天の時今や定まる。
 ユニオンジャック空しく廢墟の塵にまみれて、
 海峡の悲風うたゝ落莫。
 首を囘らせばスマトラの島影指呼の間にあり、
 手をかざしてジヤワ、ボルネオオ望むべし。
 あゝ、シンガポール陥落す。
 暴戾百年の牙城は潰えたり。
 如かず、汝等前非を悔いて此の天命に服さんには!

 

 

 

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