詩集「高原詩抄」 (昭和十七年)
早春の山にて 遠い北方の山々に雪はまだ消えないが、 こうして移る刻々が私にはひどく惜まれるが、 だが明日あすは五月。
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春浅き 春浅き三頭みとうの山に 氷柱つららこそ滝にはかかれ、 しかれども我がいぶかりは 宿にして夜のまどいに、 礼いやすると、はた、せざるとは、
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かたくりの花 春のいきれの暑い山みち、
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軍 道ぐんどう 私たちの下って行った山腹の村には
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松本の春の朝 車庫の前にずらりとならんだ朝のバス、 夜明けに一雨あったらしく、
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山小屋の朝 小屋の屋根からは陽炎かげろうが立っている。 壮麗の、森厳のと言ったって、 こんな朝のさばさばした人間関係……
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高 原 その一 熱い火山岩が切り明けの道にごろごろしていた。
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高 原 その二 高原のさびしく明るい片隅に
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高 原 その三 牧場に昼すぎの驟雨があった。
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高 原 その四 ししうどの原でのびたきが鳴いている。
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高 原 その五 いつか善い運を授けて下さるならば、神様、
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お花畠 いちばん楽しかった時を考えると、
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槍沢の朝 人影もない堆石モレーヌの丘に まだ霧の縞のふるえている青い谷奥に ふと、「とりどりの石ブンテ・シュタイネ」という言葉が唇にのぼった。 あたりは這松の樹脂のにおい。
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帰 来 黙々として彼は山から帰って来た。 山の無言とけだかさとは そして再び複雑多端のこの世を生きようとする彼だ。
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牧 場 山の牧場の青草に 夏もおわるか、白雲の 山の牧場に風立ちて、
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野辺山ノ原 今ははや六年むとせのむかし、 見はるかす甲斐や信濃の 井出ガ原、念場ねんばガ原と、 海ノ口、今宵のとまり、 おりからや、若者二人 四五町もわれは行きけん、 わがためになおよく道を
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美うつくしガ原はら熔岩台地 登りついて不意にひらけた眼前の風景に 秋が雲の砲煙をどんどん上げて、
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秋の流域 二日の雨がなごりなく上って、 葡萄畠のあいだから川が見えて来た。
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御所平ごしょだいら 一里むこうの大深山おおみやまはまだ華やかな夕日だが、 四つ割の薪を腰に巻いて 海ノ口ヘの最後のバスが 腕組みしておれを眺める往来の子供たちが 楢丸ならまる一俵十八銭の手どりと聞いて、 それでも東京の正月を棒にふって ああ、こころざしの「千曲錦」の燗かんばかりかは、 そのなつかしい御所平を、
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凍 死 吹雪はわずかな岩の割れ目をひしひしと囲む。 今夜何十の樅の若木が立ちながら死ぬか、 凍死に先だつ恍惚とした痲痺の中で、
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夏山思慕 雪の香かのする三千メートル雲表のそよかぜ。 然しその空しさを次第に埋め去るかのように、 ああ、いま武蔵野に初冬の光はながれ、
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山を描く木暮先生 天地ひろびろと枯れた六郷川ろくごうがわの 冬枯れの河原をこえ丘をこえて 先生は画家ではない。 先生は重い双眼鏡を目からはなして、 それでいい。 名利を追わず、栄達を願わず、 先生はもう双眼鏡を手にとらず、
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噴 水 暑い、迸出する夏の光線のなかへ、 私は思う、それにしても ときどきヴェルサイユの空高く ジャン・ジャックの野の叫びや 今はただ、その音の
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