詩集「此の糧」 (昭和十七年)

此の糧

若い下婢

連峯雲

大詔奉戴

少年航空兵

庭 訓

峠 路

登山服

特別攻撃隊

三粒の卵

窓前臨書

新緑の表参道

工場の娘等

父の名

若き応召者に

つわものの母の夢の歌

つわものの父の歌

その手

歌わぬピッケル

少国民の秋

 

 此の糧

 芋なり。
 薩摩芋なり。
 その形紡錘つむに似て
 皮の色紅べになるを紅赤べにあかとし、
 形やや短かくして
 紅の色ほのぼのたるを鹿児島とす。

 霜柱くずるる庭のうめもどき、
 根がたの土に青鵐あおじ来て、
 二羽三羽、何かついばむ郊外の冬、
 その陽当ひあたりの縁近く、
 大皿の上、ほかほかと、
 甘やかに湯気をたてたる薩摩芋、
 親子三人、軍国の今日きょうの糧ぞと、
 配りおこせし一貫目の芋なり。

 芋にして
 紅赤をわれは好む。
 紅赤の蒸焼むしやきせるをほくと割れば、
 さらさらときめこまかなる金むくの身の
 いかに健かにも頼むに足るの現実ぞや。
 鹿児島の蒸かせるは
 わが娘とりわけてこれを喜ぶ。
 鹿児島の肉は粘稠ねんちう
 あまき乳煉れるがごとき味わいは
 これぞ祖国の土の歌、
 かの夏の日の勤労の詩なりかし。

 紅赤の、はた鹿児島の、
 そのいずれをも妻はとるなり。
 妻は主婦にして、また人の子の母なれば、
 好みは言わじ、選りもせじ。
 ひたすらに、分つ者、与うる者の満足もて、
 おおらかに、ねんごろに、
 手馴れしさまに食うぶるなり。

 芋はよきかな、
 薩摩芋はよきかな。
 これをくらう時
 人おのずからにして気宇闊大、
 時に愛嬌こぼるるがごとし。

 大君の墾はりの広野ひろのに芋は作りて、
 これをしも節米の、
 混食の料しろとするちょうかたじけなさよ。
 つわものは命ささげて
 海のかなたに戦う日を、
 銃後にありて、身は安らかに、
 この健かの、味ゆたかなる畑つものに
 舌を鼓し、腹打つ事のありがたさよ、
 うれしさよ。

 芋なり。
 配給の薩摩芋なり。
 その形紡錘つむに似て
 皮の色紅べになるを紅赤べにあかとし、
 形やや短かくして
 紅の色ほのぼのたるを鹿児島とす。

 

 

 

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 若い下婢

 夜更けの空襲警報に真先かけて飛びだして、
 くるりと皮をむいてしまった足指の
 スフの繃帯からヨードフォルムが冷めたくにおう。

 国家がそれを求めるから、
 自分でもほんとうにそうだと思うから、
 まっしろに煮えたぎって作裂する
 二キロのエレクトロン焼夷筒へも向って行った。
 まっぴるまの町なかで、女だてらに、
 三間梯子へ跨がってバケツも送り、
 守則板にメガフォン持って、
 水仙いろの東の空に星のうすれる
 寒い夜明けの監視哨にも立った。
 時が来て召されたら、托されたら、
 これをしなくてはならないと
 腹の底から信じるから。

 二週間の訓練もおわって
 けさは玉のような晩秋の青空だ。
 生れて間もない赤ちゃんの御襁褓おむつを洗っていると、
 郊外はピイピイ鵯ひよどりが鳴き、
 八ツ手のまわりでブンブンと虻あぶが唸る。
 傷はもうそんなに痛くはない。
 ただ此の裏庭の井戸端の
 けさの初霜にうたれた白菊のそばでは、
 ヨードフォルムのにおいが寧ろ冷めたく勇ましいようだ。

 

 

  

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 連峯雲れんぽうのくも

 大日本おおやまと秋津あきつ島根しまねは
 とこしえの亜細亜あじあの護まもり
 東ひんがしの洋うみの鎮しずめと、
 結建ゆいたてし神かみの瑞垣みずがき
 垣かきなれや連つらなる峯みね
 注連しめなしてめぐる白雲しらくも

 飛騨ひだ、信濃しなの、国くにの真中まなか
 剣つるぎ太刀たちに出る峯みね
 男児おのこらが心こころみがくと
 巖いわつかみ攀じし山山やまやま
 夏なつなれば大空おおぞらえて、
 群立むらだつや雲くもの八重垣やえがき

 春はるれば秩父ちちぶ、赤石あかいし
 甲斐かいが根に木曾山きそやまきよし。
 また秋あきは神かみの高千穂たかちほ
 大阿蘇おおあその牧まきの高原たかはら
 御代みよなれや豊旗雲とよはたぐも
 彩あやなして妙たえになびけり。

 注連しめなしてめぐり棚曳たなび
 花はなのごと耀かがよう雲くもも、
 時ときあらば国くにの怒いかり
 いかづちの猛たける荒神あらがみ
 東ひんがしの洋うみより立ちて
 天あまけり撃たん醜草しこくさ

         (昭和十七年新年御題「連峯雲」に因める作詩)

 

 

 

 

 

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 大詔奉戴

 昭和十六年十二月八日。
 日は南、
 冬木の枝のことごとく
 明あかく清さやけく照りあかる時、
 畏くも宣戦の大詔おおみことのりは発せられ、
 今し詔書奉読の声
 朗々として拡声器より流れ出いず。

 戸外に人の足音絶え、
 野に一鳥のさけび無く、
 天地粛然、
 ただ凛冽の気をふるわせて、
 大詔おおみことのり
 昭々と四海に布しくを聴くのみなる。

 我等草莽そうぼう、一間のうちに相集い、
 襟かきあわせ、端坐しつつ、
 宣らせたまえる言ことのまにまに
 滂沱ぼうだとして落つる涙を如何にせん。
 我は懼る、わが家の子と
 かたみに顔を見んことを。
 もしも今我等がまなこ出で会わんか、
 此の涙忽ちにして嗚咽おえつとなって発すべし。

 ああ、畏くも
 大君は宣のたもうなり。
 「皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ」と。
 又ありがたくも宣うなり。
 「朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚ス」と。
 あわれ今は家も命も惜しからじ、
 御民みたみ我等数にも足らぬ悉くを、
 ただにささげて、かえりみず、
 大君のため、御国みくにのために参らせんかな。

 奉読は終りぬ。
 拡声器は鳴りやみぬ。
 されど無限に深き感激は
 世にも美うつくしき夢に似て、
 我等此の至聖至高の瞬間の
 なおも永く続かんことを願えり。

 座を立って神前に神酒みきをささげ、
 火を鑽り、御明みあかしを奉れば、
 心ひらけて天日昭々、
 今ははや
 天皇おおすめらぎの御民われ
 世に恐るるもの無き心地のするぞ真実まことなる。

 

 

 

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 少年航空兵

 母のおもいは空に満てり。
 幾百の母の悲願に鳴りひびく空、
 あわれ我子が放つ一弾の
 神かけて射損じすなと祈るなる
 その声々の飛びかう空を、
 ああ忠烈無窮、少年航空兵、
 敵地も深く勇戦し奮闘す。

 かつて母等が最愛の者、
 なおその移り香の消えざる者、
 早くも遠く膝下をはなれて、
 十八年の天津風、
 今日きょうぞ大君のため、国のため、
 敵艦斃すまでやわか命を捨つべきと、
 その美しき眦まなじりを裂き、
 若く凛々りりしき唇嚙んで、
 天馬のごとく東奔し西走す。

 ああ、母の念願、子の忠勇、
 母子ぼしの赤誠空を揺すり、
 水陸にこだまして殷々、轟々。
 よしや幾人の若き雄魂天にのぼり、
 誓いの母の夜半よわの夢路を翔けるとも、
 見るべし、すでにここかしこ、
 算を乱し、骸むくろをさらして、
 十余の敵艦累々るいるいたり!

 

 

 

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 庭 訓

 まだお河童かっぱの幼いころ、
 その誕生日に女中のくれたリボンー掛、
 人の優しいこころざし
 あだに思うなと教えて来た。

 標本をつくるとて
 春の野に命うばった蝶、とんぼ、
 捕った以上は
 けっして棄てるなと教えて来た。

 父にならって
 「栄子の野外手帖」と表紙に書いた雑記帳、
 すべてを己が見たまま、感じたままに
 書きのこせよと教えて来た。

 人のため
 おのれを捨てて労をいとわぬ汝が母、
 その美しい心根を
 一生のかがみとせよと教えて来た。

 幼稚園児のむかしから
 事ごとに教えさとした庭訓ていきん
 今ようやくに実を結んでか此の日ごろ、
 やや人らしい我が娘。

 国の大事にいであって
 人みなの心ひとつの頼まれる時、
 この父母ちちははがながき躾しつけのたしなみを
 いかに生かすか、十八歳の娘、我子が。

 

 

 

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 峠 路

 なんとなく春めいた風が私をつつみ、
 晴やかな旅の空にはきょうも三月の太陽が懸かる。
 ここは信濃路、残雪の峠みち、
 人里とおく登って来た此の高みに
 どこかで鷽うそが鳴いている。
 山々に春を知らせる笛のような鷽うその声だ。

 私は鳥の姿をもとめて双眼鏡の視野を廻す。
 すると鳥のかわりにぼんやり人間の姿が映る。
 そのまま静かに焦点を合わせると、
 谷を隔てて二町もむこうの
 高い斜面へ苗木を植えている老人の姿だ。
 檜ひのきか、椹さわらか、
 何にしても何時かは森林をなすべき樹木、
 時満ちれば蓁々しんしんと繁り栄えて、
 家の富、国の富ともなるべき樹木の其の苗だ。

 私のうちに或る淡い悲しみに染まった
 ひとつの深い感動が湧く。
 いま日本は其の子孫と未来とのために
 国運を賭して戦っている。
 この戦いが終ついの勝利におわる時、
 然し此の老人はとうに此の世の人ではあるまい。

 来る春ごとに鷽うそが鳴き、峠路とうげじの雪が溶け、
 千百のあの苗が年ごとに高く伸び育っても、
 今私のレンズの中で植林している此の老人が、
 今よりももっと老いた眼、曲った腰で、
 その森林を見上げる時はついにあるまい。

 しかし其の人は植えている、
 あの尾根通りのあらわな斜面が
 美しい森林ですっかり被われる日を信じて。

 私の眼が大きくなる。
 老人の姿、苗の列が、円くなり、柔くなり、
 ついにはすべての輪郭が青くくずれる。
 私は双眼鏡を革の画へおさめると、
 清められた者の心をもって歩みをつづけた。

 

 

 

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 登山服

 ひととせ我にゆとりありければ妻子つまこがため
 登山服と靴と背嚢とを作り与えぬ。
 服はわが指図して着ごこちよく
 いくとせを綻びぬよう正しく縫わせ、
 靴には岩をも嚙まん堅き鋲びょう
 みずから選び打たせけり。

 かくてこれを着、これを穿ちて、
 みすずかる信濃国原しなのくにばら
 八重垣の八雲立湧く夏のさかりを、
 その夫おっと、その父親に伴われ、
 彼等初めてぞ踏む槍、燕つばくろのいただきに、
 わが悦び、わが感動を分ちぬるこそ哀れなれ。
 これぞこれ、絵にのみ見てし千島桔梗よ、
 白馬しろうまと名のみ聞きしはかの山かと、
 右左より呼びかつ問うぞいとしけれ。

 やがて四とせをつづくたたかいに
 山踏むことの無くなりて、
 淙々の谷の流れも、雲の上なる山頂も、
 ながく我等を遠ざかりぬ。
 又このたびの新たなる大きいくさに、
 世は転じ、心も移り、
 筐底きょうていのかのたしなみの登山服、
 今ははや、まさかの時にこれを着て、
 水かづき、火をくぐるとも惜みなく
 おのれらが組内くみうちまもる防空服となり了りぬ。
 いくとせを裂け綻びぬもの、役立ちぬ。

 さあれ、町角の監視の哨に立ちながら、
 青空を遥かに浮かぶ巻雲けんうん
 かの楽しかりにし山々と其の事ごとを
 はしなくも思いいでぬと、
 たまゆらの遠きまなざし、
 ひそやかに我に告ぐるぞ是非もなき。

 

 

 

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 特別攻撃隊

 耳そばだてて昨日きのうは聴き、
 壁にかかげてつくづくと今朝けさは見る、
 あの忠勇義烈
 万人を哭かしめるいさおしと
 この静かな、若くけだかい九つの顔……
 こうしてあなた達は惜まれ、慕われる、
 世の父母ちちははに、妻に、兄弟に、子供らに。
 そうして厳かに祀られる、
 わたし達の心の宮の奥ふかく、
 国の鎮しずめの礎として、
 日本に人たる者の鑑かがみとして。

 きのうは佳き日の地久節、
 早春の麗かな一日いちにち
 門毎に国旗がひるがえっていた。
 しかし誰か思ったろう、
 美しく暮れゆく空の日の丸を
 かくもさんさんと止めどなく
 たぎり落ちる涙の中に仰ごうとは。
 震える声にラジオは言った。
 「全艇予定の部署に拠り港内に進入、
 或いは白昼強襲、或いは夜襲を決行、
 史上空前の壮挙を敢行し、
 任務を完遂せるのち艇と巡命を共にせり」と。
 ああ此の瞬間、
 日本国中、あらゆる山河、津々浦々に、
 歔欷きょきの声はしめやかに洩れ、
 不覚の涙は、すべての拳、
 すべての膝を濡らしたのだ。

 けさ曇り日の家に、車中に、
 人々はまなこ燃やしてあなた達の壮挙と
 町や田舎での生立おいたちを読み、
 おのれ、われ、人皆が、
 悲しさ懐かしさを心に秘めて、
 在りし日の清く床しい人間に触れる。
 あなた達のうちの誰ひとり、
 生きて再び此の世の春に出で会わし、
 いよよ栄ゆる君が代を仰ごうとする者はいなかった。
 此の敵一挙に斃さずんば
 皇国みくに危しの至誠に燃えて征いったのだ。

 ああ、海ゆかばみづくかばね、
 大君のへにこそ死んだあなた達の忠魂は
 今や尊い九柱の軍神と仰がれ、
 共の身は遥か真珠湾の水底みなそこ深く鎮まっている。
 今宵あなた達のおもかげを壁に懸け、
 早咲きの春の花をば供えながら、
 この人々が我が同胞よと思えば心おのずから清められ、
 明日あすよりは我もまたと、
 静かに、深く、
 終ついの覚悟を新たにするのみである。

 

 

 

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 三粒の卵

 通りかかる私の顔さえ見れば。
 「をじちゃん、卵は」と  
 いつもにこにこして訊く子であった。
 「未だ来ない。来たらすぐに
 坊やのおうちへ持って行ってあげるよ」と
 私はいつも答えるのだった。
 おなじ隣組の、人のいい、正直な、
 若い大工夫婦とその子供、
 それがついきのう遠い北の郷里へ引越した。

 別れに来た亭主はただおどおど、
 二十二になる細君は
 「お名残惜しくて」と眼に涙をためていた。
 坊やは晴着を着せられて
 いつものとおりにこにこしていた。
 それなのに今日は卵が届いてその配給。
 一人当り一つの卵を八十粒
 青竹の寵へ入れては配りながら、
 もう代りの一家の家財道具の運びこまれた
 元のあの子のうちの前へと来かかれば、
 喜んで飛出して来るあの可愛い顔もなく、
 三粒あまったきれいな卵を
 竹寵の底に眺めて憮然とする私の心に、
 ここ、東京西郊の
 葉桜時の風のつめたさ。

 

 

 

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 窓前臨書 

 いつのまにか青葉になった庭前の樹々に、
 きょう座敷のなかは奥のほうまで
 ほのぼのと青く水底すいていのようだ。
 私は欧陽詢の拓本「醴泉銘れいせんめい」を前にして、
 紙をのべ、静かに墨をおろしながら、
 久しぶりに心のゆとりを味わっている。

 あの日以来さまざまな仕事が
 私から詩人の時をいよいよ奪う。
 きょうの詩人はもう昔の詩人ではいられない。
 運命は従うものを流れに載せ、
 抗あらがうものを曳いて行くのだ。

 どこかで春蟬が鳴いている。
 こんもり茂った樹々の青葉と五月の空、
 舌に散る狭山さやま新茶の爽かな余瀝。
 私は結体の美をもって鳴るこの拓本の
 冒頭の文字に筆をくだす。
 床の間では静かに、冷めたく、
 スイス・グリンデルワルトの氷斧ピッケルが光っている。

 

 

 

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 新緑の表参道

 けやき並木の神宮表参道は
 いちど穏田おんでんの谷へくだってまたのぼる。
 見わたせば道爽かに、静謐の気はながれ、
 その遠くきわまるところに神苑の森が黒い。
 わたくしはゆくりなくこの道に立って、
 今日の柔かに薄がすむ青ぞらの下、
 雲のように湧いたけやきの盛んな新緑や
 坦々とした参道の方正の美にうっとりする。

 その並木の下を
 いま二列途足みちあしの水兵さんが来る。
 こよなくも兵を愛しいつくしみたもうた
 明治の帝の神鎮まります大前に
 ぬかづいて来た若い御楯みたての水兵さんが、
 いそいそと肩をならべて帰って来るのだ。
 子供のようなくりくり頭に一文宇の水兵帽、
 青い四角な衿や白い胸当むなあてもすがすがしく、
 片手に持った弁当の包みの
 お揃いであるのさえほほえましい。
 忠勇無比で謹厳豪毅、
 求敵必滅の凄まじい海軍魂を持ちながら、
 子供のように質朴でういういしい、
 これが日本の水兵だ。
 これこそ若く頼もしい日本の本当の姿だ。

 ああ、青山はいたるところ薄紫の桐の花、
 そのぼうっと霞んだ青ぞらの日に、
 神宮表参道の新緑の下を
 若い水兵さんが幾十人参拝から帰って来る。
 ちいさい赤い錨のしるしを一つつけた
 腕をくみあって二列になって帰って来る。
 わたくしは挨拶でもしたい心で見送っている。

 

 

 

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 工場の娘等

 精妙な機械が実になめらかに動くので、
 そこから起こるかすかな響きは
 ほとんど小さな虫のうなりか、
 夢の中の歌のようだ。
 その流れるような機械の歌のリズムに乗って、
 若い娘らのしなやかな手が
 水中の魚のように自在にひらめく。
 やがて見事に組立てられて
 科学の粋を誇るべき国産の精鋭の、
 その珠玉のような部分品が
 こうして彼女らの確かな手から生れるのだ。
 黒髪をきりりと包んだ白いハンカチ、
 空色のブラウスに海青色かいせいしょくの胸つきズボン、
 妙齢を奉公の誠に捧げて
 心に太陽をはぐくむ未来の母、
 生産労務女性の犯しがたい近代美よ。
 時は初夏、
 野外は新緑、
 しかしこの轟々たる大工場の一室に
 制服の処女ら黙々と働いて、
 軍国日本の真摯な姿。
 一脈さわやかな青嵐を生んでいる。

     

 

 

 

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 父の名

 いざという時に親達の手許から引離して
 幼い者らをもっと安全な場所ヘ一纒めにする。
 それが私たちの約束だった。

 郊外の朝の空にサイレンが呻くように鳴り響く。
 すると忽ち半ズボンにゴム靴はいた男の子、
 おもちゃの風呂敷包みをちいさく背負った女の子、
 空からの乳首を吸いながら乳母車に合乗りの子、
 ああ二十人にあまる組内すべての子供らが
 三人の老人に附添われ、せきたてられて、
 とぼとぼと列を作ってやって来る。
 あたりをきょろきょろ見廻す子、
 べそをかいて泣出しそうな子、
 おててつないで元気な子、
 それを防火服姿の母親達が
 門口に立って見送っている。
 その行列が今私の前を通りかかる。
 私は腰をかがめて一人一人の頭を撫で、頤おとがいを撫でる。
 子供らはめいめい新調の迷子札を私に見せる、
 首から紐で吊ったのや、
 胸のあたりへ縫着けたのを。
 だがその札には皆書いてある、
 子供らの名前の肩にそれぞれの父の名が、
 彼らの愛であり誇りである父親の名が。
 そこで私は声に出して、
 彼らの喜びのため、名誉のために、
 一々すっかり読んでやる。
 小さい避難者たちは満足して歩みをつづけ、
 警戒の声のけたたましい道を森の方へ去って行く。
 (あわれよし身は捨つるとも、
 このいとけなき国民くにたみをやわか死なせじ!)
 戦闘帽のまびさしの下で見送る私の目がくもる。

 

 

 

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 若き応召者に

 大命こんにち君に降り、
 召めしをかしこんで君はゆく。
 船に乗って大海に出た者のように
 今や全く別の秩序にその一身を君はゆだねる、
 それ有るがため
 却って別れを断乎とさせる別の秩序に。

 君はあらゆる明日あすを想像した。
 起り得べきすべてを心に描いてみた。
 しかし結局はすべてを崩して、
 それをそっくり未知の彼方へ押しやった。
 いま、一羽の鷹として
 その長い飛翔への最後の足場に君は立つ、
 人々の激励と万歳とに柔かにほほえみながら。
 ただ献身の二字が
 君の眉のあいだで星のようだ。

 小旗を振っての私達の見送りが、
 古い歌や、習慣や、
 諺ことわざのようなものでない事を信じたまえ。
 遠い征虜の夢にかよう君の家の門前に
 私たちは一本の草も生やさず、
 君の血筋、君の家の魂を
 私たちは力をあわせて護り、保とう。
 召をかしこんで今ぞゆく君、
 これが私たち並居る者の

 心からのはなむけの言葉だ。

 

 

 

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 つわものの母の夢の歌

 あの時以来、わたしは、心に、
 お前への所有の夢を捨てた。
 わたしの知らぬ海は、おそらく、
 眉目すぐれて、丈高く、
 涼しく賢い花嫁のようなものなのだ。

 ああその飛沫しぶきの歌にむかって
 お前がわたしから行って以来、
 わたしは男子おのこの母である事をやめ、
 時の中に老い、
 秋のように枯れて立っていた。

 しかしついにお前は帰って来た。
 お前はすこしも変っていない。
 ただひどく冷めたく重くなったそのからだを、
 今、わたしは抱き、暖める。
 敵艦のくろがねの腹つんざくとて
 うちぬかれたお前の若い心臓へ、
 今、母は這入って塞いでやる事ができる。

 身は老い、かわき、枯れながら、
 なんとわたしの乳が甘く、ほのぐらく、滾々こんこんと、
 お前にほとばしることだろう!
 今宵二十年を昔にかえす愛の夜に、
 神とはなっても、
 「母よ」と呼んでむずかるがよい……

 

 

 

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 つわものの父の歌

 母や姉たちにするようには、
 愛の子らしい、青年らしい、こまやかな、
 別れの仕方をお前はわたしに見せなかった。
 別離の哀愁が霧のように湧き上がる
 夜の停車場の大広間で。

 わたしは一団の男のむれに寒くかこまれ、
 落ち枯れて広くなりまさる大空の下の
 一本の老木おいきのように立っている。
 これが戦う国に人の子の父たる者の
 いよいよ父となる道なのか。
 子よ、つわものよ、
 そこからかつて柔かくお前が出て来た
 母をあわれめ。

 父と子の無言約諾の瞬間から
 すでに一片の永遠がわたしに住む。
 この上なんの歌があろう。
 餞はなむけに与えた伝家の大刀だいとう
 そのたくましく新らしい柄袋つかぶくろ
 お前の背中で
 高々と揺れるのをわたしは見ている。
 人々に挨拶をする時の笑顔に光る
 その白い堅い歯ならびをじっと見ている。

 

 

 

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 その手
       (つわものの新妻の歌)

 ほかの人妻らは口に「愛国の花」を歌う。  
 歌うには私の唇はひび割れている。
 私の手は小旗によりも
 今はいっそう鑢やすりや鏨たがねにこそふさわしい。

 たたかう愛国の花、
 ほかの女たちにとってそれはまた
 形を変えたもう一つ別の牧歌にすぎない。
 かれらは古い女の園や道のべを
 新らしく華やぎ薫るのだと信じている。
 しかしつわものの妻は一人いちにんを征かせて、
 花でもなく、歌でもなく、
 彼によって
 すでに剣けんだ。

 ただ恐れるのは、いつの曰か
 彼の武勲にかがやく凱旋のとき、
 その歴戦の兜かぶとをうけて顫えわななく私の手が、
 匂う花のようにではなく、
 遠くから思われていた物のようにでもなく、
 (ああ、奥底では柔かな
 熱いこの心をうらぎって)  
 曲もなく
 堅い荒金あらがねを鳴るということ……

 

 

 

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 歌わぬピッケル

 縁側の花茣蓙はなござに片膝立てて、
 りゅうりゅうとベントの氷斧ピッケルを研いでいる。
 卵いろの合せ砥どはなめらかに濡れ、
 親指の腹とぴかぴか光る刃のあいだから
 しぼれて垂れる薄墨いろの研汁とぎじる
 その匂いにいつか穂高の岩壁に燃えた
 あの凄まじい電光のことが思い出される。
 だがこのピッケルは今年もまた歌うまい。
 烈日の軒先に百日紅が夢のように咲き、
 きょう初めてのつくつくほうしが
 惜しや惜しやと武蔵野の樹には嗚いても、
 ふたたび袋の中に黙すだろう。
 折しも妻がさし出す葉書一枚、
 手を休めてじっと見入れば、
 「陸軍軍医中尉・詩人稲葉晃君は
 七月の北支作戦に壮烈なる戦死を遂げられ……」

 ベントのピッケル遂に歌わず、
 秋水一尺
 ただ研ぎすまされて冴えに冴え、
 冷々としずもり光り、
 砲煙のような雲を浮かべた真夏の空の

 一脈の哀愁を吸っていよいよ蒼い。

 

 

 

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 小国民の秋

 秋が来た。
 金いろに青くしんとした昼間、
 自然はひろびろと明るく美しい。
 弟や妹たちが
 大きく、賢くなったように見える。
 姉は母のようになり、
 兄はもう小さい父だ。
 じきに兵隊になって行くだろう。

 机の上や引出しの中をきちんとしたくなる。
 字なども正しくりっぱに書きたいと思う。
 言葉ははきはきと、男らしく、
 声は澄んだ空気の中をまっすぐに、
 それを聴く人の耳にとどかなくてはならない。

 たんぼの稲が黄いろくなり、
 柿の実が赤くなり、
 村みちは遠く学校のほうへ曲って、
 秋の小川をちいさくまたぐ橋が見える。  
 日の丸の旗の立つ日が多い。
 戦争はつづく。
 そろって勉強や作業をしていると、

 友達がみんな戦友のように思われる。

 

 

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