『自註 富士見高原詩集』
尾崎喜八が長野県富士見在住時代の作詩70篇に自註をつけたものである。
『詩は言葉と文字の芸術であると同時に作者の心の歌でもあるから、本来ならばその上更に解説
その他を加える必要は無いはずである。しかし最近は色々と出る選詩集の中に、選者その人の
鑑賞や、註釈や、或いは批判めいた物さえ添えられている場合が多くなった。それは又それで
必ずしも悪くはないが、しかしそのために作者本人がいくらか困惑を感じる場合も絶無とは言
えない。鑑賞や批判が原作者の本来の意図や気持と食い違ったり、註釈に誤りがあったりした
のでは、迷惑するのは作者ばかりか、心ある読者、鑑賞力の一層すぐれた読者の中には、その
事に不満や不快を感じる人さえいるのである。現に私はそういう例を幾つか知っているので、
今度は敢えて自註という新らしい試みに手を染めた。』と喜八自身が述べている。
なお作品は、詩集「花咲ける孤独」、詩集「歳月の歌」、その他の詩帖から選ばれている。
(サイト管理人)
以上、詩集「花咲ける孤独」所収作品 (サイト管理人) | |||||
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以上、詩集「歳月の歌」所収作品 (サイト管理人) | |||||
受難の日曜日 | |||||
以上、「その他の詩帖」の作品 (サイト管理人) |
告 白 若葉の底にふかぶかと夜をふけてゆく山々がある。 疲れているのでもなく 非情でもなく、
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本 国 私には ときどき 私の歌が 北の夏をきらきら溶ける氷のほとりで それとも空一面にそよかぜの満ちる
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新らしい絃 森と山野と岩石との国に私は生きよう。 なぜならば私はもう此処に 私は逆立つ藪や吹雪の地平に立ち向かおう、
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存 在 しばしば私は立ちどまらなければならなかった、 きのうはこの高原の各所にあがる野火の煙をながめ、 ああ たがいに清くわかれ生きて
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落 葉 ひろびろと枯れた空の下で ああ 没落の空間に幾変転して コンステイブル、ミレー、
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夕日の歌 夕日のひかりの最後の波が 今夜はすべてに解体と結晶とが行われるだろう、
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土 地 人の世の転変が私をここへ導いた。 その慕わしい土地の眺めが 今
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秋の日 そしてついに玉のような幾週が来る。
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短 日 枯葉のような旅の田鷸たしぎが
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朝のひかり 朝々の白い霜のうえに はだしの雉きじは富まないし、 私は彼等とそのひそやかな生をわかつ。 沍寒ごかんの地にも遠い春のように咲きながら、
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十一月 北のほう 湖からの風を避けて、 もしも今わたしに父が生きていたら、 しかし今 わたしの前では、
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雨氷の朝 終日の雪に暮れた高原に まるで一夜の魔法にかかって そして万能の自然がたった一夜でつくり上げた
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春の牧場 あかるく青いなごやかな空を ほのぼのと赤い二十里の だが 緑の牧の草のなかで
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夏の小鳥が…… 夏の小鳥がふるさとの涼しい森や緑の野へ 産はたいてい神秘な夜のあけがたに行われる。 彼等は小屋の前へ立ったりうずくまったりしながら、 私は思うのだ、 そして私は心ひそかに歎くのだ、 夏の小鳥が生れ故郷の
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薄雪の後 まっさおな空をふちどる山々の線の上に しかし やがてきっぱりと つよく 赤ぐろく炸裂する。
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旗 石を載せた屋根を段々にならべて封蠟のように赤い柿もみじの間から ちらちらと白壁をひからせた古い村、 そこに二つの谷の落ち合っている山麓の村。 小学校の庭では運動会のプログラムが きょうは招待のあるじである私たちの国の旗よ、
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冬のはじめ 黄ばんだものが黄いろくなり 大きなむなしさの中に明るく努めて、
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本 村 花崗岩の敷石づたいに 清潔な牛小屋と厚い白壁の土蔵とのあいだに 私はあの玉虫いろの空の下から そして或る日私を呼びとめて、
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夏野の花 神のおおきな園のなかで 惜しまれることを期待もせず、 すでに咲き消えた野薔薇 野あやめ うつぼぐさ、 はやくも秋めく青い木この間まを
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或る晴れた秋の朝の歌 又しても高原の秋が来る。 すがすがしい日光が庭にある。 名も無く貧しく美しく生きる やがて野山がおもむろに黄ばむだろう、
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雪に立つ 雪が降る。 わたしはスキー帽をすっぽりかぶり、 雪は縱に降り、横なぐりに降る。
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足あと けさは 森から野へつづく雪の上に、 雪と氷の此の高原の寒い夜あけに 鑿のみで切りつけたような半透明な足あとが それならばいよいよすばらしい。
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雪の夕暮 窓をあけてお前はいう、 遠く、そして柔らかく…… ほんとうにお前の言うとおりだ。 お前はいう、 そして私はいう、
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春の彼岸 山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて 草木瓜くさぼけの赤、たんぽぽの黄がここかしこ。 煩悩ぼんのうの流れをあえぎ渡って、
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早春の道 「のべやま」と書いた停車場で汽車をおりて、 開拓村の村はずれ、 私はこの画の中にしばしとどまる、
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復活祭 木々をすかして残雪に光る山々が見える。 枯草の上を越年おつねんの山黄蝶がよろめいて飛ぶ。 萌えそめた蓬よもぎに足を投げ出し、 人生に覚めてなお春の光に身を浮かべ、
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杖突峠 つえつきとうげ
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夏 雲 雷雨の雲が波をうって 残雪をちりばめ 這松をまとって 眼下をうがつ梓の谷に
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山 頂 一人一人手を握り合ってプロージットを言う。
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秋の漁歌 信州は南佐久、或る山かげの中学の
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農場の夫人 お天気つづきの毎朝の霜に 鶏を飼い 山羊を飼い 緬羊を飼い、
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冬のこころ ここにはしんとして立つ黄と灰色の木々がある。
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地衣と星 お前は辞書を片手にハドスンを読んでいる。 「アルビレオって何ですの」と昔お前が私にきいた。 むかし武蔵野に遠く孤独な小屋があり、
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雪山の朝 服装をととのえて 小屋を出て、 空は世界の初めのように 瞬間の生涯回顧と孤高の心――
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安曇野 あずみの 春の田舎のちいさい駅に
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葡萄園にて 厚い緑の葉の上へずっしりと載った わが友葡萄作りは口いっぱいに
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八月の花畠 バーベナ アスター シニア ペテュニア ああ その柔らかい植物の炎の上に きょうこそ秋も立つという日の
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晩 秋 つめたい池にうつる十一月の雲と青ぞら。 枯葉色のつぐみの群がしきりに渡る。
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炎 天 高原の土地の村から村へ アルルの畠やプロヴァンスの広がりばかりか、 記憶のなかで大きい画帖のペイジを繰り、
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盛夏の午後 歌を競うというよりも むしろ その中間の低い土地は花ばたけ、 すべての山はまだ夏山で、 二羽の小鳥はほとんど空間を完成した。
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路 傍 田の草とりの百姓たちが日盛りの田圃で 信州の田舎の夏よ!
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幼 女 実みはとつぜん だがその真珠いろの円い粒の一つ一つが
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老 農 友達の若い農夫が水を見にゆくと言うので、 用水のへりを通ると、一人の年とった百姓が 数日たって私はその老農に招かれた。
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フモレスケ 庭のひとところを夏の虹色にしている
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或る訳業を終えて 明るい夏は昼も夜も 今ことごとく産みおわって、 しかし思うに、お前自身の仕事の成果を
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展 望 今私たちは夏のおわり 秋のはじめの 都会からの身が習慣を変え、 人や土地への敬虔なこまかい接触が
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かけす 山国の空のあんな高いところを
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詩人と農夫 若い夫婦が白黒まだらの牛を使って よく馴らされた牝牛はいつもほとんど従順だが、 ああ、独りである事の自由を欲する心から 愛を施すつもりではさらさらなく、
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林 間 秋を赤らんだ木々の奥から たとえば若い涼しい器用な手が 木々が目ざめ、空間が俄かに立ち上がる。 しかしやがて先達の鋭い合図の一声に
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木苺の原 小みちの薮に木苺きいちごがぎっしりと生なっている。 けさはすべての山々からの蒸発がさかんで、 暑い日光が頼もしく、清涼を運んで来る風もいい。 おのれの魂の務めへのうながしから おりおり運ばれて来る波のような暑いいきれに
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日没時の蝶 沈む太陽の赤い光線の波におぼれて、 夏の一日のあの甘美に赤い終焉の光が
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音楽的な夜 日が暮れると高原は露がむすび、 夜空をかざる山々の黒い影絵も
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黒つぐみ すべての独り歌う者のように、 持ってうまれた清朗な音色ねいろを あたかも過飽和の溶液から
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郷 愁 いつか秋めいて来た丘にすわって 高原の草に落ちるその音が なぜならば天使らが進んでその心を与えるのは
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雪 急に冷えこんで来た一日の 冬ごとに最初の雪を迎える心は 今それは しだいに濃く はげしく、
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人のいない牧歌 秋が野山を照らしている。 谷の下手しもてで遠い鷹の声がする。 この冬ひとりで焚火をした窪地は
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巻積雲 赤とんぼやせせり蝶の目につく日、 その昔、階段になった教室で 今あの空につらつらとならぶ巻積雲が なぜならば家畜や虫や花野や空が
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故地の花 山の田圃を見おろして行くあの細みちの 私たちにななたびの 押葉となって手紙の中に萎なえてはいるが、
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蛇 君たち、私に遭遇するや 水無月みなつきの水浸みずく草はらを行く私は 呪まじないの形に強くわがねた環からほどけて、 雷雨の待たれる片明りの野の木立に 背せなの鱗をいろどり濡らす華麗な縞と斑紋と 常時の保身とたまたまの反撃とは あたかもルーテルの烈火の卓を流し目に
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秋の林から 秋の林には、時おり、ふと、 そのように、林を通るしぐれもあった。
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山荘の蝶 森の空間を流れるように落ちて来て、 古い山荘の風雨に白けた窓枠や露台の手摺りを 「カンバーウェルの麗人」や「喪服の蝶」の名を惜しげもなく、 霧のような薊あざみの花にシトロン黄の山黄蝶、 青々あおあおと山川やまかわ遠く私も来て あすは帰京のあわい哀れに、
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山荘をとざす もういちど家の中を見てまわる。 窓も雨戸ものこらず締めた。 そとへ出て鍵をかける。
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目 木 「もう目木めぎの実が赤く熟うれ……」と 北独逸ヴォルプスヴェーデは私にとって未知の土地だが、 灌木かんぼく目木は枝組みも強くこまかに、 パウラ・ベッカー、クララ・ヴェストホフ、 写生帖を膝に、鉛筆と画筆を手に、
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峠 下のほうで霧を吐いている暗い原始林に 澎湃とうちかえす緑の波をぬきんでて 頂上ちかい岩のはざまの銀のしたたり、
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渓谷(Ⅰ) 高原と山々とのこの国に 山峡やまかいの谷は両岸の新緑いよいよ重く、 私の心もまた鬱々と重かった。 その単調、その憂鬱を打破するように、
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渓谷(Ⅱ) 朝まだき、荒い瀬音が谷を満たして 真昼を燃える岸の山吹、山つつじ、 さて、今は月影くらい初夏の宵、
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渓谷(Ⅲ) 国文学の森山先生は釣の達人、
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充実した秋 深まる秋の高原に霜のおとずれはまだ無いが、 沢沿いの栗山にいが栗がぎっしり 乾いた音のする両手を揉みながら、
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十一月 濃い褐色に枯れた牧場まきばの草が
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受難の金曜日 カールフライターク まだ褐色に枯れている高原に かつて私が悔恨を埋めた丘のほとりの すべてのきのうが昔になり、 『うるわしの白百合、ささやきぬ昔を……』
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