詩集「花咲ける孤独」 (昭和三十年)
告 白 若葉の底にふかぶかと夜をふけてゆく山々がある。 疲れているのでもなく 非情でもなく、
|
冬 野 いま 野には
|
詩 心 田舎のさびしい公園に
|
本 国 私には ときどき 私の歌が
北の夏をきらきら溶ける氷のほとりで
それとも 空一面にそよかぜの満ちる
|
新らしい弦 森と山野と岩石との国に私は生きよう。
なぜならば私はもう此処に
|
存 在 しばしば私は立ちどまらなければならなかつた、
|
落 葉 ひろびろと枯れた空の下で
|
夕日の歌 夕日のひかりの最後の波が
|
土 地 人の世の転変が私をここへ導いた。
|
秋の日 そしてついに玉のような幾週が来る。
|
首 (造形篇の一) 釉薬くすりのかかった赤と焦茶の秋の壷、
|
トルソ(造形篇の二) そして見よ、その首もない。
|
短 日 枯葉のような旅の田鷸たしぎが
|
朝のひかり 朝々の白い霜のうえに
|
十一月 北のほう 湖からの風を避けて、
|
雨氷の朝 終日の雪に暮れた高原に
|
春の牧場 あかるく青いなごやかな空を
|
夏の小鳥が‥‥‥ 夏の小鳥がふるさとの涼しい森や緑の野へ 産はたいてい神秘な夜のあけがたに行われる。 彼等は小屋の前へ立ったりうずくまったりしながら、 私は思うのだ、 そして私は心ひそかに嘆くのだ、 夏の小鳥が生まれ故郷の
|
薄雪の後 まっさおな空をふちどる山々の線の上に しかし やがてきっぱりと
|
旗 石を載せた屋根を段々にならべて
|
冬のはじめ 黄ばんだものが黄いろくなり
|
本 村 花崗岩の敷石づたいに 清潔な牛小屋と厚い白壁の土蔵とのあいだに 私はあの玉虫いろの空の下から そして或る日私を呼びとめて、
|
夏野の花 神のおおきな園のなかで
|
或る晴れた秋の朝の歌 又しても高原の秋が来る。
|
雪に立つ 雪が降る。 わたしはスキー帽をすっぽりかぶり、 わたしをして老いぼれしめず、 雪は縦に降り、横なぐりに降る。
|
足あと けさは 森から野へつづく雪の上に、
|
雪の夕暮 窓をあけてお前は言う、 遠く、そして柔かく‥‥‥ ほんとうにお前の言うとおりだ。 お前は言う、 そして私は言う、
|
春の彼岸 山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて
|
早春の道 「のべやま」と書いた停車場で汽車をおりて、 開拓村の村はずれ、 私はこの画の中にしばしばとどまる、
|
復活祭 木々をすかして残雪に光る山々が見える。
|
杖突峠つえつきとうげ 春は茫々、山上の空、
|
夏 雲 雷雨の雲が波をうって 残雪をちりばめ 這松をまとって 眼下をうがつ梓の谷に
|
山 頂 一人一人手を握り合ってプロージットを言う。
|
秋の漁歌 信州は南佐久、或る山かげの中学の
|
農場の夫人 お天気つづきの毎朝の霜に
|
冬のこころ ここはしんとして立つ黄と灰色の木々がある。
|
地衣と星 お前は辞書を片手にハドスンを読んでいる。 「アルビレオって何ですの」と昔お前が私にきいた。 いま雪の上に雪の降りつむ富士見野を、
|
雪山の朝 服装をととのえて 小屋を出て、 空は世界の初めのように 薄赤く朝日の流れ、紫の影、 瞬間の生涯回顧と孤高の心
|
安曇野あずみの 春の田舎のちいさい駅に 絵のような烏川黒沢川の扇状地、
|
葡萄園にて 厚い緑の葉の上へずっしりと載った わが友葡萄作りは口いっぱいに 完璧を期しながら一作ごとに持つ不満、
|
八月の花畠 バーベナ アスター ジニア ペテュニア ああ その柔らかい植物の炎の上に きょうこそ秋も立つという日の
|
晩 秋 つめたい池にうつる十一月の雲と青ぞら。 枯葉色のつぐみの群がしきりに渡る。
|
炎 天 高原の土地の村から村へ 記憶のなかで大きい画帳のペイジを繰り、
|
盛夏の午後 歌を競うというよりも むしろ その中間の低い土地は花ばたけ、 すべての山はまだ夏山で、 二羽の小鳥はほとんど空間を完成した。
|
路 傍 田の草とりの百姓たちが日盛りの田圃で
|
幼 女 一人でままごと遊びをしている女の児、 実みはとつぜん だがその真珠いろの円い粒の一つ一つが
|
老 農 友達の若い農夫が水を見にゆくと言うので、 用水のへりを通ると、一人の年とった百姓が 数日たって私はその老農に招かれた。
|
フモレスケ 庭のひとところを夏の虹色にしている
|
或る訳業を終えて 明るい夏は昼も夜も 今ことごとく産みおわって しかし思うに、お前自身の仕事の成果を
|
展 望 今私たちは夏のおわり 秋のはじめの 都会からの身が習慣を変え、 人や土地への敬虔なこまかい接触が
|
かけす 山国の空のあんな高いところを
|
詩人と農夫 若い夫婦が白黒まだらの牛を使って よく馴された牝牛はいつもほとんど従順だが、 ああ 独りである事の自由を欲する心から
|
林 間 秋を赤らんだ木々の奥から 木々が目ざめ、空間が俄かに立ち上がる。 しかしやがて先達の鋭い合図の一声に
|
初 蝶 日あたりの窓にならんだ幾鉢かのプリムラの
|
葡萄の国 山間の平地から山の中腹の斜面まで、 彼らと葡萄作りの農夫らとの間に この葡萄の国の野鳥誌を書いてみたいと
|
単独行 汽車に別れて閑散な田舎のバスへ、
|
木苺の原 小みちの薮に木苺きいちごがぎっしりと生なっている。 けさはすべての山々からの蒸発がさかんで、 暑い日光が頼もしく、清涼を運んで来る風もいい。 おのれの魂の務めへのうながしから おりおり運ばれて来る波のような暑いいきれに
|
日没時の蝶 沈む太陽の赤い光線の波におぼれて、
|
音楽的な夜 日が暮れると高原は露がむすび、 夜空をかぎる山々の黒い影絵も
|
黒つぐみ すべての独り歌う者のように、 あたかも過飽和の溶液から
|
郷 愁 いつか秋めいて来た丘にすわって 高原の草に落ちるその音が なぜならば天使らが進んでその心を与えるのは
|
雪 急に冷えこんで来た一日の 冬ごとに最初の雪を迎える心は 今それは しだいに濃く はげしく、
|
人のいない牧歌 秋が野山を照らしている。
|
巻積雲けんせきうん 赤とんぼやせせり蝶の目につく日、 真珠の粒を撒いたようなひとつらなりの巻積雲。 今あの空につらつらとならぶ巻積雲が なぜならば家畜や虫や花野や空が
|
故地の花 山の田圃を見おろして行くあの細みちの 私たちにななたびの 押葉となって手紙の中に萎えてはいるが、
|
言 葉 彼らのつかう言葉はおおむね壁だ。 粗大な意味だけで通用する言葉が 然しほんとうの言葉は生きた象徴だ。
|
林檎の里 林檎園から林檎園へと 灰いろの幹や大枝を ねっとりと滋味にみちたえりぬきの耕土から 灰ばんだ青い葉むらのあいだから
|
夏の最後の薔薇 夏の最後の薔薇よ、 あした私は遠く旅立つ。 訣別という事のいさぎよさが おのれを抑えて別れをうけ入れるその気高さから
|
Pastoral
scolastique しんしんと青い木立にかこまれた ピアノの音の波の輪の 亭々と立つきささげの並木、
|
晩秋の庭で もう黒と焦茶のひたきが現われ、八ツ手の白い花が咲き、
|
反 響 私にいささかの発熱ある秋の日の暮、 ああ、二十年前の「荒寥への思慕」、
|
夕日の中の樹 いつか私に正午は過ぎて、 病んだ枝も 虫ばまれた葉も 好ましい歌 悪しきしらべが 多くの葉が私に燃え、
|
詩 術 ちいさい軽率な木の葉たちが 林のへりで しかしその言葉たちが真によく選ばれて
|
尾崎喜八・詩集トップに戻る / 「詩人 尾崎喜八」トップページに戻る