詩集「花咲ける孤独」 (昭和三十年)

告 白

冬 野

詩 心

本 国

新らしい絃

存 在

落 葉

夕日の歌

土 地

秋の日

首(造型篇の一)

トルソ(造型篇の二)

短 日

朝のひかり

十一月

雨氷の朝

春の牧場

夏の小鳥が……

薄雪の後

冬のはじめ

本 村

夏野の花

或る晴れた秋の朝の歌

雪に立つ

足あと

雪の夕暮

春の彼岸

早春の道

復活祭

杖突峠

夏 雲

山 頂

秋の漁歌

農場の夫人

冬のこころ

地衣と星

雪山の朝

安曇野

葡萄園にて

八月の花畠

晩 秋

炎 天

盛夏の午後

路 傍

幼 女

老 農

フモレスケ

或る訳業を終えて

展 望

かけす

詩人と農夫

林 間

初 蝶

葡萄の国

単独行

木苺の原

日没時の蝶

音楽的な夜

黒つぐみ

郷 愁

人のいない牧歌

巻積雲

故地の花

言 葉

林檎の里

夏の最後の薔薇

Pastral scolastique

晩秋の庭で

反 響

夕日の中の樹

詩 術

 

 告 白

 若葉の底にふかぶかと夜をふけてゆく山々がある。
 真昼を遠く白く歌い去る河がある。
 うす青いつばさを大きく上げて波のようにたたんで
 ふかい吐息をつきながら 風景に
 柔かく目をつぶるのは誰だ。
 鳥か、
 それとも雲か。

 疲れているのでもなく 非情でもなく、
 内部には咲きさかる夢の花々を群らせながら、
 過ぎゆく時を過ぎさせて
 遠く柔らかに門をとじている花ぞの、
 私だ。

 

 

  

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 冬 野

 いま 野には
 
 大きな竪琴のような夕暮れが懸かる。
 
 厳粛に切られた畝から畝へ霜がむすび、
 
 風の長い琶音がはしり、
 
 最初の白い星がひとつ
 
 もっとも高い鍵けんを打つ。
 
 冬は古代のようにひろびろと枯れ、
 
 春はまだ遥かだが
 
 予感はすでに天地の間かんにゆらめいている。
  
 わたしはこの暮れゆく晩い土をふんで
 
 わたしの手から種子を播く、

 夕日のようにみなぎって
 
 信頼のために重い種子を。
  
 それは沈む、
 
 深く仕えるもののように、
 
 地底の夜々を変貌して
 
 おもむろに遠い黎明をあかるむために。
  
 きよらかな 
 澄んだ凝縮が感じられる。
 
 ただ周囲の蒼然たる沈黙のなかで
 
 わたしの心が敬虔な讃歌だ。
 
 そしてもう聴いている、
 
 とりいれの野が祭のような、
 
 燃える正午が翡翠かわせみいろの
 
 海のような六月を‥‥‥

 

 

  

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 詩 心

 田舎のさびしい公園に
 
 まだ荒い四月の春を感じながら
 
 私がもう読むことをやめて ただ
 
 膝のうえに置いたままの本、
 
 弟にあてた或る画家の手紙。
  
 とつぜん
 
 心がひとつの「物」を見つける。
 
 その物が遠い他の物たちを照りかえす。
 
 私に 私の世界が見える。
 
 私はすぐにはじめなくてはならない。
 
 そこに 金褐色に熟れた一望の暑い麦のひろがり、
 
 その畝うねごとに                     
 
 ひらひら燃える雛罌粟ひなげしの花、     
 
 子供の頃の空のような
 
 碧い矢車菊や紫つゆくさの大きな七月‥‥‥
  
 物からの隔たりと
 
 物の照応とを讃美して、
 
 ゴッホと共に世界をつかみ、
 
 ゴッホの世界のむこうを行く。

 

 

 

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 本 国

 私には ときどき 私の歌が 
 
 何処かほんとうに遠くからの 
 
 たよりではないかという気がする。

 北の夏をきらきら溶ける氷のほとりで
  
 苔のような貧しい草が

 濃い紫の花から金の花粉をこぼす極北、
 
 私の歌はそこに生まれて
 
 海鳥の暗いさけびや 海岸の雪渓や 
 
 森閑と照る深夜の太陽と共に住むのか、

 それとも 空一面にそよかぜの満ちる 
 
 暗い春の夜な夜なを
 
 天の双子ふたごと獅子とのあいだに 
 
 あるとしもなく朧おぼろに光るペルセペの星
 
 あの宇宙の銀の蜂の巣、
 
 あそこが彼の本国かと。

 

 

 

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 新らしい弦

 森と山野と岩石との国に私は生きよう。
 
 そこへ退いて私の絃いとを懸けなおし、         
 
 その国の荒い夜明けから完璧の夕べへと
 
 広袤をめぐるすべての音の
 
 あたらしい秩序に私の歌をこころみるのだ。


 なぜならば私はもう此処に
 
 私を動かして歌わせる
 
 顔も天空も持たないから。
 
 歌はたましいの深い美しいおののきの調べだ。
 
 それは愛と戰慄と自分自身の衝動への
 
 抵抗なしには生まれ得ない。
 
 私は逆立つ薮や吹雪の地平に立ち向おう、

 強い爽やかな低音を風のように弾きぬこう。
 
 だがもし早春の光が煦々くくとして         
 
 純な眼よりももっと純にかがやいたら、
 
 私の弓がどの絃を
 
 かろい翼のように打つだろうか。

 

 

 

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 存 在

 しばしば私は立ちどまらなければならなかつた、

 事物からの隔たりをたしかめるように。
 
 その隔たりを充填する
 
 なんと幾億万空気分子の濃い渦巻。
  
 きのうはこの高原の各所にあがる野火の煙をながめ、
 
 きょうは落葉の林にかすかな小鳥を聴いている。
 
 十日都会の消息を知らず、
 
 雲のむらがる山野の起伏と
 
 枯れ草を縫うあおい小径こみちと
 
 隔絶をになって谷間をくだる稀な列車と‥‥‥
  
 ああ たがいに清くわかれ生きて
 
 遠くその本性と運命とに強まってこそ
 
 常にその最も固有の美をあらわす事物の姿。
 
 こうして私は孤独に徹し、
 
 この世のすべての形象に
 
 おのづからなる照応の美を褒め たたえる。

 

 

 

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 落 葉

 ひろびろと枯れた空の下で
 
 白樺や楡にれの葉がたえまもなく散っている。
 
 一枚一枚が太陽に祝別され、
 
 昔の色の空の青に
 
 これを最後と染められながら。
  
 ああ 没落の空間に幾変転して
 
 その転身によこたわる秋の木の葉の美しさ。
 
 世界じゅうの美術館や諸国の画廊の
 
 静寂のなかでも散っている。
 
 コンステイブル、ミレー、
 
 テオドール・ルソーらの
 
 不朽の画布や素描のなかで
 
 きょうも散りやまぬ彼等の姿が永遠だ。

 

 

 

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 夕日の歌

 夕日のひかりの最後の波が
 
 いま高原の樅もみの岸べを洗っている。  
 
 周囲の山々にするどい霜の予感がある。
 
 厳粛な きよらかな
 
 海拔一千二百メートル。
 
 たそがれは宝石のような山かいの湖うみの遠望。  
 
 エンガーディンのニイチェの事がおもわれる。
  
 今夜すべてに解体と結晶とが行われるだろう、
 
 すべてに秋の死と冬への転生とがあるだろう。
 
 そして いつか この私にも
 
 薫風の岩かどか森の泉の片ほとりで
 
 私のツァラトゥストラやオルフォイスに
 
 出遭う春の日があるだろう。

 

 

 

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 土 地

 人の世の転変が私をここへ導いた。
 
 古い岩石の地の起伏と
 
 めぐる昼夜の大いなる国、
 
 自然がその親しさときびしさとで
 
 こもごも生活を規正する国、
 
 忍従のうちに形成される
 
 みごとな収穫を見わたす国。
  
 その慕わしい土地の眺めが 今
 
 四方の空をかぎる山々の頂きから
 もみじの森にかくれた谷川の河原まで、
 
 時の試練にしっかりと堪えた
 
 静かな大きな書物のように
 
 私の前に大きく傾いてひらいている。

 

 

 

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 秋の日

 そしてついに玉のような幾週が来る。
 夏の醗酵をおわった自然は
 おもむろにまろく熟して安定した層になり、
 きょうの秋の日には下ほど濃く、
 上へゆくほど晴れやかにすきとおって、
 かろく きらきらと
 うっとりと 甘く 涼しい。
 山にかこまれた此の地方は
 あたかも震えるふちを持った
 薄い大きな杯のようで、
 快美な秋は流れて隣る国々への祝福となる。
 しかしその喜びには深くまじめなものがあり、
 醉いそのものも健康で、
 充実した仕事の毎日が彫塑的だ。

 

 

 

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 首 (造形篇の一) 

 釉薬くすりのかかった赤と焦茶の秋の壷、 
 
 なかば割れた堅い柘榴ざくろのかたまりに、
 
 (みっしり詰った紅玉リュビーの霰弾、 
 
 ひしめく顆粒)
 
 無数の発見に満ち爆ぜる
 
 至上の頭を見てとった西欧の詩人は誰か。
 
 わが彫刻家高村は町の頑童の首をつくねる。
  
 ぴちぴち跳ねる機智と 雲のように湧く夢と
  
 とめどもない生活意欲の沸騰と
 
 侠気と 無頼と 時たまの泣き面に、
 
 内から張ったあのガヴローシュの頭蓋の凾。
 
 壷で 果実で たましいの
 
 鏡でもある首というものの不思議さよ、
 
 みごとさよ。

 

 

 

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 トルソ(造形篇の二)

 そして見よ、その首もない。
 腕もなければ、脚もない。
 でも私は哭いている。  
 私はこの胴体だけで哭くことができる。
 もう首も四肢もいらないほど
 それほど私の悲歎は深く 大きく 純粹だ。
 口や手足がついていたら
 私の訴えが山をも動かすだろうと言うのか。
 やむにやまれぬ魂の慟哭は
 肉体のどんな断片にも哭いている事を知るがいい。

 

 

 <ルビ> 哭 な

 

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 短 日

 枯葉のような旅の田鷸たしぎが    
 
 ちいさい群になって
 
 丘のあいだの冬の田圃におりている。
 
 こんな日には風景一帯に
 
 真珠いろの寒い光がぼんやり射し、
 
 どこからともなく野火の煙がにおって来る。
 
 こんな日には又よく銃の音がひびいて
 
 田圃の田鷸を電光形に飛び立たせる。
 
 そして思わぬ処から 旋風の渦のように
 
 舞い上がる花鶏アトリの大群がある。    

 

 

 

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 朝のひかり

 朝々の白い霜のうえに
 
 人に知られぬ貧しい者らの
 
 夜明けのいとなみを物語るような
 
 ちいさい足あとを見出す土地に私は生きる。
  
 はだしの雉きじは富まないし、
 
 旅のつぐみはあのように痩せて赤貧だ。
 
 それに見よ、けさもまた
 
 山の伐採地からあの小娘がおりて来る。
 
 貧しさのおさない王女のように、
 
 拾いあつめた枯枝を背に
 
 霜を踏んでよろめいて来る。
  
 私は彼等とそのひそやかな生をわかつ。
 
 少女も 鳥も、
 
 悲しげな彼等は遠くまじめで、
 
 近づけばしんそこは快活で、
 
 ひろびろと撒きちらされた真実を
 
 枝としては軽くつかみ、
 
 粒としてはこまかくついばむ。
 
 沍寒ごかんの地にも遠い春のように咲きながら、  
 
 孤独に 純に
 
 みずからをちりばめる彼等の上を、
 
 ああ 冬の赤貧のためにいよいよ広く神々しい
 
 朝々の空が大河のように青く流れる。

 

 

 

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 十一月

 北のほう 湖からの風を避けて、
 
 ここ枯草の丘の裾べの
 
 南の太陽が暖かい。
 
 ぼんやりと雪の斜面を光らせて
 
 うす青く なかば透明にかすんだ山々。
 
 末はあかるい地平の空へ
 
 まぎれて消える高原の
 
 なんと豊かに 安らかに
 
 絢爛寂びてよこたわっていることか。
  
 もしも今わたしに父が生きていたら、
 
 すでにほとんど白いこの頭を
 
 わたしは父の肩へもたせるだろう。
 
 老いたる父は老いた息子の手をとつて、
 
 この白髪しらが この刻まれた皺の故に   
 
 昔の不幸をすべて恕ゆるしてくれるだろう。  
 
 するとわたしの心が軽くなり、
 
 父よ 五十幾年のわたしの旅は
 
 結局あなたへ帰る旅でしたと言うだろう。
  
 しかし今 わたしの前では、
 
 朽葉色をした一羽のつぐみ
 湿った地面を駆けながら餌をあさっている。
 
 むこうでは煙のような落葉松からまつ林が
 
 この秋の最後の金きんをこぼしている。
 
 そして老おいと凋落とに美しい季節は
 
 欲望もなく けばけばしい光もなく、
 
 黄と紫と灰いろに枯れた山野に
 
 ただうっすりと冬の霞を懸けている。

 

  

 

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 雨氷の朝

 終日の雪に暮れた高原に
 
 夜をこめて春のような雨が濛々と降った。
 
 すると雨は夜あけの寒気に凍結して、
 
 広大な枯野幾里の風景を
 
 かたい透明な氷のフィルムでくるんでしまった。
  
 まるで一夜の魔法にかかって
 
 きらきらと痺しびれたような今朝の自然、
 
 白樺は玉のすだれも重たげに
 
 微風にゆれて珊々さんさんと空に鳴るかと思われ、
 
 朝日をうけた落葉松からまつ
 繊維硝子の箒のように
 
 まっさおな空間を薄赤く掃いている。
 
 どんな小枝も一本のこらず玲瓏と磨かれ、
 
 枯草の葉っぱさえ一枚一枚
 
 氷の真空管に封じこまれた。
  
 そして万能の自然がたった一夜でつくり上げた
 
 こんな燦爛世界を嬉々として歩き廻れば、
 
 ルビーかサファイアの薄板を張りつめたような氷の面は
 
 鋭い金かんじきの下にぱりぱりとひび割れて、
 
 薔薇の花がたや幾何図形の
 
 虹のスペクトルを噴くのだった。

 

 

 

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 春の牧場

 あかるく青いなごやかな空を
 
 春の白い雲の帆がゆく。
 
 谷の落葉松からまつ、丘の白樺、
 
 古い村落を点々といろどる
 
 あんず 桜が 旗のようだ。
 
 ほのぼのと赤い二十里の
 
 大気にうかぶ槍や穂高が
 
 私に流離の歌をうたう。
 
 牧柵や 蝶や 花や 小川が
 
 存在もまた旅だと私に告げる。
  
 だが 緑の牧の草のなかで
 
 風に吹かれている一つの岩、
 
 春愁をしのぐ安山岩の
 
 この堅い席こそきょうの私には好ましい。

 

 

 

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 夏の小鳥が‥‥‥

 夏の小鳥がふるさとの涼しい森や緑の野へ
 ことしもまた遠い旅から帰って来る四月の末、
 高原の村々では農家の暗い家畜小屋で
 山羊や 牛や 馬たちのお産がある。

 産はたいてい神秘な夜のあけがたに行われる。 
 人間と同じように重いのもあれば軽いのもある。
 ひどく重いのは人が手を貸してやらなければならない。
 それにしても 一晩じゅう気懸りで
 何となくそわそわしていた女達や子供達の
 その朝の優しい感動が深く私の心をうつのだ。

 彼等は小屋の前へ立ったりうずくまったりしながら、
 今しがた此の世へ着いたばかりで
 まだびしょびしょに濡れて震えている幼いものを
 せつない愛とあはれみの面持でじっと見ている。
 母のけものもまだ興奮から醒めきらず、
 おどおどしている仔を頬や舌で荒々しく愛撫する。
 そういう時にはたいてい庭の片隅に
 あんずや桜の初花が咲き、
 ういういしい朝日の光とあおあおとした空気の中で
 夏の小鳥たちが声をかぎりに鳴きしきっている。

 私は思うのだ、
 こういう田舎の牧歌的な 厳粛な美を
 あの貧しく偉大な画家ミレーこそ
 誰よりもいちばんよく知っていたのだと、
 然しミレーの如きは今ではほとんど忘れ去られ、
 もうこんな原始の感動を
 多くの人々は思い出してみようとすらしないのだと。

 そして私は心ひそかに嘆くのだ、
 もしもそれが世界の流れの勢いだと言うのなら
 実り多い真実は日ごと僻遠に退いて
 地上のおおかたはやがて不生女うまずめとなるだろうと。

 夏の小鳥が生まれ故郷の
 森や野へ帰って来る四月の末、
 田舎の農家の家畜小屋では
 山羊や 牛や 馬たちのお産がある‥‥‥

 

 

 

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 薄雪の後

 まっさおな空をふちどる山々の線の上に
 なにか美しい錯誤のように
 けさ早く うっすらと雪が懸かった、
 昼間の月の色よりもあわい
 抽象的な 比喩のような
 秋の雪が。

 しかし やがてきっぱりと
 明快で率直な午前が来た。
 十月最初の嬉々とした土曜日、
 谷間の村から運動会ののろしが揚がり、
 もう雪の消えた青い高山の前景に
 つよく 赤ぐろく炸裂する。

 

 

 

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 旗

 石を載せた屋根を段々にならべて
 封蠟のように赤い柿もみじの間から
 ちらちらと白壁をひからせた古い村、
 そこに二つの谷の落ち合っている山麓の村。

 小学校の庭では運動会のプログラムが
 広い拡声機のひびき ピストルの音
 子供らの幾百の歓呼の声に賑わって、
 万国旗のはためく下で進んでいる。

 きょうは招待のあるじである私達の国の旗よ、
 なんとそれが谷間の風の起き伏しに
 他の国の旗たちと同じ願望 同じ善意を
 のべたり歌ったりしていることだろう。

 

 

 

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 冬のはじめ

 黄ばんだものが黄いろくなり
 
 赤いものが紫にまで深まって
  
 日ごと木の葉のからからと散りつづく秋の林に、
 
 私のしずかな仕事の昼と
 
 きつつきの孤独のいとなみとが
 
 世の中からいよいよ遠く
 
 いよいよひろびろと淳朴になる。
  
 大きなむなしさの中に明るく努めて、
 
 探究の重くちいさい槌をひびかせ、
 
 つねに傾聴の心をひそめながら、
 
 他の地平線にはあこがれず、
 
 おおかたはこの西風と遠い南の太陽に、
 
 十月の木々のひろがりを生きている。

 

 

 

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 本 村

 花崗岩の敷石づたいに
 赤や黄色や紫にひらひら燃える松葉牡丹。
 深い井戸から若く美しいあなたが汲んで
 盆にのせて出してくれたコップの水は、
 噛めば歯にしみる氷のように霧を噴く。

 清潔な牛小屋と厚い白壁の土蔵とのあいだに
 翼のような葉を垂らした
 大きな青い胡桃くるみの樹が一本、
 そのむこうにこの山国の八月の空が
 海のようにひろがっている。

 私はあの玉虫いろの空の下から
 遠く炎天の道を散歩して来た。
 そしてあそこの 私の家のある高原にも、
 この村から満州へ分村して
 敵に追われて無一物で逃げ帰って来た百姓たちが
 開拓の汗を流して新しい村作りを初めている。

 そして或る日私を呼びとめて、
 見事な西瓜を畠からもいで、
 私に抱かせてくれた女の人は、
 やはりあなたと同じ名字を名乗っていた。

 

 

 

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 夏野の花
   
ヘルマン・ヘッセの「回想」Ruckgedenkenへの変奏曲

 神のおおきな園のなかで
 
 枯れる喜びを知る花に悔いは無い。
 
 ひかりかがやく生の満溢に咲ききって、
 
 人知らぬまにひとりの運命を成就する。
  
 惜しまれることを期待もせず、
 
 思い出される明日あすを願いもしない。
 
 生きる喜びを大空のもとに満喫した身が
 
 今はた浅いなんのなさけを求めようぞ。
  
 すでに咲き消えた野薔薇 野あやめ うつぼぐさ、
 
 しかし神の花ぞのはきょうも多彩だ。
 
 涼しい夕べを待宵草の黄の群衆、
 
 深遠な正午を昼顔の花の紅あかいさかずき。 
  
 はやくも秋めく青い木の間を   
 
 ふと白樺のわくらばは横ぎるが、
 
 晴れやかな無常の波にうつろいながら
 
 無垢の面輪おもわを夏野にうかべる花の泡よ。

 

 

 

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 或る晴れた秋の朝の歌

 又しても高原の秋が来る。
 
 雲のうつくしい九月の空、
 
 風は晴やかなひろがりに
 
 オーヴェルニュの歌をうたっている。
 
 すがすがしい日光が庭にある。
 
 早くも桜のわくらばが散る。
 
 筵むしろや唐箕とうみを出すがいい、
 
 ライ麦をきょうは打とう。
  
 名も無く貧しく美しく生きる
 
 ただびとである事をおまえも喜べ。
 
 しかし今私が森で拾つた一枚のかけすの羽根、
 
 この思い羽の思いもかけぬ碧さこそ
 
 私たちにけさの秋の富ではないか。
  
 やがて野山がおもむろに黄ばむだろう、
 
 夕ぐれ早く冬の星座が昇るだろう。
 
 そうすると私に詩の心がいよいよ澄み、
 
 おまえは遠い孫娘のために
 
 白いちいさい靴下を
 
 胡桃くるみいろのあかりの下で編むだろう。

 

 

 

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 雪に立つ

 雪が降る。
 北山おろしに暗く濛々と吹きけぶり、
 又しばらくは息をついて明るく霏々ひひと、
 雪は信濃の山野に降る。

 わたしはスキー帽をすっぽりかぶり、
 ウィントヤッケに身を包んで、
 天地をこめる此の結晶の流れに巻かれて立つ。
 白くかすんだあの山麓の村々に、
 暗く吹き消されたあの谷底の部落に、
 忠良 治久 巌 正人 
 文恵 いさ子 寿子 ゆわえ、
 それぞれに強く賢く美しい若者らが
 春を待ち 冬に栄んでいる姿をおもう。

 わたしをして老いぼれしめず、
 夏の山畑 秋の田圃で
 わたしを迎える彼等の熱い親しい手の
 あの霊妙な青春の放射をおもう。

 雪は縦に降り、横なぐりに降る。
 寂寞としてただ白い嵐の
 海のような真冬の高原。
 雪はわたしのまつげに溶け、まぶたに煮える。

 

 

 

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 足あと

 けさは 森から野へつづく雪の上に、
 
 堅い水晶を刻んだような
 
 一羽の雉きじの足あとを見つけた。
 
 それで私の心が急にあかるくなった。
  
 雪と氷の此の高原の寒い夜あけに
 
 あの雉という華麗な 強い 大きな鳥が
 
 ほのぼのと赤らんで来る地平のほうへと
 
 野性の 孤独の 威厳にみちた
 
 歩みをはこぶその姿を私はおもった。
 
 それを想像するだけで
 
 もう私の今日という日が平凡ではなくなった。
 
 なにか拔群なものと結びついた気がした。
  
 鑿のみで切りつけたような半透明なあしあとが
 
 雪のうすれた流れのふちで
 
 いくつもいくつも重なっていた。
 
 雉は去年の落葉の沈んでいる此の高原の
 
 一月の青いつめたい水を飲んだにちがいない、
 
 金属のような光をはなつ
 
 藍いろの頭と 緑の首と
 
 あざやかな赤い顔とを静かに上げて、
 
 冬が裸にしたはしばみの薮かげで、
 
 なみなみと。
  
 それならばいよいよすばらしい。
 
 私の心には 氷雨ひさめの時を時ならぬ花が咲いた。
 
 一望の白くさびしい雪の曠野で、
 
 私の生きる人生が
 
 豊かな 優しい おごそかなものに思われた。

 

 

 

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 雪の夕暮

 窓をあけてお前は言う、
 「また雪が降り出して来ました。
 この雪はきょう一日 今夜一晩降りつづいて、
 いよいよ私たちを世の中から
 遠く柔らかく隔てるでしょう」と。

 遠く、そして柔かく‥‥‥

 ほんとうにお前の言うとおりだ。
 もしも此の世を愛するなら、
 その美をめで その貴いものを尊ぶなら、
 私たちはそれを手荒く扱ったり 弄んだり
 なれなれしくそれと戯れてはいけないのだ。
 つねに柔らかく接して、別れを重ねて、
 私たちの愛や讃美や信頼の心を
 ながく新鮮に保たなければならない、
 もしも自然や人生や芸術から
 生きる毎日の深遠な意味を汲もうと願うなら。

 お前は言う、
 「もう向うの村も見えなくなりました。
 こんなに積もってゆく大雪では
 あの娘たちも今夜は遊びに来ないでしょう」と。

 そして私は言う、
 「今夜は久しぶりでシュティフターを読もう。
 それともカロッサにしようか」と。

 

 

 

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 春の彼岸

 山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて
 
 三月の空の中ほどに懸かっているが、
 
 早春の風はすでに柔らかにあおあおと
 
 水のほとりのはんのきの裸の枝と はんのき
 
 その長い花の房とを咲きめぐっている。
  
 草木瓜くさぼけの赤、たんぽぽの黄がここかしこ。
 
 しかしおおかたはまだ枯草の丘の墓地に
 
 蒼く苔むした古い墓石、
 
 かずかずの新しい白木の墓標、
 
 いつくしみと忘却とは其処に優しく息をつき、
 
 春の哀愁はほのぼのとあたりに漂う。
  
 煩悩ぼんのうの流れをあえぎ渡って、
 
 久遠くおんの国の岸辺から
 
 此の世をいとおしむ俤らのなつかしさ。
 
 しかし人はまだ幻滅と塵労との日を営々と生きて、
 
 ただ今日のような早春の山の光や花や風に
 
 たまたま悲しくも清らかな
 
 平和への誓いの歌を聴くばかりだ。

 

 

 

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 早春の道

 「のべやま」と書いた停車場で汽車をおりて、
 私の道がここからはじまる。
 高原の三月、
 早春のさすらいの
 哀愁もまた歌となる
 さびしくて自由な私の道が。

 開拓村の村はずれ、
 年若い母親と子供二人に山羊一匹、
 薄あおい大空 雪の光のきびしい山、
 まだ冬めいた風景の奥に
 遠く消えこむ枯草の道。
 これが私に最初の画だ、歌のはじめだ。

 私はこの画の中にしばしばとどまる、
 この牧歌にしばし私の調べをまじえる。
 清らかな貧しさと愛のやわらぎ、
 これが私たちのけさの歌だ。
 第一歩の祝福がここにあり、
 私のさすらいがここからはじまる。

 

 

 

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 復活祭

 木々をすかして残雪に光る山々が見える。
 
 木はきよらかな白樺 みずき 山桜、

 まだ風のつめたい幼い春の空間に
 
 彼らの芽のつぶつぶが敬虔な涙のようだ。
  
 枯草の上を越年おつねんの山黄蝶がよろめいて飛ぶ。
 
 森の小鳥が巣の営みの乾いた地衣や苔をはこぶ。
 
 村里の子供が三人 竹籠をさげて、
 
 沢の砂地で青い芹せりを摘んでいる。
  
 萌えそめた蓬よもぎに足を投げ出し、         
 
 赤や緑に染められた今日の卵をむきながら
 
 やわらかな微風の波を感じていると、
 
 覚めた心もついうっとりと醉うようだ。
  
 人生に覚めてなお春の光に身を浮かべ、
 
 酔いながら生滅の世界に瞳を凝らす。
 
 その賢さを学ぶのに遠くさすらった迷いの歳月さいげつ!  
 
 思えば私にとっても復活の、きょうは祭だ。

 

 

 

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 杖突峠つえつきとうげ

 春は茫々、山上の空、
 
 なんにも無いのがじつにいい。
 
 書物もなければ新聞もなく、
 
 時局談義も とやかくうるさい芸術論もない。
 
 頭をまわせば銀の残雪を蜘蛛手に懸けた
 
 青い八ヶ岳も蓼科ももちろん出ている。
 
 腹這いになって首をのばせば、
 
 画のような汀みぎわに抱かれた春の諏訪湖も 
 
 ちらちらと芽木のあいだに見れば見える。
 
 木曾駒は伊那盆地の霞のうえ、
 
 槍や穂高の北アルプスは
 
 リラ色の安曇あずみの空に遠く浮かぶ。
 それはみんなわかっている。
 
 わかっているが、目をほそくして 
 仰向いて、
 
 無限無窮の此のまっさおな大空を
 
 じっと見ているのがじつにいい。
 
 どこかで鳴いているあおじの歌、 あおじ
 
 頬に触れる翁草やあずまぎく、 
 
 此の世の毀誉褒貶をすっきりぬきんでた
 
 海拔四千尺の春の峠、
 
 杖突峠の草原くさはらで腕を枕に空を見ている。     

 

 

 

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 夏 雲

 雷雨の雲が波をうって
 まくれるように遠ざかると、
 その後からつやつやと目にも眩ゆい碧瑠璃の大空。
 そして真赤な熱線を射そそぐ
 七月高峻の太陽だつた。

 残雪をちりばめ 這松をまとって
 びっしょり濡れた大穂高の岩の楼閣、
 青い宇宙のそよかぜに染まり、
 それ自身天体のような峨々たるかたまり。
 この現前の偉観が人間私を圧倒した。

 眼下をうがつ梓の谷に
 なごりの霧は羽毛のようにもつれているが、
 乾ききった安曇野あずみのは夕立の雲を集めて、
 岩の幔幕 霞沢のかなたに
 その雷頭が白金のドームのように輝いていた。

 

 

 

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 山 頂
    
(ジャン・ジオノに)

 一人一人手を握り合ってプロージットを言う。
 どの手もさらさらと乾いたつめたい手だ。
 堅いザイルやピッケルや
 荒い岩角ばかりを掴んで来たあとで
 血もかよっていれば電気のように心もかよう
 実直で大きくて頼もしい人間の手がここにある。
 放した瞬間に深い暖かみのほのぼのと生れる。
 こんな握手が下界にはまるで無い。
 海拔三千余メートル、
 純粋無垢の日光に皮肉をつらぬかれ、
 真空のような沈黙に耳しいた気がする。
 何が成功で どういう事が敗北か、
 きれいな顔の世渡りに
 どんなきたない裏道があるか、
 豁然と覚めた心が今無心の岩に地衣を撫でる。
 がらがらに落ちた天涯の階段の
 目もくらむ底はサファイア色の夏霞だ。
 下山路は足もとから逆落しに消えて、
 むこうに切り立つ白と緑の岩稜を
 もう一ぺん天へからむ糸のように見える。
 風が吹き上げて来る這松のにおい、
 浮力に抵抗する重い登山靴、
 うずくまっている者もパイプふかしている者も
 みんな男らしくやつれて秋の顔をしている。

 

 

 

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 秋の漁歌

 信州は南佐久、或る山かげの中学の

 小使さんが私のために網打ちに行く。

 千曲川ちくまがわもこのあたりではまだ若く、

 古生層の大岩小岩

 らいらいと谷をうずめて、

 朝早い九月の水が浅々あさあさと流れている。

 赤魚あかうおという鮠はやは川底の砂に腹をつけ、

 おだやかに鰓えらをうごかし、 
 ひらひらと鰭をそよがせ、

 また尾を曲げて靡くように泳いでいる。

 小使さんの投網とあみのさばき美しく、
 岩の上から腰をひねってさっと投げれば、

 網は朝日に虹を噴き、

 まんまるく空くうに開いてばっさりと水をつかむ。  
 寒い河原には五位鷺が群れ 鶺鴒が囀り、
 朝の青ぞらのあんな高みに

 硫黄岳と爆裂火口があんぐりと口をあけている。

 小使さんはそんな物には目もくれない。

 ざぶざぶと水を渡って岩から岩へ乗りうつり、

 川瀬の淀をじっと見据えて網を打つ。

 私のびくは真珠いろとエメラルドの びく

 ぴちぴちする魚でもう重い。

 小使さんはゴールデンバットを短くちぎって

 首のつぶれた鉈豆ぎせるへ丁寧に挿しこむと、

 「とれましたなあ、

 これならばお土産みやげになりやす」と言いながら、

 一息うまそうにぐっと吸う。

 その言葉にうれしくうなずく私の目に、

 ああ 千曲川の秋の河原のアカシアの

 黄いろい切箔きりはくの葉がもうちらちら散るのである。

 

  

 

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 農場の夫人
      
(渡辺春子夫人に)

 お天気つづきの毎朝の霜に
 十一月の野山がひろびろと枯れてゆく。
 高原の空は無限に深く青くなり、
 浅い流れは手も切れるほど冷たく、
 太陽の光が身にも心にもしみじみと暖かい。
 あなたは開拓農場の片隅に
 秋のなごりの枯葉をあつめて
 ほのぼのと真昼の赤い火を燃やす。
 爽やかな海青色かいせいしょくのオーヴオール、  
 髪の毛を堅く包んだ黄いろいカーチフ、
 長いフォークの柄によりかかって
 うっとりとあなたは立つ。
 鶏を飼い 山羊を飼い 緬羊を飼い、
 一町五反の痩土と独力で取っ組んで、
 六年の今日は「斜陽」もなければ旧華族もない。
 頼むのはただ自然とその順調な五風十雨。
 あなたの手に堅く厚い胼胝たこがあり、
 あなたの机に農事簿とモーロワとがならぶ。
 そして今日のいま 金と青との晩秋の真昼、
 赤い火に立つあなたを前に
 もう初雪の笹べりつけた北アルプスの連峯が、
 ああ 遠くセガンティーニの背景をひろげている。

 

 

 

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 冬のこころ

 ここはしんとして立つ黄と灰色の木々がある。
 その木立を透いて雪の連山が横たわり、
 日のあたった枯草の丘のうえ
 真珠いろに光る薄みどりの空が憩っている。
 これらのものすべて私に冬を語る、
 世界の冬と 私自身の生の冬とを。
 かつて私にとっては春と夏だけが
 生の充溢と愛や喜びの季節だった。
 いま私はしずかに老いて、
 遠い平野の水のように晴れ、
 あらゆる日の花や雲や空の色を
 むかえ映して孤独と愛とに澄んでいる。
 世界は形象と比喩とにすぎない。
 ひとえに豊かな智慧の愛で
 あるがままのそれをいつくしむのだ。
 枯葉を落とす灰色の木立 雪の山々
 真珠みどりの北の空と
 山裾に昼のけむりを上げる村々、
 この風光を世界の冬の
 無心な顔や美の訴えとして愛するのだ。

 

 

 

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 地衣と星
     
(雑誌「アルビレオ」の創刊号のために)

 お前は辞書を片手にハドスンを読んでいる。
 私は燃やす薪の肌から詩をおもう。
 谷間の青い霧のような 夜あけの空の雲のような
 地衣蘚苔が白い木の皮に爽かにも美しい。

 「アルビレオって何ですの」と昔お前が私にきいた。
 「星の名だ。天の銀河を南へ飛んでる
 白鳥のくちばしにつけた名さ。
 きれいな星だよ、苔を溶かして凍らせたような」
 むかし武蔵野に遠く孤独な小屋があり、
 ランプのひかり青葉隠れの窓を洩れ、
 年若い妻に私は夏の夜ごとの星を数えた。

 いま雪の上に雪の降りつむ富士見野を、
 信州の冬の夜ふかく、白樺は煖炉に爆ぜ、
 老いた私達にあかあかと燃える余生がある。

 

 

 

 

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 雪山の朝

 服装をととのえて 小屋を出て、
 小屋から遠く 堅い靴で
 堅い雪を踏みしめて行った。
 クラストした雪面はきしんで鳴り、
 強くぱりぱりと放射状に割れるが、
 その響きやその呟きが
 この皎々こうこうたるしじまの中では
 きれいな純粋孤独の歌だった。

 空は世界の初めのように
 まろく 大きく あおあおと、
 晴れわたった積雪の高処のながめは
 透明に燃えて 結晶して、
 きびしく寒くよこたわっていた。 

 薄赤く朝日の流れ、紫の影、
 きらきらと木花に重い樅、唐檜とうひ
 はるか向うにも同じ氷雪の山々が
 まるで虹いろの波だった。 

 瞬間の生涯回顧と孤高の心
 パイプを口に、
 私は蠟マッチを激しく擦った。

 

 

 

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 安曇野あずみの

 春の田舎のちいさい駅に
 私を見送る女学生が七八人
 別れを惜んでまだ去りやらず佇んでいる。
 彼女らのあまりに満ちた異性の若さと
 その純な こぼれるような人なつこさとが、
 私に或る圧迫をさえ感じさせる。
 私はそれとなく風景に目をさまよわす。
 駅のまわりには岩燕がひるがえり、
 田植前の田圃の水に
 鋤きこまれた紫雲英げんげの花が浮いている。
 そしてその温かい水面に、ようやく傾く太陽が
 薄みどりの霞をとおして金紅色に照りかえし、
 白い綬のように残雪を懸けた常念が
 雄渾なピラミッドを逆さまに映している。

 絵のような烏川黒沢川の扇状地、
 穂高の山葵田わさびだはあの森かげに、
 彫刻家碌山の記念の家は
 こちらの山裾にある筈だ。
 いずこも懐かしい曾遊の地と
 暮春安曇野のこの娘ら‥‥‥
 私の電車はまだ来ない。

 

 

 

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 葡萄園にて
      
(甲州勝沼 曾根崎保太郎君に)

 厚い緑の葉の上へずっしりと載った
 この驚異そのもの豊麗な一房、
 まだ強い秋陽あきひのもれる棚の下で
 透明な金と琥珀の涼しい宝玉、
 天然の甘美の汁を衷にみなぎらせて
 その成熟の頂点にある
 これら巨大な粒のひとつひとつの重たさよ。

 わが友葡萄作りは口いっぱいに
 この大いなる円満の玉をひとつ含んで、
 なおその甘さには威力がないと嘆く。
 造り主よ、造り主よ、
 その嘆きはまた詩人にも通じる。 

 完璧を期しながら一作ごとに持つ不満、
 これぞ神に似ようと務める我らの
 なお生けるしるしではないだろうか。

 

 

 

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 八月の花畠

 バーベナ アスター ジニア ペテュニア
 ビンカ フロックス マリーゴールド スカビオザ、
 その他私に名も知られない花たちが
 色や姿の多様をつくして、
 燃える八月の空の下、
 この高原の採種圃場のひろがりに、
 新鮮に 豪華に 咲き栄えている。

 ああ その柔らかい植物の炎の上に
 なんという数かぎりない蝶や蜂の
 目もあやな労働と遊戯との波だろう!
 花から花へ晴やかにひるがえる
 硫黄いろの山黄蝶、アラビア模様の赤たては
 熱帯の獸の皮を重たくまとった豹紋蝶、
 太陽の反射と屈折とに光彩を変える小紫——
 さては蜜蜂 丸花蜂らの強壮な種族が、
 宝石か金のつぶてのように飛びちがう。

 きょうこそ秋も立つという日の
 これら花と昆虫との饗宴が、
 私をしてこのごろの老おいの恐れを忘れさせる。
 夏の無常を身にしみじみと知りながら、
 炎々と燃えて生きるいのちの美しさを
 澄んだ叡智として涼しく受ける喜びよ。
 私はひときわ華麗な畝間うねまへ立って、 
 この讃歌のような光景と
 きょうという日の高原の空にかろく浮んだ
 羽毛のような白い雲とを、
 飽かずいつまでも眺めている。

 

 

 

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 晩 秋

 つめたい池にうつる十一月の雲と青ぞら。
 たえず降る緋色のもみじが水をつづる。
 遠く山野を枯らす信濃の北かぜ、
 もう消えることのない連山の雪のかがやき。 

 枯葉色のつぐみの群がしきりに渡る。
 牧柵にとまって動かない最後の赤とんぼ。
 ゲオルグ・トラークルの「死者の歌」が
 私の青い作業衣の膝で日光にそりかえる。 

 

 

 

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 炎 天

 高原の土地の村から村へ
 真夏を焼ける長い道をゆきながら、
 風物のまばゆさと くるめくような炎熱との故に
 ふとヴァン・ゴッホを思い出す時 ——
 アルルの畠やプロヴァンスの広がりばかりか、
 若者アルマン 医師ガッシュらの肖像さえ
 悲しいまでに美々しく純粋に象徴された
 この抜けるような炎天の高貴な本質。

 記憶のなかで大きい画帳のペイジを繰り、
 鴨趾草つゆくさの碧あおを塗りこめた小溝に沿って、
 正午にいぶるひとかたまりの村落を道のかなたに、
 もうほとんど私に壮美の悲歌が成ろうとしている。

 

 

 

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 盛夏の午後

 歌を競うというよりも むしろ
 歌によって空間をつくる頬白が二羽、
 むこうの丘の落葉松からまつ
 こちらの丘の林檎の樹に
 小さい鳥の姿を見せて鳴いている。

 その中間の低い土地は花ばたけ、
 大輪百日草ジニアのあらゆる種類が
 人為の設計と自然の自由とを咲き満ちている。

 すべての山はまだ夏山で、
 森も林もまだしんしんと夏木立だが、
 もうその葉に黄を点じた一本の胡桃くるみの樹。

 二羽の小鳥はほとんど空間を完成した。
 しかしなお歌はやまない。
 その二つの歌の水晶のようなしたたりが、
 雲の楼閣を洩れてくる晩い午後の日光の
 蜜のような濃厚さを涼しく薄める。

 

 

 

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 路 傍

 田の草とりの百姓たちが日盛りの田圃で
 煮えるような泥の中を匍いまわっていた。
 薄赤いちだけさしの咲きつづく畷道なわてみちに   
 ちいさい空罐をかかえた三人の子供、
 五つ位になる男の児がもっと幼い二人に言っていた、
 「どじょう一匹取ったら帰らざ」
 信州の田舎の夏よ!
 路傍に青い影をおとす胡桃くるみの木のむこうには、
 玉虫色の山々と果て知れぬ空気の海だった。

 

 

 

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 幼 女

 一人でままごと遊びをしている女の児、
 鳳仙花の 産毛うぶげのはえた
 大きな卵がたの莢の実を赤子に見たて、
 かつて其の母のしてくれたように
 赤いきれで包もうとする。 

 実はとつぜん
 やわらかい渦を巻いて炸裂する、
 幼い びっくりしている手の中で。 

 だがその真珠いろの円い粒の一つ一つが
 それぞれに固有の運命を内に秘めた
 いたいけない生命いのちの星であることを
 いつか教えてくれる若い母親が
 此の児にはもういない。

 

 

 

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 老 農

 友達の若い農夫が水を見にゆくと言うので、
 一緒に歩いて山あいの彼の田圃へ行ってみた。
 稲が青々と涼しくしげり、
 どこかで昼間のくいなが鳴いていた。
 友達は水口みなくちの板へ手をかけて、
 田へ落ちる水の量を調節した。

 用水のへりを通ると、一人の年とった百姓が
 山ぎわの岸の崩れをつくろっていた。
 若い友達は私を紹介して、「此の先生は詩人で、
 植物や鳥なんかにも詳しいかたです」とつけ加えた。
 老農は「おお それは」と言って挨拶しながら、
 流れにゆらいでいる白い花の水草を抜いて示した。
 「梅花藻ですね」と私が言うと、目を細めてうなずいた。   

 数日たって私はその老農に招かれた。
 彼の古い大きな家は大勢の若い家族で賑わっていた。
 酒が出、馳走がならび、蕎麦が打たれた。
 そしてその広い座敷の大きな書棚を見て私は驚いた。
 そこには辞書や図鑑や地誌類の列にまじって、
 トゥンベルク、シーボルト、シュトラスブルガー、カンドールなど
 植物学の古典の厚い訳本や復刻本がずっしりと並んでいた。

 

 

 

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 フモレスケ

 庭のひとところを夏の虹色にしている
 晴れやかな矢車菊の花壇を廻って、
 一人の見知らぬ青年が入って来た。
 ほど近いサナトリウムからの散歩の道に
 家が見えたから寄ったのだと言った。
 高い顴骨の皮膚が薄くすけて
 海の紅藻類のべに色を呈し、
 あおい額に黒い髪が濡れたように垂れていた。
 彼は「暁と夕の詩」という薄い本を持っていた。
 そしてそれらの詩への熱愛を語り、
 彼自身の似たような作もいくつか読み、
 その間ほとんど私に口もきかせず、
 書架に並んだジャムやリルケにも一顧も与えず、
 ただ歌うように、おびやかすように、
 道造を褒め、辰雄を讃え、
 コーヒーを飲み、くだものや菓子を食って、
 さて、そそくさと、いくらか気まずく、
 然し何かに憤然としたように
 髪をふり上げ、額をそらし、
 よごれた経木真田の大きな帽子をむずとかぶると、
 私の庭の夏の花、
 矢車菊の頭を一つちぎって帰って行った。

 

 

 

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 或る訳業を終えて

 明るい夏は昼も夜も
 この高原をきらびやかに流れて行った。
 しかし心はひとつの重い仕事の
 甘美と熱との密室に暗く埋もれて、
 いくたの爛熟した大きな果実や
 さわやかな硬い結晶を産みつづけた。

 今ことごとく産みおわって
 深い疲労と和やかな秋とが私にある。
 羽毛の抜けた白鳥のように、
 積荷をおろして漂い出た小舟のように、
 或る誇らしさと自由とを感じながら、
 なお残るふしぎな不安に揺れている。

 しかし思うに、お前自身の仕事の成果を
 つねにあまり高価に見つもるな。
 絢爛をつくしながら一朝を散る木々のように、
 努力の思い出を凌駕せよ。
 傑出して軽くなれ。
 その時お前にすべての仕事が歌になる。
 その時お前の秋の前方に、
 又新しい 意味ふかく冬が遠くひらける。

 

 

 

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 展 望

 今私たちは夏のおわり 秋のはじめの
 濃い朝霧と燃える夕日の季節を生きている、
 生きる事が他のもっと恵まれた土地よりも
 はるかに厳しい労働をもとめる土地、
 この山坂多い 冬の長い国の田畑で
 忍苦と過労とに面やつれした人々と一緒に。

 都会からの身が習慣を変え、
 いくらかは精神の風土にさえ
 この国の雨や日光を反映させて、
 すでに早くも幾年がすぎた、
 永遠をかいま見させる美にやしなわれ、
 喜びの一層痛切なものを味わいながら。

 人や土地への敬虔なこまかい接触が
 ついに此処をふるさとのようにした。
 冬のきびしい凍結にも馴れ、
 石多い山坂の道にも馴れながら
 それぞれの季節の意味を汲み上げて来た私たちに、
 今この国の夏のおわり 秋のはじめの天地がある。

 

 

 

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 かけす

 山国の空のあんな高いところを
 二羽三羽 五羽六羽と
 かけすの鳥のとんで行くのがじつに秋だ
 あんなに半ば透きとおり
 ときどきはちらちら光り
 空気の波をおもたくわけて
 もう二度と帰って来ない者のように
 かけすという仮の名も
 人間との地上の契りの夢だったと
 今はなつかしく 柔かく
 おりおりはたぶん低く啼きながら
 ほのぼのと 暗み 明るみ
 見る見るうちに小さくなり
 深まる秋のあおくつめたい空の海に
 もうほとんど消えてゆく‥‥‥

 

 

 

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 詩人と農夫

 若い夫婦が白黒まだらの牛を使って
 山畑のひろい斜面を耕していた。
 妻君が口綱をとって牛を曵き、
 夫がうしろから鋼鉄の鰭のような鋤すきを立てて、
 大きな矩形の土地をまっすぐに、
 根気よく往復しながら起こしてゆく。
 人が馬鈴薯を播く富士見高原、
 富士山が遠くうっすりと、
 八ガ岳が風景の正面だ。

 よく馴された牝牛はいつもほとんど従順だが、
 それでも女があまり若いと愚弄する気か、
 ときどき山のように動かなくなったり、
 強引にわきへそれて
 条すじの平行を乱したりする。 
 すると夫が後ろから樺の小枝で
 高い角ばった臀をたたいて牛を叱る。
 牛は性根をかえて又まっすぐに歩き出す。
 その若い妻君が立って見ている私に言った、
 「先生、ちっとうちへもお寄りなして」
 すると夫が言つた、
 「先生は忙しいづら」

 ああ 独りである事の自由を欲する心から
 このごろとんと彼等にも不沙汰を重ねている私だが、
 いじらしい此の言葉に胸の痛む思いがした。
 それで夫婦には黙って、さりげなく、
 向こうに見える部落の奥の
 水松いちいの垣にかこまれた彼等の家へ立ち寄って、
 祖母や猫や鶏と留守居をしている
 その小さい女の児と遊んでやった、
 愛を施すつもりではさらさらなく、
 おのれにかまけて他人を忘れる
 この貧しい心を耻じて、
 半時間ばかり‥‥‥

 

 

 

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 林 間

 秋を赤らんだ木々の奥から
 ちいさい鐘か トライアングルの
 軽打のように晴れやかに澄んだ
 彼らの金属的な声が近づいて来る。
 たとえば若い涼しい器用な手が
 つれづれの手工に丸めて括った糸の球、
 煙るような白やコバルトや硫黄いろを
 つややかな黒でひきしめた小さい球 ——
 柄長えなが 四十雀しじゅうから 日雀ひがらのむれが
 波をうって散りこんで来た。

 木々が目ざめ、空間が俄かに立ち上がる。
 彼らはもうあらゆる枝にいる。
 ほそく掴み、丹念にしらべ、引き出して食いちぎり、
 苛烈に、不敵に 美しく、
 懸垂し 飛びうつり 八方に声を放ち、
 この林の一角に更に一つの次元をつくる。

 しかしやがて先達の鋭い合図の一声に
 無数の小鳥は抛物線をえがいて飛び去った。
 そして其のあとに口をあいた秋の明るい空虚から
 再建された静寂の一層深い恍惚がここにある。

 

 

 

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 初 蝶

 日あたりの窓にならんだ幾鉢かのプリムラの
 それぞれにニューアンスの異なる暖かい花の上に、
 三月の青空と庭の日光の波とを横ぎって
 ひらひらと下りて来た一羽の蝶、
 けさ羽化した今年最初の紋白蝶。
 薄墨いろの紋をうっすり刷いた
 その羽根は生地きぢも翅脈もまだ柔らかく、
 白い鱗粉もまだ湿めって重そうだ。
 蝶は漂って来て赤い花にじっととまり、
 ぴんと立てた触覚に早春の空気の波を感じ、
 長い口吻の螺旋をほどいて
 暖かい花筒の底に蜜をさぐる。
 その間にも全身に太陽の熱をしみとおらせて
 すべての筋肉をつよめ、軽快になり、
 賢い複眼から此の世の色や形をとりあつめて、
 分析し綜合しながら彼の知識を形づくっている。

 

 

 

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 葡萄の国
       (甲斐勝沼、初夏)

 山間の平地から山の中腹の斜面まで、
 この地方の風景を特色づける
 網のように張りつめられて葡萄ばたけで、
 聴け、朝の頬白が歌っている。
 百舌もずや河原鶸かわらひわが鳴いている。

 彼らと葡萄作りの農夫らとの間に
 或る古い黙契があるらしいのは
 その歌ののどかな事でもよくわかる。
 家まで埋めた豊かな栽培景観と
 人間と小鳥とのなんという農事詩だろう。

 この葡萄の国の野鳥誌を書いてみたいと
 かつて美しく夢想した昔もあったが、
 人生というものの短さと
 成し得る仕事の限界とを知って断念した今では、
 ただこの山峡の特異な風物の
 永く人々と共にあることを願うばかりだ。

 

 

 

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 単独行

 汽車に別れて閑散な田舎のバスへ、
 そしてその古い車を最後の客として下りて、
 山の部落から梅雨時つゆどきの雨の中を  
 ひとり歩き出す私にゆくては遠くかつ高い。
 濡れた小みちはごつごつになり、嶮しくなり、
 見おろす谷はしだいに深く、
 断崖を吹き上げてくる雲霧の底で
 瀬音は寒くさびしく淙々と鳴っている。
 何不足ない晴れやかな明るい家庭や
 静かな、物思わしげな書斎をあとに、
 なんのためのこんな旅だと人は言うのか。
 しかし此の谷、此の雨、此のきりぎし、
 鋲靴に堅く險阻な此の山みちと無人の世界、
 こういう物をこそ私は憧れ求めて来たのだ。
 此の世の甘美な強靭なきづなを断って
 いつかはひとりの内心へ帰ってゆく孤独の道 ——
 たまたま試みるこんな山行が、
 私には其の道の象徴のように思われるからだ。
 自分の窮極の時を予感して
 むしろそれに親しむようになった者に、
 もう登山は昔のような意味を持たない。
 それはもはや単なる楽しみでも冒険でもなく、
 非情の美にかこまれた孤独の境地で
 おのが真相と対決するきびしくも澄んだ体験だ。

 

 

 

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 木苺の原

 小みちの薮に木苺きいちごがぎっしりと生っている。
 指でつまめばほろほろと散る此の透明な
 薄あかい粒のしずかな甘い涼しさを、
 ほととぎすの啼く高原で私と一緒にすすらないか。

 けさはすべての山々からの蒸発がさかんで、
 風景が七月らしくしだいに青く強くなる。
 黄菅の咲いている牧場の柵とすれすれに
 遠い北アルプスも鮮かな夏姿だ。

 暑い日光が頼もしく、清涼を運んで来る風もいい。
 熟れた木苺はみずから釀して地を酔わせる酒になる。
 運命の指導と生の道づれとに恵まれて、
 私の晩年もようやく美酒の境地に近づいたようだ。

 おのれの魂の務めへのうながしから
 遠く時間を超えたものを求めながら、
 現前の光をよろこばしく分光して
 それぞれに結晶させるわざも怠りはしない。

 おりおり運ばれて来る波のような暑いいきれに
 夏草の繁茂がおもわれる。
 だが近くの薮に巣を営んでいる野鶲のびたきが 
 涼しい雲の下でときどき歌の断片を撒く。

 

 

 

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 日没時の蝶

 沈む太陽の赤い光線の波におぼれて、
 遠い高原で はんのきの葉むらの上を
 きらきらと金緑色の火花のように
 飛びちがっている小さい蝶のむれがある。
 夏の一日のあの甘美に赤い終焉の光が
 みどりしじみを昼間の静止から飛び立たせたのだ。
 そのように一連の遠い記憶の歌が 私にも
 分散和音のように噴いてこぼれる日の暮がある。

 

 

 

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 音楽的な夜

 日が暮れると高原は露がむすび、
 びっしょり濡れたほのぐらい草の果てまで、
 りんりんと、きょうきょうと
 震え輝く虫の音に満たされる。

 夜空をかぎる山々の黒い影絵も
 光をかなでる楽器の列をおもわせる。
 「乙女」や「蝎」や「射手」の星座が
 身をかがめ 弓を波うたせ弾き入っている。

 

 

 

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 黒つぐみ

 すべての独り歌う者のように、
 黒つぐみよ、
 お前はそのまろい豊かな歌ごえで
 世界の時のながれ 空間の一点に、
 みずから静寂の核をつくる。
 持ってうまれた晴朗な音色ねいろ
 深く編まれたしらべに与えて、
 その波の輪をとおく柔らかにひろげながら、
 お前自身は四周から懸絶した
 ひとつの精力的な中心に住むのだ。

 あたかも過飽和の溶液から
 析出される結晶のように、
 ありあまる記憶から歌となって
 つぎつぎとほとばしる声のこだまが
 けさの灰ばんだ緑の霧に響いている。

 

 

 

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 郷 愁

 いつか秋めいて来た丘にすわって
 ひとり吹き鳴らす古い此の笛、
 バッハ、ヘンデル、グルックから
 思い出しては試みる歌のきれぎれ。

 高原の草に落ちるその音が
 僻遠を生きる私を一層遠い者にする。
 しかしそのしらべの天使のような質の故に
 なんと却って人間の世のいとおしい事ぞ!

 なぜならば天使らが進んでその心を与えるのは
 実にかしこい秋風白い都会だからだ。
 その汚辱と苦悩との衢ちまたに人間と共に痩せて、
 いよいよ清さやかな彼らの眉目こそなつかしい。 

 

 

 

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 雪

 急に冷えこんで来た一日の
 暗い午後がとうとう雪になった。
 私は思う、
 去年の初雪はいつだったかと。

 冬ごとに最初の雪を迎える心は
 管弦楽の演奏会で
 しずかに現れてくる主題につづく
 華麗な展開部を待つ思いだったが、

 今それは しだいに濃く はげしく、
 白い寂莫を作ってたそがれてゆき、
 何か知らぬが避けがたい切実なものとして
 まっくらな夜のひろがりを押し流れている。

 

 

 

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 人のいない牧歌

 秋が野山を照らしている。
 
 暑かった日光が今は親しい。
 
 十月の草の小みちを行きながら、
 
 ふたたびの幸さちが私にある。  
  
 谷の下手しもてで遠い鷹の声がする。   
 
 近くの林で赤げらも鳴いている。
 
 空気の乾燥に山畑の豆がたえずはじけて、
 
 そのつぶてを受けた透明な
 
 黄いろい豆の葉がはらはらと散る。
  
 この冬ひとりで焚火をした窪地は
 
 今は白い梅鉢草の群落だ。
 
 そこの切株に大きな瑠璃色の天牛かみきりむしがいて、 
 
 からだよりも長い鬚を動かしながら、
 
 一点の雲もないまっさおな空間を掃いている。

 

 

 

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 巻積雲けんせきうん

 赤とんぼやせせり蝶の目につく日、
 家畜たちが人間に一層近く思われる日、
 人がおもいぐさの鴇色ときいろの花を  
 光りさざめく尾花の丘に見いだす日、
 日光は暖かく 風爽やかこんな日を、
 ああ、高原の空のかなたに

 真珠の粒を撒いたようなひとつらなりの巻積雲。
 その昔、階段になった教室で
 音の事をならう物理の時間に、
 クラドニの音響図形の実験を見た。
 薄い金属の板のへりを
 ヴァイオリンの弓でこすって見せる先生の、
 その薄給の服の痛みが私の心を痛ましめた。
 だが指先の支点を変えるたびに
 さまざまに変化する砂絵の模様を
 なんと先生が美しい微笑で示したことか!

 今あの空につらつらとならぶ巻積雲が
 少年の日のクラドニ図形を思い出させ、
 遠い昔の先生の
 おそらくはもう此の世で再び見るよしもない
 あの笑顔や素朴な姿をなつかしませる。

 なぜならば家畜や虫や花野や空が
 彼らの無常迅速の美で
 なお永遠を彷彿させる
 こんなにも晴やかな瞑想的な秋ではないか。
 
  
  註 おもいぐさなんばんぎせるの別名

 

 

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 故地の花
        
(妻に)

 山の田圃を見おろして行くあの細みちの
 あの同じ場所一面に、
 ことしの夏もかわらずに
 この伊吹麝香草はこぼれるように咲いていた。

 私たちにななたびの
 なつかしい夏の思い出の草は、
 つぶつぶの葉、針金のような蔓、
 薄紫のこまかな花をこまかに綴って、
 摘めばつんと鼻をうつ
 爽やかな匂いの霧を噴くのだった。

 押葉となって手紙の中に萎えてはいるが、
 この高原故地の花の発する
 まだ消えやらぬ夏の匂いは、
 誠実な心のように、歌のように、
 あわれ流寓七年の永いよしみを囁いて、
 梅雨つゆも上がった炎熱の東京で
 お前の汗まじりの涙を呼ぶには充分だろう。

 

 

 

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 言 葉

 彼らのつかう言葉はおおむね壁だ。
 でこぼこな ゆがんだ鏡面だ。
 概念はただ音として騒がしく跳ねかえり、
 矯正し得ない乱反射に
 どんな映像も正しくは結ばれない。

 粗大な意味だけで通用する言葉が
 紙幣のように吟味もなしに授受される。
 それは忽ち手ずれて、破れて、きたならしく、
 もう皺くちゃになっている。
 だがそれを金きんに換えようとは誰もしない。

 然しほんとうの言葉は生きた象徴だ。
 それぞれに純粋な質と形象とを具え、
 固有の色や匂いやしらべを体して、
 処を得れば陸離として生動すること
 花や水や星のようだ。

 

 

 

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 林檎の里
       
(長野市外)

 林檎園から林檎園へと
 斜面の村をうねうねと縫っている
 これら弾力のある白い粘土の通い路は、
 さながら深く錯綜した
 林檎そのものの枝ぶりを思わせはしないか。

 灰いろの幹や大枝を
 ずっしりと橈たわめて しだれさせて、  
 園内をいよいよ迷宮のようにしているのは、
 つやつやと紅く重たいみのりの仕業だ、

 ねっとりと滋味にみちたえりぬきの耕土から
 成熟を歌いながら登って行った夏の樹液が
 秋を糖化して玉と凝った
 華麗で堅い累々たる林檎の。

 灰ばんだ青い葉むらのあいだから
 ちらちら見える明るい秋の平野のひろがり。
 その無数の田園や町々が
 この林檎の里を丘の中腹に見はるかしながら、
 そもそもどんな匂い どんな歌を
 ふるさとの九月の風に感じるだろうか。

 

 

 

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 夏の最後の薔薇

 夏の最後の薔薇よ、
 ほかの友らは皆それぞれ時を終えて
 彼らのあかるい魂を空にかえした。
 それならば白く乾いた花壇のすみに
 ひとり咲いている最後のお前は
 あのアイルランドの古い歌のそれだろうか。

 あした私は遠く旅立つ。
 私の帰国は秋も終りになるだろう。
 私はお前の終焉を見とどける事ができない。
 しかしお前の夕映えいろの花の面輪の
 その大きな匂やかな沈黙の前では
 私の別離がひどく小さいものに思われる。

 訣別という事のいさぎよさが
 あとに残される者の寛大なうべないの前で
 時に甚だ貧しいものに見えるように、

 おのれを抑えて別れをうけ入れるその気高さから
 相手の利己と惻隠との感情が
 かえって恥じてひとり秘かにいらだつように。

 

 

 

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 Pastoral scolastique
             
(越後高田)

 しんしんと青い木立にかこまれた
 教養学部の田園風の建物、
 その一つ一つの夏の窓が
 或いはバッハを 或いはモーツァルトを
 それぞれに色の彩あやある雨のつぶてか  
 霞のように撒いていた。

 ピアノの音の波の輪の
 ちょうど消えるあたりの花壇では、
 若い娘の大学生が二三人
 グラディオラス ダリア ペテュニアの間にしゃがんで、
 花たちの全盛の時 彼女らの休暇の夏を、
 なにか親しげに語り合っていた。

 亭々と立つきささげの並木、
 こんもり暗いあすなろの森、
 北国の空は海からの巻雲を白々と刷き、
 蟬時雨の道のむこうに、
 小学生が釣り 中学生が漕いでいる
 静かな池が遠くその一角を光らせていた。

 

 

 

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 晩秋の庭で

 もう黒と焦茶のひたきが現われ、八ツ手の白い花が咲き、
 ルビーのような山茶花さざんかの日も程ちかい。
 だが花壇にはまだ夏の思い出の花たちが
 いくたびの嵐に倒れながらも咲き残っている。
 黄蝶、瑠璃しじみ、赤たては、黄たてはよ、
 この秋の最後の花と南の日光とを楽しむがいい。
 乏しくなった蜜に集まり、羽ばたき、漂い、よろめくがいい。
 もう私はお前たちをとらえはしない。
 私にとって此の世が絵であり、歌であり、寓話であり、
 象徴であるようになってから既に久しい。

 

 

 

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 反 響
      
殷々たる轟きは年古る石を顫わしめ……
                   (フランソワ・コペエ)

 私にいささかの発熱ある秋の日の暮、
 小さい凾からデュパルクの「波と鐘」の歌が流れ出る。
 私の魂はその長く引かれたト調ミ音の水平線を
 澎湃と起伏する壮麗な旋律の波におもく漂う。

 ああ、二十年前の「荒寥への思慕」、
 あれを私が書いたのもやはりこんな秋だった……
 ——妻よ、落葉の掠めるこの丘の家の窓をあけてくれ、
 夕焼に彩られた一片の素朴な土地を私は見たい。

 

 

 

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 夕日の中の樹

 いつか私に正午は過ぎて、
 今 太陽はつづく世代の頭上にある。
 地に落ちる私の影がすでに長い。
 なんと南中の時の短かいことか。

 病んだ枝も 虫ばまれた葉も
 茂る途上の必然に過ぎない。
 秘められた生の衝動にしたがう時、
 運命の樹形はついに成るのだ。

 好ましい歌 悪しきしらべが
 それぞれの風に私から響いた。
 その不協和をふくむ全体の調和が
 善かれ悪かれ私本来の叫びだった。

 多くの葉が私に燃え、
 多くの焔が私をうずめる。
 こうして日も傾いてなお暮れなずむ秋の野に
 孤独の絢爛を私は遠く織っている。

 

 

 

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 詩 術

 ちいさい軽率な木の葉たちが 林のへりで
 わずかな風にもそよぐように、
 さまざまな言葉がわれがちに競い立つ
 詩人の情感の波のへりで。

 しかしその言葉たちが真によく選ばれて
 ひとつの確かな造形をなすためには、
 歌の過程に抵抗と撓たわみとが無くてはならぬ、
 森が嵐をつくるように。

 

 

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