それは馬を持たない騎士、
だが彼の通るのを見た者は
それを一人の騎士だときつと言ふだらう。
それは杖も日禱書も持たない巡禮、
だが彼の通るのを見る者は、きつと
十字軍のつはものよりも立派だと言ふだらう。
それは指揮をしない頭目、
だが彼の聲を聽く者は
それを一人の隊長だときつと言ふにちがひない。
×
それは軍隊を持たない征服者、
しかしたつた一人での征服者。
彼は男にも女にも、萬人に語るすべを知つてゐる。
そして彼等の睫毛をその最も美しい涙で飾つてやり、
また子供の朗らかな笑を彼等に返してやる事ができる。
彼の武器、それは誠のこもつた眼である、
驚くばかり心をこめた善良さである。
それは彼の聲がその言葉を助けるあの仕方であり、
彼のうちで踊るたいまつの焰である。
彼は樹木のやうに大まかで裸、
心は冬の溫室のやうに暖かい。
そして人は彼のするどんな話にも夢中になる。
そして人が欲しがる時與へるのも亦彼である。
彼は君のゐる所へやつて來るだらう、
彼は君の横へは坐らないだらう、
君の顏の半分や
君の肩の一方で
滿足する人達のやうには。
だが彼は眞正向へ來て坐るだらう。
その膝を君の膝に觸れながら、
君の手を彼の手のなかへ、
彼の眼を君の眼のうヘヘ、
それが君の眼を裸にしてしまふだらう。
それで君は言ふだらう。
「では何處で私は此の男に遭つたかしら」と。
穴倉の中で歌つてゐるやうな
獨特な調子に人は出あふ、
穴倉全體をふるはせて
その聲を温かいものにするやうな。
彼の歌の言葉は震はせるだらう、
君のひろがつた胸の中にあつて、
しかも君が氣づかすにゐる美しい聲を、
君の最善の、唯一の聲を。
彼は君次第で君を愛するだらう、
君の擇りどつた贈物をもつて、
その荒つぽさで、その笑で、
その謙譲で、或はその憐憫で。
彼は必要なだけ君を愛するだらう、
君の心を動かし、君の心を誘ふためには。
君はかう思ふだらう、「あの男は私に何を期待してゐるのか、
明日になつたら何を私に求めるのか」
そして君は困惑させられるだらう、
實際では君が、われしらず、
自分の存在理由を君に求めてゐるのだとは氣がつかずに。
君といふものが彼にとつて必要なのだとは氣もつかずに。
ちやうど人が話す言葉にとつて
それを取り集める耳が必要なやうに、
ちやうど美しい物にとつて
そのまはりにある眼が必要なやうに。
けだし征服は彼の大いなる慾望なのだ。
英雄達や女らに於けると同樣に
彼は諸所に散在する人々の心によつて
愛されてゐるとみづから感じる事を喜ぶのだ。
そして火の方へ伸ばされる凍へた指のやうに、
自分の方へ、遠くから、彼等の伸ばされるのを喜ぶのだ。
時どきの夕暮、彼の兩手が熱く握り合される。
その時彼はすこし頭をかゞめる、
自分のゐた多くの家庭で
誰かが今自分の名を言つてゐるやうに
漠然と感じるから。
互に少しも似たところのない
近隣の家々、遠い家々よ、
彼の愛は洗禮のやうなものではなかつたのだ。
そこでお前達は彼の勝利の一つとなるだらう、
それがまた次から次へと續くだらう。
人が我身をさゝげる事は、
人が何等報酬を求めずに與へる事は、
人間のあひだの規則ではない。
そして彼の大いなる愛が平均をとるために心要なのは、
更にもつともつと多くの愛なのである。
×
希望の衰へたどこかの國の
樂しい、又悲しい人々に
永いあひだ仕へて來た古い土地へ、
美しい感じやすい征服に熱中した
この征服者が或日の事やつて來た。
彼はゆつくりと其の土地を知つた。
倦まず彼は其處をあるいた、
人が耕す時のやうに、足の前に行くべき道を描きながら。
彼の道筋はたゞ一本の線だつた、
百度も彼の上へ折りかへして來る、
そして地域の全體を
所有するまでは根氣よく
百度もたどつて進む線だつた。
ところが彼の追越した放浪者達は
猛犬共のやうに彼を愛した。
ところが不器用な素朴なやさしさで、
素朴な村々は彼を愛した。
ところが彼等の重苦しい波と、
彼等の歔欷の囂々たる聲と、
彼等の茫漠たる煙のやうな叫と、
彼等の廣大な子供らしい喜とで、
狂ほしい町々は彼を愛した。
それが爲に、或日、おゝ快い奇蹟よ!
一人の別な人間が生れた、同じやうに富んだのが。
一人の別の人間が立上つた、彼の光榮を羨んで。
そして彼のやうに國内を進んで行つた、
その最善の富を亂費しながら、
そして勝利を摘みとりながら、摘みとりながら。
おゝ! その心を
いくらか擴げる者は誰でもあれ
其處へもう一つ席を作らなければならなかつた!
けれども其時また別の征服者が
不意打のやうに出現したのだ。
けれども其處には百人の征服者があつたのだ。
それで人は百度も優しくされなければならなかつた、
百度も優しくしなければならなかつた。
そして取込むことを强制された、
又いよいよ藏しまつて置くことを强制された
あの若者たちの頭腦が、 、
受けた物をまづ返して
次にはいつか自分から與へたいと思ふやうに、
百度も征服された人々は
自分たちもまた征服しようと考へる。
そして其國には時が來たのだ、
偉大なる征服の時が。
人々が此の慾望をもつて
一方かち他方へ行くために
彼等の門の戸を出る時が。
そして其國には時が來たのだ、
歴史を充たすものとしては
みんなが揃つて歌ふ歌、
家々のまはりの圓舞ロンド
或る試合、或る勝利だけだつたといふ時が。
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