私の牧場まきばは家のうしろにある。広くて平らで、ここから見えるかぎりでは谷の上でのいちばんいい場所だ。さまざまな木が、たとえばハンノキだの、いろいろな種類の灌木だのが、この草原くさはらをかこんでいる。しかしまたそこには二本のトネリコや、梢にみごとな葉のかんむりを茂らせた一本のカエデのような大木も立っている。そしてその向こうには、山を正面にして針モミの林があり、暗い色をした深い森林がよこたわっている。
地面は南がわでわずかに高くなっている。岩にも、はざまにも、もちろん雄大なおもむきはなく、ただ空へむけて二つのやさしい丘がもり上がって、そのてっぺんに生垣いけがきの断片と、シダや広葉ヘビノボラズの藪のもやもやとが載っているだけである。しかし、春は年ごとにまずそこの土から萌え出る。とは言ってもその春たるや哀れにもはだかで、乞食同様、ほとんど何物をも産まず、ただ少しばかりの緑の色と、もじゃもじゃしたフキの花茎を二三本、古草のあいだに見せるばかりである。
夏になると、しばしば、何週間ものあいだ、熱した匂いの雲がイチゴ類の実の上に立ちまよう。それに草のいきれや砕けた土の匂いもして、そういう香りが怪しくも血液にまじりこむ。キリギリスが力いっぱい鳴き立て、褐色のトカゲが石の上にひらたく身を伏せて、
暑熱のなかでその脇腹をぴくぴく動かしている。しかしすべての物の上には静寂があり、更にその上に苛烈な天空が、その青さの全重量をかけて横たわっている。
そして寒い季節になっても、なお岩かげには霜の手のとどかない場所がある。そういう場所には何かしら親しみぶかい物が残っていて、ヒカゲノカヅラとか、緑の地衣とか、オランダゲンゲのような草が見られ、軽率な甲虫が苔の中にあおむけになって眠っているのである。
こうした丘の上にいま私はすわっている。時は春、三月のはじめのある日。風が山々の奥のほうから流れて来る。雪どけの土の匂いや湿めりけをたっぷり含んだ柔らかな風だ。雲は早くも夏の頃のような丸みを帯びている。かれらは雪のように白い翼を張って、その
羽毛を日光の中へひろげている。綿毛わたげにつつまれた胸をした神聖な雲の動物のように。ある深いひびきが空中にある。私はその音を全身に感じて大きな声で歌をうたう。するとその歌を遠く野のかなたへと風がはこぶ。ここ、私の牧場にはしじゅう風が吹きわたっていて、それがいつでも楽しそうで、また機智に富んでもいるのだ。私は彼がしばしば木々のなかで水のような音を立てたり、時にはあたりをさまよって、草の茎の折れ口で笛を吹いたりしているのを、麦畠に立って永いあいだ聴き入るのである。
こうして、時間は私をこえて途方もなくひろがってゆく。私はもう人間ではなく、若くもなければ、どんな血の迷いに満たされてもいない。私はここに千年を老いて、本質的には空気とも、草とも、山々の岩とも違ったところはない。草は私の手の言うなりになり、小鳥は彼の翼のおこす風で直ちにそれとわかるくらい、近かぢかと私をかすめて飛ぶ。そして私にむかって何事かを叫びかける。
きのう私はその鳥の雛たちを見た。彼は巣のなかに五羽の雛を持っている。雛たちが身を伸ばす。すると彼らの咽喉のどが、毛のはえた首のつけねの上で、ふしぎな小さい赤い花のように揺れる。だが次の瞬間には又ぐにゃりとなって、綿のようなうぶ毛と青みを帯びた皮膚とで出来た、何かまったくわけのわからない物、一個のぴくぴく動くかたまりに過ぎない物になってしまう。しかし私の小鳥は薮にとまって、あたりに目をくばっている。彼はまた一くさりの歌も歌うし、枝の上でブランコをしたりもする。これを見ても、彼がどんなに熟練した小さい相手であるかがわかるのだ。
さて私も何かしよう。彼ら小鳥たちから喝采されそうな望みは全くないが。たぶんヤナギの木の皮で笛を作ることはできるだろう。そのうちには子供たちがこの野原へやって来るだろう。そしてもしもそれが立派な笛になったら、孔の二つあるカッコウ笛になったら、
そうしたらそれでうまい取引ができるかもしれない。
ここへすわって、私が秘術をつくしてその笛を吹いているとする。そして小さいミヒャエルよ、お前が丘をまわって遠い道をやって来るとする。そしてそのお前にとって、この世に私のカッコウ笛と同じねうちの物が一つもなかったとしたら、けっきょくお前は私のうしろに立ちどまるだろう。そしてお前のリンゴのような顔が、好奇心と欲しさとですっかり濡れることだろう!
ミヒャエル、と私は言う、お前にはよくわかっているね、この笛にどれだけのねうちがあるか。こんなに長くって、しかも孔の二つある笛なんて、そうざらには無いからね! するとミヒャエルはつくづくとそれを見るだろう。カタツムリの殼やハゲタカの羽根なんかとの、あんな平凡な取引とはわけが違うのだ。ミヒャエルは私の前に立って考えこむ。彼の鼻の上にふかい皺がよる。それほどにも思案は複雑なのだ。そして最後にきっぱりとポケットから手を出して、きたない拳に握っていた何かを私に見せる。たくさんの色糸のついた一個の硝子玉である。
私はこれを知っている。しかしこのすばらしい硝子玉とだって、何か特別な目的でもないかぎり、自分の笛を取りかえっこしようとは思わない。私はこの丘から牧場ぜんたいを見わたすことができる。そこには私に知られていない茂みもなければ鼠の穴もない。ところが、今むこうのカエデの木の陰に、とつぜんある見馴れない物が姿を見せる。何か青みがかった白い物が! それはすでにきのうもあすこにいたし、おまけにきのうも歌を歌っていた。私はそれをはっきりと聴いたのだ。
ミヒャエル、とまた私は言う、たとえ十の硝子玉だって、ぼくの笛とくらべればなんでもないよ。でも、お前はこれを貰えるんだ。さあ、これを持って行って、野原を歩きながら吹くといい。ぼくの牧場に何か青っぽい白い物が見える。たぶんただの棒砂糖の包み紙
だろうと思うけれど、ことによったら絹で出来ていて、お前がそばを通ると、だしぬけに何か言い出すかも知れないよ。そしてその声も、ひょっとしたら絹のようかも知れないよ。いや、ぼくの牧場にはそんな御大層な物は一つだって無いはずだけど。
でもそれはすばらしい五月笛ね! とその青じろい物がお前に言う。
ちがうよ、カッコウ笛だよ! とお前が答える。
そうかしら? ちょいと私に吹かせてくれない?
だめ。君は自分のを手に入れればいいじゃないか。
ああ、ごもっとも! ところで、どこへ行ったら見つかるかしら?
カッコウのところさ……
しかし今日は子供らは牧場へ来ない。ミヒャエルは牝牛たちの処へ行っているにちがいない。私は草むら越しにあの青じろい物を監視する。ともかくも愉快なしろものだ。それは草の中をころげまわる。すると風もまたその戯れに加わる。もともと風という奴はいつ
でも誰かのスカートを追いまわすのだから! 彼は恥も外聞もなく、いい気になってそれを追いかけて、冗談ぐちをたたいたり、厚かましくつかみかかったりする。そこで私はけっきょく口の中へ指を二本さしこんで、鋭い指笛の一吹きを牧場の上へ送らなければならない。するとあの青じろい物は急にまっすぐに立ち上がって、草の中で動かなくなる。そして風もむこうのほうへ逃げて行く。彼は通りすがりになお二三本の草と無邪気にふざけながら、やがて藪のなかへ姿を消す……
もう夕方だ。太陽は一枚のうすい雲のヴェイルのなかへ沈んでゆく。これは彼女の婚姻の時だと人々は言うが、その太陽はすがすがしい肌着をよそおっている。谷間からカラスのむれが舞い上がってこっちへ飛んで来る。彼らは牧場の空に集合すると、やがて藪地へ
下りる。大きな陰欝な一団である。
カラスというのは奇妙な鳥だ。彼らのする事にはすべて何かしら不安なもの、おびやかすようなものがある。彼らはジプシーであり、小さい盗賊と浮浪人との秘密結社である。そして暗い習性と法則とにしたがって、自分たちだけの生をいとなんでいる。いま、彼らは木々の裸のこずえの中にうずくまって、くちばしで羽根を梳すいたり、翼をひろげたり、たがいに呼びあったりしている。そしてあのカエデの木が、その円い頭の上にとつぜん地獄のくだものの黒い重荷を載せられて、魔法にでもかかったように見える。
ところが、そのカラスの中の一羽が、突如としてけたたましい叫びを上げる。すると全集団が夕立のような羽音を立てて、ふたたびサッと飛び上がる。
その理由が私にはわかる。私はさっきから空中にタカの姿をみとめていたのだ。それは明るい色の羽根をした一羽のきわめて小型のタカだが、彼にとってはカラスが仇敵なのである。カラス共はその彼を包囲する。別の一団が森から加勢にやって来る。しかしタカの
飛びかたはカラスのよりも迅く、その明るい腹が敵の黒雲のなかを火花のように上下にひらめく。彼はくるりと向きを変え、落下するかと見れば又羽ばたき一つしないで上昇する。そして時どき電光のような迅さで突っこんでゆく。するとカラスのむれの中の一羽が悲
鳴を上げて、深い空中で旋回する。
ああ、それは夕空の中での一つの美しい劇、一つの騎士的な劇であり、私の血管の血を熱く脈うたせる。最後に、タカはむらがるカラスの中から身を引く。そして楽々とした翼の一打ちで、褐色にけむる遠方へと遥かに飛び去る。
私は一枚の羽根の舞い落ちてくるのを見る。風にはこばれて来たものだ。黒くて、思ったとおり、カラスの胸から抜けた美しい小さい羽毛である。
美しい小さい羽毛、――私はこれを、いくらか厚かましくはあるが、自分の帽子の飾りにする。それにしても、もう少ししたらあのカエデのところへ行くことにしよう……
農夫は牧場をあるいている。彼は生垣にそって行く。そしてところどころ、木の茂みを押しわけてはいりこむ。その彼が声をあげたり、悪態あくたいをついたりしているのが遠くから私に聴こえる。枯れた林で斧の音があかるく響く。一羽のシジュウカラがちらちらと飛び立って、トネリコの木のてっぺんから腹立たしそうに罵る。しばらくすると男はまた藪から這い出し、黄と緑のほこりにまみれた姿でそこへ立つ。彼は周囲を見まわす。年をとった下男で、私の野に住んでいるのっそりとした野人である。
私は彼に声をかける。ミヒャエル、と私は言う、今日はやめよう! 仕事をしまって休むことにしようよ!
するとミヒャエルはしばらく考えていたが、やがてうなずいて、上着の下へ斧をすべりこませる。私は自分のそばに彼の席をつくってやる。そして二人とも無言のまま、暖かい石に並んで腰をおろす。ミヒャエルはオエシバリの匂いがする。彼は春全体をからだにくっつけている。上着にはハンノキの■荑ねこ、扇のなかには小さい花の星。(編者註:■ くさかんむりに柔) しかしそんな事は彼にしてみればどうでもいいのだ。三月と言い、春と言う。それはミヒャエルにとって三重の労働を意味する。林と、牧場と、畠での仕事。彼は一年の移りかわる空から別種の文字を読んでいるのだ。ミヒャエルの考えかたは率直だ。彼は草の成長をよろこぶ。花だの葉だの、そういうものは彼の動物の飼料になるから。雨が降り、太陽が昇らなければならない。それによって、(ほかの物はどうであれ)、何よりも彼の殼物がみのるのだから。たぶん彼は、自分の流儀でこのわずかな土地を愛してさえいるのだ。そうだ。彼はそれで食っているのだし、歩幅一フートの土ごとに、百たびも鋤すきの刄はを入れたのだから。生垣の木々は彼といっしょに成長して来た。その中のたいていのものを彼は自分で植えたのだ。そうでないもの、今彼の斧の下に倒れてゆくものも、その少年時代からの知己なのだ。中には堂々とした樹もあって、(やがてそうなるはずだが)、芽から葉が萠え出すと、春は壮麗に、夏の夜も吹きわたる風の中でかぎりなく美しい。だがそんな事を、ミヒャエルは何一つ感じない。彼は空想家ではないのだから。木の葉は赤い時もあれば緑の時もあるだろう。それは彼の家畜小屋のためにいい敷藁になる。だがまた彼の畑地に影も落とすのだ。 枝や葉のかんむりがあまり茂りすぎないように、木がまだ元気で、心しんがまだ堅いうちに切りたおす、そういった事に気を配らなければならない。
この小さい世界のなかに自分自身のあらゆる分別と正しい秩序とを持っているミヒャエルは、農夫の素朴な理智の眼でそこを見張っている。神もまた詩は作らないのである。
そうだ。夏よ、来い。もしもそこから豊作の年がもたらされないとしたら、むしろ不思議なくらいだ。われわれは馬鈴薯をそだて、すこしばかり蕪かぶも作った。そして別の側にはおそろしく繁茂した麦畠もある。ミヒャエルはそれについて何も言わないが、ときどき、休みの日などには晴着のシャツを着こんで、この畑地を前にひとりで立っている。そして誰か隣人が地境いの生垣へ近づいて来て、大いにしゃべりまくったり、天気を褒めて、考えぶかそうに緑の小麦のなかへ唾を吐いたりするような時、それでも彼はまんざらでもな
いような風に見える。
もう牧場の空がたそがれて来た。西のほう、山の稜線のうえに、若い月の鎌が、ひとつの白い揺藍ゆりかごが、高い竜骨キールを持った一艘の幸いの船が浮かんでいる。星々のひかりが目のように開く。それはしばらくはまたたいているが、やがて静かに、まじめに、この平和な地上を見おろす。大地をおおっているどんよりした水蒸気が、冷気のために凝結をはじめる。空気は糸をつむぎ、白い霧の紐をつくって、それをあちこちの草の茎や灌木の茂みにしっかりと結びつける。遠くからまだ一羽の烏の声がきこえて来る。憂欝な、夢のなかで歌っているような声が。
このおごそかな平和に包まれて、私はほんとうに幸福な気持だ。私のそばには一人の人間が、一人の働き疲れた男がいる。その背中は山であり、その顔は原野である。彼はしずかに息をし、目の前を見やり、鬚に両手をうずめている。私はまたその手も観察する。この手はそれ自体が作物に似ており、大地からの栄養に富んだ根茎をおもわせる。
こんな考えが私の頭をかすめる。――要するに、全体として見れば、この人間はその単純さではおそらく畠に生えてほかの草たちの間に立っている何かの草以上のものではなく、時が来れば花を咲かせて実をむすび、その種子を身のまわりに撒きちらし、それによって、たとえ自分自身は大鎌の下に倒れても、つづいて新らしいのが立ち上がるという、そういう草に過ぎないのではないかと。こういう事は草の場合では静寂のなかで行われるが、生の意義は、もしかしたら、騒音の世界にあるのではないだろうか。
時おり私はこの老いたる穴熊と口論することがある。そんな時には天国と地獄との間になんらの仮借かしゃくもない。私は二重縫いの賢こさで強力にやっつける。しかしそのために、いま神はここにすわって、詮方なげに鬚をまさぐっているのだろうか。ミヒャエルは最近の事はあまり知らない。それでも自分だけで、自分流儀に、生活の中のあれこれを観察している。彼は塔の上の教会の時計を見やった。畜生、又か、と彼は言う。そんな篩ふるいだとか、ローラーだとか、釘だとか、何もかも小綺麗で、こせついていて! あんたにはこんな事を全然考えることさえできないだろうが、と彼は断言する。
よろしい。そこで今大きな機械のまんなかで歯車が一つ動いている。もう一つ別の歯車がそれと一緒に廻って歯を嚙みあわせている。そしてその歯車に物を考える能力があったら、彼はその謎を解くのにおそらく一生を必要とするだろう。そして彼が特別に狡猾な歯車だったら、そのあいだに何冊もの本を書くことができるだろう。
だが、そのあいだにもお前は野中のどこかに立って、時計の動きに注意している。その時計の中では歯車がまわっている。お前は仕事じまいを口にして、その手から農具を捨てる……
夕方おそく、私はミヒャエルと一緒に野をこえて、彼の家のほうへ歩いてゆく。私たちは仲よくいろいろな事をしゃべりあう。家畜の餌えさのことや、こやしの新らしい流行の事などを。それから果樹林の前にもしばらく立ちどまる。枝という枝に苗の厚いレースがっいていても、それがみんな花を咲かせるかどうかは予断をゆるさない。
小さいミヒャエルが私たちに出あう。彼は無言で父親のズボンにぶらさがり、力いっぱい引っぱりはじめる。食べ物の事だとか、生活の明るい面に関する事だとか、そんなおとなたちの気軽な話は彼にはできないのだ。そして彼のうしろからは、小麦ばたけを横ぎっ
て、もう一人誰かやって来る。それはまるまるとふとったテレーゼで、いつものように体からだの平均をとることに苦心しながらよちよちと歩いて来る。彼女は畝うねの中へころがる。そしてまた起き上がると、一生懸命に土を押しわけて突進する。一瞬間だって無駄にはできないのだ。牛乳入りのスープ! お皿はテーブルの上に載っている!
そうだ、部屋のなかの温かい食事。父親は上着を戸口につるす。それから十字を切る。すると子供のミヒャエルも、習慣のように神に敬意を表する。しかし彼の「アーメン」はすでに深く皿の中に消えている。小さいミヒャエルがどんなに腹をすかしていることか。
ああ、それは誰にもわからない! 彼は溜め息をつき、咀嚼し、皆無の場所にもっとも必要な物を欲しがっている。そしてほかの人たちの匙の上の熱いパンのかけらから一瞬も目を放さず、静かな憂欝さでそれの消えてゆくのを見まもっている。
ついに父親が子供のほうへそっくり自分の皿を押してやる。やれやれ、と彼は言う。だが底に穴をあけるなよ!
たそがれが穏かで快適だ。テレーゼは床ゆかの上にうずくまって、満腹と眠たさから、何か小声でひとりごとを言っている。部屋の隅には聖像が、ヨゼフと、神のみどりごを抱いたマリアとが輝き、その彼らにすべての物が計り知れない和やかな微笑をおくっている。そして天井の下には聖霊が漂っている。たぶん一本の馬の毛で吊ってあるだけで、けっきょくガラスと毛糸で出来ているに過ぎないのだが、翼は清らかな金色で、それが竈かまどの火を照りかえして、この世ならぬ光にきらめいたり輝いたりしている。
テレーゼは母親のふところへよじのぼって、そこで仔犬のように、満足した小さい獣のように、丸くなって眠る。そうだ、母親。その両膝のあいだの広々としたくぼみはいつでも気持がいいし、暖かい。彼女はかろく身を揺すり、指で子供を撫でている。
夫もちょっと彼女のほうへ目をやる。彼はうなずいて手をさし出す。しかし又やめて、テーブルからパンの屑をはらい落とす。
私は自分の単純な物思いにふけりながら、なおしばらく暗がりの中にすわっている。私の考えているのは明日あしたのことだ! それでなければ何か親愛なもの、草、暖かさ、木のなかの風のことだ。あすこは全くすばらしい処だと私は思う。神は私を護ってくださる。事によったらやがて一週間、ばかのように暮らして来たかも知れない。だが明日あすこそは間違いなくあのカエデのところへ行こう。
私はミヒャエルにも話をして、いくらかの柱と板のために少しばかり材木をさがすことにしよう。そうしたら樹の下にベンチを一つ据えつけることができるだろう。麦畠を前に、だがあまり藪から遠すぎない、ゆったりした木蔭のベンチを。
こうして無為の幾日が過ぎてゆく。もうすぐ木々に花の咲く時だ。私はそれを苦しい陶酔のように全身に感じ、血のなかに毒素を感じ、憂愁の思いに、わけわからず胸を刺すような悲哀の情に、昼も夜もさいなまれる。たぶん、逃げ出せばいいのだろう。つまり、家や部屋を捨ててどこかへ行ったらいいのだろう。そうしたら夜は疲れ果てて眠ることができるかも知れない。それとも最後に一雨来るだろうか。空気から乾燥や、こんな重苦しい花時の暖気を追いはらう雨が。
土地ぜんたいが用意をととのえて待っている。樹液の衝動に興奮し、水にかわいた地中の種子に充満して。やがて色彩と生命とのうしおが野や庭のうえに力づよく噴き出すだろう。だが今のところは、まだフキが咲き、イチリンソウが病的な白い花を見せているだけだ。牧場の上には不思議な匂いが漂っている。黄花のクリンソウだの何か別の花の酸っぱいような匂いや、生垣のふちに咲いているオニシバリの毒をふくんだ匂いなどが。時どきハシバミの林から緑いろをした花粉の霧が、柔かい風に吹かれて多彩な雲が、湧きひろがる。しかし大きな木たちは半ば裸で、まるまるとふとった若芽をのさばらせ、一陣の微風がその小枝を揺すりでもすると大きな溜め息を洩らすのである。
私は一羽のカッコウの声を聴く。今年初めてのカッコウである。彼は木の枝でかくされた私の席からあまり遠くないところにとまって鳴いている。そしてそれが静寂のなかで奇妙に不安なメロディーなので、まるで私の脈搏を木の上から大声で数えているような気が
してくる。時どき熱中のあまりその声がしわがれる。すると彼は狼狽して、しばらくだまる。たぶんまだ若い鳥で、そのむずかしい技術にまだ熟達していないのである。
刺戟的なざわめきに満ちて毎晩があかるい。私は床のなかで、何時間も目をさましたまま耳をそばだてている。井戸の水槽で水がさわがしく音を立てる。どこかで窓がガチャリと鳴る。つづいて誰かの笑い声が聴こえる。その親しみを帯びた少女の笑い声は遠くから
来る。猫どもが物すごい叫びを上げて摑み合いをやっている。それは寂しい原野の夜を、殺害のように、恐るべき兇行のように響く。
あかるい空の高みに月が懸かっている。月は私の窓ごしに、その白い指先ですべての物をとらえたりさわってみたりする。水差しを、壁ぎわの一つの像を。それは一人の女の姿で、不意に目がさめて、ぼんやりして、微笑を浮かべたところである。
朝がた、私は納屋なやの土間から道具をさがし出す。これからあのカエデの樹の前の敷地作りに取りかかるとしても、あたりはもう充分に明かるい。私はあすこをすっかり平らにしよう。たぶん、もう少し土を盛り上げるのだ。そうするとやがてまた草が生えて、厚い芝生ができるだろう。ほうぼうの庭でよく見かけるあんな芝生が。
そこで私はベンチのために尺をはかる。長さはそう多くは要いらない。つづいてベんチの脚の立つところへ鹿角かずのがたの棒で穴をあける。そして爽かな朝の空気のなかで、陽気に、思うぞんぶん労働する。最後になお敷地の掃除をする。木片こっぱや根っこ、その他あたりに散らばっている色糸の屑だの、紙きれだのを拾い集める。これでよしと。おや、からっぽの封筒が一枚まだ草のなかに落ちている。表にはザビーネと書いてある。
「ザビーネ嬢に」……
そうだ、太陽が昇って来た。だが、今にして思えば、何もあんなに急いで働く必要はなかったのだという事を私はさとる。午前ちゅう私はずっと自分の丘にすわっている。そして何事も起こらない。樹の下には誰も来ないし、びっくりして頭の上で手をたたいたりする人間も来ない。もちろん私は自分の部屋で一時間ばかり文章を書きなぐった。シーソーを元へ戻さなければならなかったからだ。おまけに濡れた靴下をはいていたので、みじめにこごえてしまった。それでも私は楽しかった。私は窓から歌をうたい、更にトランクか
ら上等なシャツを、この日のための青みがかった白いシャツまで引っぱり出した。それほど楽しい気持だったのだ。
私が地獄へ落とされた者のように、しょんぼりと、なさけない気持で、からだに青い縞をつけてこの場所にすわっている今、以上の事がみんな記億によみがえって来る。最後に私はズボンのポケットから例の封筒を取りだして、それを野原へ返してやる。元どおりこ
こにいるがいい! このおかしな書体をしつこく調べる事なんぞ、私にはなんの関係もないのだ。どこのエドアルトかレオポルドか知らないが、一箇の男子のくせに緑のインクで手紙を書くなんて、おそらく笑うべきやつではないだろうか。そうだとも。私は封筒を揉
みくちゃにして草の中へ投げすてる。まさに寸分ちがわない状態で、私はここでそれを発見したのだ。
しかし、事によったら、それはある手紙のはなはだ貴重な片割れであるかも知れない。柔かい土のうえに足痕が、女の小さい足痕がいくつも認められるところからすれば!
いずれにもせよ、ベンチの材料が手に入りさえしたら、私はここでまた永いあいだ仕事にかかるつもりだ。むろん芸術の法則どおり、傾斜した凭よりかかりも、鉋かんなをかけた板の座席も正式に造ってやろう。それだのにミヒャエルは急に物に憑つかれたように、雨戸のほうに熱中している。
彼は私から片時も目をはなさず、しじゅう横目でつけまわしている。そしてまるで針ネズミのように、鈍重な顔の中で家の剛毛を反り返らせている。いや、ぼくはこの板を敷かなくてはならない。これはトネリコの材だ。ほかのもそうだ。ところが彼は自分の物置の
ために角材をみんな使ってしまう。
いったい、なんだってそんな物が特別にいいんでしょうな。樹の下のベンチなんぞが、と彼は言う。ただ人寄せになるだけじゃないですか。連中ときたら、草の中は駈けまわる、花はちぎる。マーガレットはもちろん、ブルーベルだってそうです。そして、そん事を
していたら、けっきょく堆肥用の乾草は半分になってしまいます。それとも砂利道も造りますかね。十文字とはすかいのやつを。麦畠のまんなかへ噴水も。
いや、わしなら別のやりかたで気散きさんじをしますね、とミヒャエルは言う。わしなら黒雷鳥くろらいちょうのほうを採りますな。今ごろは交尾期なんです。すばらしいですよ、あのライチョウどもときたら、と彼は説明する。元来あの鳥はほかの鳥同様、性質があまり鈍感のほうじゃないんですが、毎年春にはたいへんな騒ぎです!
それは駄弁だ。今のところ私には、鉄砲を持って夜の明けがたに何時間も湿めった牧場の土の上にしゃがんでいる事なんぞには、まったく興味がない。そればかりか、大きな牡鶏ならばとにかく、ミヒャエルの牧場にライチョウなんか居はしないのだ。
彼はぶこつでわがままな老いたる熊である。だが、今私は小さいミヒャエルを相手に話をしている。この子供には私の気持が即座にわかるのだ。一時間ばかりして、われわれはすべてを纒めて薮の中を曳きずっていった。牧師の林からとったカラマツの柱材四本と、水肥え用のポンプからはずした、大して綺麗ではないがそのかわりまだ新らしい板を一枚と、それに座席用にトランクの蓋一つと。この蓋はへりに芸術的な仕事がしてあって、チューリップや薔薇と一緒にいろいろな花が描いてあり、また心臓も一つ描いてあるが、そ
の心臓は赤くて、騒々しい愛のためにカボチヤのように膨れている。
ミヒャエルはポケットに手をつっこんで明かるみへ釘を取り出す。いろんな種類の、いろんな形をした釘である。詰物をした家具に使う飾り釘、幅のひろい真鍮の頭のついた釘、蹄鉄用の平釘、ふとい五インチ釘。もしも根気があって、うまいチャンスをつかみさえすれば、誰でも普請場ふしんばで手に入れられるようなしろものである。そういう事を小さいミヒャエルは知りぬいている。彼が勝手を知らない道具箱なんていうものは物置きじゅうの何処にもないのである。
私たちは手斧で杭をとがらせ、荒鉋あらがんなをかけて仕上げをする。小さいミヒャエルはすわりこんで、柱を一本一本自分の膝の間へはさむ。そして私がそれを玄能げんのうで地面へ打ちこめば事は正しく運ぶのである。この仕事でむずかしいのは、四本の柱を、前方のものを垂直に、後方のものを心もち斜めに、正確に四隅に立てることである。そして途中で何かの根っこに出あいでもすると、柱をねじったり揺すったりして正しい位置に立てる前に、両手に唾をして、適切な咀のろいの言葉を吐くのである。
さてわれわれはしばらく立ったまま、自分たちの仕事の出来上がりを見る。この場合、 手で引っぱるための鬚という物が二人には無い。しかしそうは言っても、われわれが自分たちの柄がらを知っていて、大きな口をきかないという点では疑問の余地はない。いや、われわれは物わかりのいい徒弟どもだ。ミヒャエルは誰でもするように袖で鼻汁はなを拭く。そして私はと言えば、黄いろい紙に緑のインクで何かを書くなどという事はけっしてしないっもりだ。
そして今や私は座席の板へ最後の釘を打ちこむ。あの血のように赤い心臓のまんなかへ。
夜のあいだに多量の露がおりた。しかし暖気がたちまちそれを吸いこんで、今では草地のなかの生垣も、農場の小道に干してある色さまざまな洗濯物も、放牧地の家畜たちも、そのむこうの森も、山山の嶺線を明かるい緑でかぎっているカラマツの立木も、何もかもがはっきりと綺麗に彩られて、ガラスのような空気のなかに横たわっている。私は今までにこんなにも青い、こんなにもたっぷりと湿気を呑んだ空を見たことがない。それは一枚のほのぐらい、震えている平面板で、太陽はそこから瑕瑾かきんもなく、あたかも反射鏡からの光のようにきらきらと輝いている。
私はなお永いあいだ自分の新らしいベンチに腰をおろしている。この物悲しい気持に仲間入りをしてくれる者もないので、たった一人しょんぼりと。小さいミヒャエルさえ私を置きざりにした。ドーナッツのことが話題にのぼったのはすでに朝のうちだった。そして今しがた食事を知らせる鐘が鳴ると、彼はたちまち姿を消した。ミヒャエルは、この世には人が名で呼んだり手で摑んだりする事のできないもののあること、しかもそれが空虚なドーナッツの皿よりもつらく耐え難いものであることをまだ知らないのだ。彼は彼にとっての楽しい毎日を生きている。時に鞭を見舞われはしても、その前に楽しい思いをしたのだし、また後にもつづいて楽しい事があるのだ。そしてたまたま何か精神的な苦痛を味わうとしても、それは出来たてのパンと盗まれた乾燥サクランボというような、具体的な事柄がその原因なのである。
そうだ。ミヒャエルにとって生きる事はそれほど単純なのだ。それなのにどうして私には、生きる事がこんなに苦しいのだろう。この状態は終らせなくてはならない。帽子にカラスの羽根をつけているからと言って、私はこの近所一帯の若者の中でいちばん低級な人
間ではないのだ。それにしても今夜は高みの放牧地へ出かけてみよう。山小屋へ行ってむき出しの火のそばへすわりこもう。物思いに沈む一人の男として。銃身の中の弾丸以上の何物でもない一人の寂しい男として。
しかし静寂は育って、ひろがって、しだいにすべての物が消えてゆく。遠い森のざわめきも、草の上の蝿のうなりも。私にはもう自分の牧場の物音が聴こえない。動く葉っぱや、茎や、花たちの、更にあすこで無限にゆっくりと揺れたり開いたりしている物ら一切の、そのさまざまな柔かいさざめきがもう聴こえない。
鳥たちもまた沈黙する。時どき一羽のシジュウカラが飛び立つ。彼は不安そうにひらひらと舞い上がっては、また木の中へ飛びこむ。突然、もうこれ以上羽根を動かしていることができないというように。谷の何処かで、まだ一台の馬車の急いでいる音がごろごろと聴こえる。それがまた途方もなく大きな音で、静寂のなかに反響をおこす。あれは重い蹄鉄をつけた農馬だ。今その車が下のほうの橋をがらがらいって渡っているのが聴こえる。そしてまた静かになる。居酒屋がそれを引きとめたのだ。すべては目をさましていながら見る夢のようだ。私は周囲を見まわす。そして咽喉のどのところに何とない不安を、一種異様な圧迫感を覚える。木々もまた沈滞した空気の中にじっと立っている。まるで息をとめたように。
そして今、天気が西のほうから移動してくる。まずいくつかの高塔が、蒸気で出来た何本かの白い円柱が見えはじめ、つづいてその下に気味の悪い色をした密雲が、からみあい、のたうち、灰色の腹をふくらませた巨大な蛇の団塊が現われる。雷雲は、初めのうちは山々のうえに低く幅ひろく横たわっているが、近づくにつれてその妊娠した腹を見せ、棒立ちになり、雨の長髪を谷の後方になびかせる。それは鈍重な四肢で空の広袤こうぼうを踏みくだく強力な怪獣である。その横腹からは稲妻がひらめき、雲の青白い肌の下でぎらぎらしたり、めらめらと燃えたりする。また別の稲妻は光りかがやきながら落ちて来て、ざわめく森のまんなかへ焔の木々のように突き剌さる。
今私はふたたび怪獣の地響きをおこす足踏みとその音を、その深い轟きを聴く。それはまだ遠く微かではあるが、この世のどんな音響ともちがった音響で万象にしみとおる。雷の鐘が鳴りはじめる。しかしその悲鴫は圧搾された空気のなかで窒息する。しばらくするとそれがとつぜん沈黙する。絶望の淵から立ち占がって、大声で叫んで、泣き悲しんで、さて又だまりこむ人間のように。
そして雲はこちらへ拡がって来る。雲はその重圧で空を寸断し、山を葬り、太陽を呑む。光が消える。
その瞬間、突風がただの一飛びで、牧場へおどりこむ。とつぜん木々は鞭をくらったように大声でわめきたて、深ぶかと身をかがめる。草はすべて風の大鎌で薙ぎ倒されたように地面にひれふす。茎も枯葉も草木の実も、その中には最初の一撃で藪からたたき出された一羽の小鳥もまじって、一斉に渦を巻いて空中に舞い上がる。
それは私の知っている風とは違う。それは早手はやてだ。その早手が追剥ぎのように私に飛びかかって、咽喉もとで息の根をとめる。埃が目に焼きつく。そして最初の重たい雨の粒が突如としてこっぴどく顔を打つ。これらの雨滴はヒューヒューと唸りながら飛んで来る弾丸であって、木々からは葉っぱを叩き落とし、その命中した処からは土を跳ね上げる。このまま木の下にいる事はできない。どこかに屋根をさがすのは今だ。生垣ぞいに少しばかり駈けだして、乾草小屋へ這いこむことにしよう。
だがこの混乱の中では、それは遠距離の道である。雨は私に追いついて、たちまち上着 や肌着をとおして氷のように冷めたく浸みこむ。風は拳をふるって私を前方へ迫い立てる。私は足を取られてざわめく蔵のなかへ倒れこむ。それからまた駈け出し、また倒れ、彼の攻撃の下で身をちぢめる。
私は深く身をちぢめる。なぜかといえば、いまハンマーが空から落ちたからだ。畑地と雲とが結婚する。そしてこの際、私はもう何者でもないのだ。抹殺され、灼熱する電光の息に焼かれ、処女のような大地の、身の毛もよだつ絶叫に感覚もしびれて。
ある異様な空気が私に吹きつける。刺すような、酸っぱい空気。すぐ近くへ電光が突き刺さったのだ。同時に雨が、播く者の手からのように野面のづらへ斜めに投げつけられるその広々とした投擲のなかで、私分水びたしにする。私は不安を感じる。勁物的な狼狽した恐怖を感じる。その間にも私は逃げ走って、小屋の屋根の下へもぐりこむ。そとは真暗まっくらだ。鉛色の繊維の織物、地面をおおった水蒸気、生垣や屋根の上でしぶきを上げる水、血なまぐさい激戦の叫喚と混乱。電光が燃え立つ。柱のように、リボンのように、闇の中でめらめら燃える薪のように。雷鳴が空気を震撼させる。怖るべき力でころがって行き、打ちくだかれた世界のあらゆる深淵から百倍にもなって帰って来ながら。或いは突如として空の布地を上から下まで二つに引き裂くように、鋭い響きを発しながら。時どき私は雨の中から浮び出る木々を見る。彼らは嵐に揉まれて互いに身を傾けあっている。そしてそれが舞踏のように見え、生垣で踊っている怪奇な幽霊の輪舞のように見える。トネリコも、ハンノキも、ハシバミの花粉も、みんな酔っている。牧場ぜんたいが飲んで、ざあざあと響きを立てる大水を浴びている。
しだいに雨の降りかたが穏かになる。まだ霧にけむり、半透明のヴェイルに被われてはいるものの、森や山々がふたたび姿を現わす。雷鳴ももう弱くなった。なお一雨パラパラと野の上を通過したが、今は風も凪ないできた。
雲が西のほうの谷からおもむろにその裾を揚げる。一すじの明かるい空の縞が見えてきてとつぜん密雲の間から日光が射す。遠くの畑地が急にかがやき出す。暗い雲霧の中のこの世ならぬ島のように、柔らかな緑に明かるく。一瞬間、太陽そのものが現われて、その燦然とした顔を大地の上にかたむける。風景はますます明かるさを増し、青ざめた空はしだいに澄んで高くなる。するとほのぐらい東の空に、一流れの雲の旗が、神の七色にいろどられて壮麗に広々とくりひろげられる。それは地平線まで垂れ下がっているが、第二の雲はその上の美しく澄んだ空中でまるまると膨れている。そして小鳥もにわかに歌い出す。雨に濡れてくしゃくしゃになった彼らは、藪のいたる処にとまって嘴くちばしで羽並みをそろえたり、同時におしゃべりをしたり、きらめく雫しずくを枝から揺すり落としたりする。草や木はすべて多彩な光にまみれている。太枝をつづっている重たい水の真珠がころげ落ちて、鴫りひびく音をさせながら地而の上でくだけ散る。
ひとつの別な、いっそう美しい世界が雷雨からよみがえり、新らしく造り直され、あらゆる色彩をまとって、いっそう生き生きとしたものとして立ち現われたのである。
私はそとへ出て周囲を眺める。ああ、土地はそこに横たわっている。緑と白の私の牧場が。畠は黒い。ゆたかな、湿めった土で真黒だ。雨に打ちのめされた蕪かぶは明かるい色をして湯気を立てている。風はその上をかすめ吹いて、麦の茎を慎重に元どおりまっすぐにする。その風はまた木々の樹冠からすべての枯れたものや色槌せたものを梳すき取ったので、木たちは今や暖かい目光のなかで仲び上がり、若返って光りかがやく葉むらで花環のように飾られている。
いま私はよろこんで自分の丘にすわりたい。自分のために少しばかり歌をうたい、世界を静かに眺めたい。おそらく私は途中で桜桃の花を見つけるだろう。その桜の木は確かにもう二つや三つは蕾を綻ばせているはずだ。そしてやがて、私は何かを、たとえば一つの
言葉か一連の詩句のようなものを、考えつくだろう。それが私の気に入って、私は一晩じゅう自分のために小さい声で口ずさむだろう。もしも木に花が咲いたら、と私は歌うだろう――
もしも風が吹いたら、お前は窓に立たなくてはならない。
するとお前の肌着が雪白の帆のように揺らめくだろう。
茶色の眼をした少女よ……
だが私は歌うことも詩を作ることもできない。私の丘の上に何か青っぽい白いものがすわっている。
風変ふうがわりにも私はあすこのカエデの樹の下にベンチを作った。眠る夜もはたらいて労を厭わなかった。だがもしも牧師が彼の柱材をさがす気にでもなったら、どんな事が起こるか知れたものではない。世界じゅうの何処へ行ったってあんなに気持よく腰がおろせて、おまけに下にはチューリップだの薔薇なんかの植わっているベンチという物はありはしない。いや然し、そうは言っても、私はあすこにヘビノボラズの藪を仕立てる事だってできたのだ。これからもう一度あの丘を通って、わかりきった事をわからせに行くのは全く気が進まない。
あれは乾草の刈場です、と私は言おう。あすこには秣まぐさが、穀物が生えています。わかりましたか、日々の糧ですよ。それについては本にも書いてあります。愚昧の母が悪魔のものだったリンゴの中から見つけ出して以米、それは人間の汗によってあがなわれるようになったのです。
そうだとも。何もかも投げ出してあけすけに言おう。それに、恥じを感じないでは改悛することのできない自分という者を認める前に、すでに私はほんとうに善い人間になりかけているのだ。よろしい。こういう風にみんなおのれの道を進むがいいのだ!
私はズボンのポケットに両手の拳をつっこむ。こうすれば一歩一歩に重量感と幅が出るからだ。ただ、帽子はまぶかに冠らなければいけない。顔をむきだしにして風にむかって進まなければならない時、意味ありげな外観をよそおったり、目つきに鋭どさやまじめさを現わしたりすることはむずかしい。この風は骨を求める気違い犬のように私にむかって飛びついて来る。彼は私のズボンを引っぱり、シャツをふくらませる。おまけに私の眼は水でいっぱいだ。大粒の涙が一滴ころげ落ちて、あごの下にぶらさがる。
かまわない。私は私の道をつづける。息を切らせ、涙のために目も見えずに。かたわらの草の中から何か青みがかった物が浮かび上がる。だが今、そんな物にかかずらわっては いられない。それはたぶん丘の上の小さな茂みにすぎないのだと私は思う。心臓がしっかりと音高く打つので、藪さえも笑いだす。遠く生垣の中にひとつの門が見える。私はそれを見失わないようにしよう。又しても呪われた牛の糞のなかへ踏みこむ。だが、ありがたや、そこも通りぬける。「ベエー」と、うしろから藪が言う……
ああ、ザビーネ。青みを帯びた白いもの、お前、ぼくの牧場の快活な小鳥よ! お前が笑うと首のところで血管がぴくぴく動く。おまけに鼻ときたらほんとうにちっぽけで、丸くて、ちょうどハシバミの実のようだ。生まれてこのかた、ぼくはそんな鼻を見たことが
ない。とにかくお前はほんとに小さい。ザビーネよ。草はお前のあごまで届いている。そしてぼくはお前の前へ立って、童話に出てくる行儀のいい大男のように脱帽して、雲の中からほほえむ。たぶんぼくの耳は太陽に赤く燃えて輝くだろう。それでもぼくは微笑する。もっと善いどんな事がこのぼくにできるというのだ? とにかくそれは第一歩への援けには違いない。
そのうちに、と私は考える。そのうちに生垣の林にいるトカゲや、ハリネズミの穴を彼女に見せてやろう。われわれは蟻だの、乾草小屋の中のスズメバチだのを見に行くこともできるだろう。ことによったら、もうカッコウも一羽ぐらい孵かえっているかも知れない。そして、もしもくたびれたら、われわれには樹の下のベンチが、夕暮のための暖かい秘密の席があるというものだ。
私たちは幼いカッコウに出会わない。そのかわり桜桃の木にはもうほんとうに最初の花が咲きはじめている。私は樹冠から二三本の小枝を折り取る。その一木をザビーネが髪に挿すようにと。耳の上の白いサクラの花以上に美しい物はないからだ。しかしザビーネは
その小枝を口にくわえて、惜しいかな、ただ嚙んでいる。
やがて私は一匹のモグラが畠で仕事をしているのを見つける。モグラというやつは確かに注目にあたいする動物で、その話ならばいくらでもできそうだ。私は牧場のしおれた草の中をまっすぐに通っている一本の道をザビーネに見せてやる。それは学者が言っているようにモグラの通路だ。だが彼はむこうの遠い生垣に自分の住家すみかを持っている。これはまた学者の知らないことだが、地下二フィートの深さのところにとても巧みに作られている。洞穴のまわりには二本の環状道路と六本の通路とがあるが、そのうちの三本は上のほうの環状道路へ通じ、別の三本はそこから下の環状道路へ通じるようになっている。だから、たとえイタチかカワウソがその巣の中へはいりこんでも、永いこと捜さなければならないわけだ。
こういう事をみんな私は話してやる。こんな驚異が牧場のなかて見られるとすれば、ザビーネだっていつかは口から小枝を放すにちがいない。
ところが、それどころか、彼女はけっして放さない!
老ミヒャエルは満足している。彼はいま乾草刈りを前にのんびりした時を生きている。敷居や錆びた蝶つがいをとりかえたり、物置小屋のゆるんだ羽目板を直したりするために、一日じゅう金槌と釘箱を相手にいそがしい。彼は捲揚機や、車輪という車輪に油を差している。そしてある時私はその彼に土間の染料鍋のそばで出会ったが、彼はそこへ立ってすっかり考えこんでいた。ミヒャエルは三個の新らしい蜜蜂の巣箱を釘づけで作ったが、今はそれを塗装しなければならない。青い色を塗るのがよさそうだが、なお何か気のきいたものを添えなくてはなるまい。或いは跳ねている鹿とか、神聖なハート形のようなものを。なるほど、それはなかなか慎重な思いつきだが、さもなければ、私のだらしのない流儀で、ここへ線を一本、あすこへ斑点を一つというぐあいにやってはどうだろう。この飛行甲板は、ちゃんとした細工仕事として、今後何年もの間あらゆる世論に耐えなければならないのである。ミヒャエルは頭を振り、また軽く刷毛はけをうごかして、そしてそれを片づける。――今日のところはこれでいい!
ちょっと外を見てごらん。妻君が庭に立って、新らしい苗床へ苗を植えている。彼女は上着の袖をまくり上げ、頭に明かるい色のきれを巻きつけているが、それがよく似合う。母親である彼女がその赤い肌着のために若々しく、かつ堂々と見えることも無論言って置かなければならない。ミヒャエルはちょっとのあいだ彼女に目を注ぐ。それから井戸ばたへ行き、瓶一杯の水を庭の彼女に運んでやる。
きらびやかな一日、わけても不安のない時問。霰も降らなければ花をいためる霜も来ない。朝早くからの太陽、そのあいだには時にパラパラと雨、ふくれた雲からの活気のないせせらぎの音。その雲は憐れにも気がせいて、高い空中で茫然自失している。蠟をひいた
ような天気だ。ありあまるほど花をつけて、緊張して、こわばった果樹は、羞じらう花嫁のように、真白に肥満して薔薇いろの息を吐いている。その樹冠を風がゆすぶると、蜜蜂の雲がうなりをあげて沸騰する。その多くは意識が混濁していて、簡単に草のなかへ落ち
るか、さもなければ何処かしらへ、たとえば私の髪の毛とか上着の上とかへ着陸する。彼らはじっととまって、少しばかり狂った頭で羽根を試験したり、いちばん必要なものを整頓したりして、それから突然また飛び立ってゆく。今や空費していい時間などは無いわけ
だから。
そして私の牧場は日一日と花咲きさかえる。それは錆びた赤い地ぢのうえに、もう夏のあらゆる色彩を点じている。生垣のそばにはイラクサが厚い藪をつくって繁茂している。こんなに多汁質で、からだ全体がこんなに引きしまって整然としている草はほかにはない。このイラクサに花が咲くと、葉から葉へ緑いろの糸の優しいせせらぎが懸かって、みごとな噴水のようになる。総じて生垣に沿ったこの細長い地帯は一種独得な様相を呈している。年々農夫の鋤すきが、畠からの石だの縺れた根だのをそこへ押しつけるので、いろいろな雑草はもとより、乾燥した土を好きなオドリコソウ、ハッカ、葉のちぢれたアザミなどが根を下ろすのである。私は草のなかへ指をさしこんで糸のように細いハコベの編細工を解きほぐす。そこにはナズナも、コゴメグサも、ドリットマダムも、更にハゴロモグサの毛のはえた葉の杯も見出される。それぞれがきちんと畳まれて、表面は明かるい露の玉で飾られている。それらの花はすべて尊大なところがなく、人は最初の一瞥のためにじっとすわって、目を憩わせなければならない。恋人たちは百年間もそこへすわりこんで、彼らのためいきを苔のなかへ洩らしたのだ。そしてそこから細く刻まれたものと房のついたもの、タウゼントシェーン(ヒナギク)とグンデルマン(カキドオシ)、ヴィーゲンクラウト(ユリカゴソウ)とヴェーブルーメ(ナゲキバナ)、そんな種々雑多なものが生まれたのだ。
そうだ、ヴィーゲンクラウトとヴェーブルーメ。それは猟師だったグンデルマンと、部屋にとじこもって紡いでいた処女タウゼントシェーンとの古い物語だ。昔はまだそんな事もあったのだ。その頃には一つの心が誇りのために死ぬとか、愛のために亡びるとかいう事があり得たのだ。部屋にこもっているこの少女は、事実、タウゼントシェーン以外の名では呼ばれなかったし、一方猟師のほうは、年もたいへん若くて、帽子に奇抜な鳥の羽根こそつけていたが、仲間じゅうでのいちばん低級な者でもなかった。しかし古い物語が正しく示すように、彼らはいい星に恵まれなかった。そしてけっきょく、二人の上には悲劇的な幕が下りたのだ。
ザビーネは生垣にすわっている。彼女は日光に目をしばたたきながら、私に笑いかける。いや、もうこれ以上話すのはやめよう。朝はまだ早いのだ。悲しい物語なんかには早すぎる。
とにかく、ザビーネはいつでも笑っている。朝だろうが晩だろうが。太陽がこの子供をからかって鼻の中をくすぐる。するとザビーネは十二度もくしゃみをし、そのおかしさのためにほとんど息もとまらんばかりになる。この世には私を腹立たしくさせるものが幾つかある。たとえば雨、無害な雲からのあの突然の水の注流であり、またある種の蝿、悪意の初源的な霊で、人間が絶望におちいるまで倦まず休まず、しかも耳の奥で力強くブンブン唸るあの蝿である。だがザビーネはすべての物や生物たちと秘密な方法で結ばれている。
猫どもは生垣のところにいる彼女のそばへさまよって来て、その手の中でぎしぎしする毛皮をきしませたり、こすりっけたりする。またある時は一匹の犬が、小麦畠をこえて遠くから一散に駈けつけて来る。私はその犬を知っている。彼は道路工夫の犬で、われわれは幾日も道ばたで一緒になったものである。ペーター、と私は言う、ゆっくり来い。そこにザビーネお嬢さんがすわっているぞ!
だがペーターは遠慮もなく彼女の膝のなかにまるまって、毛を引っぱらせたり、耳の穴へ息を吹きこませたりしている。とにかくならず者で、嘘つきの野良犬だ!
ちょうど今ザビーネは何か黄いろい縞のはいった物を手のひらに載せている。ちっとも白くはないからおそらくスズメバチで、刺すとひどい痛みを起こさせるやつだ。だがこの場合、蜂はまったくおとなしく、馴れている。そうだ。スズメバチでも、トカゲでも、蝶でも、最悪の場合には小さいミヒャエルでも、信仰がぐらつくのだ。それとも、今もしも彼が牝鶏たちの腹の下からその卵を盗み出したとしたら、それでもまともな事だと言えるだろうか。もしも彼がとつぜん何処からかザビーネの前に現われて、陰鬱に、黙々と、ズボンヘ手をつっこんで、自分の掠奪物である三つの卵を、一つは褐色で、一つは白く、もう一つはこわれているのを、彼女の手に握らせるとしたら!
昼ごろ、私たち二人は草のなかで休んでいる。ザビーネと私とは。野のうえには一種異様な静かさが、成熟期の静かさがひろがっている。しかしまた無数の響きも共処にはある。空は一個の鳴りひびく鉢だ。私の血はざわめき、私の息は目の前の草の茎を、うつむいた花をつけた細い茎を揺りうごかす。私は眼前によこたわる手の幅ほどの狭い小さな地面をつぶさに見る。そして、けっきょくそれもまた一つの大きな世界であって、理解するにしては広大で、苦しみ多く、始末に悪い処だということを悟る。私は苔の中から一匹の蝿の出てくるのを見る。それはまったく小さな動物で、日当りのところへ行きつくまでゆっくりと一枚の葉をよじのぼる。そして今では暖かい光の中にすわって、ふるえる扇をひろげ、油質のガラスのようにさまざまな色に変る羽根を展開している。この時間こそ彼の生命の絶頂なのである。きのう彼はこの世へ出て来た。あしたはたぶんもう生きてはいない。それほどその生存の期間は短かいのだ。しかしそれにもかかわらず、彼はいわば心臓と腎臓とをそなえた一匹の完全な蝿だ。蟻たちは驚くような重い荷物をひきずって藪のなかを右往左往している。彼らは息もつけないような忙しさで走ったり、たがいに意思を疏通し合ったりする。それからまた懸命に自分の獲物をひろい上げる。一枚の蜘蛛の皮だとか、一本の甲虫の脚だとか、さもなければほかの無数の中からえらばれた、何か針の先のような微小なものを。同じ瞬間には殺害もおこなわれる。一匹の毛虫が殺される。そして別の場所には、長い脚をした二匹のガガンボが、幸福な愛のねむりに身動きもしないでぶらさがっている。
けっきょく、私にしたところで一匹のウジムシであり、生きるために奔走している或るちっぼけな存在なのだ。世界は私にとって小さくはないし、空は私が寝ころぶかぎり低くはない。私はこのんで想像することができる。自分はどこかの果てしもない藪のなか、草の茎のあいだに立っている。そしてその私の上には緑の木の葉がしげり、風に吹かれる草の葉の旗がなびき、しかも空の高みにはすでにもう一つ別の世界があって、その重たい輝く頭がならんでいるのだと。
花が咲いている。マーガレットとヤグルマギクが。この花たちは髭面に冠った鍔広つばひろの羽根飾り帽とまちがえられそうだ、とザビーネは思う。それに青い糸シャジンも咲いている。この花の肉は非常に薄いので、日光がすきとおる。おまけにあわてくさったマルハナバチが、無暴に、熊のような荒々しさでその中へ飛びこむ。彼らは私のところへもやって来る。私の片方の耳が何かの花のように開いている。私は狡猾に息をとめ、まったく静かに、まったく牧場の一部と見えるように努力する。しかし私の体臭では充分に相手をだますことができない。ぶんぶん唸る虫は、青い空間に力づよい震動をおこしながら、突如として姿を消す。
その間にもながい時間が経過する。たぶん私はこんなふうに此処へ寝そべって、思慮もなく生活を空費してはいけないのだ。今こそ何か偉大なことを、自分の死を凌駕するような或る至難な仕事を始めなければならないのだろう。しかし今、この世で真に重要なことは何だ? 星辰のあいだにひとつの座を占めるために、そもそも人間に何ができるというのだ? 或る人間はピラミッドを建てる。また別の人間はその魂の救いのために、一生を荒野にすわって過ごす。しかも大空はこの二人の上でほほえんでいる。そうだ。大空はほほえむ事ができる。彼はそのふところに神秘を蔵しているのだ。
私はつと頭をめぐらして、自分のそばにいる少女を、その頬の上のあかるい産毛うぶげを、そのぴくぴく動くまぶたを盗み見する。暑さに汗ばんだ透きとおるような鳶色の皮膚、膝のうしろのくぼみに浮いている青い静脈、沈黙の草のなかの谷と丘。
ああ、私はふたたび目をとじる。
だが、しばらくするとザビーネが何か言う。あの二人の話はどうしたの? と彼女は訊く。どうして二人に善い終りが来なかったの?
いや、グンデルマンとタウゼントシェーン、この二人はけっして一緒に咲くことはできない。男のほうが少女への熱烈な恋にとらわれていたことは事実だ。猟師は毎日彼女の部屋のところへたずねて行った。そして夜になると戸口の敷居の上へ花を置いた。その花は高い岩壁のあいだに生えているのだが、それを男は彼女のために採って来たのだ。だがタウゼントシェーンはその事に感謝しなかった。ただすわって、糸をつむいでいるだけで、冷淡にかまえていた。最後に男は勇気をふるって彼女の窓をたたいた。あなたはすべての人間の中でぼくの最も愛する人です、と彼は言った。出て来てぼくと一緒に庭へ行きませんか。
いいえ、とタウゼントシェーンは言った。私は出ません。寒いのですもの。それに寒さをしのぐマントを私は持っていないのです。
それがグッデルマンの心を打った。彼は鉄砲を持って出かけた。そして永いことかかって毛皮をあつめた。クサネコから黄いろいのを、キツネから赤いのを、オコジョから雪のように白いのを。こうして今ではタウゼントシェーンにも着る物ができた。黄と赤と白のマントが。それだけで一年という永い時間がすぎ去った。そして、そのために、少女は以前とちがって、その名をフンデルトシェーンと呼ばれた。
しかしあなたは今でもなおぼくの最愛の人です、とグッデルマンは言った。今度こそ出て来て、ぼくと一緒に踊りに行きませんか。
いいえ、とタウゼントシェーンが言った。私は行きません。私ははだしですもの。それにダンスのための靴を私は持っていないのです。
そこで男は自分の持っている皮を鞣なめしにやった。若い牡鹿と獐のろのやわらかい皮を。そしてその革からきゃしゃな、緑いろの、明かるいへりのついた、かわいらしい靴が出来た。これがあればタウゼットシェーンも、はだしで草の中に立たなくて済むはずだった。それだけでまた一年がすぎ去った。タウゼントシェーンはもうフンデルトシェーンでもなく、処女ドゥツェントシェーンになった。
もしもあなたがぼくの最愛の人ならば、とグンデルマンは言った、どうぞ出て来て閂かんぬきを抜いてください!
いいえ、とタウゼントシェーンが言った。私のべットは狭いし、それに私は、もうしばらくの間はひとりでそこに眠りたいのです。来る年の春になったらまた来てください、と彼女は言った。
しかし翌年の春にもむなしく待つばかりだったグンデルマンは、ついに腹を立てて山のかなたへ行き、そこで暮らしながら少女のことは忘れてしまった。タウゼントシェーンは部屋にすわって、自分の青春のすぎ去った事をはっきりと悟った。ニンマーシェーン!と鏡が言った。彼女は昼も夜もグンデルマンのことを思い、涙をながして両手をしぼった。今では彼女はよろこんで庭へも行けたし、踊ろうと思えば足も軽快だったし、ベッドも断じて狭すぎはしなかった。ただあの人が来てくれさえしたら!
雪が消えたとき、彼女は牧場のユリカゴソウを摘んで、それを自分の荒れはてた小屋のテーブルの上に横たえた。しかしそれは何の救いにもならなかった。次の年には別の花を窓に挿した。それはナゲキバナだった。そしてこの時の涙のために彼女の心臓がやぶれた。それでも死ぬ前に一度、一束の花を、メンナートロイ(男の真実、ルリソウ)を持って森へ行った。
ちょうどその時、男はあの高悛な処女タウゼントシェーンのために、今はその試練も充分だろうと思ったので、ふたたび楽しい気持で帰って来た。そして木々の下に衰えはてて死んでいる彼女を見いだした。
いや、グンデルマンとタウゼントシェーン、この二人はけっして一緒には咲かないのだ。しかし今ザビーネは悲しそうに共処にすわって、もう何も言おうとしない。私には、自分の物語の中へ、どうしてメンナートロイの花が入りこんだのか理解できない。それとも、
こうなるのが必然だったのだろうか。
草の花の盛りがうつろい、なお短かい幾日が過ぎ、つづいて乾草の刈入れがはじまる。虫たちの騒宴もおわった。広大な牧場の夕べ、匂やかな草のなかを手に手をとっての散歩と歌。ただ麦類だけが残り、敬うべき穀類だけが夏を生きのびている。その穂はすでにうなだれて実をつけ、おとなの背丈けほどの茎が黄に染まっている。なるほど牧場はおそい花をもういちど咲かせてはいるが、それも大したものではなく、ドクニンジンとか、カモガヤとか、秋の貧弱な花ぐらいなものである。
そうだ。或る晩、老ミヒャエルは小さい金敷きのそばにすわって、大鎌を研ぎにかかっている。彼は永いあいだ待ったのだし、適正な時をえらんだのだ。この天気が一週間つづいたら、新鮮な乾草を、この祝福された年のおびただしい乾草を、草刈場から納屋なやへ運び入れることができるかも知れない。われわれは灰いろの朝から力づよく仕事に没頭するだろう。たぶんもう一人人手ひとでを加えることになるだろう。寺男か、さもなければ信頼のできる若者を。
そして今度は谷側たにがわから始めましょう、とミヒャエルが言う。車を入れるのにほかよりも都合がいいから。
よろしい。そこで私は白分の大鎌の刄はをきっちりと楔くさびで締めて、砥石用の椀を物置からさがし出す。もしもザビーネがあしたの朝早く、時をたがえずやって来て、私がどこかの広い道を駈けのぼり、その私を誰も追い越すことができず、あの老骨の中に実際まだ充分の元気をたくわえている老ミヒャエルさえ追い越せないのを見るようだったらすばらしい。そしてもしもわれわれが先着を占めて、ザビーネが一二回息を入れることさえできたら、そこが或る狭間はざまであろうと、断ち切られたモグラの塚であろうと、問題ではないのだ。それで私はもう丸一日ザビーネをさがした。だが何処へ行っても見つけることができなかった。
しかしそのかわりに、夜になっておそく、私は部屋のテーブルの上に一束の花を見いだす。そしてその花束の意味するところを即座にさとる。「さよなら」だ。終局だ。私の牧場のあらゆる花がガラスの器うつわに集まっている。その中には小さな青い花さえ、メンナートロイさえまじっている。しかしもう一度ザビーネがたずねて来ても、私は山のむこうへ行っていたり、どこか別の処で生きていたりはしないだろう。おそらく彼女はまた来るのだ。私は一晩じゅう野を歩きまわって、われわれに親しいものとなったいろいろな場所をたずねる。そうだ、ザビーネは此処へすわって、私が一枚一枚の菓から心臓ハート形を刻み出しているあいだに、オドリコソウの或る新らしい種類を見てひどくびっくりしたものだった。
夜の白みはじめる頃、私は家から鎌を持ち出す。私は足の親指の爪でその刄はをためしてみて、もういちど研ぎなおす。それが朝の冷気のなかで一種明かるい勇ましい響きを立てる。
それから私はサッと振り上げる。そして私の前に緑の壁がくずれ落ちる……
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