新訳ジャム詩集  尾崎 喜八 訳

    
    ※ルビ
は「語の直後に小さな文字」で、傍点は「アンダーライン」で表現しています。
 

 『暁の鐘から夕べの鐘まで』 (一八九八年)    

序 詩

私が死んでゆく時には

家は薔薇の花と

静かだ

きょうはヴィルジニーの

青い雨傘を手に

私は果樹園へ入って行った

これらはすべて人間の労働

私は愛する、そのかみの

 

昔の海軍

もしもお前が

日曜日には  
 

僕は素焼のパイプを

古い村は

美しい日を浴びて

 
 

哀れな犬は

谷  

あすこに悲しく灰色をした

 
 

彼女は寄宿学校へ行っている

私は牧場にいる

人は言う、クリスマスには

 
 

平和は森の中にある

この農家の息子は

水が流れる

 
 

百姓が、夕がた

牧場には

お前は裸になるだろう

 
 

樹脂が流れる

おお! この匂い

箕から立つ埃

 
 

お前は来るだろう

正午の村

あなたは書いた

 
 

私はお前が貧乏なのを

秋が来た

思い出しながら

 
 

恋人よ、覚えているか

私は空を眺めていた

なぜ牛たちは

 
 

雪が降るだろう

驢馬は小さくて

其処には水差しがあった

 
 

いつになったら

聴け、庭の中

 

 
 

 

 

 

 
 『桜草の喪』 (一九〇一年)    

哀 歌 第一

哀 歌 第十四

去年のさまざまな物が

星を所望するための祈り

子供の死なぬための祈り

素朴な妻を持つための祈り

私の死ぬ日が美しい晴れた日であるための祈り

 

 

驢馬と共に天国へ行くための祈り

   

神をたたえるための祈り

或る最後の望みのための祈り

   

 『雲の切れま』 (一九〇二年〜一九〇六年)

 

「悲しみ」

 

 

私は彼女が欲しい

彼女は降りて行った

或る詩人が言った

彼女は持って来た

去年咲いたリラの木が

二本のおだまきが揺れていた

  あしたで一年になる      
  「いろいろの詩」      
  私は森の中で踏んだ 人の言う事を信じるな 私を慰めてくれるな  
 

煤けた宿屋には

子供が絵暦を読んでいる

私に思い違いはない

 
 

種子は選ぶ事を知っている

昆虫のように

 

 
  「木の葉を纏った教会堂」    
 

燃えさかる太陽に

祈りは花のように大空へ

御堂のまわりには野の平和が

 
 

詩人はもう昔のように

なぜかと言えば今では

夏の盛りが近づいた時

 
 

彼は道路工夫に言った

その日御堂は

アメリカ胡桃の実が一つ

 
 

御堂はまた鐘を鳴らした

詩人とその友だちとが

お前の青空の声を上げよ

 
 

私の謙虚な友

人は見る、秋になると

 

 
  「念 珠」      
 

苦 悩

鞭 打

茨の戴冠

 

担十字架

磔 刑

 

   
 『四行詩集』 (一九二三年〜一九二五年)  

驟 雨

花摘み

天 馬

バスティード・クレーランスの鐘

天 稟

町へ来た百姓女

溪 谷

葬儀人夫に

  聖なるぬかるみ 朝飛ぶ鳥 昼間の女労働者  
  四 季      
   
 『わが詩的フランス』 (一九二六年)  

サンパレーの家

アンリ・デュパルクの家にて

オッソーの牧歌

ルールドの洞窟

ユルシュヤヘの遠足

オート・プロヴァンス

布教師

石 工

フランスの或る元帥の肖像

  蝶の採集 イトロの泉 ジョワユーズ川の片隅  
 
 『泉』 (一九三六年)

カザノーヴの泉

 

 

 

 

 

  訳者の後記 (尾崎喜八)

 

 

 

 

 

 『暁の鐘から夕べの鐘まで』

 

 序 詩

 神さま、あなたは私を人間の中へお呼び出
しになりました。私は此処におります。私は
苦しみ、そして私は愛します。私はあなたが
私にお与え下すった言葉で語りました。私は
あなたが私の母と父とにお教えになり、そし
て彼らが私に伝えてくれたその言葉で書きま
した。子供らに笑われ、頭を垂れて、重荷を
負うて路を行く驢馬のように私は行きます。
あなたの欲せられる時、あなたの欲せられる
処へ、私は参りましょう。
 み告げの鐘が鳴っております。

          フランシス・ジャム

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 私が死んでゆく時には

私が死んでゆく時には、青い眼をしたお前、
水のように輝くあの青い小さい甲虫色の眼をしたお前、
ほんとうに私の愛した少女であり、
「生々せいせいの花」の中に出て来るイリスのようなそのお前が
きっと私のそばへ来て優しく手を取ってくれるだろう。
お前は私をあの小みちへ誘い出すだろう。
お前は裸ではあるまいが、おおそれでも私の薔薇よ、
お前の純潔な頸すじが
あおい色の胸着の下で花のように咲くだろう。
私たちは額ひたいにさえも接吻はしないだろう。
それでもたがいに手を取りあって、
灰色の蜘蛛が虹を編んでいるすがすがしい木苺きいちごの薮沿いに
蜜のように甘い沈黙を味わいながら行くだろう。
そして時々私の悲しみを一層せつなく感じると、
お前は私の手をその華車きゃしゃな手で一層強く握るだろう。
――そして二人とも、嵐に揉まれるリラの花のように感動して、
もうなんにも、なんにもわからなくなってしまうだろう。
                          (一八九七年)

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 家は薔薇の花と

家は薔薇の花と蜜蜂とでいっぱいだろう。
午後になると夕暮の祈りの鐘がきこえるだろう。
そして透明な宝石いろの葡萄の房が
おもむろに生まれる影の中で日を浴びて眠っているように見えるだろう。
其処で私がどんなにお前を愛することか。
私は二十四になる心のすべてと、この皮肉なたましいと、
この誇りと、白薔薇のような私の詩とをお前に捧げる。
とは言いながら私はお前を知らない。
お前は存在しないのだ。
私の知っているのは、もしもお前が生きていたら、
そしてもしもお前が私のように牧場の奥に住んでいたら、
ブロンドの蜜蜂の飛んでいる中、涼しい小川の水のほとり、
の葉のこんもり茂った下で、
私たちが接吻をしたろうという事だけだ。
太陽の熱のほかには何ひとつ気がつくまい。
お前の耳の上には胡桃くるみの樹が影を落とすだろう。
それから二人は笑うことをやめて口と口とを合わせるだろう、
言葉ではつくせない互いの愛を語るために。
そして私はお前の赤いくちびるの上に
ブロンドの葡萄と紅薔薇べにばら
蜜蜂の味とを見いだすだろう。

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 静かだ  
          アルベール・サマンに

静かだ。
やがて鎧戸の上にいた一羽の燕が
青くなってゆく涼しい空気の中で空いろの響きを立てる、
たったひとりで。
それから二つの木靴が往来を摺り足で行く。
田舎は青白い。
しかし落ちつかない灰いろの空には
やがて昼間を暖かくするあの青さがもう見えている。
僕は古い時代の恋愛を思う。
葡萄や麦や干し草や玉蜀黍とうもろこしに豊かな美しい土地の
荘園に住んでいたあの人々の恋愛のことを。
碧い孔雀が緑の芝生をあるいていた。
そして緑いろになってゆく大空の目ざめの中で
緑の葉むらが緑の窓硝子に映っていた。
ひろびろとしたほのぐらい厩では、鎖くさりの音が
触れ合って鳴るコップのように響いていた。

僕は思うのだ、領地の古い邸のことを、
夏の朝、狩に出てゆく人々のことを、
腹這って待伏せをする犬たちの長く引く吠え声を……

蠟を引いた大きな階段には手摺てすりがあった。
門は高かった。そこでは若い夫妻が
祖父たちの出てゆく物音を聞きながら、
笑い、抱き合い、愛らしい唇を押しつけ合った、
銀の巣箱のなかで兎どもが
身をふるわせている間じゅう。
そんな時代がどんなに美しかったことだろう、
帝政アンピール風の家具が銅の把手とってや仮漆ニスの光沢で
ぴかぴかしていたあの時代……
それは魅力に富み、ひどく醜く、
しかもちゃんと方式に叶っていたのだ、
ナポレオン一世の帽子のように。

僕はまた娘たちが高い柵の近くで
羽根つきをして遊んでいた夕暮のことも思うのだ。
彼女らのズロースは行儀のいい着物からはみ出して
足のところまでずり落ちていた。
エルミニー、コラジー、クレマンス、セラニール、
アメナイド、アテナイス、ジュリー、ズュルミール、
彼女らの大きな麦藁帽子には長いリボンがついていた。
とつぜん一羽の碧い孔雀が腰掛の上へとまった。
一つのラケッ卜が最後の羽根をついたが、
羽根は葉むらの中に眠っている夜の底へ消えていった。

そうしてそのあいだ人々は雷の音を聞いたのだった。

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 きょうはきょうはヴィルジニーの

           一八九四年七月八日、日曜日。
           聖ヴィルジニー祭。

きょうはヴィルジニーのお祭の日だ……
お前はモスリンの着物の下で裸だった。
お前はモザンビークの味のする大きなくだものを食べた。
塩辛い海はへこんだ灰いろの蟹共をかくしていた。

お前の皮膚は椰子の実の皮をおもわせた。
商人たちは空気の色をした腰巻と
明るい黄色い碁盤縞のカーチフとをお前のところへ持って来た。
ラブールドネエが提督の書類ヘサインをした。

お前は死んだ。しかもお前は生きている、おお私のいとしい友、
あの年とったステッキの彫刻師ベルナルダンの女友だちよ。
お前は死んで行った、白い着物に包まれて。
清らかな首にメダルを懸けて、「死苦の瀬戸パス・ド・ラゴニー」で。

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 青い雨傘を手に

青い雨傘を手に、よごれた牝牛達を引きつれて、
乾酪フロマージュのにおいのする着物を着て、
ひいらぎだか槲かしだか山査子さんざしだかの杖に縋りながら、
お前は丘の上の空のほうへ登って行く。
こわい毛をした犬と、出っぱった背中に曇った罐を
背負った驢馬とがお前の後からついて行く。
お前は村々の鍛冶屋の前を通るだろう。
やがてお前の羊たちが白い灌木の茂みのように見える
佳い匂いのする山へお前は着くだろう。
そこでは地を這う靄が峰々を隠している。
そこでは赤はだかの首をした禿鷹が飛び、
夜霧の中に真赤な煙が燃え上がる。
そしてその広がりの上を神の御霊みたまの天翔けるのを
お前は静かに見守ることだろう。

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 私は果樹園へ入って行った

私は果樹園へ入って行きました。
そこには日光を浴びた蝦夷苺えぞいちご
青空の下で蜜蜂のために歌っていました。
私があなたに話している事は
私がまだひどく若かった頃の事です。
山の近くで私は生まれました。山の近くで。
それで今でも私は自分のたましいの中に
雪だの、霜の色をした渓流だの、
大きな崩れた尖峰だのをほんとうに感じるのです。
そこには猛禽が棲んでいて、目まいのするような空中や、
積雪や水を鞭うつ風の中で、悠然と舞っていました。

そうです、私はほんとうに自分が山に似ているのを感じます。
私の悲しみはあの山に生えている竜胆りんどうの色をしています。
私の一族の中には素朴な植物採集家が幾人かいたはずです。
その人達は緑の昆虫のような色をした胴乱どうらんを持って、
恐ろしい暑熱の午後を、氷のような森林のくらやみへと
珍らしい標本を捜しに入って行くのでした。
しかしその人達は、睡気を催させるような涼しい噴水のある
あのすばらしいバグダッドの魔術師たちの
どんな古い宝物ともそれを交換はしませんでした。
私の愛は太陽の歌う四月の午後の
あの虹の優しさを持っています。
それなのになぜこんな生活をしているのでしょう。
山の上で生きるように私は生まれて来たのではないでしょうか。
暮れる一日の平和の中で人が偉大になるあの時刻に、
長い杖を持って、雪のように散らばっている
羊たちの間で生きるように生まれて来だのではないでしょうか。
                           (一八九七年)

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 これらはすべて人間の労働

これらはすべて立派な人間の労働だ――
桶の中へ牛乳をしぼったり、
まっすぐでちくちく刺す麦の穂を集めたり、
涼しいはんのきのそばで牝牛の番をしたり、
森の白樺を伐りたおしたり、
さらさらと流れる小川のふちで柳の枝をたわめたり、
薄ぐらい炉ばたで皮癬ひぜん病みの年寄り猫や
目をつぶっている籠の鶫つぐみや、元気な子供たちに囲まれながら
古い靴を修繕したり、
こおろぎが鋭い声で歌う夜更けに
布を織ったり、何かのずり落ちる音をさせたり、
パンを焼いたり、葡萄酒を造ったり、
畠へ韮にらやキャベツを播いたり、
暖かい卵を集めたりするこれらすべては。

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 私は愛する、そのかみの

私は愛する、そのかみのクララ・デレブーズを、
古い寄宿学校の女学生、
暑い夕ぐれに菩提樹の木蔭へ
その頃の絵入雑誌を読みに行ったあの娘を。

私の愛するのはあの娘だけ。私は自分の心臓の上に

彼女の白い咽喉の青やかな光を感じる。
彼女はどこにいるのだろう。あの幸福はどこへ行ったのだろう。
彼女の明るい部屋の中には木の枝が伸びて入っていた。

事によったら彼女はまだ死にはしなかったのかも知れない。
――それとも私達二人はとうに死んでいるのだろうか。
遠い昔の夏の終りのつめたい風に
広い中庭には枯れた木の葉が散りしいていた。

お前は思い出すだろうか、貝殼のそばの
大きな花瓶に插してあったあの孔雀の羽根を……
難船の話も聞いたっけ。
人はテール・ヌーヴを「礁ル・パン」と呼んでいたっけ。

おいで、おいで、いとしいクララ・デレブーズ。
もしもお前がまだ生きているのなら私達は愛し合おう。
古い庭には古いチューリップが咲いている。
おいで、素裸になって、おおクララ・デレブーズ。

  訳者註。テール・ヌーヴは北米大陸の北東部に位置する現在のニュー・ファウンドランドで、
  鱈の豊漁揚がある。「礁」は海底の高まった所で、そこにはよく魚類が集合する。

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 昔の海軍

昔の海軍。金星の経過を観測したり、
蒸し暑い夜毎を天井の低い部屋で
開拓者の娘に着物をぬがせたり、
金筋つけた陰欝な海軍中尉よ。

それは憔悴だった。それは泥沼のふちで死ぬ
白い花の生ま暖かさだった。
月下香のような頸に黒い頸飾りをした恋人は
感覚のにぶい夢見るような女だった。

女は烈しく身を任せた。そして君達の逢曳は
船底のちいさな一室で行われた。
そこには君の海図とコンパスと
君の小さい妹達の銀版写真とがあった。

君の蔵書は天文要覧、海事案内、
それに植物図鑑だった。
そういう本を君は海員の帽子を店のしるしにした
首都の或る本屋で買ったのだ。

君達の接吻はサルサパリラの根のはびこっている
大きな河の流れの音とまじり合った。
そのサルサ根こんはあの太陽の国で黴毒におかされる
すべての人間への救いの水となる物だった。

君達はぼんやり光る星かげに
平和な海の物倦いおののきを求めた。
そして君は壮麗な天空に
神秘な黒い蝕しょくを捜さなかった。

しかし遠くを見つめる君の眼には、年若い海軍中尉よ、
或る不安が空気中の虫のようにさまよっていた。
だがそれは海の危険への怖れでもなく、
又束縛された船乗りの齒がみをするような思い出でもなかった。

いや違う。その古い海上生活での或る時の決闘が
永遠に君の心をむしばんでいたのだ。
君は最も親しい心の友を手にかけた。
君はその胸に彼の血潮に染まったハンカチを持っていた。

そしてその蒸し暑い夜に君の苦悶は鎮まらなかった、
恋に疲れて思いみだれた植民地の娘が
愛慾と惑溺とに打ちのめされたそのからだを

優しくみだらに君のからだへ捲きつかせても。

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 もしもお前が

もしもお前が私の心の底にある
すべての悲しみを知る事ができたなら、
お前はそれを、疲れ果て、落ちくぼみ、
苦しみぬいて青白い顔をした
病い重たい一人の哀れな母親の涙にくらべるだろう、
もうじき死ぬる我が身を感じながら、
いちばん末の子のために、その子供にやるために、
一つのおもちゃ、ぴかぴか光っているおもちゃ、
十三銭スーで買ったおもちゃを、
撫でまわし、撫でまわし、撫でまわしている
一人の哀れな母親の涙に……
                     (一八九七年)

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 日曜日には

日曜日には森の中で晩拝式がある。
人々は椈ぶなの木の下で踊るだろうか。
私は知らない……私が何を知っていよう。
窓から一枚の葉が落ちる……
私の知っているのはそれだけだ。

教会。人々の歌。一羽の牝鶏。
百姓の女が歌った。お祭だ。
青空を風が流れる。
人々は椈の木の下で踊るだろうか。
私は知らない。私は知らない。

私の心は悲しくて優しい。
人々は椈の木の下で踊るだろうか。
だが日曜日に森で晩拝式のある事をお前はよく知っている。

こんな事を思う人間、これを詩人というのだろうか。
私は知らない。私が何を知っていよう。
私は生きているのか。私は夢を見ているのか。
ああ、この太陽と、この善良な優しい悲しげな犬……
それから「お前さんは上手に歌うね」と
私が言ってやったあの小さい百姓娘……

彼女は椈の木の下で踊るだろうか。
鶚はなりたい、私はなりたい、
樹木がその実を落とすように、
目分自身の悲しみを、
晩拝式の日の森のような悲しみを
おもむろに落とす人間に私はなりたい。
                    (一八九七年六月)

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 僕は素焼のパイプを

僕は素焼のパイプをふかしていた。
そして眉間みけんに横縞のある鼻垂らしの牛どもが
つの越しに臀を突つく百姓達に抵抗するのや、
穏和な群であるかよわい脚の牝羊たちが
列を作って歩いて行くのを眺めていた。
善良な犬は怒ったようなふうをして見せた。
その犬に羊飼が叫んだ、「ルウ! 来い。ルウ! こっちへ来い!」
すると犬は嬉しそうに主人のところへ飛んで行って、
道化た身ぶりでその杖に噛みつくのだった、
なま暖かい雨もよいの空の静けさの下で。

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 古い村は 
       
アンドレ・ジイドに

古い村は薔薇の花でいっぱいだった。
僕はひどい暑さの中を歩いて行った。
そうして木の葉のしんと静まっている
ひどく冷や冷やした古い路へ入って行った。

それから僕は長いこわれた垣に沿って行った。
そこは或る庭園で、大きな樹々が立っていた。
そしてその大木や白い薔薇の花越しに
僕は過去のにおいを嗅いだ。

そこにはもう人が住んではいないらしかった……
この広い庭の中で、たぶん、誰かが本を読んだことだろう……
そうして今、まるで一雨ひとあめあったように、
黒檀の樹が強烈な日光にきらめいている。

ああ! 昔の子供達は、きっと、
こんなに影の多いこの庭で遊んだのだ……
人は激しい毒の実の生る真赤な植物を
遠い国から持って来たのだ。

そうして親達は子供らにその植物を教えながら、
こう言ってきかせた事だろう、これは食べられない……
これは毒だ……印度インドから来たものだ……
そうしてあちらにあるのはベラドンナだと。

そうして彼らはなおも言ったであろう、この樹はお前達の
年をとった伯父様が住んでおられた日本から来たものだ……
伯父様は爪ぐらいの大きさしかない葉のついたこの樹の
まだほんとに小さいのを持って来られたのだと。

彼らはなおも言ったであろう、私達は覚えているよ、
伯父様が印度の旅から帰って来られた日のことを。
あのかたはマントを着、武具をつけて、
村の向うのほうから馬で帰って来られたのだと。

それは夏の或る夕暮のことだった。
娘達は白い薔薇にまじって黒い胡桃くるみ
大きな樹々の立っている庭へ駈け出して行った。
そうして暗い並木の下では笑い声がしていた。

子供達は叫びながら走って行った。伯父様だ!
彼は大きな馬からおりた、
大きな帽子をかぶり、大きなマントを着て……
彼の母親は泣いていた。おお私の息子や……神様はお恵みぶかい……

彼は答えた、われわれは大時化おおしけに遭いました……
船にはもう少しで淡水まみずが無くなるところでした。
そうして老いたる母は息子の顔に接吻しながらこう言った、
息子や、お前は死んでおくれではなかったのだね……と。

しかし今何処にその家族は居るであろう。
ほんとうにそんな家族が居たのだろうか。ほんとうに。
此処ではただ奇怪な樹木が毒々しく
その葉むらを光らせているだけだ……

そうしてすベての物がひどい暑さの中で睡っている……
黒い胡桃の樹は大きな涼しさに満たされている……
そこにはもう住んでいる人もない……
黒檀の樹が強烈な日光にきらめいている。

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 美しい日を浴びて

音のするような美しい日を浴びて、貧しい女達が二三人、
私の魂のように貧しい一軒の家の戸口で何か択り出していた。
二輪馬車の音がきこえた。
栗いろの丘の上には、虹色の牡蠣かきの殼のような、
真珠母色をした大空が拡がっていた。
路は深い眠りのように穏やかに、うねうねと登っていた。
そして暑い牝鶏たちは翼の下から光る蘆のような脚を見せて
塵ほこりの中で波立っていた。
……もう一人別の女は子供の虱を取ってやっていた。
牡鶏が嗚いた。鵲かささぎが飛んだ。何もかも静かだった。
人は咳をしたり喧嘩をしたりする哀れな牝牛のところヘ
トゥベルクリンの注射をしてやりに行った。
常春藤きづたのそばの垣根の柱は、優しい手をした恋人よ、
お前の口そっくりの薔薇色だった……

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 哀れな犬は

哀れな犬はこわがっている。
彼は雪の中を進んでは立ちどまる。
子供達が彼に叫ぶ、「行っちまえ――!」と。
空は銀色をして、かげって、灰色に見える。
森閑とした、つんぼの、寒い往来には人の足音もきこえない。
牛乳配りの女が一人通って、転ぶまいとして身を顫わす。
そして私の青い灰色の部屋の中では煖炉の薪が、
水を出し、ころがり、指先に強く匂ってしゅうしゅういっている。
                          (一八九五年)

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 谷

アルメリアの谷。アルメリアの谷は、
銀いろの水と、明るい青い山々と、赤いつやつやした柘榴ざくろ
晴れやかな花に埋まった早瀬の流れる、
月下香のような谷にちがいない。

アルメリアの谷。アルメリアの谷は、
梅花うつぎや、まどろむ庭や、
ベラドンナでいっぱいの
恋物語のお城のある谷にちがいない。

アルメリアの谷。アルメリアの谷は、
レモンの花で飾られたギターのようだ。
監督女の見張りが行き届かないために、騎士たちは
暗い木蔭できれいな娘らを孕ませた。

アルメリアの谷。アルメリアの谷は、
すべての谷の静けさのように明るい夢だ。
娘らは修道院の寮へひきさがった。
それを一人の騾馬らば曳きが両腕で抱いて下ろしてやった。
                        (一八九五年)

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 あすこに悲しく灰色をした

あすこに悲しく灰色をした、ちょうど私の心のような、古い館やかたが立っている。
そこの荒れ果てた中庭へ雨が降ると、
花びらを散らしたり腐らせたりするその重たい雫しずくの下で
罌粟けしの花がうなだれるのだ。

昔はあの柵も、きっと明け放たれていたことだろう。
そうして家の中では、緑の枠のある衝立ついたてのそばで、
腰の曲がった老人達が暖まっていたことだろう、
四季の風物を色で描いた衝立のそばで。

ペルシヴァル家やドゥモングィル家の名が呼び上げられる。
その人達はめいめいの馬車で町から来たのだ。
そうして急に賑やかになった客間では
老人達が鄭重な挨拶を交わしたであろう。

それから子供達はかくれんぼをして遊ぶか、
卵探しをしに出て行く。それから寒い室内へ帰って来て、
白い眼をした幾枚かの大きな肖像画や
煖爐棚の上の奇怪な貝殻を眺めたであろう。

そうしてその間、親類の年寄りたちは油絵に描かれた
一人の孫の肖像を見て語り合ったことだろう。
この子は腸チフスで死んだのだ、中学生の時に。
なんと制服がよく似合っていることか! などと。

まだ生きている母親は思い出したであろう、
もうすぐ休暇だという間際に死んだこの可愛い息子のことを。
それは茂った青葉が酷暑の中で
涼しい流れのふちに揺れている頃だった。

可哀そうな子! と彼女は言ったであろう。
彼は母親が大好きで、いつでも心配をかけないようにしていたのだ。
そうして彼女は思い出しては又泣いたであろう、
十六歳で死んだ無邪気で心の優しいその愛児を。

今はその母親も此の世には居ない。悲しい事だ。
ほんとうにそれは悲しい。ちょうどこの雨の日の私の心のように、
また花びらを散らしたり腐らせたりする重たい雨の雫の下で
薄赤い嬰粟けしの花のうなだれているあの柵のように。

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 彼女は寄宿学校へ行っている

彼女はサクレ・クールの寄宿学校へ行っている。
色の白いきれいな娘だ。
花の季節の休暇になると、
森の木蔭をちいさい馬車で帰って来る。

娘は静かに丘を降りて来る。その馬車は小さくて古い。
彼女は大して金持ではない。
そうして六十年も前の、陽気で善良で正直な
古い家柄の者の事を僕に思いおこさせる。

彼女はその頃の生徒たちの事を思い出させる。
彼らはみんなロココ凰の名を持っていたものだ、
表題が金文字で、卵がたの飾りがあって、緑や赤やオリーヴ色をした、
褒賞授与式の時にもらう本のような名を。

クララ・デレブーズ、エレオノール・デルヴァル、
ヴィクトワール・デートルモン、ロール・ド・ラ・ヴァレー、
リア・フォーシュルーズ、プランジュ・ド・ペルシヴァル、
ローズ・ド・リメルイユ、シルヴィー・ラブウレー。

そうして僕は、その頃はまだ収入のあった彼らの領地で
休暇を過ごしたこの女学生たちの事を思うのだ。
金いろの垣をめぐらした涼しく暗い庭の中の孔雀の前で、
未熟な林檎や渋いはしばみの実をたべる彼女らを。

そういう家では食卓が開放されていて、
人々はたくさんの皿から食い、そして談笑したものだ。
窓からは緑の芝生や硝子の輝くのが見えたことだろう、
太陽のしずむ時。

そうしてやがて一人の美青年がその女学生をめとったであろう。
それは白と薔薇色との膚をした美貌の娘で、
寝床で彼が腰へ接吻すると笑うのだった。
そうして二人はたくさんの子を作ったであろう。その方法を知っていたから。

                           (一八八九年)

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 私は牧場にいる 
              シャルル・ラコストに

  1

私は牧場にいる。ここでは冷めたい水が草の中を、
桜桃の並木に沿って、燈心草や小石を洗いながら流れている。
今に優しい季節が来たらこの緑の牧場の花で
娘たちは行列のための花束を作るだろう。
それはお極まりの花束と呼ばれている薔薇色の燈心草だ。
若い娘たちは白い衣裳を着るだろう。
そして午後になると行列が祭壇をうずめるだろう。
そして司祭がいろいろな、いろいろな、美しいお説教をするだろう。

  2

彼は金色の聖体を捧げるだろう。
そして人々の眼には涙が浮かぶだろう。彼らは唱えるだろう。
「おお栄光よ、栄光よ。神にあれ。神の御名こそ神聖なれ、
彼こそは万能の主にして、また勝利の神なればなり」
香炉がくゆり、花の香が空気にまじるだろう。
娘らは金切り声で歌うだろう。
そして四時頃になって。午後がまだ明るい時、
行列は町へ帰って行くだろう。

  3

木苺きいちごが道ばたにしだれている。
風がポプラーの透明な葉の間を吹きぬける。
黄いろい共同洗濯場には洗濯をする女達が集まって、
ときどき下着の類を畳んでそばへ置く。
家鴨あひるや黄いろい雛たちがぬかるみの中にいる。
きりぎりすが生垣で歌っている。
蚊のむれが輪になって踊りながら水の上を飛んでいる。
そして蜂が飛び、ちいさい子たちが遊んでいる。

  4

空は青い。水ぎわの草も青い。
石灰で塗られた家々は日光を浴びてますます白い。
百姓が大股に牛たちのあとを追って、
土を削る馬鍬まぐわのうしろに身をかがめて行く。
風は緑の麦をきわめて穏やかに吹いている。
だが私は退屈しながらこれら一切の前を通りすぎる。
そして菜園の前のとげとげな針えにしだや、
犬の吠えている小ざっぱりした農家の前を過ぎ、
赤つめくさや薔薇色のクローヴァを踏んで歩いてゆく。

  5

退屈ではあっても、もしも又病気をしたらば、
古い菜園で百姓の仕事を眺めたり、
黄金虫を振り落とそうとリラの木を揺すったり、
強い匂いのする台所や涼しい水場の瓶かめから水を飲んだり、
優しくて物悲しい雰囲気の中に一人で居たり、
それからあまり早足でなく単身散歩をするために、
私は、私は、もう一度あすこへ帰って行きたい。

  6

雲が白い。灰いろの地面が生暖かい。
農家の前の涼しい水場は外がわに汗をかいている。
古い石造りのその水場は、何もかもが熱くて
すべての物がまどろむ真昼でさえも、冷めたいのだが。
塀の煉瓦の上をとかげ共が走っている。
彼らの爪はその煉瓦のかけらさえ剥がすことができるのだ。
暑い。暑い。暑い。ほんとうに暑い。
草むらの棘とげが向むこう脛ずねを引掻く。

  7

地而は罅ひびわれている。
私達は墓の十字架から苔を採集していた。
苔は黄いろく乾いているので私はそれを掻き取った。
黄いろい水溜りに木の葉が散って、
水の底にお玉じゃくしがいる。
草原ではしおらしい花がかすかに動いている。
かささぎが何羽も鳴きながら円い槲かしの樹へ集まって来るが、
人が近づくとたちまち飛び去る。
七時頃になると空の奥のほうが一面に真赤だ。

  8

広場の空には暑い白い太陽がある。
広場でかんかん金鎚の音がする。
黒い赤い鍛冶屋からきこえて来る鎚の音だ。又叩いた。
ひよこが麦藁の中で粒をあさっている。
ベンチのそばの敷石道には草が伸びている。
その道で話をしている女達や、往来の人を眺めながら
立ちどまっておしゃべりをしている女達がある。
牡鶏どものとさかが血のようだ。

  9

雨上りの塀に薔薇の花が咲いている。
薔薇は生垣にも咲いて、葉はしっとりと柔かい。
けさは灰いろの霧が懸かって、
遠くは遠くほど厚く見える。
霹は丘の高みの黒い松の葉の上におりている。
すこし冷えるが、寒いという程ではない。
薔薇の花でいっぱいの濡れた塀のそばを
たった今牛乳配りの女達が通って行った。

 10

路ばたに皮をはがれたポプラーの樹が一本、
その白い膚が雨に濡れていくらか黄ばんで見える。
撫でてみたら指先がつめたかった。
畠の木戸を支えている濡れた柳がざわざわ鳴る。
刈場の草は倒れ伏し、
生垣の乾いた木々に雨滴でいっぱいの黒い枝が見える。
かささぎが一羽路ばたに下りている。
雨は屋根や荷車の麦藁からも流れて落ちる。

  11

天気は灰いろだが。雲は無い。
灰いろの湿めった寒い空で燕が鳴いている。
彼らの翼が黒い十字形をつくり、
彼らの鳴く声が屋根の上で鋭く長い。
その屋根の赤い煉瓦から静かに煙が上がっている。
屋根裏の内部は暗くて深く、
奥のほうにある物ははっきりとは見えない。
またぽつぽつと大粒の雨が降って来た。
                        (一八八九年)

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 人は言う、クリスマスには
                      M・R嬢に

人は言う、クリスマスには、真夜中になると、
家畜小屋の敬虔な片隅で、驢馬ろばや牛たちが話をすると。
私はそれを信じる。なぜ信じてはいけないのか。その時夜は霰を降らし、
星々は祭壇になり、薔薇の花になるのだ。

驢馬や牛は一年じゅうその秘密を持ちつづけている。
それは誰も疑うまい。だが私は知っている、
彼らがその謙虚な額の下に或る大きな神秘を隠している事を。
彼らの眼と私の眼とはりっぱに話し合う事ができるのだ。

彼らはつやつや光る広い牧場の友達だ。
そこでは空色の花のほそい亜麻が、
白い着物を着ているので毎日が日曜日のような
あのマーガレットのそばで、顫えている。

彼らは大きな頭をしたこおろぎの友達だ。
こおろぎは一種の小さいミサを歌うが、
そのミサではたんぽぽが鐘になり、
クローヴアの花がみごとな蠟燭になるのだ。

驢馬や牛は心がひどく素直なので、
こんな事はいっさい口にしない。
すべての真理は語るに適せず、
又それどころではないという事を知っている。

だが夏になって、ちくちく刺す蜂たちが
太陽のこまかいかけらのように飛ぶ時が来ると、
私は小さい驢馬が可哀そうになり、
荒い布で造った小さいズボンを穿かせてやりたいと思うのだ。

そして又善い神様と話のできる牛のためには、
角のあいだにすがすがしい羊歯しだの束をあてがって、
熱を病ませる恐ろしい暑さから
あの哀れな痛々しい頭を護ってやりたいと思うのだ。

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 平和は森の中にある

平和は静かな森の中にある。
流れる水を切る剣のような形の葉の上には
澄んだ青空がまどろむように映っている。
その青空はまた金いろの苔のさきにも宿っている。

私は黒い槲かしの根がたにすわって
物思いを振り落とした。
一羽の鶇つぐみが木の上にとまる。ただそれだけだった。
そしてこの沈黙の中で生は壮麗で、優しく、厳粛だった。

私の牝犬と牡犬とが飛んでいる一匹の蠅をねらって
それをつかみ取ろうとしている間、
私は自分の悩みをほとんど忘れて、
あきらめが悲しく魂をしずめるのに任せていた。

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 この農家の息子は

この農家の息子は大学入学資格者パシユリエだった。
私たちは常春藤きづたの路を彼の葬列について行った。

日曜日が来ると彼は小さい町を後に、
家族との食事をしに家へ帰って来た。
「午後にはそこでヴィルジールを読むのです」と彼は私に言った。

この言葉を思い出すと私の胸がつまって裂けるようだ。
――そして青空の中に死の匂いのようなものを感じるのだ。

……そうだとも、友よ。君はヴィルジールを読んだのだ。
あの悲しげな敬虔な学校で君はラテン語を習ったのだから。

土を握る君のお父さんと、麻を握る君のお母さんとは、
善良な生徒である君が描いた画を
君の小さい部屋で見ることを喜んだ。

そして晴れた日も雪の日も、
また青い茎の麦が身をかたむける季節にも、
その息子の事を考えるとほんとうに楽しかった。

めんどうな言葉が君の魂をきずつける事もなかった。
神様の膝もとで煙突が煙を上げている村、
牛達が立ちどまったり首をかしげたりしている村、
君はそういう村の淳朴さそのものだった。

ヴィルジールか。それは私にとっては、友よ、すなわち君にほかならない。
はしばみの木のフリュートが夜の雨のように歌っていた
あんなにも物悲しい或る日曜日の目の暮れがたに……
蜂の巣、小羊、伊吹麝香草、
人が其処へうやうやしく黄楊つげの小枝を投げた墓。それだ。
                           (一八九七年)

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 水が流れる

雨の後では泥の中や森の中を水が流れる。
今はもう牧場も水びたしだ。
つぐみは竹薮のしめった処に住んでいる。
籠を編む時につかう黄いろい竹だ。
私は日が当って透明に見える苔や錆の
びっしり着いている鉄管からうまい清水を飲んだ。
昔だったらその苔のそばでお前を愛したろうと思うのだ。
だってお前は可愛い顔をしていたから。
だが今ではパイプをふかしながら私はほほえむ。
私の夢は急いで飛び去る鵲かささぎのようなものだった。
私はつくづくと考えた。そしてパリで才能のある連中の書いている
小説や詩というのを読んでみた。
ああ! 彼らは枯葉色の山鴫やましぎが水浴びに来る
こんな静かな泉のそばに住んではいないのだ。
彼らは人が住まなくなって荒れている森の家の
この小さな戸口を私と一緒に見に来るといいのだ。
そうしたら私は鶇や、優しい百姓や、銀いろの鴫しぎや、
つやつや光った柊ひいらぎの木などを彼らに見せてやるだろう。
すると彼らはパイプをくゆらしながらほほえむだろう。
そして彼らがなおまだ何か悩んでいるとしても。
(なぜかと言えば人間は誰しも悲しみを持っているのだから、)
そこらの畠から飛び立つ隼はやぶさ
鋭い声を聴いてずっと心が安らぐだろう。
                         (一八九四年)

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 百姓が、夕がた

百姓が、夕がた、市場から帰って来る。
そして彼の牝羊達がみんな彼と一緒に村道をやって来る。
中には歩くのをいやがる小牛共もいる。
それで無理にも歩かせようとすれば、
百姓は綱で彼らの首を引張らなければならない。
だが白い鼻面に洟はなをたらした小牛共はその綱を噛む。
牝羊達もときどき足を速めて駈け出すことがある。
すると百姓の木彫り細工のような黄いろい犬が
彼らを追ってうしろから吠える。
そんな時には道に砂ほこりが舞い上がる。
道がおわると生垣がある。そして生垣と牧場がおわると
野が現れ、其処から瀑流ガーヴの音がきこえてくる。
遠くのほうに丘が見えて、その上に
緑と黄と栗色の大きな市松模様の畠が載っている。
その丘のつきるところ、上のほう、ずっと遠くに山々が見え、
そして山々のむこうには果ての知れない空気がある。
                         (一八八八年)

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 牧場には

水のほとりの牧場には草が厚く茂っている。
重たい雨がずぶ濡れの麦を押したおした。
うすい灰色をした柳のほかは、
土手に生えているどの木の葉も目がさめるように青い。
干し草の山が蜂の巣のように立っている。
すべての丘陵は穏やかで、まるで愛撫をうけたように見える。
友なる詩人よ、すべては吾々から心の喜びを取り上げる
あの苦痛無しに優しいものとなるだろう。
私は苦痛から逃れようと試みるのは無駄だと思う。
なぜかといえば蜂はけっして野原を去りはしないから。
それならば「生」をしてその流れるに任せ、
黒い牝牛共をして飲水のみみずのある場所の近くで草を食うに任せるがいい。
彼らおもむろに悩んでいるすべての人々、
全然才能を持たない人達は別にして、吾々と同じ人々、
真に才能を持っているすべての人々に同情をおくろう。
これは単なる差別のようだが、実は重大な事柄だ。
親切な慰めというものは古い急流の水ぎわの
若い苺いちごの実のように魅力に富んだ愛なのだ。

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 お前は裸になるだろう

古い家具のある客間でお前は裸になるだろう、
光った蘆の糸捲棒のようにほっそりと。
そうして足をくみあわせて、薄赤い火のそばで、
お前は冬に耳を傾けるだろう。

お前の足もとで、私はお前の膝を抱くだろう。
お前は柳の枝よりも風情を見せてほほえむだろう。
そうして私は髪の毛をお前の優しい腰に置きながら、
そんなにも優しいお前に泣くだろう。

私達の誇らしい眼はお互いのために優しくなるだろう。
そうして私がお前の咽喉に接吻すると
お前は私にほほえみかけながら私の眼に接吻して、
そのなよやかな首筋を曲げたままでいるだろう。

やがて病身の忠実な年寄りの女中が戸を叩いて。
「お食事の用意ができました」と知らせに来るだろう。
そうするとお前は顔を赤らめて飛び上がり、
そのかよわい手で灰いろの着物を取り上げるだろう。

そうして風が戸の隙間から流れこんでいるあいだ、
古くなった柱時計が変な音で鳴っているあいだに、
お前は象牙のにおいのするお前の足を
その小さい黒い靴の中へすべりこませるだろう。

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 樹脂が流れる

  1

桜桃おうとうの樹から金色の涙のように樹脂が流れている。
おお、私のいとしい人よ、今日の暑さは熱帯のようだ。
では、古い薔薇の茂みで蟬がするどく鳴いている
この花壇の中で眠るがいい。

私達がおしゃべりをした客間で、きのうお前はとりすましていた……
しかし今日は私達二人きりだ、――ローズ・ベンガールよ!
お前の着物の金巾かなぎんの中でほんとうに静かに眠るがいい。
私の接吻の下で眠るがいい。

あまり暑いので聞こえるのは蜜蜂の羽音ばかり……
ではお眠り、やさしい心の小さい蠅よ!
だが、あの別の物音は?……あれは魚狗かわせみが寝床にしている
 
はしばみの植込みの下を流れる小川の音だ……
ではお眠り……私にはもうわからない、あの響きがお前の笑い声か、
それとも水に照らされた小石の上を流れる小川のさざめきか……

  2

お前の夢は優しい。夢がお前の唇を、かすかに、かすかに、
――まるで接吻でもしているように――そんなにも優しい……
ねえ、お前はすいかずらのような伊吹麝香草のからまった岩の上へ
白い牝山羊たちが登りに行く夢でも見ているのか。

ねえ、お前は苔の上を甘えた調子で、ちろちろと、
森の奥の澄んだ清水が流れる夢でも見ているのか。
――それとも薔薇色と青との一羽の鳥が「乙女座」の網を破って、
「兎座」の兎共を遠くへ逃がす夢でも見ているのか。

お前は夢を見ているのか、月が紫陽花あじさいである夢を……
――それとも井戸の水にアカシアの花が
没薬もつやくの香のする雪のように散っているところでも。

――でなければ、お前の唇が釣瓶つるべの底によく映るので、
私がそれを古い薔薇の技から銀いろの水へ
風が落とした一輪の花だと思ってでもいる夢を。

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 おお! この匂い

おお! 水と青空とにひたされた草原くさはら
あの幼年時代をおもわせるこの匂い、
暗い村々から来た行列の足もとへ敬虔に
花のように撒かれた燈心草の匂い、
歌ごえの抑揚がいつまでも消えず、そして私の魂が
あまりに愛することを恐れたあの焼けつくような夕暮に
踏みしだかれていた羊歯しだの匂い、
古い祈禱書の中で見たことのある
あの焔のかたちをした百合の匂い、
花ぞのの中の日曜日のたそがれの匂い、
揃って神様の御前みまえへ進む清らかな香炉の匂い、
夜明けの時をふるえている薔薇の匂い……

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 箕から立つ埃

から立つ埃ほこりが日光に歌ったり飛び散ったりしている。
お前の肩と髪の毛を私の肩と髪の毛の上に置くがいい。
空気は水のようだ。
この寒い朝、牛達はぬかるみの路を通って行く。
緑の丘で鐘の音が日曜日を告げて鳴っている。
お前はたった今起きたところだ。お前は真白だ。
沈黙は大きくて、空中や丘の上を
上ったり下ったりしている線のように優しい。
健康だということが感じられる。
そして私は自分の青い心の中で祈るのだ。
なぜならば神は空におわすから。

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 お前は来るだろう

ひび割れた路ばたで日を浴びているヒースの原を
蜜蜂が訪れる頃になるとお前は来るだろう。

柘榴ざくろや赤爪草あかつめくさのように赤い口をして
お前は笑いながら来るだろう。

「ずっと前からあなたを愛していました」とお前は彼に言うだろう。
だが笑いながら、接吻は拒むだろう。

しかしそれを許そうという気になった時、その時、お前は
彼の死んでいるのを冷汗を流し、身を震わせながら見るだろう。

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 正午の村
         エルネスト・カイユバールに

正午の村。牛たちの角のあいだで
金いろの蠅がぶんぶん唸っている。
もしも君が望むなら、望むなら、
僕達は単調な田舎のほうへ歩いて行こう。

牡鶏が鳴く……鐘が鳴る……孔雀が叫ぶ……
遙かむこうで驢馬がいななく……
黒い燕が掠めるように飛ぶ。
遠くにはポプラーがリボンのように続いている。

苔で腐った車井戸を見たまえ!
滑車がきしる。又きしる。
金髪の娘が銀色の水を雨のようにこぼしながら
まっくろな古い桶を引き上げているからだ。

小娘は金いろの頭へ小桶を載せて、
それを傾かせながら歩いてゆく。
彼女の頭は蜜蜂の巣のように輝き。
それが桃の花の下で日光とまじり合う。

そうして此の大きな村では、黒ずんだ屋根屋根が
青空の中へ青い煙の房を投げている。
そうして地平線でちらちらする怠惰な樹々は
わずかに、わずかに、揺れている。

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 あなたは書いた

あなたは書いてよこした。
 ゴヤーヴの森で山鳩の猟をしていると。
あなたの主治医は言ってよこした。
 あなたの死の少し前に、あなたの病いの篤いことを。

医師は言った、彼はカライーヴで領地の森に住んでいますと
 そのあなたは私の父の父親だ。
あなたの古い手紙は私の引出しの中にある。
 あなたの一生は苦闘の一生だった。

あなたは医学博士としてオルテズを去った。
 あの土地へ行って一身代ひとしんだいおこそうと。
あなたの手紙は或る船乗りの手で届けられた、
 船長フォラーの手で。

あなたは地震のためにおちぶれた、
 人々が大桶に溜まった雨水あまみず
どろどろした不衛生な苦がいのを飲むその国で……
 あなたはそういう事をみんな書いてよこした。

あなたは薬局を買いこんだ。そして書いた、
 「首都にもこんなのは一軒も無い」と。
そしてあなたは言った、
 「おれは本当の植民地者ものになってしまった」と。

私は思う、今あなたはその土地に、ゴヤーヴの地に埋まっているのだと。
 そして私はあなたが生まれた土地で今これを書いている。
あなたの古い手紙は悲しくて厳粛だ。
 それは私の鍵の懸かる箪笥の中にしまってある。
                       (一八八九年)

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 私はお前が貧乏なのを

私はお前が貧乏なのを知っている。
お前の着物はつつましい。
かわいい娘よ、私に残っているのは悲しみだけだ。
私はそれをお前に上げよう。

けれどもお前はほかの誰よりも美しい。
お前の口はいい匂いがする――
お前が私の手にさわりでもすると、
私は酔ったような気持になる。

お前は貧しい。
そしてそのためにこそお前は善良だ。
お前は私が接吻と
薔薇の花とを与えるのを喜んでいる。

なぜならばお前は若い娘だから。
そして本だの美しい物語だのは、
あかしでや、薔薇や、桑の実や。
牧場に咲くいろいろな花などが

無くてはならない事をお前に教え、
また詩の中では鹿の角のことなども
歌うものだという事を
お前に信じこませたのだ。

私はお前が貧乏なのを知っている。
お前の着物はつつましい。
かわいい娘こよ、私に残っているのは悲しみだけだ。
私はそれをお前に上げよう。
                    (一八八九年)

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 秋が来た
          ヴィエレ・グリファンに

秋が来た。脂あぶらののった鶉うずらが飛び立つ。
水鶏くいなは雨の近い牧場で、駆けるようにして。
痩せた蝸牛かたつむりをあさっている。
小さい野雁のむれが丘のほうからやって来て、
もうあのしなやかな湿めっぽい飛び方を見せている。
翼の長い鳧けりのむれは、広々とした空中で
その飛翔の列を立て直そうとしたが、
網の糸のようにもつれ合ったまま
塩沼の泥ぶかい蘆原のほうへ飛んで行った。
やがて器械仕掛のおもちゃのような小鴨のむれが
大空を幾何学的に飛びながら横ぎるだろう。
からだの引きしまった鷺さぎはゆっさりと梢にとまり。
それよりも柔かい鴨は半円をえがきながら、
殺される時まであすこでわなわな震えているだろう。
そして喉首に鉤形かぎがたのある鶴は錆びた声で鳴いて行くだろう。
そして一羽は一羽と入れかわりながら
後の者が先になって飛んで行くだろう。
ヴィエレ・グリファンよ、詩人とはこうしたものなのだ。
だが僕らの求める平和は容易には見つからない。
なぜならばバジールは相変らず豚共を屠殺するだろうし、
彼らの恐ろしい金切り声が聞こえるだろうし、
そして僕らは僕らで些細な事を大げさに言うだろうから……

しかし又世の中には薔薇の花のような恋人もいるし、
雨のように優しいその微笑も、
静かにすわっているその体からだもある。
又サラダ畠に横たわって、理解のできない大きな死の近づくのを
悲しげに見つめている病気の犬もある。
こういうものがすべて上下共々ごっちゃになり、
優しい事に痛ましい事がつづいて。
むずかしい顔をした人間が「人生」と称するものを形作っているのだ。

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 思い出しながら

夏になるとドアの把手とつての熱かった
あの緑の花壇のあるお前の家を思い出しながら、
私は独り言を言う、たぶんもう大人になったことだろうが、
お前がぶるぶる顫えるお祖父じいさんと一緒に住んでいた
あの家で二人が初めて会った時には、
お前は五つの少女だったと。

お前は覚えているだろうか、それは二人がまだ子供だった頃の
或る息苦しいような、ぎらぎらと明るい日曜日だったが、
円錐形に刈りこまれた梨の木のそばに薔薇の花壇があり、
その花の上に緑いろの金属のような甲虫がとまっていたのを。
そして後から静かについて行く私に少女のお前が
地面へ下りている一羽の雀のほうへちょこちょこと近づきながら。
「あの鳥をつかまえるよ」と言ったのを。

だが幼年の目の優しさはもう鶇つぐみのように飛び去った。
おお! 二人がまだ小さかったあの頃よ……
私の胸は貧しい人達が暗い火で料理を煮る
あの土鍋どなべのように噴きこぼれる。

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 恋人よ、覚えているか

恋人よ、お前はあの頃の事を覚えているだろうか。
草原くさはらは石だらけで、谷間は光に濡れていて、
山々が修道士たちの造った佳い匂いのする
リキュール酒のような色をしていたあの頃を。
それは夕暮の事だった。私の心は金色や緑の色の
高い峯々を飾っている雪のほうへ拡がって行くかと思われた。
そして少年時代の国を思って私の眼に涙がこみ上げた。
あの遠方の澄んだ冷めたい空気を思い、厚く積もった雪を思い、
山に住む人達や、羊飼や、羊を思い、
山羊を思い、家畜を護る番犬を思い、
胼胝たこのできた手で磨かれた黄楊の木の笛を思い、
足踏みする羊たちの曇った鈴の音を思い、
水門に堰かれた水を思い、物悲しい庭を思い、
心優しい司祭を思い、歌を歌って行進する
新兵たちの後から歌いながらついて行く腕白共を思い、
夏の水を思い、赤い鰭のあった白い魚を思い、
私が寂しいおとなしい子供だった頃の
村の広場のあの噴水を思いながら。

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 私は空を眺めていた

私は空を眺めていた。そして私に見えたのは
 灰いろの空と、
高い処を飛んでいる一羽の鳥だけだった。
 声は一つも聴こえなかった。

鳥は湿めった空中でその行くべき方角に
 とまどっているらしかった。
そして飛ぶ事のかわりに一箇の小石のように
 落ちるのではないかと思われた。

やがて鳥は行ってしまった。――それで今度は下のほうを眺めた。
 私の眼には屋根が映った。
あんな高みであの鳥はどうなったろう。私にはわからない。
 しかし其の時、

あの黒い点を眺めながら私の思っていたのは、
 ただあの黒い点と、
あの黒い点が消えて行った大きな灰いろの空の事だけだった。
 それはきのうの夕暮だった。

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 なぜ牛たちは
            ローラン・ドゥヴィールに

なぜ彼ら牛たちは古い重たい車を挽くのだろう。
あの大きな出っぱった額ひたいを見たり、
苦痛のために落ちくぼんだ眼を見たりしていると哀れになる。
彼らは貧乏な百姓達のためにパンを稼かせいでやっているのだ。

もしも彼らがもう歩けなくなりでもすると、
獣医が来て薬や熱鉄で彼らを焼く。
すると牛たちは又赤い雛げしでいっぱいの野へ行って、
馬鍬まぐわで土を起こしたり掻いたりする。

中には脚を一本折ってしまうのも時々いる。
すると人はそれを屠殺場へ送って殺してしまう、
こおろぎの声に耳を傾けていた哀れな牛、

百姓途の荒々しい声におとなしく従って
気違いのような太陽の下で野を犁いていた牛、
どこへ行くのかも知らないで連れられて行った哀れな牛を。

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 雪が降るだろう

二三日うちには雪が降るだろう。僕は去年の事を思い出す。
僕は炉辺で僕の悲しみを思い出す。
もしもあの時誰かが「どうしたのか」と尋ねたら、僕は答えたことだろう、
「そっとして置いてくれ。なんでもないのだ」と。

僕はさんざん考えた、去年、僕の此の部屋で、
家の外に重たい雪の降っている時。
僕はつまらぬ事を考えていたのだ。そして其の時と同じように、
今また僕は琥珀の吸い口のついた木のパイプをふかしている。

かしの材で作られた僕の古い箪笥は相も変らず佳い匂いだ。
だが僕は馬鹿だったのだ。なぜかと言えばこうした物は
到底変える事はできないし。又自分に手馴れた物を
追い出したいなどというのは一つのポーズに過ぎないのだから。

それならばなぜ僕らは考えたり喋しゃべったりするのだろう。おかしな事だ。
僕らの涙も接吻も喋りはしない。
しかも僕らはそれを理解する。
そして一人の友だちの足音はどんな優しい言葉よりも優しいのだ。

人は名前なんぞ欲しがりもしない星に、お構いなしに名をつけた。
そして闇の空へ現れる美しい箒星は、
その出現を証拠だてる数字のために
何も強いて現れるわけではないのだ。

そして此の今、僕の去年の古い悲しみは何処へ行ったのだろう。
そうだ。やっと思い出した。
もしも誰かが此の部屋へ来て、「どうしたのか」と尋ねたら、
僕は言うだろう、「そっとして置いてくれ。なんでもないのだ」と。

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 驢馬は小さくて
              シャルル・ド・ポルドゥーに

驢馬ろばは小さくて、びっしょりと雨に濡れて、
二輪車を曳いて森から出て来た。
女とその小娘と哀れな駿馬とは
彼らの優しい務めを果たしているのだ。
なぜならば彼らは村でその松毬まつかさを焚き物として売るのだから。
女と小娘とはパンを買って、台所で、
蠟燭のためによけいに暗く見える火のそばで、
今夜それを食べるだろう。
きょうはクリスマスだ。女たちは苔の上に降る
灰いろの雨のように優しい顔をしている。
驢馬は、暗いすがすがしい夜よるに秣桶まぐさおけのそばで
イエスを眺めていたあの驢馬と、同じ驢馬にちがいない。
なぜかと言えば変った物は何一つ無く、
年老いた博士たちをイエスの処へ導いた星が
たとえ今夜は出ていなくても、
青い水のように顫えるあの星が雨を降らしているのだから。
藁葺きの屋根で天使たちが耿を歌った遠い昔も
やっぱりこんなふうに単純だったのだ。
今日娘たちのそばで輝いている大蠟燭と同じように、
あの夜の星も大蠟燭だったに違いないし、
また今日金のない人達と同じように、
イエスもその母もヨゼフもみんな貧乏だったに違いない。
だが何一つ変らないとは言っても、われわれだけは変った。
そして昔青い水のような星の下で愛したように
今ほんとうに善なる神を愛するのは、
こちこちに痩せた顫える脚と
よく動く耳とを持っている優しい優しい驢馬たちと、
あしたの朝焚き物の松毬を売りに行く
やさしい素朴な百姓の女たちだ。

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 其処には水差しがあった

いかめしい様子をした邸の中、
新教宣教師の家の小さい暗い庭の中に、
明るい水を満たした水差しがあった。
それに卓布の上にはひどく大きなコップもあった。
窓には木の葉がそよいでいた。

時は六月。庭のほそい路に、
糸のついた、折れた、蘆のような竹きれが一本
捨ててあった。空は灰いろ、
俗に言う「被われた空シャルジェエ」で、
今にも大粒の水滴が落ちて来そうな天気だった。

明け放たれた黒い悲しげな窓越しに、
つやつやした月桂樹の植込みまでピアノの音が流れて来た。
小さい窓はすべて緑いろだった。
こんな家に住むのはきっと楽しい事に違いなかった、
昔のルソーの本にあるように。
                   (一八八九年)

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 いつになったら

いつになったら僕は先祖のいた島を見る事ができるのだろう。
日が暮れると、戸口の前、広い海を眼の前に、
人は紺青の服を着て葉巻をくゆらしたのだ。
黒人たちのギターが唸り、中庭の大桶には
雨の水がねむっていた。
大洋は網目に織られた花のよう、
もの悲しい夕暮は夏か笛のようだった。
人は黒い葉巻をくゆらした。そしてその赤い尖端は、
偉大な才能の詩人たちが言うとおり、
苔の巣の中の小鳥のように燃えていた。
おお、私の父の父よ、あなたは其処にいたのだ、
未生以前の私の魂の眼の前に。
そして植民地の夜を風に追われて通報艦はすべって行った。
あなたが煙草をふかしながら考えている時、
黒人が悲しげなギターを弾いている時、
まだ生まれなかった私の魂はもう此の世にいたのでしょうか。
それはギターだったのでしょうか。通報艦の帆だったのでしょうか。
それはその宵を大農場の奥にかくれていた
一羽の小鳥の頭の動きだったのでしょうか。
それとも家の中の重たい昆虫の飛翔だったのでしょうか。
                    (一八九五年五月。シュウにて)

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 聴け、庭の中

聴け、山人参やまにんじんのにおいのする庭の中、
桃の木で鷽うそが歌っている。

歌は、その中で空気が顫えながら
ゆあみをする明るい水のようだ。

僕の心は死ぬまで悲しい、
幾人かはすでに死に、一人は気が狂ったとしても。

第一の女は死んだ。第二の女も死んだ。
――そしてもう一人が何処にいるか僕は知らない。

しかしまだ一人いる、
月のように優しい女が……

この午後にはその女に逢いに行くのだ。
僕たちは町を散歩するだろう……

散歩は、金持の別荘があって珍らしい庭のある
あかるい一角になるだろうか。

薔薇も、月桂樹も、柵も、しまった門も、
みんな何かを知っているような様子だ。

ああ! もしも僕が金持だったら、
アマリリアと住むのはあすこだ。

僕は彼女をアマリリアと呼んでいる。ばかな!
いや、ばかな事ではない。僕は詩人だ。

二十八にもなって詩人だという事を
愉快な事だと君は思うか。

僕のがまぐちには火薬を買う金が
十フランと二スーだけ入っている。困ったことだ。

僕はこの点から、アマリリアが僕を愛し、
僕だけを愛しているという結論をくだす。

「メルキュール」も「エルミタージュ」も
僕には稿料を払ってくれない。

アマリリアはほんとうに親切だ。
それに加えて僕よりも悧巧だ。

僕たちの幸福には五十フランが不足している。
すべてを持って、なお且つ心を持つという事は不可能らしい。

もしもロートシルドが「此処へおいで」と言いでもしたら、
彼女はこう言って答えるだろう。

「いやです。私の着物にさわらないでください。
私には別に好いた人があるのですから」……

そして、「なんというのだね、その、その詩人の名は」と
もしもロートシルドが言いでもしたら、

彼女は「フランシス・ジャムですよ」と答えるだろう。
だが、それにしてもなさけないのは

その詩人がそもそもどういう詩人だか、
ロートシルドが知ってはいまいと思われる事だ。

   訳者註。「ロートシルド」は世界的富豪ロスチャイルドのフランス読み。

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『桜草の喪』

 

 哀 歌  第一
              アルベール・サマンに

親しいサマンよ、僕は又しても君に書く。
こういうものを死んだ人に送るのは僕にとっても初めてだ。
あした、これを永遠の村の誰か年老いた召使めしつかい
天国の君のところへ持って行くだろう。
僕が泣かないようにほほえんでくれ。そして言ってくれ、
「私は君が思っているほど病気ではないのだ」と。
もういちど戸をあけるがいい、友よ。敷居をまたいで入って来ながら
僕にたずねるがいい、「なぜ喪服を着ているのか」と。

もういちど来てくれ。君のいる此処はオルテズ、幸福は此処にある。
ではその椅子へ君の帽子を置くがいい。
咽喉が渇いてはいないか。此処に青い井戸水と葡萄酒とがある。
僕の母が二階から降りて来て君に言う、「サマン……」と。
そうして僕の牝犬が君の手の上へ鼻面をのせる。

僕は喋しゃべる。君はまじめに微笑する。
時間は存在しない。そうして君は僕一人に喋らせる。
夕暮が来る。一日の終りを秋のようにする
あの黄いろい光の中を、僕たちは散歩する。
僕たちは流れに沿って行く。しわがれ声の一羽の鳩が
紺碧のポプラーの中で優しく啼いている。
僕は喋る。君は又微笑する。幸福は沈黙する。
これは夏も終りのほのぐらい路だ。
僕らは貧しげな敷石道へ入って行く。
青い煙の流れ出る黒い戸口がならんで、
それを飾るおしろい花のそばに影がひざまずいている。

君の死は何ものをも変えはしない。君の愛した影、
君が生き、君が苦しみ、君が歌ったあの影を
われわれこそ捨てはしたが、君は今でも護っている。
君の光は、美しい夏の夕べにわれわれをひざまずかせる
あの闇から生まれたのだ。そしてその夏の夕べを、今、
過ぎ行きたまう神を感じ、麦を育てたもう神を感じて、
蕎麦葛そばかずらの下から番犬共が鳴いている。

僕は君の死を惜しまない。ほかの人たちは君の額ひたいの皺に、
それと似つかわしい月桂冠を置くだろう。
しかし僕は、君という者をよく知っている僕は、
君を傷つけることを惧れるだろう。
君の竪琴の上に涙をこぼしながら
君の柩ひつぎについて行く十六歳の子供らに、
自由の額ひたいをもって此の世を去る人々の光栄を隠してはならないのだ。

僕は君の死を惜しまない。君の生命は其処にある。
ライラックを揺する風の声が死なないで、幾とせの後、
枯れたと思われた同じライラックの枝の間によみがえるように、
親しいサマンよ、君の歌は
すでに僕らの思想が成熟させた子供らを
静かに揺するために再び帰って来るだろう。

草のとぼしい丘の上で羊たちのために泣く
あの古風な羊飼のように、君の墓のかたわらで。
君に供えるべき物を僕はむなしく探すだろう。
だが塩ならば谷間の仔羊どもに食べられてしまうだろうし、
酒ならば君の剽竊者たちに飲まれてしまうだろう。

僕は君を思う。この田舎の家の古い客間で
君に会ったあの日のように今日もまた日が暮れる。
僕は君を思う。僕は故郷の山々を思う。
僕は君と歩いたあのヴェルサイユの庭を思う。
あすこで僕らは一足ごとに寂しく詩を語ったものだ。
僕は君の友を思い、君の母上のことを思う。
僕は、青い湖のふちで死を待ちながら
彼らの首の鈴の音と共に鳴いていたあの羊たちの事を思う。
僕は君を思う。僕は大空の清いむなしさを思う。
僕は果てしもない水を、火の明るさを思う。
僕は葡萄畠にきらめく露を思う。
僕は君を思う。僕は僕を思う。僕は神を思う。
                    (一九〇〇年八月二十一日、オルテズにて)

  訳者註。アルベール・サマンは象徴詩派に属していた十九世紀フランスの悲歌的な詩人。
      ジャムと親しかった。

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 哀 歌  第十四

「いとしい方」とお前は言った。
「いとしいお前」と僕は答えた。
「雪が降っています」とお前が言った。
「雪が降っている」と僕が答えた。

「もう一度」とお前は言った。
「もう一度」僕は答えた。
「こういうふうに」とお前が言った。
「こういうふうに」と僕が答えた。

やがて或る時、お前が言う、「私あなたを愛しています」と。
僕が言う、「僕はもっと」と。
「美しい夏も逝きます」と、お前が。
「もう秋だ」と、僕が。

そうしてわれわれの言葉は
もうそんなに同じではなくなった。
或る日ついにお前は言った、「おおあなた。
私どんなにあなたを愛している事でしょう……」

(それは広々とした秋の
ある華やかな夕日の時だった)
僕は答えた、「くりかえしておくれ……
もう一度……」と。
                   (一八九九年六月)

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 去年のさまざまな物が

去年のさまざまな物が帰って来るのを僕は見た。
嵐や、春や、しおれたリラの花などが。
僕は司祭さまの黒い館やかたで白い葡萄酒を飲んだ。
そして僕の心は相変らずすさまじくて、優しくて、悲しい。

なぜ僕の心はいつでも独りでいなかったのだろう……
そうすれば自分の奥底にこんな恐ろしい空虚も見なかっただろうに、
そして田舎の僧侶として翁草や茴香ういきょう
グラディオラスで十字架を飾ったろうに。

そうすれば僕達の生活の外観も大して変りはしなかっただろう。
そして、おお母上よ…… あなたは朝の青い影のさす
つぶつぶの肥料土をうるおすために、
まばゆい水の反映を庭の中へ運んだことでしょう。

……だがもう駄目だ。僕はランプの影で眠りたい。
ひたいを拳こぶしに、拳を卓の上にのせて。
ほかの物音を聴かない人間だけに聴こえる
この不断の耳鳴りに揺すられながら。

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 星を所望するための祈り

おお、神さま。私に星を取りに行かせてください。
そうしたら、たぶん、この病気の心が静まるだろうと思うのです……
けれどもあなたは私が星を手にする事をお望みになりません。
あなたはそれをお望みにならず、又少しばかりの幸福が
此の世で私に来ることもお許しになりません。
ごらんなさい。私は歎いたりは致しません。
恨みもせず、嘲りもせず、私はじっとこらえています、
二つの石のあいだに隠れている血まみれの小鳥のように。
おお、言ってください、あの星は「死」なのでしょうか……
それならば私にあれを下さい、
溝のふちにすわって餓えている貧しい者に
人が一スーの金を施すように。
神さま、私は足の折れた驢馬のような者です……
下さった物を又お取り上げになるとはむごい事ではありませんか。
私にはまるで心の中を
恐怖の嵐が吹きぬけるような気がいたします。
この病気を直すにはどうしたらいいか、
神さま。あなたはそれを御存知でしょうか。
お思い出しください、神さま、私がまだほんの子供だった頃、
母が静かに燭台を飾っているあなたの揺籃のそばへ
私が柊ひいらぎの枝をそなえて上げました事を。
私がしてあげたことを
すこしばかり返していただくわけにはゆかないでしょうか。
そしてもしもあの星がこの病気の心を
直すことができるとお思いでしたら、
神さま、どうかあれを一つ私に下さいまし。
なぜならば私には今夜あの星が
どうあっても必要なのでございますから、
それをこの凍こごえた心臓、このうつろな
黒い心臓の上へ載せますために。

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 子供の死なぬための祈り

神さま、風の中の一本の草をもお助けになるように、
どうか此のほんとに小さな子供を親達のためにお助けください。
あなたはなんという事をなさるのです。
私は行きましょう、母親が泣いておりますから。
そして友だちの驢馬共にこう申しましょう、
「まるで避けられない事のように、今すぐに、
あの子供を死なせたくないものだ」と。
もしもあなたが生きさせておやりになれば、
来年の聖体祭には、此の子供が
薔薇の花を投げに参るでございましょう。
しかしあなたは余りに親切でいらっしゃいます。
子供らの薔薇いろの頬の上に蒼い死を置くのは、
神さま、あなたではございません。
それとも窓べの子供らを母親たちのそばに置いてやるのに
適当な場所をお持ちではないのでしょうか。
けれどもなぜ此処ではいけないのでしょうか。
ああ! 時の鐘が鳴ります。
神さま、死んでゆく子供の前でお思い出しになってください、
あなたがいつもいつも
あなたの御母おんははのそばで生きておられます事を。

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 素朴な妻を持つための祈り

神さま、いつか私の妻となります女が
どうか謙遜で、おだやかで、
私の優しい友となり得るようにしてください。
私たちが手を取りあって眠る者であるようにしてください。
乳房のあいだにすこし隠れた彼女の頸に
メダルのついた銀の鎖が懸かっておりますように。
彼女の体が、夏の終りをまどろむ李すももの実よりも
なめらかに、温かく、金いろでありますように。
抱擁の最中にも人を微笑と沈黙とにさそう
そんな優しい純真さを彼女の心が守りますように。
蜜蜂が花の眠りの番をするように
彼女が強くなって私の番をしてくれますように。
そして私の死にます時、私の眼を閉じてくれて、
息づまるような苦しみ悩みの高まりと共に、
私の枕べで指を組んでひざまずくほかには、
彼女が決してどんな祈りをも致しませんように。

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 私の死ぬ日が美しい
   晴れた日であるための祈り

神さま。
私の死ぬ日を美しい晴れた日にしてください。

著述その他の心づかいや生のいたずらにおさらばを告げ、
たぶん此の額ひたいの重い疲れからものがれ出る日が
私にとってどうか大きな和やわらぎの日でありますように。
私が死を欲するのは或る人達のするような気どりではなく、
ちょうど小さい子供が人形を欲しがるように、
まったく、まったく単純な気持からでございます。

神さま、あなたは御存知でいらっしゃる。
幸福と呼ばれるものの中にも何かしら欠けたもののある事を。
そういうものは此の世には無く、
完全な栄誉とか、瑕瑾かきんのない花とか、
愛とかいうものも無い事を、
そして白いものの中にも必ず黒い部分のあります事を。

けれども、神さま。
その日を美しい晴れた日にしてくださいまし。
その日私は、心おだやかな此の詩人は、
自分の寝台のまわりに立派な子供たちを見たいのです、
よるの眼をした息子たちや、
青空の眼をした娘たちを……

どうか彼らが集まって来て、涙もこぼさず
この父親を眺めますように。
そして私の顔に現れる厳粛なものが
何か広々とした優しい神秘さで彼らをおののかせ、
私の臨終が彼らの眼に
ひとつの恩寵として映りますように。

どうか私の息子たちがこう呟きますように、――
「名声などはむなしいものだ。
名声は神だけが詩人だという事を知っている者の心を不安にする。
神だけが婚約をした者たちの優しい新鮮な唇に
菩提樹の花の香を置く詩人なのだ」と。
どうか私の息子たちがこう呟きますように。――
「愛とは、結び合っていた者同士を引きはなす
あの運命のいたずらに過ぎない。
私たちの父の心は今が今まで
その愛するマモールの心から離れていた事で悩んでいたのだ……」と。

また私の娘たちが私の死の床で呟きますように、――
「私たちはお墓のむこうの事は何も知らない。
けれどもお父様は秋の林の美しい光の中の
水の流れのように死んでお行きになる……」と。

神さま、
私の死ぬ日を美しい晴れた日にしてください。
ラ・フォンテーヌの寓話の中の善良な農夫のように、
どうか私の手に子供たちの手を握らせてください。
そして、私が心の大いなる平和の中で
死んで行けるようにしてください。

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 驢馬と共に天国へ行くための祈り

どうしても御そばへ行かなくてはなりませんのなら、
神さま、
どうか田舎が祭で埃ほこりの立つ日にしてください。
真昼でも星の出ている天国へ参りますのに。
私は、この下界で致すように、
自分の好きな道を選びとうございます。

私は杖を手に、広い街道を行きましょう。
そして友なる驢馬たちにこう申しましょう、
「私はフランシス・ジャムだ。そうしてこれから天国へ行くのだ。
なぜかと言えば、神の御国みくにには地獄は無いから」と。
私は言ってやりましょう、「おいで、青空の下の優しい友達、
耳をぶるぶると顫わせて、
虻や、蜂や、いろんな者の襲撃を
追いはらう哀れな可愛いけものたちよ」と……

このけものたちに取り巻かれて私が御前みまえに現れますように。
私はひどく彼らを愛しております。
なぜかと申せば、彼らはおとなしく頭を下げて、
あなた様も憐れにおぼしめすような優しい仕方で
あの小さな脚を組みあわせて立ちどまりますから。
私は彼ら一千の耳どもを引きつれて御前みまえに到着いたすでしょう、
横腹に籠をくくりつけられたのや、
旅の軽業師の車を曳いたのや、
羽根箒とブリキを積んだ車を曳いたのや、
背中へでこぼこの罐をしょったのや、
革袋のように膨れてよろよろ歩く孕はらみ驢馬や、
うみの出ている青い傷口のまわりへ
夢中になって集まる蠅共をふせぐために
小さな猿股を穿かせられた者たちを引きつれて。
神さま、どうか此の驢馬たちと一緒に私を行かせてくださいまし。
どうか天使らに命じて、安全に、
娘たちのにこやかな肉体のように滑らかな桜んぼが揺れている
あの草深い小川の岸辺へと、
私たちを導かせるようにしてくださいまし。
そしてその魂の宿、あなたの聖なる水のほとりにうなだれて、
彼らのへりくだった優しい貧しさを
永遠の愛の澄んだ鏡に映している
あの驢馬たちのように私をならせてくださいまし。

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 神をたたえるための祈り

しびれたような真昼時を
一匹の嬋が松の木で鳴き立てています。
まっかな空のきらめきの中で
無花果いちじくの木だけが厚く茂って涼しそうです。

神さま、私は此処にあなたと二人きりです。
深い寂しい田舎びた庭で
万物はじっと黙っていますから。
香炉の形をして黒々と光る梨の木は、
聖卓のような白い石敷いしじきのそばを花飾りのように走っている
黄楊つげの生垣ぞいに睡っています。
唐胡麻とうごまのそばへすわって物思いにふけっている者に
そのつつましやかな唇形の花が清らかな匂いを送って来ます。
神さま、
むかし私は此処でよく恋を夢みたものでした。
しかし今はその恋も
この役に立たない血管の中では脈打たず、
こわれた黒い木のベンチも、あの向うのほうで、
百合の葉に埋もれて空しく残っているだけです。
もう私が優しい幸福な女友だちをあそこへ誘って
その深い肩へこの額ひたいをいこわせる時もありますまい。
今私に残っているのは、神さま、心の悩みと、
自分という者が枯れたヒースの束のような
弱々しい魂の無意識なこだま以外の
何者でもないという確信だけです。

私は本を読んでは微笑しました。
私は物を書いては微笑しました。
考えては微笑し、泣いてもまた微笑しました。
この世に幸福などは有り得ないのだと知りながら。
そしてほほえみたい時に泣くこともありました。

神さま、どうか私の心を、
この哀れな心を鎮めてください。
そして昔ながらのさまざまな物の上へ
正午の麻痺が水のように拡がるこんな夏の日に、
松の木のまどろみの中で叫びを上げる蟬のように、
つつましやかに、善良に、
もう一度あなたをたたえ得る勇気を、
神さま、どうか私にお与えください。

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 或る最後の望みのための祈り

何か物語にでもあるように、
神さま、いつか私が
夏のために銀色になった森の中の苔を踏んで、
白い式場へと自分の花嫁を導くことがあるでしょうか。
子供たちは大きな花束の重みによろめきながら、
いかめしいいでたちをした祖父母らの後につづくでしょう。
まじめな顔々の周囲には或る大いなる静けさがあり、
年老いた婦人たちは放心した様子で、
胴着から垂れている金の鎖をまさぐるでしょう。
ふかい楡にれの木の中で四十雀しじゅうからのむれが
祝祭めいた心の素朴な感動を歌うでしょう。
私は詩人ではなくてほんの微々たる職人であり、
ぶなの匂いのする薔薇色の材を彫るでしょう。
そして私の妻は窓際でいとも優しく縫い物をするでしょう、
雀蜂が火のように飛びながら唸りを立てている
昼顔の花の薄青い凋落にかこまれて。
私はこみいった手仕事の一生をもう充分に生きました。
しかし其の仕事は、おお、神さま、
あなたのお役には立たなかったかも知れません。
そして私の命の日は、この楽しい鉋かんなを離れて
大空に鳴りわたる花の日曜日の鐘の音へと運ばれて行くでしょう。
私は子供たちにこう言うでしょう、「鶫つぐみに水をおやり。
そうして、飛べるようになったら放してやろう、
俄雨が笑いながら青い榛はしばみの木へ置いた
緑いろの真珠玉のあいだで仕合せに生きてゆくように」と。
私は子供たちに言うでしょう、「今日は元日だ。
今夜は顫えているお祖母ばあ様たちに手紙を書かなくてはいけない。
お祖母様たちは堅い、光った、皺の寄った額をうつむかせて、
孫たちの美しい言葉を読むだろうから」と。
私の生活は噂にものぼらず、
私の死には光栄もないでしょう。
白い着物を着た小学生や村人たちに附き添われて、
私の柩ひつぎは質素なものでありましょう。
ただつつましい石に刻まれた私の名だけが、
おお、神さま、
私の子たちが其処で祈りをするよすがとなりましょう。
そして神さま、或る日誰か一人の詩人がこの村を通りかかって
私の事を調べたりするような事がありましたら。
どうか、「そんな事はわたしたちは知らない」と
人々に言わせてくださいまし。
けれども、もしも、(ああ、神さま、
どうか厭とはおっしゃらないでください)
もしも一人の女がたずねて来て、私の墓に
彼女がその名を知っている花を手向けたいと言いましたら、
私の息子の一人が立ち上がって、
なにも訊かずに、泣きながら、
その女を私の憩っている処へ導くようにしてください。

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『雲の切れ間』

 

「悲しみ」

 私は彼女が欲しい

私は彼女が欲しい、
眠たそうな葡萄棚の上へ
正午と共に落ちるこの影多い明るみの中、
牝鶏が塵の上へ卵を産みおとす時刻に。
私は見るだろう、薬液のかわいた蔓や葉の上から
彼女とその明るい顔との現れるのを。
彼女は言うだろう。「なんだか私
眼の中へ芥子粒が入ったような気がするわ」と。
彼女の部屋には昼寝の準備ができているだろう。
それで彼女は部屋へ入って行くだろう、
暑熱に焼けて白くなった巣の中へ
一匹の蜜蜂が入って行くように。

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 彼女は降りて行った

彼女は草原くさはらから下のほうへ降りて行った。
その草原には好んで水中に育つ植物が
いろいろ全盛の花を咲かせていたので、
私はその水びたしの植物を採集した。
やがて彼女はこの花盛りの原の高みへ
着物を濡らして上がって来た。
彼女は笑った。そして大きすぎる若い娘に特有の
あのぎこちないしとやかさで嚏くしゃみをした。
その眼がまるでラヴァンドの花だった。

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 或る詩人が言った

或る詩人が言った。自分がまだ若かった頃には
薔薇の木に薔薇の花が咲くように詩が咲いた、と。
彼女の事を考えていると、私は自分の心の中で
とめどもない泉の水のさざめくような気がする。
神が百合の花の上へ御寺みてらの香こうの匂いを置き、
桜んぼの頬へ珊瑚さんごを置きたもうように、
私は彼女の上へ、まごころこめて、
名も知れぬ匂いの色を置き添えたい。

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 彼女は持って来た

彼女はリラの花束をかかえてやって来た。
春の光を浴びながら来るその姿は
みごとな花粉にまみれた百合の花のようだった。
そのひたいは滑らかで、いくらか大き過ぎた。
彼女が折って来たリラの枝を其処へ置いた時、
しばらく腕に抱かれていたために弱っているその花へ
私は近づいて行った。そして香炉のそばの
合唱隊の子供のように身をかがめて、
私はその陰欝な花に唇を押しつけた。
彼女は私に手を差しのべてさよならを言った。

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 去年咲いたリラの木が

去年咲いたリラの木が
今年もまた悲しい花壇で花を咲かせた。
ほっそりした桃の木がもうその薄紅うすべにの花を
青々とした空へ振りまいている、
まるで聖体祭の子供のように。
こういう物にとりまかれて私の心が死んだのだったら。
なぜかといって、
私がお前にわけもわからない望みをつないだのは
この白と薄紅の果樹園のまんなかでの事だったから。
私の魂はひそかにお前の膝を夢みている。
その魂を押し戻さないでおくれ。
しかし又それを勢いづけてもいけない。
それがお前から離れながら、自分の腕の中で
どんなにお前が力ない抵抗を試みたかを
思い出すといけないから。

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 二本のおだまきが揺れていた

二本のおだまきが丘の上で揺れていた。
一本のおだまきがその妹のおだまきに言った、
「お前の前へ出ると私は震えて取り乱してしまう」と。
するともう一本のが言った、
「一滴一滴と水に磨かれる岩の鏡へ
自分の姿が映りでもすると、
私もあなたと同じように体が震えて
取り乱しているのがわかるのよ」と。

風はいよいよ二本のおだまきを揺り立てて、
彼らを愛で満たし、その碧あおい心を入りまじらせた。

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 あしたで一年になる

私がオードーの湿原で
いつか話したあの花を摘んでから、
あしたでもう一年になる。
今日は復活祭の週のうちでもいちばんお天気の良い日だ。
私は森や、牧場や、畑地をよこぎって
青い田舎へまぎれこんだ。
私の心よ、どうしてお前は一年まえに死ななかったのか。
私はさんざんに悩まされた此の村を
又もや一年間見る苦痛をお前に与えたのだ、
司祭の館やかたが前で血を流しているあの薔薇や、
うら悲しい花壇で私をさいなむあのリラの花を見る苦痛を。
私はかつての歎きを思い出しながら、
どうして自分が径みちの赤土の上で顚倒して
塵の中へ頭を突込まなかったのかわからないのだ。
何もない。私にはもう何もない。私を支える物が何一つない。
なんのためにこんなに天気が良く。
なんのために私は生まれて来たのだろう。
私は自分の魂を打ちくだくこの疲れを
お前の静かな膝の上へ置きたかったのだ、
路のくぼみへ貧しい女が身を横たえるように。
眠るのだ。眠り得るようにするのだ。
青い驟雨の下、涼しい四阿あずまやの蔭で永久に眠るのだ。
もう感じまい。もうお前の存在を感じまい。
大気と水とをごたまぜにしているあの青い眩暈の中で
丘を呑みこんでいる青空も見なければ、
お前の存在をさがしても無駄なあの虚空をももう見まい。
私の心の奥のほうで、其処にいない誰かが
重い無言の啜泣すすりなきをしているような気がする。
私は書く。田舎は歓呼に湧き立っている。
夕べの祈りに呼ぶ鐘が鳴り、
田舎の平和な時間を歌うこおろぎが鳴いている。
むこうの青白い小作地の篩ふるいのそばに        `
仕事の帽子の眠っているのが見える。

……彼女は草原の下のほうへ降りて行った。
その草原には好んで水中に育つ植物が……

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「いろいろの詩」

 私は森の中で踏んだ

私は森の中で竜胆りんどうの黒みがかった空色を踏んだ。
それでも私は泣かなかった、
この十月の花が若い頃の恋愛の
かずかずを思い出させはしたけれど。

菫いろの薔薇の花束を手に持った
十六歳の少年が
年相応な愛すべき不器用さを見せながら。
その花束ですっかり私を薫らせた。

そして私はほほえまなかった、
消えた何かを魂の奥底に感じながら、
そしてあれ以来此の世でいちばん優しい場所が

自分の犬たちのそばだという事を感じながら。

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 人の言う事を信じるな

人がお前に言う事を信じるな、若い娘よ。
愛を求めて行くな、そんなものは無いのだから。
男は無慈悲で陋劣だ。お前の臆病なしとやかさは
遅かれ速かれ彼の厚かましい要求を気持悪く思うだろう。

男はただ欺すだけだ。彼はお前を炉の片隅に、
面倒を見なければならない子供達と一緒に置去りにするだろう。
そして彼が晩飯の時刻にも帰って来ないような時、
お前は自分を祖母のように年老いたと感じるだろう。

この世に愛があるなどとは信じるな、おお若い娘よ。
それよりも青空でいっぱいの果樹園へ行って、
緑の薔薇の木の暗いまんなかに
独りで生きて糸を紡いでいるあの銀色の蜘蛛を眺めるがいい。

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 私を慰めてくれるな

私を慰めてくれるな。そんなことは無駄だ。
もしも私の唯一の富である夢が
霧のうずくまっている此の暗い戸口から出て行ってしまうようなら、
私は決心をしてもう何事も口にはしまい。
或る日まったく単純に、(私を慰めるな!)
私は日の当った戸口に横たわるだろう。
人々は大きな声を出してはいけないと子供達を戒めるだろう。
そして悲しみにも捨てられて私は死んでゆくだろう。

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 煤けた宿屋には

私が風雨を避けて入ってゆく煤すすけた宿屋には
吊るされた腸詰と黒い竈かまどとがある。
私は雨に濡れてずっしりと重いマントを着た
昔のおちぶれ果てた旅びとだ。

私は夏を空想する、一切れのパンのような平和を求めて、
梨の樹がジョスランのことを夢みている時刻に、
ラマルティーヌのように優しく、
この丘、あの美しい谷と、さまよい歩く夏の日を。

いまは霰が嵐のなかを飛んでいる。
うずらの季節、あの息づまるような季節はどこへ行ったのだろう。
私を憐んでください、おお神様、私は自分が苦痛に対して
充分な同情を持っていないのではないかと心配です。

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 子供が絵暦を読んでいる

卵を入れた笊ざるのそばで、子供が絵暦えごよみを読んでいる。
そして聖者様やお天気の事のほかに、この女の子には
天体の色々な美しい記号を見ることができる、
山羊や牡牛や牡羊や魚などの星座のしるしを。

そこで小さい百姓娘の彼女はこう思いこむ、
頭の上の星の世界にも下界と同じような市場があって、
驢馬だの、牛だの、羊だの、
山羊だの、魚だのを売っているのだと。

彼女はたぶん天の市場の事を読んでいるのだと思っている。
それで紙をめくって天秤てんびんの座が出て来ると、
天国にもやっぱり乾物屋かんぶつやがあって。コーヒーだの、塩だの、
良心だのの目方をはかるのだなと考える。

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 私に思い違いはない

私に思い違いはない。きのうの日没の頃だった、
胚は森に被われた反響のいい丘の夕闇の中で、
春の初めになると鳴き出す物まね鶇
あの独特な歌を早くも聴いた。

それは陶器の水差しからごくりと水を飲む時のような
甘ったるい汁気たっぷりの歌だった。
今朝はまた雀たちが春の声で鳴いている、
私が子供の頃にも鳴いていたのと同じ声で。

季節が不安定なように、私もまた落ちつかない……
今が春なのかそれとも冬なのか、私にもよくわからない。
それはお前次第だ。だから急がなければならない。
野性に返ったにおいあらせいとうは海の風が好きだから。

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 種子は選ぶ事を知っている

種子は自分に適した土を選ぶ事を知っている。
かわせみのような空いろをした竜胆りんどう
快適な丘の斜面に花を咲かせる、
あのクリティーが苔の上で貞潔をあざ笑った丘の斜面に。

……あの女の事を君達は知っているか。あれは落ちたのだ。
そしてその薔薇色の帽子が金色のホップの下でぺちゃんこになったのだ。
小川は牧場の愛撫をうけて眠っていた。
クリティーは重たく眼をとじてじっとしていた。

僕は青々とした夏を輝くこの土地も、
クローカスに被われたこの芝原も知っている。
ここはシャ・ボッテの谷、賢者の片隅、
要するにボルドゥーの友の住む処だ。

風が僕を町へ連れもどす事をやめて、
七月末の青いビロードの風景が
しでの生垣の暗いくぼみに射す月あかりに
仰向けになった籠形のスカートの事を思い出させたら、

そうしたら僕たちは金色の酒を満たした杯を挙げて、
女羊飼に扮したすべてのクリティーたちの
キスの響きや着物のはげしく触れあう音が
羊歯しだの草むらによみがえるのを聴くとしよう。

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 昆虫のように

草刈り器械が昆虫のように草を刈り廻っている。
そのかちかちいう不規則な音が
葡萄棚や階段の掛時計につたわる麻痺の感じを
いっそう強くするようだ。
頼むから何も考えさせないでくれ。
盲腸炎だとか、ニイチエだとか、人生だとか、
先のわからない事ばかりを聴かせられるのは退屈だ。
美しい牛たちの角が荒々しく輝き、
青い光が畠の小麦を燃やしている。
庭の薔薇の花はおそろしい匂いを放って、
その乾いた花弁がまるで焼けただれた砂のようだ。
そしてずんぐりした女学生は向日葵ひまわりのように眠りこけて、
彼女の図鑑が地面の上に落ちている。

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「木の葉を纏った教会堂」

 燃えさかる太陽に

燃えさかる太陽にくゆらされた青白さの中に、
ちいさい森をまとった野の御堂が
光と喜びとの神秘を閉じこめている。
その鐘楼は八月を熟れた白い麦の穂のように、
聖餐の粉こなに頭からまみれて、
讃歌のような青い谷間を見おろしている。
それはまた地平線の弓を放れて
夏の心臓へ突き刺さった矢のように立っている。
ここに四枚の正確で単調な絵がある、
その鐘楼をとりまいて年ごとに還かえって来る四枚の絵が。

それは森林や草原の緑の季節だ。
それは牝牛や麦の褐色の季節だ。
それは雷に見舞われる葡萄畠の青む季節だ。
それは黒雲から落ちて来る煤すすなどに
光を弱められた昼間が黒くなる季節だ。
そして御堂はいつも黄いろい薔薇の帽子をかぶっている。

堂はまた耕作地の輝く水上をゆく
一艘の漁船のようだ。
その耕作地からは、時々、嵐の中の鷗かもめのように
飛び上がる鋤すきの刃の光るのが見える。

ほんとうに野のまんなかに御堂は立っている。
それはあすこにある。砂浜のように蒼白い壁のあいだに。
そしてそれは隠れがでもあれば夢でもある。

人がおのれ自身のうちに求めるあの大いなる平和によって、
黒いジェラニウムの白い花心が悲しんでいる
古い木の露台に日の暮れてゆく毎日によって、
田舎らしい色々の物の持つこの鄙びた優しさによって、
虹いろと石盤スレイトいろの鳩たちによって、
われわれを促うながしてその謙虚な頭を撫でさせる犬によって、
ああ、これらすべての物によって、
御堂よ、おんみがその森蔭で祝福されますように!

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 祈りは花のように大空へ

祈りは花のように大空へ昇ってゆく。
人々はその花の或るものが
なぜ月下香のように豪奢で芳香に重たいのか、
又或るものがなぜ痩せた花壇の三色菫のように
貧弱で陰気で匂いを持たないのかを知らなすぎる。
詩人はそうした祈りが大慈大悲の者のところへ、
その者にこそ金や銀の重みのある
「父」の御許みもとへと昇って行くのを知っている。
そして近づいて来るそれぞれの花の価値をきめるのは父なる彼だ。
そして彼のみが、われわれの思念や憎悪をこえて、
馬鞭草くまつづらの謙虚な青い一束が
珍奇なカーネーションとほぼ同等の
価値を持っていると判断したもうのだ。
なぜかといえば、幾たびの雷に打たれた鬚を持つ
向齢の船乗りにも似た神は、
おのれらの悲惨をダイヤモンドや桜草のくぼみに載せて
彼に捧げるすべての悩める者たちに、
真珠毋いろの天の奥から
気づかわしげに手を差しのべたもうのだから。

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 御堂のまわりには野の平和が

堂のまわりには野の平和がひろがっている。
埃っぽい十字路の、燕麦からすむぎや薄荷はっか菊ぢさ
金水引きんみずひきの間に大きなキリストの木像が立ち、
そのくぼみに蜂たちが巣を営んでいる。
そして蜜の採集にいそがしい彼らが
日光の中を空間に書かれた黒い文字のように
往ったり来たりしているのが見える。

もしもそれが蜜でないならば
神は何で身を養いたまうのだろう?
小石を割っている道路工夫が
ときどき顔を上げてキリストを見る、
正午が脈動しているその道ばたの唯一の友を。
小石を割るためには、労働者は
このキリストの影に膝を突かなくてはならない。
キリストの横腹は真赤だ。
すべての蜜蜂が日光の中で歌っている。

詩人はこの光景をつくづくと見ながら思いにふける。
彼は静かに顫えている野を前にしてつぶやく、
すべての麦の穂は神の御民の従順なあつまりであり、
その一つ一つの種子は生きる力を得ようとして
天の洞窟からほとばしる水を待っているのだと。
彼は又つぶやく、その種子たちは今から後
深遠で高貴な青空の下に育ってゆき、
彼自身また洞窟に生まれ給うたあの神の御子みこの似姿となって、
餓えた人の子らを養うだろう、
そしてその又種子から生まれる穂が
夜明けの空の鐘楼の形をとるだろうと。

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 詩人はもう昔のように

詩人はもう昔のように若くはない。
彼は自分の犬に言う、
「犬よ、この森は以前よく私たちが
煙る秋の日に猟をした森とはちがう森だ。
この針えにしだも別のものだし、
あの藁家も別のものだ」と。
そこには神の聖闇せいあんである羊歯しだの茂みがあり、
その茂みが夕暮には星々の中で息をついている。
しかし詩人は人生に苦しんで。
時にはそれを愛し、時にはそれに背そむきはしても、
それでも四阿あずまやの赤い林檎のような頬をした
少女たちにほほえむ事はできるのだ。
子供たちは訳もなく笑わずにはいられないし、
牧場の泉は喋しゃべらせておかなくてはならないから。

詩人が神にむかって近づくにつれて、
そして彼の辿らなければならない道が
しだいしだいに凹凸の度を加えるにつれて、
失望は感じながらもなお平静なその心は
重苦しい休暇の日々に響く接吻の音にほほえむ。
熱烈で憂欝で優しくにがい彼の魂は
今ではすべての神秘の前にひざまずいて、
司祭の家の貧しい黄楊つげの木を飾る
へりくだったすいせんのう
へりくだった妹になったのだ……

他人の家の庭園が開放されている。
しかしそこの草木がどれほど美しくても、深くても、
見たいと思う者の心を当惑させる。
そして最高の美は、水に潜る大がするように、
彼の心が身をもって探るあの大いなる暗黒なのである。

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 なぜかと言えば今では

なぜかと言えば、不滅の麦に養われている今、
彼の眼には一つの新らしい世界が開けたように見えるから。
小鳥や、樹や、石は
彼のまだ知らなかったような光をまとい、
照りおろす太陽に打たれた瓦は
ふかぶかとして鮮かだ。
事物が存在の光に打たれているように見える処、
そこにはもう狂気じみた奇怪な悪夢はない。
今はそれぞれの物がその在るがまま。
ただ神の御手みてのみが庭園にラヴェンダーを置き、
荒地にヒースやえにしだを置きたもうのだ。

ただ神の御手のみが、いとも優しい神秘をもって、
緑の日光の中にあの小さい牡鶏を、
畠の崩れた畝うねのあいだにあの兎を、
豌豆えんどうの白い花の中にあの蝶を鮮かならしめたもうのだ。

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 夏の盛りが近づいた時

夏の盛りが近づいた時、詩人が言った、
「あなたの知っておられる事を私は何ひとつ知りません。
おお私の魂の中心に生きておわす神さまよ!」と。
青空は彼の頭上で炎のように息づいていた。
そこで大きな深い息をいっぱいに吸いこんだ彼は
それをおのが口から青空へと吹きかえした。

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 彼は道路工夫に言った

御堂みどうを出ると彼は道路工夫に言った、
「今日はサリュ!」と。
すると相手は答えた、「今日はサリュ、先生メートル!」と。
軟かい風が影と水との涼しさをもつ鈴懸の樹をそよがせた。
このそよぎは伝わって、遠くの白樺の木立をざわめかせた。
まもなく一切が元の静寂にかえった。
詩人と工夫とは話をしていた。
一羽の牡鶏がときをつくった。
小さい町は丘陵の黒い地にその白さを浮き上がらせていた。
やがて福音書の祈祷文をあけながら
詩人が道路工夫にこう言った、
「お前さんが生命の小石を残らず割ってしまったら、
その疲れを天国々すっかり休める事ができるだろうよ」と。

「そう頤いたいもんですよ、先生」と相手は言った。
「あなだだって働いておいでだ」
すると詩人が言った、「そうだよ、友よ。
どうか私もお前さんと並んで休息したいものだと思っている。
私たちは父であられるあの方の労働者なのだ。
福音書に言われているように、もしも小麦の粒が
地に落ちて死ななければそれは実を結ばずにしまうだろう。
ただ悩む心を持っている粒だけが穂をつけるのだ。
一粒の麦である人間は神の御手で地に播かれる。
そしてそれが此の地上に芽ばえるのは
天国に達せんがためなのだ」

彼らはなおも話をつづけていた。
共処には十字架が立っていて、
二本の腕を空に、別の一本を地に向けながら、
日照りかがやく青々とした暑さの中で。
一人の宿無し女の昼の眠りを護っていた。
女は屈託もなく横たわり、着物をすこしはだけて、
その殻が活動して今にも破裂するかと思われる
あの一粒の麦のような肌を現わしていた。
詩人は道路工夫に言った、
「この女もまた魂の活動している麦の粒だね」

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 その日御堂は

その日御堂は陽気に鐘を打ち鳴らした、
或る小作人の娘が婚姻の式を挙げるので。
御堂は八月の玉蜀黍とうもろこしの光栄の上に鐘を鳴らした。
鐘はとりいれの穀倉の上で鳴り、
さびついた鎖の音のやんだ車井戸や、納屋の上で鳴り、
屋根裏の物置きや麦打ち場の上で鳴り、
うなりを立てる打穀槇の上で鳴り、
友だちの結婚式にかけつける
栗色の髪や金髪の娘らの上で鳴り、
間をおいて聴こえる大声の愛の嗚咽おえつの上で鳴った。
鐘は嗚った。
通りがかりの牛共はふしぎそうに立ちどまって、
彼らの蒼白い角を、生垣のまんなか、
ベンガル薔薇のほうへ振り上げた。
鐘は嗚った。
水のように色さまざまな羽根の鳩は
背をふくらませて屋根の上でクウクウ鳴いた。
彼らの蹴爪のついた薄赤い脚が青い空気を切った。
小作人の娘は、一輪の花のように、
牡鶏共を分けながら正面の階段をゆらゆらと登って行った。
鐘は嗚った。鐘は鳴った。
その鐘の音が一つ一つひろびろと丘から丘へこだました。
行列は野菜畠でととのえられた。
飛んで行く一羽の雪白の蝶を追うように、
女友達らは青ざめた花嫁のあとに随った。
素朴な音楽が行列の先に立った。
そして詩人はこう呟きながら神を讃えた。
「このように昔勇敢で誇り高かった。
一族の出であるレベッカもカナンヘ向けて出発したのだ。
父なる神を信ずる者たちに
はなんの変化ももたらさなかった。
この井戸も、おそらくは、ラシェルよ、
金褐色の木の実のように締まって穏やかなお前の頬を
棕梠の葉蔭からヤコブがうかがい見ている時、
お前がその房々と重い捲き毛を
美しい手の上へほどいていたあの井戸なのだ」と。

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 アメリカ胡桃の実が一つ

アメリカ胡桃ぐるみの実が一つ並木道へ落ちた。
その一粒が秋を告げる。
そしてその不思議な匂いは優しく歎きにくれる爰、
枝の暗闇に生きている神の愛に代って語る。

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 御堂はまた鐘を鳴らした。

御堂はまた鐘を鳴らした。
その音は一つ一つ、麗らかな季節の燕のように、
鐘の舌から飛び出して、しばらくは空間に漂いながら
ゆるい柔らかな輪をえがき、
やがてまた帰って来て、そのしらべを
すこし灰ばんだ大空の色にふちどられた
その巣の上にいこわせていた。

それは或る年老いた農婦の葬式を告げる鐘だった。
その女もまだ奴隷のように生きて来た者の一人だった。
人々は御堂の玄関へ柩をすえた。
するとそこへ何羽かの鳩が親しげに飛んで来た。
その静かな死者が眼をさまして今日もまた
麦粒を撒いてくれるものと思っているかのように。

詩人はミサに加わりながら考えた。
これら聖なる鳩たちがその翼で払った影を
神の御光みひかりが打ち消すのだと。
とむらいの歌のあとには或る大いなる熱烈な沈黙だけが残った。
日々の終りのホザンナで讃えられた喜び。
務めをおえたその静かな喜びの中に
魂が立ち上がる瞬間のあの大いなる沈黙だけが。

そして枢が明るい墓地に
農夫たちの手で土をもって被われると、
彼らは荘厳な作業が終ったしるしとして
穴の上へめいめいのシャヴルを組み合わせて立てた。

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 詩人とその友だちとが

詩人とその友だちとが話をしている。
二つの高い丘に挟まれた芝原が彼らの思いを厳粛にする。
今は暗い槲かしの樹をもとめて
脚の赤い河原鳩が空中にその翼を揺する時だ。
三度傷つけられた心が森のへりを求める。
霧はヒースの野へ優しくおりて来るが、
そこに停滞しようとはしない。
突然、おじけづいた御告みつげの鐘の音の翼が
影と苔とをすれすれに流れて森の中心に触れる。
詩人は言う。
「この世のすべては夜が落ちて来て寒くなると、
身を寄せるべき何ものかを見出すものだ。
山鳩は枝を、鐘の音は薔微色の空を、
愛撫は愛人を、
そして僕の魂は十字架を」と。

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 お前の青空の声を上げよ

お前の青空の声を上げよ、おお洗礼の鐘よ!
お前の涙をとおして歌え!
そしてこのへりくだった子供と、
附添う者達のおどおどした行列と、
又してもここに一つの魂が天によって創造された喜びを
ぴょんぴょん跳ねてあかししているような
この我を忘れた純真な小犬をさえ、
どんなにお前が愛しているかを我らに語れ。

こうした卑下になんという偉大さのあることか!
一人の女によって神の家へ、
藁家へ運ばれるように運ばれて来た
このかわいい名も無い赤児は、
朝の丘のしののめの光のような
崇高な光の産着うぶぎに包まれて来たのだ。

詩人はこの小さい者を生まれさせ給うた
全能の主をほめたたえた。
おお聖なる詩よ!
そして賤しい夫婦の者がその愛する貧困の
限りない富を理解するあの身震いをもって神を讃えた。

お前の青空の声を上げよ、おお洗礼の鐘よ!
なぜかといえば、薔薇の木から咲くように、
この子供が彼らの接吻から咲きいでた以上、
さち薄い二人の者が影の中で愛し合って
神の祝福をうけた事に間違いはないからだ。

おお鐘よ! お前の青空の声を上げよ。
今、神の園のために一本の
新らしい薔薇に水がそそがれている。

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 私の謙虚な友

私の謙虚な友、忠実な犬よ、
お前はテーブルの下に身を匿している間に
雀蜂のように避けていたあの死を死んだ。
お前の頭は味気ない死の瞬間にも
私のほうを向いていた。

おお人間にとっての有りふれた伴侶よ、
祝福されるがいい!
お前はお前の主人が共にしたあの飢餓で養われた。
お前は天使の長おさラファエルと若いトビーとの
あの巡礼にも供をしたのだ……

おお仕える者よ、どうかお前が
私にとって一つの立派な手本であるように!
お前は聖徒がその神を愛したように私を愛した。
お前の漠然とした智慧の神秘は
けがれなき喜びの天国に生きている。

ああ神さま、
もしもあなたが私に御み恵を垂れ給うて
あの永遠の日にお顔を拝ませてくださるなら、
この哀れな犬にも、人間の世に生きていた時
その神であった者の顔を眺めさせてやって下さいまし。

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 人は見る、秋になると

人は見る、秋になると電線に
燕たちの長い列がふるえているのを。
人は感じる、
彼らの小さい魂が寒さにおじけているのを。
まだ一度も見たことがないのに、あの最も小さい者たちは
一点の汚れもない暑いアフリカの空に憧れているのだ。

……ほんとうにまだ一度も見たことがないのに!
それはちょうど私たちが
心配しながら天国を欲するようなものだ。
彼らはあすこにいて、棲とまったり、
首を突き出したり、空気の流れを調べたり、
飛び立った処へまた帰って来ようとして
空中にやさしい輪をかいたりしている。

寺の玄関を捨てて行くのはつらい事だ!
過ぎ去った幾月のような暖かい日がもう無いのもつらい事だ……
おお、なんと彼らが悲しげだろう!
おお、なんのために胡桃くるみの樹は
すっかり葉を落としてまで彼らの心を裏切ったのだろう!
ことし生れた雛たちは、秋が喪で被った春について
なんの知識も持っていないのだ。

このように、さまざまな事に悩んだ魂も、
聖なる大海おおうみを横ぎって
永遠の普薇の花咲く天国へ行きつく前には、
こころみ、ためらい。
そして行きかけては又立ちもどる。

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「念 珠」

 苦 悩

ほかの子供らが花壇のそばで遊んでいる時
母親のそばで死んでゆく其の小さい男の児のために、
また突然の故知らぬ傷をうけ
翼を血まみれにして落下する小鳥のために、
渇きと、飢うえと、烈しい錯乱とのために、
 マリアよ、私はあなたにぬかずきます。

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 鞭 打

帰って来た酔いどれに打たれる子供たちのために、
横腹を足蹴あしげにされる驢馬のために、
無辜むこにして罰せられた者の屈辱のために、
売られて裸体にせられた処女のために、
 マリアよ、私はあなたにぬかずきます。

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 茨の戴冠

果樹園の黄なる友である熊蜂の飛翔のほかには冠かんむりもなく、
犬どもを追う杖のほかには
どんな笏しゃくをも持たぬ物乞いのために、
決して実現されない願望の茨いばらにかこまれた額ひたいから
血潮をながす詩人のために、
 マリアよ、私はあなたにぬかずきます。

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 担十字架

あまりの重荷によろめきながら
「神さま!」と呼ぶ老婆のために、
キレーヌのシモンが御子みこの十字架に縋ったように
人間の愛に縋ることのできない不仕合せな者のために、
おのが曳く車の下に倒れている馬のために。
 マリアよ。私はあなたにぬかずきます。

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 磔 刑

世界を磔はりつけにする四方よもの地平線のために、
肉を裂かれ殺害をうけるすべての者のために、
足を失った人々や手を失った人々のために、
手術をうけて苦しみ泣く患者のために、
殺人者らと同列にされた義人のために。

 マリアよ、私はあなたにぬかずきます。

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『四行詩集』

 

 驟 雨

路は滑らかに光り、私はときどき鬚を拭く。
水で飽和した靴が泣事なきごとを言う。
息をつくように、間を置いて雨が通る。
丘のてっぺんで一軒の家が消されてゆく。

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 花摘み

黒衣の老婆が二三人、この美しいたそがれに、
菩提樹の枝を膝の上に載せている、
夜の鳥がただ一羽歌をはじめる庭園に
その芳香を漂わせる菩提樹の花を摘みとるとて。

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 天 馬

このバスクの地にも又死苦の鐘が鳴っている。
そして私は自分の死の事を考える、
生の方へと飛んでゆく一羽の鳥の間を置いたあの大きな羽ばたきを
森のざわめきかと私がぼんやり聴く日のことを。

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 バスティード・クレーランスの鐘

死のように大きな沈黙の中、
ちらほらと納屋なやの見えるこの人里遠い山間に、
北風に運ばれて御告みつげの鐘の鳴りひびく時、
私の心のいただきが天使のようにうなだれた。

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 天 稟

天才とはあの羊歯しだを見る事、それからそれを見させる事だ、
葉の舌を水にむかって垂らしているあの羊歯しだを。
天才とはあの羊群の声を聴く事、それからそれを聴かせる事だ、
夕べの底に消えてゆくあの羊達のむれの声を。

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 町へ来た百姓女

針えにしだが家畜共の歯に刈りとられる丘陵地方から
雨と泥濘とをおかして彼女らは下りて来た。
白い手袋を窮屈がっているその指、
力強い彼女らに鋤のような趣きがある。

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 溪 谷

強大な鑿のみの打撃に切られた光が
その結晶を輝く空中へ積みかさねている。
結晶の面はここでは草原を象嵌ぞうがんし、かしこでは煙っている、
霧を吹き流している氷塊のように。

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 葬儀人夫に

私を私の子供達のそばで憩わせて置いてくれ、
私の妻と一緒に、華美や胸像からは遠く。
私の欲するのは十字架だけで、一本の灌木さえ欲しくはない。
私を哭くものに雨、私を惜むものに風。それだけでいい。

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 聖なるぬかるみ

私は知っている、お前の天才の
不可思議を、おお心よ!
涙にまじった
一塊の土よ。

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 朝飛ぶ鳥

青啄木鳥あおげらの梭おさ
空間にえがく曲線。
樹から樹へとなごやかな
空いろの花飾りを懸けるかとばかり。

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 昼間の女労働者

紗の窓掛を透いてぼんやりと射す昼間の光に、
黒い女の姿が横顔を見せて白い布を縫っている。
それから顔を上げ、歯の間に糸をくわえて、
遅い歩みの掛時計を見ている。

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 四 季

鳶尾いちはつの花に降る銀の網のような雨、
を置いて強く降り、塵を呑む雨、
「デ・プロフンディス」のために幕を張る雨、
地に触れる前に雪の溶けた雨。

    訳者註。「デ・プロフンディス」は「深淵の底より我は叫びぬ」の意。
         悔罪詩篇の冒頭の句。

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『わが詩的フランス』

 

 サンパレーの家

私は八歳の時のその墓場へ入って行った。
其処では私は憐れな子供だったものだ。
みんなが私に不満だった。
私は自分がほかの子供のようになって、
人から悪く思われたりしないためには
どうしたらいいのか知りたかった。
しかし別にやり方もなく、私にはどうもできなかった。
私は小犬のフォクスの仕合せな運命を羨んだ。
それから半世紀たって、今その子供は
おのれを押し通し、いろいろと異議をとなえ、
誇りと愛と悩みとの仮面をかぶって、
愚弄する人々の唇に浮かぶ冷笑をおさえている。
今私はひどく狭い土間のついた玄関を入って行く。
私たちの曾かつての食堂、父の事務室、
ひどい病気で私があやうく死にかけた部屋、
そしてすぐ隣りに私の両親の寝た寝室。
それから廊下、それから小川に臨んだ物置き。
その小川へ下りてゆく石段は
石がひとつひとつぐらついている。
父はもう此処にはいない。私もいない。
あるのは死だけだ。
そして此処に哀れな運命を生き残っている一切は
神様が夕暮に貧しい火のそばに集めたもうた
あの親しい魂たちの柩である。

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 アンリ・デュパルクの家にて

何かのブロンドの房のような丘の上、
その木々の葉蔭から
青空を打つ大地の波に顔を向けて、
羊飼の作った一塊りの大きなチーズのように
村のまんなかに立った教会堂の
塀というよりも寧ろ城壁のようなのを見おろしながら、
デュパルクの山荘がしばしば私たちを迎えたものだ。
沈黙が其処を支配していた、
どんな交響曲よりももっとすぐれた交響曲として
われわれの聴く沈黙が。
なぜかといえば其の表現は空隙から成っていたから。
おおデュパルク!
君の天才は物言わぬ天使から奪い取った
あの抑揚アクサンを配置することを知っていた。
君の明るい仕事場には
ちいさい鈴が列になって下がっていた。
そこでは聖なる山々が今もなお沈黙していた。
われわれには見えないが、友よ、君の小夜啼鳥ロツシニヨルたちは
翼を駆って海の遠くへ飛び去ったのだ。
つやつやした仮漆塗ニスぬりの二台のピアノの上に
金色の光がななめの線を横たえていた。
われわれは二人の旅びとがエンマウスのほうへ歩いて行く
あのたそがれの頃に漸く其処を立ち去った。

    訳者註。アンリ・デュパルクは十九世紀後半のフランスの作曲家。
         「旅へのいざない」等の歌曲で知られている。

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 オッソーの牧歌

オーボンヌでは商人あきんどたちが
植物や絋物の標本を売っている。
そういう物は皆動かない。
私は生きているかぎり此の眼をお前さんに与えよう、
乾いた植物や石のことなどは
よそから来た人たちに任せておいて。

こんなふうに、オッソーでは
女の羊飼が男の羊飼に恋を語るのだ。
彼女は男のために袋を縫ってやる、
星のようにきらきら光っている塩、
家畜のための塩を入れる布の袋を。
男はそれを背負って行く。
雲ばかりの空の下に
羊たちの放牧される季節になると。

あの高い処でただ一人生きていると
口は沈黙する。しかし心は毎日
もしや朝早く他の心が
途中まで来ていはしないかと、
村と自分とを隔てている
長い道の上を眺めやるのだ。

八月になると、祭のあるラランの町、
羊の預け主の老牧者のいる町へ、
若い羊飼は下りて行くだろう。
赤い胴着を腕にかけ、
毛のゲートルを巻いて踊るだろう。
笛が声をかぎりに叫ぶだろう。
タンバリンが唸るだろう。

美しい許婚いいなずけの女は
赤い頭巾をかぶっているだろう。
そしてよく目立つその肩掛を
とりいれの麦が飾るだろう。
彼女の木靴が光るだろう。
揚羽の蝶の尾のように
二本の長い青い帯を垂らした
彼女の着物がひるがえるだろう。

そして彼女の恋人は
けばの立った麻縄にすがる
彼女の手を取るだろう。
谷間の麦の花にまじって
青い鳥の羽根が
急流に押し流されて行くような
はなやかな輪舞のまんなかで。

山のおそろしい中腹には
雪崩なだれでできた塚のような
いくつかの穀物倉が見えるだろう。
あの高台はビエルの村だが、
その秦皮とねりこの枝の下に立派な屋根が一つ見え、
管理者で、村長で、幾何学者の
ボンヌカーズ氏が其の家の主人だ。
「あの人、私をお嫁にやるわ。
あなたにではなく」

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 ルールドの洞窟

釣鐘草は天の花だ。
もっとも穏かな日にも揺れうごいて、
たえず神を礼讃している。
そのように、ベルナデットよ、
あの奇蹟の窟いわやのほとり、
ビコールで現れ給うた処女マリアの御前おんまえで、
こよなくも軽い霊気が
今もそなたの心臓をとどろかせる。
この窟は、そなたが野の花のように
或る日ここへ落ちついたが故に、
人々の涙から絶えず此の世に湧き上がる
あの大海を引きよせているのだ。
そして石に懸けられた奉納の額も、
燃える草むらのような蠟燭も、
巡礼の行列も、
水のいぶきが茎の上で祈りをさせる
この花ほどには、この釣鐘草の花ほどには、
私の心を打ちはしない。

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 ユルシュヤヘの遠足
                  アスパレンにて

二つ目の峠をこえると
バイグーラの黒い山塊が正面になる。
西のほうに小さい山がいくつも見えて
われわれとスペインとの間の空で揺れている。
柔かに青い彼らは今日は特別に軽快だ。
まるで空気が動き出したかのように見える。
そして吹くとしもないそよかぜが時々は彼らを消して、
其処へひとひらの雲を置きかえる。
しかし天気が穏かだとその虹色の山腹から
打ち砕かれた光の矢がはねかえり、
下のほうはまるで無に満たされた入海いりうみのようだ。
われわれは内気な仔羊たちの鈴の音を聴く。
われわれは栗の樹の根がたの泉をまたぐ。
われわれは小径を教える蛇の後について行く。
そして絶えずあの軽い明るい眩暈めまいを制しながら、
毛の長いスペイン種の馬たちを眼の下に、
脚をひろげたコンパスを使って
自由に飛行の輪をえがく鳶になったように思う。
最後に小作地へつづく山の斜面の
草原を横ぎってくだりながら、
ジェラニウムのいっぱい咲いた物々しい塀に沿って行く。
教会堂があり、その小さなオルガンがある。
そこはバスク地方の中心で、マッケイだ。
われわれは通りすがりに果樹の実った司祭館へ立ち寄って、
山鴫やましぎの猟の上手な質朴な神父と
コップに一杯の葡萄酒を飲む。
彼は杖を手に、しばらくわれわれと一緒に歩く。
なぜかと言えばこれから尚も山の中腹を
端から端まで巻いて行こうと思うからだ。
われわれは牛飼の死んだ岩場を通過する。
夕影が落ちて来る。
だが向うの高い峠には光がたゆたって、
空開地に樹の立っているのが見える。
われわれは其処へ着く。するといよいよ鉄の塔。
道路、文明開花、都会と町、
そして地獄だ。

    訳者註。アスパレンはバス・ピレネー県バイヨーヌ市の南西約一五キロにある町。

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 オート・プロヴァンス

空はラヴァンドの花の薄紫をして、泥灰土の地面に咲いている。
そこからばったが飛び出して、きちきちと羽根を鳴らす。
その腹の裏側は曇った海のような黒ずんだ青でつやつや光り、
わずかに一抹の赤みを帯びている。

お前の詩句の色彩がどこから来たか知りたいか、
それは私の青空からだ、フランシス・ジャムよ。
又お前の魂を包んでいるその地味な着物は
あのばったやあの荒っぽいオリーヴの樹から来たものだ。

けれどもお前は見いだすだろう、
桑で養われた私の繭から採った絹の美しさを、
あたかも二つの無垢の丸石の上で日光が波うつように
その惓き毛が波うっているあの少女クララの胸の上に。

また山々の水がデごフンス河を高まらせる時
そこから洩れる谷のはざまの優しい嗚咽おえつに、
お前は認めないか、あのピレネーと入りまじった
エートルモンの地の激情の娘アルマイードを。

お前は母親の生まれ故郷を見捨てはしないだろう、
お前のビグールの鳥達が私のななかまどの実を食ったところ、
水がまるでのように見えたリビエの岩のほとりで
ホメールの英雄らの一人のようにお前が丸裸になって水浴びしたところを。

    訳者註。オート・プロヴァンスは現在のオート・ザルプ県とバス・ザルプ県との総称。

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 布教師

伝道に出発する彼はお別れを言った。
彼の伯父がその彼に祝福を与えた、
ラ・バスティードに近いむき出しの道路の上で。
それから今度は自分のほうがひざまずき。
立っている甥の若者から、
両眼に涙をためながら祝福をうけた。
死のような沈黙が二人を引きはなした。
私は見た、
ベロックのほうへ登る山みちを
真新らしい貧しげな袋を背負った
その小さい坊さんの姿が消えて行くのを。

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 石 工

彼は此の世で空だけしか持っていなかった。
ところで空などという物はどんな思惑師おもわくしだって
ただでも欲しがらないしろものなのだ。
彼はポーの急流が滲みこんだり皺を寄せたりする処へ
あのすべっこい積み石で石垣をつくった。
彼は仕事のことならばなんでもすらすらと遣ってのけた。
お天道様てんとさまは漆喰盥しっくいだらいに顔を映していたし、
墨縄は真直ぐな事しか知らなかった。
彼はマルクウという名だった。
私は一度も笑った事のないあの男の顔を思い出す。
彼はほとんど口をきかなかった。
石を相手では誰だって無口になるのだ。
毎年、復活祭の休みが来て
世の中が何もかも陽気になり、
水嵩のふえた、乳のように泡だつ流れの上で
水車の音が鎖のように速くなる頃、
私はきまって、其処で鏝こてを動かしたり、
正直な気泡をたよりに
水準器を使ったりしているあの男を見たものだ。
或る日一人のおせっかいが私を指さして彼に言った、
「この旦那は詩人だぜ」と。
ばかめ! そんな事があの男にとって何だというのだ。
ところがそれ以来、通りかかる私を見ると、
あの不愛想な顔がいくらか優しくなった。
或る朝、彼は沈黙をやぶって私に言った、
「旦那、ゆうべ小夜啼鳥ロッシニヨルが鳴きましたよ」

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 フランスの或る元帥の肖像

私には彼がひどく質朴な人に見えた。
それでいて濃い暗黒が支配していた時代に
黎明を呼びさましたのは彼だった。
私は今でもはっきり思い出す事ができる。
彼はぴかぴか光る槲かしの葉模様の
袖章なんぞはつけもせずに、
夾竹桃の木のそばへ
友だち二、三人と腰を下ろして、
パイプをくゆらしたり、
日当りで何か飲んだりしていた。

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 蝶の採集
       
モルラースの並木道

夏のために膨れ上がったその午後を、
私たち二人、鼻から青空を吸いこみながら。
ひどく軽い青い紗の捕虫網を手に、
ポー郊外の影多い並木道をあるいていた。
空気が燃えるようなので、
たくさんのベンチがあるのに、
私達のほかには一人として腰掛けに来る人もいなかった。
ベンチは百年もたった樹々の下に並んでいて、
木の間からは規則正しく晴れやかな空間が見えた。
私は空いっぱいに捕虫網を振りまわした、
つかまえずには置かないと確信している者のように。
だが一羽の蝶も私に翼をゆだねようとはしなかった。
それ以来私はいつも同じ熱心さを示したものだ、
やがて恋の罠わなが今度は私を襲った或る日まで
何一つつかまえ得ない事に苦しみながら。

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 イトロの泉

私はその泉が曾て自分の友であり、
それが岩壁から勢よくほとばしって、
あたかも洗濯女のように、岸に沿って、
小川の水と一緒になろうと、ためらいながら、
石の間を流れて行ったのを覚えていた。
半世紀たった或る日、
私はそれをもう一度見たいと思い、
昔父と毋とが撓たわんだ羊歯しだの影できのこを採った
その森の近くの水際に優しくすわってみたいと思った。
私は永いことかかって路を探さなければならなかった。
しかし今もなお生き残っている物といえば、
寂寞の中で悲しげに呼んでいる水の声だけだった。
私は砂の上に皺を残したまま立ち去った。

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 ジョワユーズ川の片隅

私はその場所にいきいきとした水の細糸をもう一度見いだす。
私の小さい子供たちは樹の下に靴を脱ぎすてて、
軽快な明るい流れの小石を踏んでいる。
彼らの足で水が分かれる。
私の心は、自分の天使達のそばにいて、
いくらか悲しくはあるが混じりけのない幸福を味わっていた。
残りすくない生命のこの限られた瞬間に
彼らの無心がかくも私の心を打つのはなぜだろう。
そこへ矢のように痩せたバスクの老人が一人通りかかった、
長い白髪の房を矢羽根のようにつけて。
彼はその後私がときどき猟をしに行った
あの荒れ果てた谷奥へ帰って行くところだった。
彼は古代の英雄のように昂然と私たちに挨拶をした。
そして以前は政府の役人だったと私に言った。

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『泉』

 

 カザノーヴの泉

  1

立金花りゅうきんかに被われた路のべの泉よい
私の心は青年時代へのようにお前にむかって飛んで行く。
かつては移り気だった私の心、
その後嵐に打たれた私の心、
いま音もなく静かに翼をゆする
渡り鳥のような私の心がお前へ行く。
私の心はお前にむかって飛び、
そこの一本の枝へとまって水に映るおのが姿から飲むのだ。
泉よ、村の入口で私の心が、
私の心がその枝葉模様をかきまぜた泉よ。

  2

おおカザノーヴの泉よ、お前の小さな小さな淀みの中に
私の心が巣をいとなむことを許してくれ。
その淀みは苔に被われ、
そこからお前の水が流れて岸までひろがり、
痩せた小径のふるえる真昼を、そこに貧しい男がすわり。
私はお前の黄いろい花を手に、その細々とした路をたどり、
あの年老いた貴族の住む館やかたまで行き、
庭を吹く風にリュシーとアネモネの花とがふるえる時、
五月の夜や秋の木の葉の事どもを
その老貴族から私は聞いたものだった。

  3

私はもう、あの塔に住んでいた
あの年上の詩人の処へ行く時はないだろう、
夏になると、其処から海のような松林のむこう。
薄青い地平線に荒地の弓がたを眺めたものだが。
彼は聖三位一体のおしえを
生涯かけて守りつづけたあの人達と
同じ静けさの中へ行ってしまった。
世紀とその凡庸とからのがれて、
貧しさを縫いこんだその外套の
大いなる美の中へと行ってしまった。

  4

私はよくお前の事をあの人に話したものだ。愛する泉よ。
二十歳の散歩の路のおりおりに立ち寄っては、
樹の皮の下で歌う樹液のように
すなおで単純な私の詩をあの人に、
杯を献げるように献げるために持って行ったものだ。
あの人はそれらの詩を味わって、
お前から霊感をうけたその水の甘美なことを認めてくれた。
そして大空がその深い洞窟へ流しこみ、
お前の母なる俄雨がその革袋から一滴一滴と落とす
あの水のリズムをそのままに持っていることも認めてくれた。

  5

おお、カザノーヴの泉。
私の愛するものを映す六番目の泉よ。
人がアフリカの地で蜃気楼を見るように、
私の最後の流浪のなかでもお前の蜃気楼しんきろうが、
其処の魔女でもあれば女王でもあるお前の力で
このベアルンの緑地オアシスにもういちど
遠い昔のまぼろしを湧き上がらせてくれればいい!
そしてそのまぼろしが光の広がりとなって現れる時、
それを曇らせる事のないようにと、
お前の上にかがみこんで私は息を凝らすのだ。

  6

桜草や鳶尾いちはつのあいだから、
雲母に照らされた絹のように光る穀物の塵のあいだから、
最初に現れるその風景がどんなだろう。
ポプラーの立ちならぶ街道が
まだいかめしい塔も知らず、
大きな釜の廻転している瀝青タールの道も知らない時、
荷物を山と積んだ誇らしげながた馬車が
小川の水のように楽しく響く鈴を鳴らし、
吠える犬達をうしろに随えて
道を進んで来る遠い昔の風景よ。

  7

かんの強い馬に乗ってやって来るのは
ユベールとその妻君だ。
彼女は或る不幸な日にその眼を閉じたのだった。
歌え、おお我が泉よ、彼らのために喪の歌を。
エリザベートが走っている。
埃の立つ地面の上で彼女の靴が白いだけに、
それだけその髪の毛が黒く見える。
そして彼女の逞しい腕は弓がたをえがいて競技をはこび、
青空を透かして見せるそのラケットが
勝ち胯った打ち込みの時にはまるで翼のようである。

  8

お前の水は、私の隣人であり友でもある年寄りの公証人が
ゆっくりとその平和な仕事にとりかかり、
彼の玄関に被いかぶさる樹の枝葉が
その影を薔薇の花にまじえる時に微笑する。
やがてそよ風が彼の姿を吹き消してしまう。
彼の此の世での決算はできた。そしてその分前わけまえとして
彼はおのれの属していた物からあの優しい物をうけとるのだ、
村のはずれの美しい庭、
其処に夫婦が、彼とその妻と子供らとが、
ふたたび天国で一緒になるあの美しい庭園を。

  9

それならば現在はふたたび過去と一緒になるだろう。
彼らは一人は一人と次々に姿を消してゆく。
溝のふちにすわっていた貧しい男や、
あの貴族や、若いイギリス人たちや、
その彼らについて行く飼い馴らされた小さい牡鹿を
今もう一度私は見るのだ。
鹿はちょっと耳をそばだてて。
それから大いなる「死」の曲り角で見えなくなる。
それならば毬まりを打ちこんだあの娘は何処へ行ったのか。
あの年老いた公証人は何処へ行ったのか。すべては平和だ。

     10

おお泉よ、平和を。我らすべてに平和を与えてくれ。
我らのうちに平和をそそげ! 我が青春の泉よ、
お前の清らかな胸の上で、おお我らの乳母よ、
粘土をも通すお前の永遠の涙をもって
いばらに貫かれた我らの哀れな心を揺すってくれ。
お前の斯くもさまざまな訴えを
海へ追いやる神の証人、
太陽と緑の木蔭との祖母よ。
「愛」の現れる時まで我らに水そそげ、
大いなる天国の海にあの「愛」の現れるその時まで。

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訳者の後記

(生い立ちから最初の詩集まで)

 フランシス・ジャム Francis Jammes は一八六八年十二月二日、フランスのオート・ピレネー県の小さい町トゥールネーで生まれた。ベアルン地方出身の父親ヴィクトル・ジャムは収税吏、母親アンナ・ベローはバス・ザルプ県出身の、これもまた財務関係の役人の娘だった。同じフランスの南部でもオート・ピレネー県がほのぐらいスペインと国境を接して、雪に飾られたピレネー山脈を背景にしている一方では、アルプスの余勢をうけたバス・ザルプ県がイタリアの国土と相隣って、地中海の晴れやかな光といぶきを浴びている。両親の血の活力にいくらかの影響を与えていただろうと思われるこの互いに異なる二つの風土の性質が、詩人フランシス・ジャムの中にもまた生きていたろうと推測するのは自然かも知れない。その上彼には父方の祖父でジャン・バプティスト・ジャムという人がいた。この人は二十歳の時に志を抱いて故国を後に遠く中央アメリカの仏領アンティル島のグヮドゥループに渡り、そこで成功を夢みながら医師の仕事に従事していたが、ポアント・ア・ピートルの大地震のために破滅して寂しい生涯を送ることになり、しかも二度と祖国へ帰ろうとはしなかった。この祖父とその手紙の事はこの訳詩集の中にも出て来るが、若いフランシス・ジャムはこの人から熱帯の島や海への半ば神秘的な情熱をまじえた、精力的で夢想的な傾向をうけついだように思われる。一方母方の祖父オーギュスタン・ベローは情緒ゆたかな卒直な人で、音楽と詩に傾倒していた。この人は若いころユーゴーや、ミュッセや、ジョルジュ・サンドに会ったり、自作の詩の小冊子を出したりしたことがあるそうで、孫のフランシスにはロマンティシズムの代表者のように見えた。祖父と孫とは家族の者に内緒で詩を書いては、互いにこっそりと見せ合っていた。こうした祖父が小さい孫に詩への愛や尊敬を鼓吹し、文学への眼を開いてやったことは疑いがない。燃えるようなアンティル海の空の下で一生を終った豪毅で奔放な父方の祖父と、清涼な故郷ベアルンの地で芸術のアマチュアたることに甘んじながら平和な生涯を閉じた母方の祖父。この二滴の血のしずくは、フランシス・ジャムの詩作品の流れの中に悲しく懐かしく陰顕しているように思われる。
 一八七五年七歳の時から一八八八年二十歳まで、ジャムはその父親の任地の関係でトゥールネーからポー、サンパレー、オルテズ、ボルドーと、いくたびか住居を変えた。小さい時から孤独で悲しげなおとなしい子供で、学校でも元気のいい乱暴な級友とは一緒にならず、母親に連れられて教会へ行って、蠟燭の揺らめく光や強い香の匂いの漂いのなかで夢見心地になったり、父親のお供をして長い野道の散歩をしたりする方が好きだった。そしてその父親の感化もあって植物や昆虫の採集に夢中になり、中学時代には「歴史の時間の間じゅう外そとの花を眺めていた」という有様だった。こうした厳粛で甘美な教会的な空気や花と生物への特別な愛が、後年の彼の詩をあらゆる機会に生き生きとさせている事は、この詩集でも読者の見られるとおりである。また一面ではかなり強情なたちだったとみえて、大叔母の一人から「お前は強情な子だ。だから柳の木を若いうちに折り曲げるように、お前も折り曲げてやらなければならない」と言われたそうだ。なるほどこの気質もまた、彼の詩作の態度やその自負の中にかなりはっきりと現われているように思われる。
 十七歳の時のボルドーで彼に一つの新らしい体験があった。彼はこの古い大都会のたそがれに、或る窓ガラスのむこうで、ガス燈の明りに照らされながら縫い物をしている「一人の細そりとした、まじめな少女の横顔」をかいま見たのだった。ついに言葉をかわすには至らなかったが、これが彼にとって初めての恋愛の感情だった。そしてその処女のおもかげは長いあいだ彼に付きまとい、彼の熱い夢想を養った。われわれはその痕跡を、これもまた彼の全作品の随処に指摘することができる。
 しかしもう一つの更に重要な体験は、一八八八年二十歳の休暇中に、彼がおのれ自身を見出したことである。「私が自分の詩ポエジーを発見したのは、アッサ街での午後も遅い或る夕ぐれ、小さい青い部屋の中でのことだった。おりから杉の木立の下からは子供たちのメランコリックな叫び声や、若い娘たちの笑い声が聴こえてきた」と、彼はその思い出を述べている。そしてこの時初めて、ジャムは自分の文学的表現の努力が向かうべき方向を悟ったのだった。すなわちおのが本能と一致したものを採り上げること、感覚と並行したイメージの尊重、芸術的であることを警戒してもっぱら光を求め、最も有りふれた言葉を用いること。その時ついに芸術はふたたび姿を現わすだろう、と言うのである。
  私は自分の蘆あしのペン軸をとる、
  そして私の頭に浮かんだことを言う……
 こうして彼はその頭に浮かんだことを八十九篇の詩として書き流し、一冊の小さいノートに清書して、これに単純で意味深い『我モワ』という題をつけた。
 厳格な詩法に則のっとらず、在来の約束を無視したこれらの詩は、その霊感の新らしさ、大胆さ、その言葉の平明さ、みずみずしさによって特色があった。そして一つの霊感はつづいて他の霊感を呼びさました。また感情の単純さは言葉の単純さを引き出し、その単純な言葉が却って複雑な感情を解きほぐす役割を果たした。他人の思わくを気にしない、自分自身への完全な誠実。天候にせよ音にせよ色彩にせよ、すべての周囲の変化に即応するとびきりの敏感さ。一種の自然神教のように、特別な教義の枠からはみ出した宗教的感情と、創造の美の礼賛。繊細で暴烈な欲情をまじえた恋愛の感傷主義。極端を避けた細心なユーモア。傑出した観察の天分。血のつながりから来る異国趣味。田園生活への本能的な愛と理解。「様式」に従おうとしない直接的な様式。最も普通な形容詞や最も平明な言葉による現実的イメージの再現…… およそこういうのが当時のジャムの作詩法の綱領であり、また後年の作品を支配するいわゆるジャンミズムの骨子だった。
 同じ一八八八年の十二月、父親ヴィクトル・ジャムが心臓病で急死し、オルテズに埋葬された。未亡人と子供たちとはボルドーを後にそのオルテズヘ移り住むことになった。オルテズはバス・ピレネー県の小さい古びた町で、その頃には人口六千、寂しい静かさと憂欝の魅力を持っていると同時に、どこか堅苦しい感じのある田舎町だった。二十歳の青年フランシス・ジャムは、初めのうち其処の刺戟に乏しい単調さに苦しんだが、母親のすすめで土地の或る公証人の見習い書記になった。そしてその仕事にいくらか馴れてくると、暇な時間を釣や狩猟や植物採集に凝るようになって、法律家の仕事よりももっぱら田舎や野の生活のほうに親しんだ。そしてその間には詩を書きつけたノートがだんだんにふえていった。ジャムは或る日母親に、エスタニョル先生の後を継いで公証人になることは止めたいと告白した。母親は詩にたいする息子の愛を理解してその願いを容れた。それ以来ジャムは約つましい生活に甘んじながら詩を書くことに専念することができた。一八九〇年には姉のマルグリットが結婚してアルマニャックへ去った。母と息子の二人暮らしになった。ジャムは畑の監視人をしたり、猟をしたり、釣をしたり、長い時間の読書をしたり、オルテズの文学サークルを訪ねたり、バスクの海岸やスペインへの小旅行を試みたりして日を暮らしていたが、その間にも彼の詩的才能はおもむろに成長を続けていった。
 一八九一年、二十三歳の時、フランシス・ジャムは『六つのソネット』という少部数の薄い詩集を自費出版した。むろん田舎町オルテズの工場での印刷だった。つづいてその翌年七篇の詩を集めて『詩篇』と題する新らしい小冊子を出版した。これは彼が詩人としてのおのれの地歩を確立するためだった。オルテズやその近隣での評判は香ばしくなかったが、熱烈に彼を支持する中学時代の旧友シャルル・ラコストや、シャルル・ヴェイエ・ラヴァレーのような若者たちもいた。中でもオルテズに住んでいた若い英国人の作家ユベール・クラッカントルプが熱心だった。彼らはジャムのノートの中から二十一篇の詩を選び出して、一八九三年に前のと同じように『詩篇』と題して三冊目の新らしい小冊子を刊行した。ジャムはその序文の中で、「真実であるために、私の心は子供のように語った」と宣言した。ユベール・クラッカントルプはこの友のためにそれをパリのマラルメと、ジードと、アンリ・ド・レニエとに送った。三人とも互いに傾向を異にした詩人であり、ジャムのそれとも甚だ違った人達ではあったが、いずれも同じような温かい言葉で彼を称賛し勇気づけた。
 たとえばステファーヌ・マラルメはこう書いた。「私は本当に楽しくこの詩集を味わいました。そんなに遠くで一人生きながら、あなたはどうしてこんな精妙な楽器を作り出すことができたのでしょうか」。またアンドレ・ジードはこう書いた。「甚だ珍貴でもあり個性的なものでもあるこれらの感動的な作品は、私の内に共鳴するものを呼び起こしますし、私として完全に理解することができます。とりわけ私の愛するのは、今までに表現されたことの無いような感覚を、現に存在する現実なものとしてあなたに感じさせたその真摯さです」。そしてアンリ・ド・レニエは書いた。「細心で味わい深いこの詩集、両面に豊かで、訴えと古い歌に満ち、忍耐づよいと同時によく省略されたあなたのこの詩集は、その真率さと、表現の独特な巧みさと、そのリズムの妙とで私を魅了しました」。
 こうしてフランシス・ジャムの異常な詩的経歴は始まり、首都パリでも注目を引くようになったが、一方、当時のフランスの前衛的な雑誌『メルキュール・ド・フランス』の批評家ルイ・デュミュールなどは、この若い詩人を一種のまやかし者のように扱って、こんな戯文めいた事を書いている。「この薄っぺらな小さな本は、ひどく風変りな、不思議ないでたちで姿を現わした。著者の名は未知のものである。或いは偽名ででもあろうか。それに姓の綴りもあまり正確ではないように思われる。むしろジェイムズ(James)と書いた方が一層正しいかも知れない。一見イギリス風のこの小冊子はバス・ピレネーのオルテズで印刷されたものである。そして今私の眼前にある本に手書された若干の言葉は、不器用な小さい学校生徒のような筆蹟である。内容もそれに劣らず変っている」。
 しかしやがて人々は、彼が一時のまやかし者ではなくて本物だという事を悟った。ピエル・ロティは彼をビアリッツの別荘へ招待した。アンリ・ド・レニエは彼を『メルキュール・ド・フランス』の寄稿家の仲間に加えるように計らった。そして詩集の中の最後の長篇対話体の詩「或る日」に感動したアンドレ・ジードは、それを出版することを『メルキュール』の支配人アルフレ・ヴァレットに要求して容れられた。但し出版費用は著者持ちだった。二百三十フランが必要だった。それは到底ジャムには負担のできない金額だったので、シードが奔走して作ったと言われている。
 一八九五年の終りに、ジャムは生まれて初めてパリヘの旅をした。しかし大都会の喧騒の中で会った種々雑多な文人社会の空気は彼を憂欝にした。彼は急いでオルテズの家へ帰った。ただアンリ・バタイユの紹介で、やがて終生の友となった心優しい繊細な詩人アルベール・サマンと相知ったことが思わざる収穫だった。
 オルテズヘ帰るとしばらくの間、ジャムは文学上の疑惑にとらわれた。新らしい本『或る日』にたいする批評家たちや周囲の沈黙もその原因の一つだった。しかも今度もまたジードやマラルメが慰めと激励の言葉を送ってくれた。そしてアルベール。サマンも書いてよこした。「私の魂はこの詩の単純さと優しさとの中に溶け入る思いでした。なぜかと言えば、精神を干し涸らす知的過熱の世界にいて、これは人によって運ばれ、万人が飲み干す一杯の明るい水のようなものですから」と。その後ジャムは『メルキュール』のほかに『ルヴュ・ブランシュ』や『エルミタージュ』のような雑誌にも寄稿ができるようになり、また『地の糧』を出したばかりのジードに誘われて北アフリカへの旅もした。しかしこういう旅行は彼の性に合わず、ベアルンの地への郷愁に襲われて二週間ほどで一人先へ帰国した。静かさと寂しさとの漂うオルテズこそ彼の自由と安らぎの世界だった。そこでの生活は、彼も『未発表の日記』の中に書いているように、「この上もなく優しく、持続的で単純で、あたかも雨をもたらす風の方向を知らせる屋根のてっぺんの亜鉛とたん製の風見の鶏を思わせる。今私は自分の部屋にいる。私の忠実な犬は私の足もとで眠っている。私をめぐってすべては静かで、ひどく弧独なことが感じられる、私はパイプに火をつけて徐ろに物思いにふける。そしてこの寂しさは私の魂をひどく単純に、またはなはだ複雑にする」。
 こうして古い田舎町の静寂と単調との中で詩作を続けているうちに、一八九七年には『詩人の誕生』という詩集がベルギーのブリュッセルから出、次いで翌一八九八年の四月には今までの作品を総括した詩集『暁の鐘から夕べの鐘まで』が、ついにパリのメルキュール・ド・フランス社から出版された。そしてジャンミズムが堂々と宣言され、新風を望む若い詩人たちの眼が一斉にオルテズヘ向けられた。この詩集『暁の鐘から夕べの鐘まで』は正にフランシス・ジャムの最も充実した作で、彼の全貌や特色を知るにはこの一冊を読むことだけで充分だと言える程である。なぜならばそこにはジャムの詩法を構成するすべての要素が生き生きと採り入れられており、この詩集につづく以後の諸作は、(中には一層価値の高いものもあるが)、その延長か、或いはその各断片の開花したものにほかならないからである。

(この本のために訳者が使ったジャムの詩集)

 ジャムには散文や劇的な作品を別にして大小二十数冊の詩集があるが、もちろん訳者はその全部を持ってはいないし、持っている本から選んで訳した詩にしても、この本に入れるとなれば数の上にも制限がある。そこで結果として長短合わせて百十篇あまり採り上げられることになった。しかし数こそ少ないが。これだけでもフランシス・ジャムの終生の詩がどんなものであったかを知るには足りるかと思う。そして、更に、これらの詩を原語で読んでみたいという特志家たちのために。訳者は次にその出典を明らかにして置くことにする。
『暁の鐘から夕べの鐘まで』 De l'angélus de l'aube a l'angélus du soir : Paris, Mercure de France.
『桜草の喪』 Le deuil des primevéres : Paris, M. de F.
『雲の切れま』 Clairiéres dans le ciel : Paris, M. de F.
『四行詩集』 Livre des quqtrains : Paris, M, de F.
『わが詩的フランス』 Ma France poétique : Paris, M. de F.
『泉』 Sources : Paris, Le Divan
 なお一冊になった選詩集としては、メルキュール・ド・フランス社発行のChoix de Poemesをお奨めしたい。これならば比較的容易に入手できると思うし、詩の数も多く、代表的なものはほとんど採り入れられている。

(晩年と死)

 一九二一年、五十三歳のフランシス・ジャムは、敬虔なカトリック教徒である或る老夫人の遺産を相続するという幸運に恵まれた。年老いた母と、妻と、七人の子供と、召使いとをかかえた生活は、どんなに働いても本を書いても、またどんなにつましく暮らしても苦しいものに違いなかった。その上住み馴れたオルテズの家は借家だったので、家主がそれを他に転売する決心をした時には拒むこともできなかった。そこへ天からの救いのような遺産相続だった。ジャムは思い出多いこのベアルンの町の家を捨てて、バスク地方のアスパレンヘ移った。そこは山岳地帯のはじまるところに位した大きな村で、牧歌的、農事詩的な風景にかこまれた場所だった。彼はそこで一軒の家を買った。素朴で、堅固で、緑に包まれて、藤の蔓に被われたその家は、まさに田園詩人のすみかにふさわしかった。
 一方、文壇の風潮や一般の文学的嗜好の変化はジャムの作品を時代遅れのものとして、もう昔のようにはもてはやさなくなった。従って書く物からの収入も減って物質的な困難は相変らず続いた。その上子供たちの将来を考えると心の休まる暇もなかった。それと同時に他方カトリック教徒としての信仰はますます厳しいものとなって、彼を清らかな霊的なものの方へと引いて行った。一九三四年にフランシス・ジャムは書いている――
 「老いた野武士よ、お前は何を待っているのだ。お前の杖は地に落ちた。
 お前の墓の上で寝るべき犬はもう死んだ。
 そしてお前の子供らは散りぢりになった。すべては崩れ去ったのだ」
 「私は待っている、毎朝、イェス・クリストの過ぎ行きたもうのを」
 一九三七年、彼に文学上の最後の喜びがあった。パリの万国博覧会での大講演会に招待されて、そこで彼自身の作品が称賛されるのに立ち会ったのだった。ポール・クローデルとフランソア・モーリアックとに囲まれてもう一度じかに公衆と接し、本当の勝利を味わい、新聞や雑誌からも祝福の声を聴いた。人々は決して老いることのない詩的真摯と卒直の担い手として、改めて彼に眼をみはった。
 しかしこのパリの旅から帰ると間もなく彼の健康状態は悪化して、医薬の治療も甲斐のない重い病いにとりつかれた。その死ぬまでの数ケ月間の苦しみは真に堪えがたいものだった。しかし彼は驚嘆すべき忍耐力でそれと闘い、はげしい苦痛の中でもクリストとの結びつきを念じて、ひたすら希望と神の憐みとを祈った。そして一九三八年十一月二日、諸聖人祭の日、フランシス・ジャムは七十歳を終焉としてその魂を神にゆだねた。聴くことのできた最後の言葉は「オルテズ」の一語だったと言われている。

 

          一九六五年六月二十日
           つゆの晴れ間の多摩河畔淡烟草舎にて

                         尾 崎 喜 八

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