デュアメル・尾崎喜八
  「わが庭の寓話」
 

  この仕事について*尾崎喜八      

無心の庭

ボアズの目ざめ

放棄された蟻塚

腹 黒

ジャム

墓所の選定

旅行の必要

性格の強さ

完全のための弁護

私は見た、彼ら二本の
実桜が

ニューヨークの群衆

古い木の柱の歎き

港での難破

霞む眼をした馬

節制の法則

果実の神

砂糖大根の反逆

英国式教育の危険

ひるがお

うぬぼれた植樹者

償いがたい損失

殺 す

矯正し得ぬことども

ディック、或いは義務
の観念

憂鬱な仕事

鼠 狩

更に大いなる力の場合

哲学者の夢想

実例の力

主人の耳

蜜蜂と蜘蛛

群衆中の苦悩

一匹の猫からの教訓

若い病人

郷愁の書取り

我ら、別の文明が……

季 節

招待状

エレオノール、又は
誠実な魂 

均衡の法則

怠け者の生徒のための
口頭弁論

愛の眼

逆境の利益

感傷的な散歩、又は緑
の贈り物

節操なき者

能力についての
短い問答

流寓の苦しみ

使 者

しあわせな道路

路上の話題

徳の曲折

繁栄の法則

 

天使の喇叭

八月四日の夜

成功の苦味

祈っている牝山羊

 
 

現世的な富の軽蔑

三つの格言

世界の音楽

打ち捨てられた墓

 
 

丘と川

不作法者

詩人と獅子

利口な花売り娘

 
 

権力の哲学

アリースと老人たち

慎重な寄食者

ささやかな報酬

 
 

寓話の愛好者

庭の戒め

又の世のための草案

夕べの風のためのコン
チェルト

 

 

 

目次へ

 

 この仕事について       
                      尾崎喜八

 ジョルジュ・デュアメルの『わが庭の寓話』との語らいを漸ようやく終わり、私はやれやれという気持で今一息ついている。彼と手を連ねてゆっくりとその邸内や庭や近隣の田舎を歩きながら、どんなに彼の話を聴き、どんなに色々の物を見、どんなにたくさんの事柄を学んだことだろう。思えば友であると同時に先輩であり、又一人の賢者でもあるデュアメルという人間を、その日常生活の中で観察するという幸福を私は持ったのだった。そして又この友はさまざまな機会に暗示を与え、それとなく教えを垂れて私を賢くした。もしも彼がいなかったならば、もしも彼から注意されなかったならば、どれだけ多くの貴重な事を私が見過ごし、聴き流してしまったことだろう。
 「僕も寓話を書けたらばと思います。僕の庭の寓話を。しかし残念な事に僕は庭を持っていないのです」と言って嘆く或る青年の言葉が一晩じゅう彼を考えこませる。そして彼はこう言う。「まだ庭という物を持たなかった頃、私はリュクサンブールの林の中で寓話の咲くのを眺めたものだ。熱心な愛好者にとって、寓話を育てるためにならほんの小さな庭が一つあれば充分だ」そして控え目に言う、「私ならば窓のへりに置いた一鉢からでも、それを生長させるだろうと思うのだが」と。
 こう言われてみて、さて今自分の窓からの狭い谷間の風景を眺めただけでも、デュアメルのような心と眼とをもってすれば、寓話の花は此処にも彼処あそこにも咲いている。時しも秋の終わり冬の初めで谷を囲む山麓の林は黄に赤に、鳶色に紫に皆美しく彩られ、その上に拭き清められたような青空がひろがり、穏かな日光が燦然さんぜんと照り渡っている。そしてたまたまその大空の西の方にたった一つ浮かんでいる白い小さい片積雲が、語られた物語の終わりの一句か、語られる話の書き出しのように見える。しかし「窓のへりの一鉢」どころか窓の向うの豊麗な風景からでさえ、もしもわれわれに表現の力と豊かな人生智とが無ければ、たった一つの寓話でも此処から生み出すことはできないだろう。

 デュアメルは一八八四年六月パリに生れ、一九六六年四月ヴァルモンドワの田舎の自宅で、八十二歳の高齢をもって此の世を去った。元来は科学と医学畑の学徒だったが、同時に二十二歳の頃からシャルル・ヴィルドラックやルネ・アルコスのような詩人達と僧院派アペイストという文学的流派を起こして、自分たちの本を自分たちの手で植字し、印刷し、発行した。そして『伝説・戦争』というのが一九〇七年に彼のみずから作った第一詩集だった。彼の著書は全体で八十種近くあって、長篇の小説もあれば幾つかの戯曲もあり、第一次欧州大戦の時に軍医として前線で働いた時の見事な回想録もあり、詩集もあれば詩や音楽に関する評論集もあり、文明批評の本もあればほとんど全世界への旅行記もあり、その中には『伝統と本来との間の日本』という我が国訪問の書物もある。彼は一九六四年満八十歳の祝いをすると同時に以後執筆をやめ、それから二年静かに病いを養っていたが遂に家族に見守られながら他界した。
 彼は音楽を愛し、中でもヨーハン・セバスチャン・バッハの作品を愛した。そして『慰めの音楽』という本の中でこう言っている。「もしも家族の者に取り巻かれて死が与えられるならば、バッハの思想が私と共に、私の周囲に、私の上に在るようにと祈る。その時『聖ヨハネによる受難曲』の最後の合唱を聴くことが、私にとってさぞや心楽しいことだろう。この合唱はいつでも私に漫々たる波を、世代から世代へと幾世紀の夜をとおしてキリスト教の思想を遠く運ぶ深い深い人間の波を想わせたのである」

 「もしも私が故国から遠く、わけても我が家を遠く、愛する者達からもまた遠い処で斃れなければならなかったら、ヨーハン・セバスチャンが私の憩いのために、悟りのために、解脱げだつのために、救いのために作曲してくれたあのけだかい歌、もう永久に見分けのつかない程よく、又それ程遠い以前から私の思いに混じりこんで来たあの歌、誰でもが歌い、誰でもが歌うだろうあの歌、そしてしかもヨーハン・セバスチャンと私との間の秘密であるあの歌を、ただ一人で、声も無く、少なくとも心の奥所おくがで歌う力を与えられたい」と。愛する家族に囲まれて死んで行った彼のために実にこの最初の願いこそは満たされたのだと言うべきであろう。
 一九五二年の秋、デュアメルはフランス政府の文化使節として夫人同伴で来日した。その時私は二日ばかりを彼と連れ立って歩いたが、『わが庭の寓話』の中に現れる自由な精神の持主である彼、誠実な彼、時にユーモラスな彼の姿を、色々な機会に見る事ができて楽しかった。季節は十一月だった。私は一団の人々と共にデュアメル夫妻を囲んで、鎌倉建長寺の静かにほのぐらい、ほとんど塵一つとどめない清潔な広い境内を歩いていた。管長との禅に関する質疑応答というその日のプログラムの一つを片づけた後の気安さのためか、デュアメルはすっかり寛いで、われわれが彼の作品の幾つかを通じて既に充分なじみになっているあの独特な散歩の歩きぶりを、即ち眼や耳や、特にその鼻の機能と同時に働く自由な心をのびのびと拡げて、逞たくましくて柔か味のある長身の背を少し前かがみに、眼鏡の厚いクリスタルが屈折する碧みを帯びた金色の瞳をちらつかせながら、ゆったりと着た淡いアジサイ色のダブルの外套に灰色のソフト帽。しぜんな歩調で足を運んだり立ちどまったり、又時にはほんの暫しの瞑想に陥ったりするあの歩きぶりを見せていた。それで私は曾て読んだアシール・ウイのこんな文章を思い出さずにはいられなかった――
「私はこの庭の並木道での対話や、またヴァルモンドワの方へぶらぶら歩きながら、トネリコや、ハシバミや、ソクズや、ニレの木の間を行くあの狭い路でした彼との対話を思い出すのが好きだ。デュアメルはその曇ったような、然し疲れを知らない美しい声でさまざまの逸話や、思い出や、註釈を話してくれたが、その話題はいつも新しくて、こくがあって、しっかりしていて、聴く者の精神を魅了した。彼の自由な天賦は、彼の著書の中でと同様にその話の中に楽々とひろがった。それはあたかも水源からしぜんに噴き出す透明で味わい深い水のようだった」と。
 本当にそうだった。私も建長寺の庭の中を彼と並んで歩きながら、問われるままに周囲で囀りかわしている日本の小鳥の名だのその習性だのを、知っている限り、そしてフランス語で答え得る限り話したが、デュアメルは一々うなずいたり小鳥たちの群れている森の樹々を見上げたりしていた揚句の果てに、「それにしても君はフランスへ来なければいけない」と言いながら、優しく私の肩を撫でた。私が『わが庭の寓話』を翻訳する事を彼自身の口から奨められたのは間も無くの事だった。そして私は喜んでそれを実行した。
 彼は『想像的覚え書きについての摘要』という一文の中で、寓話というものについてこんな事を書いている。「私は寓話を愛する。もしも寓話が無かったら私の生活はどうなるだろう。私は寓話のただなかを歩いている。それは私の草原で花咲き、私の思想と混じり合っている。それは私の思想であり、私自身であり、私はそれを自分の思想、自分の宇宙、自分の寓話的宇宙と区別しない」と。
 寓話的宇宙とは想像をとおした自然的真実の世界であり、一般的真実の調和の世界である。今やデュアメルは其処まで行っている。ルイ・サラヴァンやローラン・パスキエたちの生みの親であり、『世界の所有』の詩人であり、またすぐれた科学者でもある賢者デュアメルは。

 

 

 

 

目次へ

 

 無心の庭

 厚い黒雲がつみかさなる。硫黄の気をふくんだ莫大な煙霧をしたがえて、物悲しい夜がもう南のほうから湧きあがって来る。一陣の急激な荒々しい風が穂草を押しわけて走ってゆく。あたかも恐怖にとらわれたかのように、大地は遠くまでとどろいている。嵐がはじまって、通る道筋をさがしているのだ。ことによったら、彼はわれわれを見のがしてくれるかも知れない。恩恵を垂れてくれるかも知れない。また、ことによったら、彼はその水の怪物の足でわれわれを踏みにじるかも知れない。そして、いくばくもなく、われわれの窒息した田舎が豪雨の下で苦痛の叫びをあげるかも知れない。
 しかも、それなのに、重たい如露をにぎった園丁は、今のところまだ平穏である庭へ理性的な雨を撒いている。
 あたかも、どんな希望も結局は容れられるものかのように、どんな渇きも喜びのうちに癒さるべきであるかのように。最小の花といえども、信頼と歓喜とのなかで永遠に生きるはずであるかのように。                               (デュアメル)


 

 レントゲンで検査をすると、私の胃袋には古い胃潰瘍の痕跡がまだ残っているという今のところ体の何処にもこれと言って故障もないが、万一の勃発を予防するために、ここ十何年間、医師からあたえられる薬を一日に三度きちんきちんと飲んでいる。医師というものは元来理性的だが、その言葉に信頼して長年同じ服薬を続けている私も理性的と言えば言える。そして互いに理性的である事が、どうやら私の体という「無心の庭」を、(永遠にではなくても)、当分は護ってくれるようだ。                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 ボアズ註1の目ざめ

 もしも四月の凍てにあれほど驚かされなかったら、築山のうえ、塀とすれすれに植わっているノウゼンカズラは、申しぶんなく幸福だろうにと私は思う。彼は今、双生児のような二本の太枝で立ち、ちいさい柳のように、その先端に胴のふくれた王冠をいただいている。そしてこの王冠から若枝がすくすくと出るのである。園丁は、毎年冬になると、その年の枝を切ってしまうが、新しい芽が噴き出すのは、実にこの強壮な太い枝からなのである。
 古い枝は筋だらけで、悲しげである。生活力を奪われたように見える。花や葉むらの荷物を持っているのはこの太枝なのだが、そこには芽というものがまったくない。まるで隠退した者の姿である。
 美しい緑の細枝は、樹液にみたされて、塀のむこうがわに波うちたわんで、八月いっぱい、その肉色や茜色をした大きな脆弱な鐘状花を、ちいさい庭のなかに落とすのである。
 春の最初のほの暖かさがおとずれると、われわれのノウゼンカズラは、恍惚として、やわらかい青銅色ブロンズの大きな芽をかたちづくった。すると、なにか底意にとらわれた冬がまた引き返してきた。彼はすべての芽を凍らせてしまった。たった一息で、たましいまでも。
 二、三週間というもの、私は心から我等のノウゼンカズラと一緒に苦しみつづけた。私は樹液のことを、むなしく時を待ちながら仕事を見つけることのできない、あの囚われの力のことを考えた。若々しい木へのあらゆる希望は永久についえ去ったかに見えた。われわれの木は死ぬのだと痛む心で私は思った。
 と、その時、悠々と、荘重に、彼のすべての記憶、すべての天分、すべての感激を集注しながら、我らの古木は枝を出した。                      (デュアメル)

 訳者註1 ボアズはルツの夫、彼女によってダビデの祖父になる子を得た。旧約聖書の「ルツ記」を参照。


 

 庭の広い東京の家から、庭の狭いこの鎌倉の家へ移った時、私達は大小さまざまの愛する木々を犠牲にしてきた。毎年の春三月、葉に先立って細かい黄色い花をびっしりと咲かせるサンシュユも、秋の終わり冬の初めに竹垣にそって色とりどりに小径を飾るサザンカも小さい孫達や小鳥のむれを喜ばせるカキ、グミ、モモやイチジクも、すべて愛惜の思いと共に残してきた。ただ畑の隅に植えられて余り顧みもされなかった一本のウメの木だけはどうしたはずみか他の植物たちと一緒にトラックに積んで運ばれてきた。
 そのウメは鎌倉へくると往来に面した庭の片隅に植えこまれたが、二年たっても三年たっても、まるで枯れた物のように花は愚か葉さえも碌につけなかった。私達はもう半ば諦めた。東京のウメは仲間の多いこの鎌倉の地へ連れてこられてもなお望郷の思いにさいなまれ、ついに絶望して生きる力さえ失ったのだと思った。そこへ秋の或る日、かつて東京の家の畑へ彼を植えた老植木職が訪ねてきて、自信に満ちた鋏を鳴らしながら思いきりその枝を切り縮めた。木は小さく円くなった。するとどうだろう! そのウメは仮死と沈黙の四年目に突然びっしりと蕾をつけ、私達の驚きと喜びとをよそに毎朝凛々と潔く強い純白の花を咲かせた。実を言えば老いた私もこのウメに、この目ざめたボアズにあやかりたい。       (喜八)

 

 

  

目次へ

 

 放棄された蟻塚

 近づいて見ると、放棄された蟻塚は、一種深い静寂に支配されている。単に物音がしないという、そんな静かさとはちがった静かさである。それはむしろ亡びたざわめきまであり、むしろ音響の死骸である。それにまた、空虚な蟻塚に動きがないということは、単なる運動の欠如ともちがうのである。なぜかといえば、眼は、いたるところにまだうろうろ歩いている亡霊どもを見るのだから。散策者は、なにかむずむずする影のようなものが足首へよじのぼってくるのを感じる。ちょっとのあいだ其処にたたずんでみるがいい。すると、思い出のような蟻の幾匹かが襲ってきて噛みつくであろう。
 しかし彼らの町はひどくさびれている。周囲の草地は手入れをされない藪のように見える。もう地面は、蟻どもがその幾百万のちいさい足でならしたり微妙に踏みかためたりした、あの道路でえがかれてもいなければ、彫刻されてもいない。いまや小枝でできた蟻塚は一個の雑然たる納骨堂の観を呈している。
 ステッキの先で、私はうっかり地面をたたく、すると、どうだろう。一匹の孤独な蟻がのっそりとした足どりで――そうだ、全くのっそりとした足どりで、――打ちすてられた町から出てくるのだ。
 彼は立ちどまる。そして私を眺める。あたかも誰かの訪問をうけることに満足しているというぐあいである。私は即座に彼を見わけた。それは砲台の監視兵である。眠っている要塞の警備を託された老下士官である。私は身をかがめて彼を観察する。老人の蟻はやっとのことで歩いている。私はもう少しよけいに身をかがめる。私は彼がパイプをふかしながら、もう古くなった数日前の新聞を読んでいるのを見る。私は膝をついてさらに身をかがめる。私は彼がリュウマチスにかかって苦痛を訴えているのを聞く。もしも私にして此処になお十五分間をとどまっていたならば、その蟻が、私にむかって、彼の司令官にこう伝えてくれと頼んだであろうことは疑いない。すなわち、もうすこしの昇級と勲章とを彼が望んでいると。         (デュアメル)



 

 オーギュスト・フォーレルやジュリアン・ハックスリーの蟻の本から貧弱に養われた私が、今この信濃の高原のカラマツ林の中で見ている一塊の大きな蟻塚は、あいにくデュアメルのそれのように放棄されてはいない。音こそ立てないが蟻達の往来は実に賑やかで、カラマツの細かい枯葉と土とで盛り上げられた大きな半球形の植民地が、今や正にその繁栄の絶頂にあるようにさえ思われる。
 私は本から教わったとおり、働き蟻の往来が頻りな彼らの通路に、アニリン染料で青く染めたシロップの一滴を落としてやる。すると通りかかった一匹が先ずそれを嗅ぎ、それを舐め、やがて貪るようにそれを飲む。すると彼の餌袋が一杯になったとみえて、その体が青味を帯びてくる。彼は一匹の仲間と出会う。そして相手と頭をつけ合って、自分の餌袋からあまったシロップを相手にあたえる。その証拠には貰った蟻の体が又青く透けたように見えてくる。こんなふうにして彼らはそれぞれ行き逢う仲間に甘い養分を分配する。分配された一匹一匹の皮膚の薄青いのがそれを証明している。自分だけうまい汁を吸って一人涼しい顔をしているようなのは少なくともこの社会にはいないらしい。               (喜八)

 

 

  

目次へ

 

 腹 黒

 庭はエニシダにも事欠いてはいない。しかし薔薇いろの花を咲かせるエニシダとなると、本当のところ、私たちはたった一本しか持っていない。その彼に敬意を表する心から、われわれはそれを草原の高みへ植えた。
 彼はつづけて四年間花を咲かせた。義理がたく、一度もまちがえずに。彼の花房は、その金色をした兄弟のそれのようには、野生の兄弟のそれのようには、豊かではなかった。そのかわり、一種言うに言われぬ色合いを、いくらか病弱な、うすい紫の脈の入ったある薔薇いろを見せるのであった。要するにすべては契約の条件のなかで最善を示していた。
 もうだいぶ前になるが、ある春のこと、この薔薇いろのエニシダは、なんの警告もなしに、一房の美しいちいさい黄いろい花を出した。それで、私がびっくりしてそのことを指摘すると、エニシダは放心したような様子で答えた。「ごめんなさい! ついうっかりしていました。これは私たちの一族の古い癖マニアなんです。ごらんのとおり、こんなことは思いがけないことですが、これは底の底から出てくるんです。それにしても、この黄いろい花はかなり出来がいいとはお認めになりませんか……」
 私は肩をそびやかせた。そして自分の散歩をつづけた。次の年、春が来ると、われわれのエニシダは花を咲かせた。しかしそれは三つの黄いろい房だった。その年は、論争をはじめるには、私の胸はほかの心配ごとで満たされていた。ところが翌年の春には、木は二十の黄いろい房をつけた。そして今年は百、すくなくとも百の房である 今度は私も怒った。庭が平和に生きてゆくためには、ここに住んでいるみんなが約束を履行して、めいめいの義務の大半を果たすべきであると私には思われるから。
 私は小径のへりへ立って叱りつけた。エニシダは一言も返事をしなかった。彼は自分のしたいと思う以外のことは決してしまいと堅く決心しているらしく、落ちつき払った、腹黒な顔をしていた。
 私は園丁と相談した。彼は謀叛をする枝をのこらず切ってしまわなければいけないと断言した。とんでもない! とんでもない! なんという傷害だ! それではほとんど人殺しだ。
 木は判決を待っている。しかし今日の彼の態度には、あくまでも人を見くびった、勝ちはこったような不逞さが見える。私がそばを通ると、(そしてそれは日に二十度もだが)、彼は私の耳に口笛を鳴らしてあざけるのである。
 「やってごらんなさい! あなたにはできますまいが」          (デュアメル)



 

 どうもこのエニシダのやった事は、当人は知らないのにいつかこういう結果になった、言わば「先祖返り」か遺伝子の再発現のように思われる。だから「約束の不履行」だの「謀叛」だのと責められたり罵られたりしても、当人としては恥じることも憤慨することも出来なかったに違いない。
 しかもそんな事ぐらい生物学者デュアメルにはちゃんとわかっていながら、もう一方の正義の人デュアメルには、彼エニシダの裏切りめいた行為が何としても残念でたまらないのである。あんなに可愛がりもし自慢にもしていたこの植物が、年々こんなふうに堕落してしかも平気でいようとは! それにも拘らず思い切って処分する事も出来ずに歎きながら諦めているのが親心のしぜんと言うか、あるいは世にいわゆる人道主義者ユマニストの弱い一面なのかも知れない。       (喜八)

 

 

目次へ

 

 ジャム

 経済学者の訪問をうけた日、ちょうど私たちの家ではスグリや、クロスグリや、エゾイチゴで、ジャムを作ったところだった。
 すると経済学者は、すぐさま、あらゆる種類の言葉と数字と数式とを用いて私に説明をはじめた。われわれが家庭でジャムを作るということはこのうえもない間違いであり、それは中世期の風習であり、砂糖や燃料や鍋類や、わけても時間の消費の点からみて、工場製の上等な缶詰を食べるほうが遥かに有利であり、こんな問題はすでに解決ずみだと言ってよく、近い将来に、世界じゅうで二度とこんな経済上の誤りをするものは無くなるだろうと言うのであった。
「待ってください、ムッシュウー」と私は叫んだ。「それで商人は私が最上とみなしているものを、私がいちばん重要だと考えているものを、私に売ってくれるでしょうか」
「とおっしゃると?」と経済学者が言った。
「いえね薫かおりですよ、ムッシュウ。匂いですよ! ねえ、嗅いでごらんなさい。家じゅう佳い匂いがしています。ジャムの匂いというものが無かったら、世界はどんなに味気ないことでしょう!」
 経済学者はこの言葉を聞くと草食獣のような目をまるくした。私のほうは熱してきた。
「宅ではですね、ムッシュウ」と私は、言った。「宅ではもっぱら匂いのために自分たちのジャムを作るんです。匂い以外のものなんか問題にはしていません。ジャムができあがると、そうです! ムッシュウ、われわれはそれを捨ててしまうんです」
 私は一種堂々たる抒情的な身ぶりで、学者を眩惑しようとしてそう言った。しかしそれは皆ほんとうではなかった。われわれもジャムは食べるのである。その匂いのかたみとして。
                                    (デュアメル)



 

 私の家では毎朝の食卓にかならず味噌汁が出る。むろん焼海苔だとか生卵だとか昨夜の菜さいの残りだとかいうように、ほかの物も幾いろか並ぶには並ぶが、何と言ってもこの昔ながらの椀の物が、その独特な匂いと湯気とを漂わせて目の前に置かれない事には一日が始まらない。
 汁の実は季節によって大根の時もあればわかめの時もあり、しじみの事もあれば里芋の事もあり、ねぎの朝もあればなめこの朝もある。味噌は信州から誰かがそれぞれ自慢で送ってくれるので一年じゅう不自由はしない。妻は粒のままその味噌を木の杓文字しゃもじで常滑とこなめ焼の甕かめからすくい出し、それを擂鉢すりばちに入れて擂粉木すりこぎで擂りつぶし、よくあたり、さらに適当にだし汁で薄めたその液体を味噌漉こしで漉して鍋に移し、それの煮立ったところへねぎなりしじみなり前記の汁の実を入れて尚も沸騰させるのである。
 もしも私達のところへもこういう経済学者が来訪して、毎朝のこんな味噌汁作りの話を聴いたらそもそも何と言うだろうか。「今どきそんな道具を使ったり、そんな面倒な手間をかけたりして」とわれわれを憫笑するだろうか。そうすると妻のほうは微笑を返し、私は私でデュアメルのこのジャムの話を持ち出さないまでも、かつてある若い友の作った感動的な詩の一節、「ふるさとの冬の朝ごと、わが母の作り給いしかの味噌汁の、その味と香とを今に忘れず」を、さりげなくその合理主義の権化のような先生のために呟くだろうか。
 「おばあちゃん、けさの味噌汁はおいしいね」と孫である男の子が言う。するとその祖母である私の妻が「そうお。よかったわね。気に入ったらたくさんお代りしてね」と気軽く盆を差し出すのである。               (喜八)

 

 

目次へ 

 

 墓所の選定

 私のところでは、夏のまっさいちゅうの夕立の降るような日には、羽虫の大群が現れる。それはひどく小さな生物である。羽をたたんで休んでいるときの彼らは、ほっそりとして、線状を呈して、あたかも一個の感歎符(!)のように見える。
 彼らは、目にはつきにくいが、感じることはできる。濡れた額にへばりついたり、働いている人間や子供たちのむき出しの腕のうえを這いまわったり、耳のなかへ冒険を試みにはいりこんだり、眼のなかへ溺れに来たり、私の書物の白いページのうえで恋の口説くどきにふけったりする。彼らは肘掛椅子でうとうとしているお祖母ばあさまを悩ませて、一分間、追憶の淵から彼女を引きずり出す。
 恋愛と邪魔だてとの全まる一晩のあと、我らの小さい羽虫どもは死のことを考える。古代のエジプト人のように、またあらゆる時代の人類のように、彼らは、おのが脱殼ぬけがらが其処で永遠の終りを待つべき平和な墓所へのあこがれを感じる。そこで彼らは最後の全力をかたむけて、その種族の者がたぶん追い出されてきたらしい同じ場所へと分け大
入ってゆく。彼らは私のノートブックのページのあいだや、壁紙のうしろや、書棚の奥に充分うまく隠してあるはずの出納簿の中へもぐりこむ。もっと勇敢な奴、もっと手際のいい奴になると、壁に懸かっている版画と硝子とのあいだへ忍びこむ。そして其処で、死の手に落ちるのである。
 私は彼らを毎日リットレの辞書のなかで発見する。それを彼らは幻想的な句読点で意地悪く飾っているのである。そういう汚点は肖像の写真の上にもくっついている。そして自分の思想の襞のあいだに、そういう点々の幾つかが発見されないとは、私にも敢えて断言はできないのである。                                   (デュアメル)



 

 自然死をとげた動物の遺骸という物は、人間のそれを除くと、案外われわれの目につかないような気が私にはする。網に懸かって岸の砂の上に引き上げられた魚群が、だんだん弱って死んでゆく有様は子供のころ避暑地の海岸などでよく見たものだが、ああいうのは勿論自然死とは言えないだろう。しかし生涯無事で健康だった魚にも寿命というものがある以上、最後の時が来れば静かに水底に横たわるか、岩礁の割れ目かくぼみにもぐり込んでそのまま息を引き取るのであろう。その死はむしろ平和であり、あるいは安楽でさえあるかも知れない。ここに書かれている羽虫たちの死も恐らく同じもののように思われる。それにしても随分数の多いのには驚くが、よしんばこれ程ではないにしても、私なども戦争前東京郊外の田舎に住んでいた頃には、いくらか似たような経験をしたものである。

 しかしこれを読んでいてむしろ羨ましく思うのは、日本の湘南地方なんかでも、このごろは夏の真最中にも夕立の来る前にも、ほとんど彼らの姿が見られない事である。この文章を書いていた頃のデュアメルは、小さな蚊だのぶよだのに悩まされながら、それでも邸内至るところで彼らを見、彼らを観察し、そして彼らについて瞑想する機会をすら持っていた。彼には、言わばこれだけの材料を提供する相手がいたのである。ところが今の日本では、一人の風変りな詩人がこんな処から一つの詩想を得ようと思ってもそれが見つからない。消毒薬か農薬か、観光開発か土地造成のためか知らないが、悠々と墓地を選定しているような彼らを見る事がほとんど無い。つまり生きて栄える事がむずかしく、死んで安らぐべき場所が無いのである。私なども今でこそ最後の憩いの場所を心ひそかに極めてはいるか、其処が果たしていつまで今のままでいるか、思えば甚だ心もとない。        (喜八)

 

 

目次へ 

 

 旅行の必要

 金蓮花はかなりみごとな初舞台デビューを演じた。矮性のもの、匍匐性のもの、纒繞性のもの、彼女らはいずれも庭を飾った。彼女らの実は無数だった。われわれはその一部分を酢漬けにし、大部分を、注意ぶかく、種子として保存した。
 そして生活はこんなふうに整然と時の終わりまでつづいて行くもののように、われわれは考えていた。
 続く数年間、金蓮花は私たちの望みをみたした。しかしそれから、彼女らは、なにか痛ましい意気銷沈に見舞われたような様子を見せはじめた。
 とは言え、彼女らも、必要な物は与えられているのである。健康な土地の一角や、いくらかの水や、またたまには、残っていれば、堆肥の軽い御馳走さえ。だから大して気の毒な思いはさせていないわけである。それなのにこの衰弱、この貧弱な花、この憂鬱な無気力はどうしたことだろう。こんなことを、花壇にそって歩きながら、私は彼女らに問うてみたのである。
 黄いろくなった葉や蔓のあいだから歎きの声が湧き上がった。「ごもっともです!私たちは食べるものも、飲むものも、そのほか必要な物はみんな頂いています。でも、どうしたんでしょう! 気がめいって、あきあきして」
 よろしい。わかった。私はこの金蓮花たちを、散歩がてら、丘のうえの古い友人の地所へ送りとどけてやろう。二年だったらばこの者たちはまた帰って来るだろう。つまり、友人は彼女らの種子をまた私にくれるだろう。彼女らはこの土地を見るだろう。結婚もするだろう。そして、おそらくは、彼女らの昔のすみかをもう一度見出して、この私の家もそれほど悪くはないと告白するだろう。                               (デュアメル)



 

 私のところには二人の孫がいる。上が女で下が男。そして今年の春は姉のほうが大学を弟のほうが高校を、いずれも無事に卒業した。三人とも赤んぼの時から手塩にかけて育てて来たので、よそ目にはもう立派に成人した彼らを、「おじいちゃん、又始まりましたね。過保護はいけませんよ」と娘や妻から時どき注意されるくらい、私は盲目に近い愛情で愛している。
 その弟のほうが、学校が終わると直ぐに中国地方を歩いて来ると言って旅に出た。「お金は足りるのかい? どういう日程を組んだのかい?」と心配してたずねても、「大丈夫だよ、おじいちゃん。万事うまくやるから安心していて」という返事だけである。事によったら家庭の温愛の息苦しさを、まだ見ぬ土地の新鮮な風や光で一掃して来ようというのかも知れなかった。
 二週間の旅先からは何のたよりも寄越さずに、それでも元気で帰って来た。そしてなんだか少し大人おとなになったように見えた。「いろいろ新しい経験をして来たらしいね」と鎌を掛けたら、ただ一言「うん」と言った。「可愛い子には旅をさせろですよ、おじいちゃん」と、その母親が半ば慰めるように半ば揶揄するように私に言った。祖母である妻は涙ぐみながらうなずいていた。       (喜八)

 

 

目次へ

 

 性格の強さ

 新しい木たちが、植えられるのを待つあいだ納屋の軒下でひそひそと雑談をしていた。
「僕はね」と一本の若い実桜みざくらの木が言った、「僕はいつでも早くから咲くんです。と言っても、別に自分を目立だせようという訳ではありませんがね。いったい僕が早く咲き出すのは、それが僕の高貴な家族の伝統だからです。じつを言えば、僕の咲きかたはすばらしいんです。枝のとっさきまでとどく雪のような腕套マフ。なんとその花の永保ちすることでしょう! それにまたなんという薫りでしょう! そして落花のときのなんという清らかな雨でしょう! 私の足もとの地面に散り敷く、なんという敷物でしょう! どうです、まるで詩ではありませんか。それに僕らが人間の家庭にあたえる実のことは世界じゅうに知れ渡っています。ほら、あのさくらんぼですよ! 僕らのさくらんぼは白です。ところで、お隣りさん、あなたは?」
「僕かい」と隣人は気むずかしい調子で答えた、「僕は、梨だ」
「ほんとうに、梨さんだ! 大いに愉快です。ところで、あなたには核かくが無いようですが」
「ありかたいことに、持っておらんね! だが種はある。それも欲しいと思う以上にね。実は僕もつけるさ。必要とあれば、条件次第で、もちろん、人間が僕を苦しめないというのが条件だが。もしも人間がここで僕を静かにさせておいてくれれば、たぶん一つか二つはならせてやってもいい。しかし僕を切ったりいじくったりすれば駄目だ。僕は乱暴なことはさせまいと堅く決心しているんだから」
「なんですって?」
「乱暴だよ」
「あ! なるほどね。いや大いに愉快です。さてそちらの小さいかた、あなたは?」 
「なんとおっしやいましたか」
「いえ、あなたはね。あなたはどうなさるおつもりですか」
 同じように踏台の上に置かれているその木は、ひどくいじけた、ひどく貧弱な、一本の小さな林檎の木だった。
「おお!」と彼は低い声で答えた、「私は、自分にできることをします」
 木はそれぞれ地面へ植えられた。実桜は第一年目から美しい花を咲かせて、四つか五つのさくらんぼをならせた。梨はなんにも咲かせもならせもしなかった。風の通りみちで日陰の寒い片隅にうえられた林檎の木は、一桝ボアソーの林檎をわれわれに提供した。
 それから十年がたった。献身的なちいさい林檎の木は、彼の鷹揚さでわれわれを恐縮させつづけている。梨の木は約束をまもって決して実をつけない。実桜は、毎年四月がめぐってくると、彼の言葉をよろこんで聞く者にこう言っている、「さあさあ見にいらっしゃい、見にいらっしゃい!」と。そして彼の美しい花火は、きまって、雀の食事になってしまうのである。
                                    (デュアメル)



 

 十四年間を暮らした東京玉川の家の裏庭にはいろいろな果樹があった。その中から不作為的に三種の木を取り上げてみると、第一に柿、第二にグミ、第三に栗という一組が成立した。柿の木は雞舎の前、グミは洗濯物の干し場の横、栗の木は書斎に面した雑木林の中に植わっていた。
 柿は中でも大木で種類は富有柿だった。その見事な丸い実が枝もたわわにてらてら光って熟す頃になると、楽しみに待っていた小さい孫達よりも一足早く尾長やヒヨドリの群れがやって来て、一番甘そうなのから遠慮もなく食ってしまった。赤い実のなるグミはグミで、これも甚だ鷹揚に、いろいろな小鳥どもに馳走をしていた。ところが栗は意地悪く頑固で、怒りっぽいので、野鳥も人間も彼を敬して遠ざけていた。
 さてこの中でどの木が一番性格が強いかとなると、私には柿ともグミとも栗とも言えない。彼らはいずれもしっかり者で、壮健で、時が来れば毎年同じように平気な顔でたっぷり実を着けるからである。だからこの場合の性格の強さとは、彼らの主人の管理の良さによる個々の植物の生活機能の、十全の発揮ということになるであろう。                              (喜八)

 

 

目次へ

 

 完全のための弁護

 ブレースは暗い気持で庭を散歩していた。
 彼は言った、「森や垣根のてっせんの花は綺麗ではないけれど、なんとも言えない佳い匂いをただよわせている。園芸家はそのてっせんに手を加えて、不自然なものにして、すっかり形を変えてしまった。君たちの青や赤のてっせんは目ざましい花は咲かせるが匂いというものを全く持っていない。してみると僕らは或る力を獲得することはできるが、そのためには別の力を失わなければならないということになる。なんという苛烈な哲学だろう!」
「恩知らず!」とクロードが彼に言った、「恩知らず! さっさと行って薔薇の花の前にひざまずくがいい。そうしてもう一度希望を見出すがいい」            (デュアメル)



 

 若い彼女は幼稚園の頃から引続きピアノを習って来た。「大きくなったらピアニストになる」つもりで。ところが音楽大学へ入ると楽理の勉強が面白くなってついその方に身がはいり、結局相当かんばしい成績で楽理学科を卒業した。そしてその副産物として、かなり難解なドイツ語の本も比較的楽に読める程になった。しかし彼女は中学時代からの同級生の一人がピアノ科を一番で卒業したのを見て内心これを羨んだ。そしてこう嘆く、「両方共うまくはいかないものね」
 そこで私は「恩知らず!」とまではたしなめなくても、「ロマン・ロランのことを思い出してみるがいい。ロランはあんな世界的な文豪でありながら、他方本職も感心する程のピアノの名手でもあったのだ。たまたま彼の弾くベートヴェンやモーツァルトを聴いて心を打たれた人がどれだけいたことだろう」と言いながら、私はピアノに向かっているロランの写真を書棚から取り出して彼女に見せる。(喜八)

 

 

目次へ

 

 私は見た、彼ら二本の実桜が

「なんて恰好をしているんだ、君!」と、実を結ばない実桜が、果樹園での隣人である多産の実桜に言った。
「まったくですよ」と人の善い木がうなった。「彼らが私の労苦にむくいることのすくないのを、あなたに認めてもらって本当に感謝します」
 六月いっぱい、この濫費家は幾千というみごとなさくらんぼをみのらせた。彼の手足はうちひしがれて垂れさかっていた。彼の葉は地面をうずめていた。憎い鳥おどしが枝のあいだで冷笑していた。一本の梯子がまだ掠奪者の通ることを証拠立てていた。折られた無数の小枝が、七月の真盛りだというのに、十一月ごろの物悲しい姿を見せていた。そのまわりでは草が枯れ、地面は陰気に踏み固められていた。
「僕を見たまえ」と実を結ばぬ木が言った。
 「生れてこのかた、僕はずっと同じ用心深さをつづけてきたし、同じ態度を捨てないできた。僕はさくらんぼを四つとは着けない。それでも人間は僕をうっちゃっておく。僕は健康で元気旺盛だ。僕の葉には一点のしみも無い。幹には一すじの傷さえ無い。賢者には一言で足りるというわけかな。だがおしゃべりはやめよう。僕らの主人がそこへやってきたから」
 実際、主人は木を一本一本眺めながら通りかかった。
「私はどうしても実をつけない桜の木が一本あるのを知っている。結局あれは切ってしまうことにしよう。そうしてあの材で、すくなくとも何かを作ることにしよう。箪笥とか、長持とか」
「なんという奴だ」と、人の善い木は主人が通りすぎてしまうと身ぶるいしながら言った。
「あなたはほんの僅かばかり厭な思いをしても、少しばかり恥を忍んでも、さくらんぼをならせる方がいいとは思いませんか。いま主人の言ったことは、あなたにとっては恐ろしいことのように思えるんですが」
「なんの! なんの!」と、もう一本の木は答えた、「そんなに気を揉むことはないよ、君。あの男は年中あんなことを言ってるんだ。だが決してなにもできないにきまってる。僕という木は、この並木路の秩序のためには必要欠くべからざる一員なんだからね」   (デュアメル)



 

 天降りの顧問や重役は、良識ある人々の眼から見れば、別に仕事らしい仕事をしていないにも拘らず単にその地位の名によって高禄を食み、静かな広い個室に納まりかえって彼らの「執務」なるものに顔を出している。ところがその下の方では一般の役員や事務員が、到底比較にならない薄給に甘んじて実質的な仕事のために身を粉にして働いている。一方が楽をして旨い物を食って上等な衣服を纏っていつも健康で元気旺盛なのにもう一方の十把一ひとからげの連中はせいぜい小さな「マイ・ホーム」でも夢みながら、毎 日その精根を磨り減らしている。しかもそんな不公平の座に傲然とあぐらをかいている天降り人種を断然首にして、真に優秀で誠実な人間を登用する事のできないのが、ここに言う「並木路の秩序」なるものであろうか。                              (喜八)

 

 

目次へ

 

 ニューヨークの群衆

 私たちは二百本の美しいダーリアを持っていた。みんな色も違えば形も違い、いずれも強壮で尊大な花だった。
 彼らを栽培するのに、実のところ、私たちはかくべつ変った面倒を見はしなかった。必要なものを与え、乾燥した季節には機に応じて水をやり、ひどい寒さのくる前に球根を掘り上げ、数をもっと殖やそうと適当に根分をするだけだった。
 こんにち私たちは五百本のダーリアを持っている。彼らはすべて同じ色である。彼らは無感覚な憂鬱な様子をしている。それぞれ頭を下にむけて、小さい花が束になって、その束さえもまた小さくて、熱意も無く咲いている。そこで私は思うのだ。夜になってわれわれが寝ているとき、彼らがたがいに話をするのではないかと。たとえば倶楽部を一つ作ろうとか、映画館へ行ってみたいとか。                                (デュアメル)



 

 群馬県渋川に住んでいる或る友人は、古風な邸宅も広いが庭そのものも広く、その広い庭が彼の特別愛するツバキの木のあらゆる種類で一杯である。総数一万本というから私などには気の遠くなるような数だ。そしてその内の二十数鉢を或る年わざわざこの鎌倉まで車に載せて届けてくれた。一本一本の鉢には「光源氏」とか「羽衣」とか「白拍子」とか「熊坂」とか、それぞれ適切めいた優雅な名がついていて、経木の名札が挿しこまれていた。今ではその名札も何本か失われて名称のわからなくなった株もあるが、花はいずれも毎年みごとに咲いて、遠く住んでいる友人の親切を来る春ごとに思い出させている。
 それにつけてもあの渋川の庭の一万本という「群衆」が、いつまでも各自の名で表現されている個性を失わず、何処ぞの出版社の「つばきの本」をして顔色無からしめる程の繁栄を保つようにと祈らざるを得ない。          (喜八)

 

 

目次へ

 

 古い木の柱の歎き 

「なんという時代、ああ、なんという時代でしょう! どうかあの連中のペンキのことなんか私に話さないでください。私は人間がそのタールや、壺や、いろんな化学的な料理で私をうるさがらせないようにして欲しいのです。たしかに、あの連中の不潔な環境のおかげで私はリュウマチスにかかっています。考えてみてください。私は此処の生れではありません。或る山の上で大きくなったのです。岩のあいだで、足も濡らさずに、頭から日に照らされて。ああ! いいえ、私は此処の生れではありません。困ったことです! でも私は不平は言いません。ただ、此処には、ほんとうに我慢のできないことが一つあります。それは……もっと小さな声で話しましょう、お願いですから……それは、不愉快な隣人たちのいることです。ちょっと左のほうを見てください。なんという情ない、ねえムッシュウ、なんという恥ずかしいことでしょう! 鉄筋コンクリートの柱だなんて。あいつを人間は私のそばへ立てるつもりなんです。なんたる侮辱でしょう! おお! 私はあんな者に一言だって話しかけはしません。一目だって見てやる気はありません。あいつがどんなに厭な奴だか、どんなに高慢ちきで冷たい奴だかということをあなたがお知りになったら。あいつは生命のことも、太陽のことも、そよ風のことも、ちっとも解ってはいないのです。あいつはこんなことを歌って喜んでいるんです、「おれは千年生きるために作られた」なんて。そんなことは全くうそです。だってあいつにはもうひびがはいっているんですから。いいえ、これは我慢しなくちゃなりますまい、ムッシュウ! でも解ってください。私の忍耐にも限りがあるということを。もしも人間があの人たちのセメントの柱のことで私を怒らせたら、私は自分か何者であるかを見せてやります。私はあの人たちを驚かせてやります。ムッシュウ。私は枝や葉をだしてやります。私は自分の生れを忘れてはいません。私を怒らせてみるがいい、断じて枝や葉を出してやりますから! それがどうしてできない訳がありましょう。私にはまだできます。まだできるような気がするんです。私を見くびってはいけません。私を絶望させてはほんとうにいけません」                       (デュアメル)


   そうだ、われわれは君を見くびってもいないし、絶望させもしない。この由緒ある古い寺の、この歴史に重い古い屋敷の、幾百年の支えであり誇りであり重鎮であり美である君を、どうして悪臭を放つペンキやタールなんぞで苦しめようか。生命の事も太陽の事も水の事も、そよ風の事も、全然解っていない鉄筋コンクリートの柱などをどうして君に見代えようか。安心するがいい。たとえ今の君からもう再生のしるしが萌え出ることは無いとしても、われわれはいよいよ君を尊重し、重要文化財として永く記憶にとどめるだろう。               (喜八)

 

 

目次へ

 

 港での難破

 つづく毎日のひでりのあいだ、雞頭はずっと闘いぬいてきた。彼女らはそれをじっと見まもっている世界に対して、勇気と節約との実例を示した。彼女らは決然として下のほうの葉を犠牲に供した。乾いて薄あかくなった葉、あの肺病患者の淡紅うすべにいろを呈して下のほうに垂れている葉を。しかし、それでもなおこの勇敢な女たちは未来を断念しなかった。困苦に面して熱狂した雞頭は、運命に抗して花を咲かせるために、おのが子孫を準備するために、からだじゅうの液体という液体を集中した。それでもひでりは永いことつづいた。
 苛酷な幾週間の後、ついに雨が降ってきた。すると、とつぜん、悪戦苦闘に疲れきった雞頭は死んだ。彼女らは驟雨の下で枯れてゆく。彼女らは哭く。「遅すぎるわ!遅すぎるわ!」と。人は慚愧の念なくして、憂愁の思いなくして、いま彼女らを見ることができない。
                                    (デュアメル)



 

 雨はもっと早く降ってやればよかったのだ。さもなければもう少し心を働かせる大様な気持になって、この「勇気と節約の母」のせつせつたる願いを、たとえ幾らかでも叶えてやってくれるとよかったのだ。気圧配置の慣習にしばられて融通がきかず、旱魃の歎きの声を聴きながら臨機応変の処置にも出られず、天無情と諦めるべきか杓子定規と罵るべきか、時すでに遅い驟雨の下で枯死してゆくこの犠牲の母たちを救ってやるに術すべがない。

 法規を楯に頑として職域を護る役人もいい。水を預かってその一滴もおろそかにしない治水者もいい。しかし乾坤一擲、独断専行、時にみずからの地位を賭してでも難者の急を救う道徳的勇者の出現を私は待つ。           (喜八)

 

 

目次へ

 

 霞む眼をした馬

 馬は牧場の生い茂った草のなかに腹まで漬かっている。なんという御馳走だ! あの立派なけものはさぞかし幸福で、満ち足りているにちがいない。
 青々として栄養に富んだ匂いを風の中にひろげている草。この草を、ぼんやりと霞む眼をした馬は見向こうともしない。頸をのばして、鉄条網の爪に毛皮の着物を引き裂かれながら、欲望と苦痛とに鼻面をぶるぶるさせながら、隣人の畠、隣人の不毛の畠、もう二度も刈ったのにまだ刈るつもりらしい隣人の畠、その畠にほそぼそと生えたのぼろぎくの一枚の葉に届こうと全力をあげている。                               (デュアメル)



 

 霞む眼というのは元来視力が弱いか、何かの原因で物がぼんやりとしか見えない事を言うのであろう。この場合はそのどちらとも言えないが、たとえ馬であれ人間と同じに、旨い物ずくめ、食いたい放題だったら、普通ならば幸福であり満足であるに違いない。ところがこの馬は違う。この馬は自分の放たれている豊かさきわまりない牧場を見向こうともしないで、隣りの貧弱きわまる畠の草にあこがれている。そしてそれも刈り残された作物どころか、ほそぼそと生えたノボロギクのたった一枚の葉なのである。
 しかし自分の持っている何千何百という新しいステレオ盤よりも、他人の持っている恐らく地上でたった一枚の古いSPレコードに涎よだれを垂らす人もいる世の中である。霞んでいようと澄んでいようと、恋いこがれる心の眼には、ノボロギクだってアメリカンタンポポだって、馬鹿にするどころの騒ぎではないわけである。                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 節制の法則

 もう一ヵ月も雨が降らない。それで庭は絶望状態におちいっている。われわれも、われわれ人間もまた、同じように苦しんでいる。しかし自分たちのためにではなく、(佳い天気はわれわれを喜ばせる)、これらすべての物言わぬ生物のため、これら喉を渇かせた群衆のためにである。われわれはもう何ものをも楽しむことができない。何等かの留保なしには、太陽をさえ楽しむことができない。こういうのが今のわれわれの生活である。
 園丁はにがい顔をして大並木道の花たちを眺めている。それは彼等不幸な者どもにそそいでやる水が無いからではない。いや、水ならばわれわれは持っている。無いのは時間であり、人手である。
 地面は堅くなり、荒れてしまった。花たちは死ぬところまでは行かなくても此の苦難に悩んでいる。他の者たちが豪奢の前に屈するように、彼らは貧窮のもとに萎えしおれている。もしも静けさが完全ならば、人は彼らの訴えの声を耳にするであろう。
 私はとりなしを試みる。慎重に。
「たとえ何はどうでも、一度でいいから、たった一度でいいから、あれたちに飲む物をやるわけにはゆかないものだろうか」
 園丁はかぶりを振る。
「こうしてですね」と彼は答える、「こうして彼らを待つことを覚えるのです。ところが、もしも私か一度でも、ほんとうに只の一度でも水をやったら、彼らは毎日それを欲しがるようになるでしょう」                               (デュアメル)



 

 園丁というものは、ガーデンライフの直接管理者というものは、一面植物たちに対する教育者でもなければならないのだろうか。飲むことを好きな者に節制を訓え、現に渇いている者にも、にがい顔をして、忍耐を強制する教育者でなくては。
 そのくせ彼は彼ら花たちの欲しがる物は、彼ら乾燥の子たちに灌いでやる事のできる水は持っているのである。しかし時間が無いと言う。人手が不足していると言う。つまり物的設備や学問上の用意は完備しているが、生徒たちを教えたり導いたりしてやる時間が不充分であり、教師の数が足りないと言うのである。

 時間や人手の不足まで教材に使って花たちに「節制」を教えるとは、わがデュアメル氏を校主とするガーデンライフの学校もなかなか経営が複雑のようだ。 
                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 果実の神ポモーヌ

 夏の終わりにわれわれの家をたずねる人たちがこう叫ぶ、「まあ、大変なかぼちゃですね!」
 まったくそのとおりで、いろいろのかぼちゃや瓜の類が、まるでヴェネチアの提灯のように庭のなかを照らしている。彼らはあらゆる形をし、ほとんどすべての色を呈している。われわれの客はくりかえす、「大変なかぼちゃですね!」と。そして或る憐愍の影にいろどられた一種の敬意をもってわれわれの顔をじっと見る。なぜならばこんな平凡きわまる食用の大鉢を噛み砕くには勇気が必要だからである。

 私たちはかぼちゃを好かない。私たちは鷹揚な気持でそれを作っているのである。実にただ、物の鐃多の象徴シンボルとして。その絵姿イマージュとして。          (デュアメル)


 

 「まあ、大変なかぼちゃですね」と言うのは最初の驚きの叫びであり、いくらかは羨望の叫びでもあったに相違ない。何しろ瓜やかぼちゃの夥しい連中がそれぞれ勝手な形や色をして、それこそヴェネチアの提灯のように庭の中を照らしていると言うのだから。ところでその同じ二度目の叫びと客の光らせた新らしい目つき。これにはさすがの主人もいささか参った事であろう。なぜかと言えばよしんば「一種の敬意」ではあれ、とにかくそれが「或る憐愍の影に彩られていた」のだから。「平凡きわまる食用の大鉢を噛み砕く」滑稽な勇気と努力とに対するひそかな憐み。その間の機微が直感できない主人でもあるまいから。そこで私たちはかぼちゃなんか好きではない。好きではないがただ鷹揚な気持で作っているのだと、いわば半分はてれくさく、半分は本音ほんねで言っているのである。
 しかしこういうわれわれにしてもまた、自分たちの生活の余裕や趣味のシンボルとして、イメージとして、色々とくだらぬ瓜やかぼちゃを成らせてはいないだろうか。時には賢かしこげな言訳いいわけをし、時には堂々と胸を張って。
 果実の女神ポモーヌへの讃歌は時に奢侈リュクスへの弁護の歌でもあり得る。
                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 砂糖大根の反逆

 乾燥のためか、暑さのためか、砂糖大根に種子ができてしまった。今年は、私たちは失敗らしい。
 私にはむろん彼らをもっと正しい考えに立ち帰らせ得る希望はない。たとえ彼らに小言を言うにしても、それは自分自身への気休めであり、彼らにむかって、彼らのしたことは砂糖大根本来の使命にそむいているということを解らせるためである。
「君たちは一体どうしたのかね」と私は彼らに言う、「君たちも知っているように、正直で律義な砂糖大根というものは、翌年になって自分の家族を立派に育て上げるために、最初の年はもっぱら倹約をしなければならないのだが」
 砂糖大根どもは、不作法な恰好をして、頑固に黙りこくって私の言葉を聞いている。最後に、彼らの仲間で「主謀者の一人」とおぼしいのが、横柄な口調で私にこたえる。

「倹約ですって! そのことならほかの奴らに言うんだね、旦那! こちとらには文句があるんだ。あんたがたにゃ随分だまされましたよ。あんたがたはもう一遍インフレーションか何かそんなふうなことをやってさ、それでこちとらがせっせと働いて取った物を一日で捲き上げちまおうって言うんでしょう。あたしゃ精いっぱい生きぬいて、何もかも一どきに使い果たしちまうのが好きだね。ほかの奴らだってあたしとおんなじ考えだ。砂糖大根を利用することが未来永劫つづくものと思ったら大違いさ」                     (デュアメル)


 

 ダイコンとは言っても、十字花科ではなくてアカザ科の植物である。地中海沿岸の二年生或いは多年生の栽培草本とあるから、やはりその甘味の多い地下茎利用のために、何千年も前から人間が育成して来たものであろう。日本では特に北海道がその産地とされている。
「栽培」とか「育成」とかあれば、どうせ半分は人間の利用のために存続させられ、また自分達としても子々孫々繁栄しているのだから、ここは牧歌的な田園の作物らしく、なまじ「インフレーション」の何のとむずかしい事を言わずに、柔和に、甘美に、ゆったりと、「未来永劫」栄えて行ってくれた方がいい。どうせ花が咲いて実が出来るのだから、そんなにコチコチになって憤慨することもないだろう。                               (喜八)

 

 

目次へ

 

 英国式教育の危険

 ねむりぐさが背丈けいっぱいに伸びるためには、この芸術家が名手になるためには、温室のなかで育てられなければならない。
 春、人は彼女の種子を鉢に播く。彼女は発芽して、たちまちその最初の感じやすい葉を、そのMimosa pudique(貞潔なミモザ)の葉を出す。初めのうち植物は片ことを言う。その応答はあどけない。それから彼女は大きくなり、無数の葉をつけ、その技倆も豊かさを加えてゆく。もしも君が一枚の葉にかるく触れると、それははずかしめられた天使の翼のように、小葉から小葉へと畳まってゆく。君がなおも繰りかえすと、葉柄がとつぜん傾いて弔旗のように垂れる。もしも君が鉢をたたくと、すべての葉が同時に狼狽した苦悶をあらわす。そしてもしも君がすこし乱暴な仕方で植物に息を吹きかけると、この不動の舞姫は、彼女の姿勢全体で、こんな辛い目に遭うほどならばむしろ死を選びますと君に言うだろう。
 今年は特に気候がよくて暖かくもあるように思われたので、園丁はねむりぐさ達を外気にさらしても大丈夫だろうと考えた。
 園丁は彼女たちを大空の下、芝生のふちへ並べた。みんなひどく元気である。葉は普通よりも更にひろがって更に青々としている。彼女たちは庭のなかの他のすべての植物のように風に堪え、雨を浴びている。しかし、ただその技倆は落ちてきた。君がみごとな葉にさわると、たとえ無造作な仕方でやったときでさえ、彼女たちの見せる反応は緩慢で鈍重である。彼女たちはうつけ者になり、がさつになった。
 選ばれたる植物はつらいことに馴れてしまったのだ。彼女はもう苦しむことを殆んど知らない。そして花そのものが味の無いものである以上、彼女はもう私たちの興味をひくことはできない。どうかこの上われわれの訪問を期待してくれないがいい!        (デュアメル)



 

 ネムリグサすなわちオジギソウ。原産地はブラジルだと言われている。温室育ちやお蚕ぐるみでないとこんな表情豊かな演出をする事が出来ない程、それほどデリケイトなお嬢さんか舞姫であるらしい。本誌(「園芸ガーデン」)にもつい先頃、このネムリグサに指を触れている筆者デュアメルの写真が載っていたが、あのくらい優しく扱わないと彼女の真の美や媚態は発揮されないらしい。
 私の庭にも一鉢あるが、相変らずの英国式自然教育だか野外教育だかのせいで、丈夫でこそあるがからきしガサツで仕様がない。若い葉や枝こそたまにはしおらしくシナを作って見せる事もあるが、甲羅を経た奴になると「緩慢」や「鈍重」どころか、何をされてもびくともしない。お辞儀も睡りもみんな忘れ、くすぐったさにも不感症になって、結構アリやカタツムリの通い場で甘んじている。  (喜八)

 

 

目次へ

 

 ひるがおコンヴォルス (一名 昼間の麗人ベル・ド・ジュール

 私が熱心な自然愛好者として、また敢えて言えば責任のない愛好者として、田舎を歩きまわるとき、私がなんら心の重荷も心配ごとも持たずに自然を見ているとき、私は野に咲くひるがおを大いに愛する。私は彼をその小さい花のゆえに愛する。私は彼をその優美で欺瞞的なフランス名のゆえに愛する。私は彼をそのラテン名のゆえに、私に何ごとかを警告するかに見えるラテン名のゆえに愛する。なぜかと言えば、それは情熱を、ねじれを、ヒステリーの発作をおもわせるからである。
 一年中のどんな日にも、仕事にかかっているひるがおを近くへ寄って眺めると、私はどうしても彼を嫌悪し、なお悪いことには彼を軽蔑せずにはいられない。この草は慎みもなければ憐みも知らない恐るべきしろものである。私は彼が見すぼらしい様子をしているのでとやかく言うのではない。彼は這う。いやはや! それは彼の権利である。彼は攀じのぼる。それは彼の勇気である。私か彼を非難するのは、彼に支持をあたえた相手を窒息させるその仕打ちのゆえである。初めのうち、彼はつつましやかに見える。彼は慈善を、助力をもとめる。「親切な旦那様、どうぞほんのちょっぴり御手をお貸しください」などと。人は彼のするようにさせる。人は彼に食卓をゆるす。と、彼は大胆になって、分枝し、突進し、蔓延して、ついにその場全体を占拠してしまう。彼は方向を転ずるすべを知り、いつわって信じさせるすべを知り、極度の辛抱づよさを持っている。なお幾日かたったらば、もうそこには、彼のため以外には、空間も、空気も、太陽も、希望も無くなってしまうだろう。そしてそのあいだには、彼の恩人が窒息し、息を切らせて、もだえ苦しむのだ。
 しかもこの空中での仕事がもっとも恐るべきものではないのである。この野心家は、その最小の枝根をもってさえ一庭園の全部を、一地方の全体を毒するに足る陰険な根を、地面の下に張りめぐらすのである。
 これがあの優しいひるがおである。
 私は永年のあいだ、知ることはすなわち愛することだと信じこみ、そしてそれを公言してきた。ところがどうだ! 私は全くまちがっていた。いまや私はひるがおというのをよく知っている。                                  (デュアメル)



   私は夏の炎天下にヒルガオの咲いている眺めが好きだ。晴れやかで逞ましくて独立自尊で、焼けつくような野や空地にはびこっている。人間・私にも曾てはそんな昔があり、こういうのを男らしい生き方だと信じて、決してまわりのヤブガラシにもアザミにもススキにも敗けはしなかった。だが自分に支持を与えてくれた者を窒息させたり足下に踏みにじったりした覚えはない。どうか心ある人達がこうした私を愛さないまでも、せめて寛大に見のがしてくれるといい。      (喜八)

 

 

目次へ

 

 うぬぼれた植樹者

 生垣は果樹の生垣、いや、「果樹の」と見なされた生垣である。
 昔これを植えたとき、私は手引きの小冊子を読んでさっそく計画を立てたのだった。本の著者は専門家、つまりイデオロギーに取り憑つかれた空論家だった。「もしも諸君にして生垣を欲するならば」と彼は言った、「すべからく果樹の生垣を作られるがよい。これは諸君の庭を取り囲むであろうし、また年々幾樽というジャムや幾山という砂糖煮の材料となるべきものを諸君に提供するだろう」その後の経験にもかかわらず、またその後の失望にもかかわらず、この次第書の魅惑的であったことを、私はこんにちでもなお思わざるを得ない。
 こうして私は果樹の生垣を植えたのである。それはミロボラン註1という種類の李すももの木の生垣である。この生垣は枝が茂って入り込めないどころではなく、またあくまでも頑強に実をつけない。それは庭を閉じこめもしなければ、一粒の李の実を提供したこともない。
 ほとんどすべての希望を失ってここに数年をけみした今日、私は果樹の生垣でないこの生垣がせめて四月に花の咲く生垣ででもあったらどんなに満足するだろうにと思っていることを白状したい。しかし私がそれを二言ふたことでも言ったら、そんなくだらないことを考慮するにしてはなすべきことが有りすぎますよと、きっと彼らに返答されるに違いあるまい。  (デュアメル)

 訳者註1 mirobolant 青または紫色を呈する西洋李のうちで、Prunus cerasiferaと呼ばれる種類であろう。  



 

 一方が生物学的イデオロギーに取り憑かれた空論家で、もう一方がうぬぼれた植樹者だったら、こういう事もしばしば、或いはやすやすと、起こりかねまい。参考書の選択にも適切でない点があったかも知れないし、当の植樹者本人にも大きすぎる夢や自信がありすぎたかも知れない。何しろ「そんなくだらないことを考慮するにしてはなすべき事が有りすぎますよ」と返答しかねないような相手だったのだから、こちらも初めから少しぐらいはその気でいるべきではなかったろうか。自他に対する過信。何事をするにもこれが一番いけないようだ。
 私のところの垣根のいちい(あららぎ)など、十何年このかた花一輪、実一粒つけない。だから今だに樹の雌雄がはっきりしない。その代わり私の方でもほとんど問題にしていない。信州の富士見ではあんなに立派だった親樹の子なのに。
                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 償いがたい損失

 今朝、私はキャベツの畠で、もっとも美しい赤いゴムのような一匹の巨大ななめくじ註1を小さい園芸鍬の一撃で殺した。キャベツは英国型の葉をした、第一流の品種だった。私は昼間のあいだずっとこの殺戮の結果を、なめくじ社会での噂や会話を、なめくじ出版界での諸新聞の論調を、その公式の演説や記念碑のことなどを、いろいろと想像しつづけた。「吾々は将軍リマソフ・リマソヴィッチの死体を図らずも彼の領地内で発見した。これは償いがたい損失である。彼は選ばれたる者の一人であり、強く練り上げられた性格の持主であり、比類なき精力をそなえた市民であり、真になめくじという高貴にして美しき名に価する人物であった。等々……」私はこの不面目な問題について瞑想した。そして食害されたキャベツの葉のためにではなく、われわれみじめな人間というもののために憐愍の情に満たされたのであった。
 夕方、私はもう一度今朝の死刑執行の場所へ行ってみた。十二匹ばかりのなめくじが静かに彼らの同類の死骸を食っていた。
 この光景は私の心を慰めなかった。                   (デュアメル)
 
 訳者註1 なめくじはフランス語でリマスという。



 

 なめくじは野菜や桑や果樹などに大害を与える軟体動物だと言われているが、私の庭ではあまり見かけた事がない。従ってそんな殺害をした覚えもなければ、そのための後悔もした事がない。むしろ彼がどんなふうにして食物を摂っているか、どんな仕方で生活をしているかを、これを読んでいるとじっくり観察してみたいくらいである。あまり気持のいい事でもなさそうだが。
 なめくじは普通の体長六〇ミリぐらいだとされている。思ったより大きいのにむしろ私は驚いている。もっとも別にやまなめくじというのがいて山地に棲んでいる種類だそうだが、このほうは色も濃厚で形も巨大だというから、不幸園芸鍬の一撃で殺された名望共に高いリマソフ・リマソヴィッチ将軍なる者はこの種族の出かも知れない。
 もしも私だったらそんなに颯爽と斬り捨てるかわりに、そっと鼻紙にくるんで近くの溝川へでも流してやったろう。厭な後味が残らないように。    (喜八)

 

 

目次へ

 

 殺 す

 園丁のよりわけている玉葱のあいだから、鹿子かのこ色のビロードのような羽根をした一匹の蛾が飛び出す。園丁は片手を突き出すとその動物を地面へはたき落として、静かにつぶす。
「そんなことはほんとうに必要なのかね?」
 園丁は私の顔を眺めて、それから重々しく答える。
「園丁としては、殺さなけりやならんのです」
 これは一個の命題ではなくて、一つの公理である。それにしても私はこれを認めなくてはなるまい。私もまた殺すのである。皆とおなじように。換言すればすべての園芸愛好家とおなじように。私は或る種の草を、或る種の動物を殺すのだ。
 私はそれを喜んでしはしない。とりわけ組織的な方法ではそれをしない。私は悪い園丁である。或る時には劫掠の光景を見、暴行の現場を見て、私も憤激で武装したような気になる。事実なめくじが図々しいものであることは認めなくてはならない。彼らは若いダーリアを食い切る。それから、それが倒れるとむしろそのことを楽しむかのように、今度は別のを食い切りに行く。そんなときには私は薊刈あざみがりの鎌を持って出かけるのである。正義を愛する者の大いなる憤怒に昂然として。
 或る時には、私は疲れに似た、ことによると不快にも似た、一種の憐愍の情に圧倒される。そういうときには、物に、小さいかたつむりが私の心を寛容のほうへ傾かせる。彼らは最小の慎みもなしに、私たちの大輪のてっせんを食い荒らす。最も貪食などじょうと何等変ったところのない情ない者どもである。
 しかし彼らは快い色彩をしている。素朴でもあり、ほとんど優美と言ってもいい彼らは私に怨恨の情を起こさせない。
 しばらくのあいだ、小さいかたつむりを指の間につまんで、私は夢想にふける。私は殺したくない。否、今日というこの日、私は誰も彼をも幸福であらせたい。私は自分が宇宙的な愛情に貫かれている気がする。
 そこで、悠々たる身ぶりで、またわが園丁氏の非難を買わないために、私は小さいかたつむりを生垣越しに隣人の野菜畑へ投げてやる。                 (デュアメル)



 

 いずれにしても「殺す」というのは厭なものである。そのくせ斯く言う私も昆虫の標本作りに血道を上げていた若い頃には、よく野山に蝶やとんぼを追いかけ廻した。つまり捕虫網で掬いとったりおっかぶせたりした獲物を、パラフィン紙に包んで殺虫壜の中へ封じこめて殺したのである。そして標本箱のガラス蓋の下にずらりと並んだ美しい彼らの死骸を、さも自慢げに友だちどもに見せたものだ。しかし今は勿論そんな事はしない。遊びに来た子供達のために幾つかの標本箱を持ち出す事もしない。こんな事が彼らの間に再燃するのを恐れるからである。
 しかし遠慮もなく家の中へ入って来る蚊や蟻となると、むかでげじげじごきぶりとなると、これは始末におえないから殺さざるを得ない。殺虫剤の霧を噴きつけたり、原始的な蚊取線香を炷いたり、蝿叩きを振り廻したりして。同じ雑草や害虫退治にしても園芸愛好家のやる事にはどこか雅致がある。もっともこのデュアメル氏も害虫の始末の仕方の上では、詩的と散文的との双方を活用しているが。                                   (喜八)

 

 

目次へ

 

 矯正し得ぬことども 

 君たちは屋根へ登ったり、足場を組んだり、家を塗り替えたり、樹木を間伐したり、芝生を刈りこんだり、圧搾器を操縦したりすることができる。犬のカストルは眼を輝かせて、たしかに好奇心に満たされて、そういう君たちを眺めるだろう。しかし仮にも君たちが自動車へ手を掛けたら、カストルは不安の底へ投げこまれるだろう。
「この世界で行われることはすべて注目の価値があります。泥棒猫を追撃するのは一つの愉快な、又まったく興奮的な演習です。庭の小径で針鼠と出遭うことは平凡な出来事ではありません。それはまさに吠えたける協奏曲コンチェルトに価します。テラスの壁のところへ立って往来を監視することは、人がどう思おうと、これまた仕事の一つです。ですが自動車、ムッシュウ、自動車となると! 一体この悪魔のような機械が一匹の立派な体をした犬の神経に及ぼす影響を、あなたはどう説明しますか。それは僕の力以上のものです。ムッシュウ。結局、できる事は成るです。僕は吠えなくてはなりません。吠えなくては!」
 鎖に繋がれているときにせよ、解放されているときにせよ、自動車が動き出すが早いかカストルは吠えはじめる。彼はそれを、つぐみや繩に対するときと同じように、喉いっぱいの声ではやらない。カストルは、自動車に対しては、神経質なおしやれ女の泣き声のようなものを用いるのである。その声を聞いていると、妻よ、お前は彼がその内的抵抗の極端に、感動の最極限の状態にあるのだと思うだろう。「だめです!いいえ! これ以上我慢はできません!」と言っているように。
 老犬ディックのほうは何も言わない。ああ! 彼はまったく別の見地に立っているのだ。彼は小刻みに駆けながら車について行く。それが彼の職責だから。何よりも先ず義務を果たすことだ。それにしてもディックにとっては、一と足の見送りもしないで車を出て行かせる訳にはゆかないのである。自動車。彼はそれを知っている。そんな物は珍しくもなんともない。とりわけ永年たった今では。
 さて、車が正面玄関の前まで来て停まったことを知らせると、ディックはこっそりと近づいて行く。そして……怒ったように歯をむいて、ちょっとタイヤを噛む。「ああ! それでもこうすればやっぱり気がせいせいする。ああ! それでも…… ああ! それでも……気持だけは軽くなる!」
 彼にステッキを見せないがいい。彼はもうみんな忘れているのだから。その眼は涙でいっぱいだ。彼は悲哀と歎息との表情で君を見る。「私が何をしたというのです。タイヤですか。私はそれにさわりさえしませんでした。私は永いことタイヤにはさわりません。そんなことはもうお仕舞だということを、あなたはよく知っているはずではありませんか。今では、私は何事にも無関心なのです」                              (デュアメル)



 

 若い犬のカストルは、この家の色々な人間や事物についてもう大分馴れて来た。楽しみや好奇心に動かされながら番犬らしい仕事も出来るようになった。しかしまだ自動車というあの怪物だけは苦手である。自動車は彼の全神経を圧倒し掻き乱す。それは途方もない代物なので、それを見て本能的に吠えるにしても残念ながら悲痛な呻き声しか出ない。
 そこへゆくと老犬のディックは違う。楽しみはもう無くなり、好奇心も衰えて来た。ただ昔から躾けられた職責を形式だけでも実行し、自分の義務とするところを習慣的にでも行なうのが彼の生活だと思っている。しかし彼にとって自動車はまだ幾らか怪物だ。昔はよく吠えつきもしたし、堅いような柔らかいようなタイヤに噛みついてやろうともした。しかし永い経験はそんな事が結局無力だという事をディックに悟らせた。それでもまだ、年をとってもまだ、薄れかけた本能は残っている。そこで無駄とは知りながらタイヤを一応は噛んでみる。それで気持だけは軽くなる。                             (喜八)

 

 

目次へ

 

 ディック、或いは義務の観念

 犬のディックに勇気がないと主張する人があったら、それはかなり口の悪い人間だと言わなくてはなるまい。
 ディックはどんな場合にでも勇気がある訳ではない。と言ったら誰かそれを種に敢えて彼を非難するだろうか。もしも野獣を攻撃する段にでもなれば、ディックは常に第一流の犬である。この勇者の鼻先ヘ一匹の胸白貂むなじろてんなり臭猫註1なりをぶらさげてみるがいい! 何を糞! ディックは苦情も言わずに立ち向かってゆくだろう。ディックはまた自分の職責を果たす範囲内で人間にも挑戦する。彼は郵便配達や、御用聴きや、肉屋の小僧などのふくらはぎをねらう。彼の野望は、ときには、水道会社の使用人にむかってまで逞しくされる。事情が一層困難だと見ると、彼は命令書を要求する。
 しかしディックが勇敢なのは、爆発音とか破裂音とか呼ばれるべき一種の音響の起こった、ちょうどその瞬間までである。ディックは途端にひどい臆病者になる。雷鳴は彼を病人にし、一発の銃声は彼を顫えあがらせ、ちいさな爆竹の音は彼を気ちがいにする。膀胱豆のはじけるときのなんでもない音まで、彼には苦悶を与えるのである。
 この種の恐ろしい音響を耳にすると、決して家の中へ入ってくることのないこの老犬が、―――知っておいて頂きたいが、家の中というものは番犬の場所ではありません、――この年をとった番犬が、たちまちいちばん暗い、いちばんよく囲まれた、そしていちばん近づきにくい部屋へ身を隠しに入ってくる。彼は何か家具の下へもぐりこみ、そこで最善の時のくるのを待ちながら、したたかに絶望感を味わうのである。懇請であろうが、鞭であろうが何ものも彼にその隠れ場所から出る決心をさせることはできない。否、否、あんな恐ろしい物音を聞くくらいなら、いっそ死んだほうがましだ! われわれはこんな馬鹿げた恐怖感を追っぱらうために採るべき手段を、永いあいだいろいろと考えた。
 それはたった一つだけあった。
 雷雨の日、恐怖にとらわれた犬が箪笥の下で顫えていて、どうしても出て行こうとしない。そこで私たちは子供の一人に往来に面した門をあけに行ってくれるように頼んだ。
 門の鈴の音を聞きつけるや否や、老ディックはそのかくれがから出る。彼はいつものとおりの声で吠え、頸をのばし、四足を張り、階段を飛びおりて戦闘の部署へ駆けつける。なぜならば「なすべき事はしなければならない。規則は論議すべきではない」からである。 
                                   (デュアメル)  

 訳者註1 いずれもいたち科の小獣。
 訳者註2 欧州産まめ科の植物。Colutea arborescens L.



 

 昔私の家にも飼犬がいた。それがこの話の頃は十歳ぐらいだったから、犬としてはもうかなり年寄りだった筈である。この老犬キキを孫の敦彦がこよなく可愛がっていた。
「でもねえ、おばあちゃん」とその小さい敦彦が私の妻に訴えている、「でもねえ、キキは散歩に連れて行ってやると夢中になって喜ぶけど、往来で所かまわずおしっこをするのがぼく恥ずかしくって仕方がないんだよ」私達大人はその状景を想像して大笑いをした。しかし十歳になる犬のキキはこう言っていたかも知れない。「私は大小屋ではいつでもお行儀がいいのです。けれども坊っちゃんのお供をしてそとへ出ると、無性に自由な気持になって尿意を催すのです。それは決して私が老いぼれたわけでもなければ、職務を忘れているわけでもありません。私はまだ若いのですから、決して」                      (喜八)

 

 

目次へ

 

 憂鬱な仕事

 酒の穴倉へ行くには、中庭を突き切って、自動車置場ギャラージュのそばを通らなければならない。
 もしも私か酒をとりに行こうと思って母屋を出ると、犬のディックは私を眺めただけで立ち上がろうとさえしない。
 もしも私か車を出しに行こうとして同じ道を通ると、老犬はすぐ私についてくる。
 その朴訥であることが伝説的なものになっている犬のディックは、それならば私の考えをすべて知っているのだと見なすべきであろうか。これは恐らく一そう朴訥な考え方かも知れないが、又かなり驚くべき事実でもある。私が車のほうへ行くときには私としては外出するつもりであり、それはいつでも私の着ている物のどこかしらに現われているはずである。老いたるディックは観察家である。すくなくともこの点では。
 私は頭を振る。そして彼に言う、「なんだってお前は私について来るんだね、おじいさん。車がどんなものだかお前は知っているだろう? それはいつだって殆んど同じものなんだよ」
 犬は憂鬱にみちた一瞥を私に投げる。そして悲しげに尻尾で答える。「私はよく知ってます。よく知ってます。しかしどうしろと仰言るのですか。私の仕事には楽しみというものが殆んどありません。それで私は車の出発するのを見に行くんです。時間をうまくつぶさなくてはなりませんから」                                (デュアメル)



 

 相変らず自動車は嫌いでも、主人の外出には見送りをしなくてはならない。それがディックの憂鬱な仕事でもあれば務めでもあるという事を百も承知のデュアメルさん。もうあまりからかうのはおやめなさい。彼に対する愛にせよ、或いはご白身の筆のすさびにせよ。                       (喜八)

 

 

目次へ

 

 鼠 狩

 若いカストルが昼間一日じゅううろつき廻ってくたびれてしまい、つづく夜は番をするかわりに一晩じゅう眠りこんでしまったので、園丁は朝から彼を中庭の奥の薪置場のそばへ繋いだ。
 元気旺盛な犬にとって、こうした境遇が特に屈辱的なものに感じられるだろうということを私は認めたい。カストルはそのことでひどく苦しんでいる。だが彼はそれを口に出そうなどとは思わない。
 私が中庭の奥へ行くと、犬はすぐ立ち上がって貯蔵用の薪のところまでたどりついて、そこの地面を引っ径きはしめた。
 私はからかってやるつもりで彼に言う。
「おやおや! カストル、おまえそこで何をしているんだね?」彼はひどく忙しそうな様子で私に答える、「僕は鼠を探しているんです。ほんとですよ、僕は丸太の下へかくれた鼠を一匹探しているんです。僕がここにこうしていなくっちゃならないのはその鼠のためなんです。どうかその小さな音のことは気にしないでください。ここん処にはいつでもあちこち動いている鎖が一本あるんですから。僕が鼠狩をしようとすると、どういうものかあの園丁はきまってここへ鎖を引っぱっておくんです」                         (デュアメル)



 

 子供の頃、ときどき母親に逆らったり「悪い子」であったりすると、罰として父親の手で土蔵どぞうへ入れられた。ふだん使われないその土蔵の中には、一階にも二階にも古い長持や色々な家具の類が積まれていてひどく陰気で黴かび臭く、ところどころ蜘蛛くもの巣さえ懸かっていた。そしてその二階の鉄格子の明り取りから、僅かに空の光が射し込んでいた。
 その私を母自身も家の女共も救い出す事は許されなかった。ただ午後三時頃になると女中の一人がひっそりと入って来て、二階の窓際にしよんぼりと坐っている私のために母から命ぜられたのだろうか、何かしら盆に載せた「お八つ」を運んで来てくれた。田舎出の若い女中は素朴な同情をおもてに現わして、
「だから喜きいちゃん、悪いたずらやひどい口返答なんかしては駄目ですよ」と意見をした。私はその真心こめた忠告を上うわの空で聴きながら、貰ったお八つを頬張った。そして小さな姉ぐらい年上の若い女中にこう言った。
「この窓の処へ来て遠くをご覧よ。御所ごしょの森が見えて、お城が見えて、その向こうに薄青い山や富士山が出ているだろう? 私あたい本当を言うとこのお蔵がそんなに厭でも寂しくもないんだよ」
 半分は負け惜みの強がりだったろうが、裏庭の薪置場と鎖に繋がれたカストルの事を読みながらついこんな昔を思い出した。             (喜八)

 

 

目次へ

 

 更に大いなる力の場合

 犬のディックは、庭の門を、いままでに恐らく一度も乗り越えたことがない。そしてわれわれの見るかぎりでは、そんなことをしようという気さえ起こらないらしい。ディックは聖人だ。そしてこれは彼が疲れているのだということの丁寧な言いかたである。
 ステッキを手にしている私を見ると、この年寄りの番犬は、門のところまでついてくる。もしも私が外へ出なさいと言ったら、彼はよろこんで、少なくとも半秒間は出るだろう。この世界の無限の空間に軽い一瞥を投げるために。しかし私は出ろとは言わない。老いたる犬も固執はしない。彼は門が私の踵かかとのうしろで再び締まるのを見ると、おのれの務めへ帰ってゆく。「生活、それはこういうものなのだ、生活なるものは! あの人間、私の主人は彼のささやかな仕事をしている。そして犬は、私は、この大きな邸の番をするのだ。それ以上なにも言うことはない」
 ところが、今日、時計が十二時を打つと同時に私は門をあけに行った。するとディックは、突然私にむかって自分も外へ出たいという意志を表明した。彼は半ばあいている門の隙間へ断乎としてその鼻面を突込んだ。彼はもっとも哀れな歎願の目つきで私を見上げた。「今まで私か一緒に外へ連れて行ってくださいとお願いしたことの無いことは、よく御承知のはずです」と彼は言った。「あの恐ろしい自動車に轢きつぶされてしまうでしょうから。でも今日は、今日は一分間、ただの一分間でいいから出させてください。これは全く止むを得ないのだということを私はあなたに誓います」 そこで私は門を大きくあけてやった。ディックは歩道へ駆けだして、固くなったパンの端切れを拾いに行った。それは今朝パン屋が彼の車から投げてくれたものだが、あいにく柵のそとへ落ちてしまったのだった。
 ディックはパンをくわえ上げた。そして口から一すじの涎よだれを垂らし、涙ぐんだ眼の底に感謝の焰を燃やしながら、すぐに庭の中へ帰って行った。
 或る学者たちは動物には物を思い出す能力はないと言っている。だが少なくとも彼らは思い出す力に充分代り得る或る能力は持っているのだ。それを何と呼ぶかは勝手だが。
                                    (デュアメル)



 

 聖人と言われる程になった老ディックは、それ故もう余り外へ出たくないくらい疲れている。ささやかな仕事をしている主人の大きな屋敷の番をする事が現在の自分の任務とあれば、それを忠実に実行してゆくのが彼の道だ。
 だがあのパン屑はどうする。今朝パン屋が投げ込んでくれて届かなかった。あの旨そうなパンの端切れはどうする。
 そこでディックは開けて貰った門から久しぶりに外へ走り出して、老いの眼を感謝の涙で濡らしながらパン屑をくわえ取ると、そのまま直ぐに庭の中へ駆け戻ったというのである。
 動物のこうした能力の発動を、更に大いなる力の突然開花する場合を、デュアメルの言うとおり或る学者達はどう否認するか知らないが、「執心」というものが存在する限り、人間にだって、こんな力が或る日突然燃え上がるためしも無くはあるまい。                               (喜八)

 

 

目次へ

 

 哲学者の夢想

「私はこの庭の中で育った。私はこの家のかげで全生涯を送ってきた。私は高齢の犬であり、無数の経験をかさねた犬である。いま私は十歳を越している。君たちがそこに見ている樹々、それを人がこの世の初めに植えたとき、私はもう生まれていたのだ。私は自分がその変ることなき崇拝者であり、もっとも敬虔なその僕しもべである聖なる存在者たちと、ほとんど同じ数の思い出を持っている」
「私は冬と夏とを知り、雪と塵ほこりとを知っている。もはや何物も私を驚かすことはできない。私は自分の務めを果たすこと以外にもう何事も願いはしない。私には不足はない。又なんら現世的な野心もない。犬の心を荒らす情熱も私に対してはもはやなんらの力も持たない。私は禽獣どもの興奮を、その憤怒をその空しき欲望を、憐れみをもってつくづくと見るのだ」
「しかし、心せよ、心せよ! わが主人の幼な子であるあの聖なる人物の手に、私は何を見るのであるか。神よ! 神よ! そんなことがあり得るでしょうか。あの不思議な物、あれは菓子と呼ばれる物ではないでしょうか。ああ! 私を抑えてください! 私を護ってください! さもないと私は気違いじみたことをしてしまいます。この世に菓子よりも佳い物があるでしょうか。そのためならば忠実な犬である私の命、私の魂、私の名誉をかけても惜しくはない一つのほんとに小さな菓子よりもなお佳い物が!」                   (デュアメル)



 

 どんなに長く賢くこの世を生き抜いて来た哲学者にも、業ごうと言えば言える或る不思議な運命的なものがあるだろう事は、この老犬の場合でもよく分かる。よしんば菓子ではなくても、煙草の為なら命を縮めても惜しくはないと思っていた哲学者がいた事を私は聴いている。この世を生きつくし見つくしながら、なお、酒だけには眼が無かったという哲学者の話も。
 そんな業ごうを気の毒だと思い、滑稽と見る他の無数の哲学者もいるだろうが、たとえばプラトンに、或いはカントに、どんな形而下的嗜好物への憧れがあったかを「俗人」である私は知りたい。                  (喜八)

 

 

目次へ

 

 実例の力

 若いカストルは躾しつけのいい動物だと言われないかも知れない。しかし幾つかの過失で彼の犯さないのもある。彼は主人たちの家へは決して入ってこない。そうした欲望が無いのではなく、その欲望を制することができるのである。戸口が大きくあいていて、勢いこんで走ってきた彼は一息で階段をとびあがる。そんなときでさえカストルはその鼻面を、道徳的な障碍物ではなく鉄の壁へぶつけたかのように、何もない空間の前で立ちどまるのである。
 或る日のこと、全然作法というものを知らない一匹の若い野良犬をしたがえた数人の来客があった。その若い野良犬が自分の主人たちの後へついて魔法の境界線を突破した。しかもこういう不敬漢を追い出すために誰一人手を振り上げないというのが、先生がたや殿様たちのあいだの礼儀なのである。
 その時、一飛びで、ただ一飛びで、カストルが家の中へ侵入してきた。「だって、要するに、規則はいろいろありますよ。そうしてそれはみんなのためにできているんです。それにしてもわれわれは互いに解り合わなければなりませんからね」            (デュアメル)



 

 もう四十幾つになる私の娘がまだ五つか六つの子供の時だった頃の私だから、思えば随分古い昔の事になる。或る日或る友人がこれも宅のとおない年ぐらいの息子を二人連れて訪ねて来た。私は三人の子供はすぐ仲良くなって一緒に遊ぶだろうと思っていた。
 ところがそれが大違いで、友人の子供である兄弟二人は、入って来るや否や玄関へ飛び上がって初めて来た家の中へなだれ込み、座敷へでも食堂へでも、子供部屋へでも台所へでも、一切お構いなしにはいり込み、最後には家じゅうで最も神聖な場所とされている私の書斎へまで躍り込んで、書棚やら机の上やらを手当たり次第に引っ掻き回した。
 これには私達夫婦も驚いたが、宅の子のは驚きと言うよりも寧ろ恐怖に近かった。その中で平気な顔で叱りもたしなめもしないのは当の友人で、「何しろ精力が有り余っている上に見る物がみんな珍しいのでね」と涼しい顔をしていた。
 躾が良いのかそれ程精力が旺盛でないのか、私の家のカストルは、小さい娘は、よそからの野良犬共の実例に従うどころではなかった。        (喜八)

 

 

目次へ

 

 主人の耳

 われわれは最も微々たる生物に対しても、彼らの持っている或る種の美点を羨まなければならないのだから、私としては、私の犬たちの嗅覚を欲しいと思う。だが私が遅鈍でお粗末なものだと考えている彼らの聴覚を欲しいとは思わない。
 われわれが子供たちの帰りを待っていたり、耳をそばだてて空間を調べたりしているとき、いちばん先に呼鈴よびりんを聴きつけ、自動車を聴きわけるのは私である。私は常に犬たちより先に吠える。もっとも彼らもぬかりはしないが。だがもしもわれわれが賑やかに帰ってくる犬の仔たちを待っているのだとしたら、結果はたぶん違うだろうということを私は認めたい。
 真夜中に、何か小さい異様な物音が生まれて家のまわりを徘徊しているとき、それを聴きつけて、沈黙の厚みの中にそれを追跡するのは必ず私がいちばん先であり、又しばしば私一人だけである。一分間後に私は考える、「もしも事態がこんなぐあいに続くようなら、私は自分を起こしてくれと言いに犬どもを呼びに行こう」と。                (デュアメル)



 

 誰よりも先に呼鈴を聴きつけ、自動車を聴きわけ、おまけにそういう物音に犬達よりも先に「吠える」というのだから、わがデュアメル先生はよっぽどすぐれた聴覚の持主に違いない。
 ところが私の妻も耳が良い。一、二町離れた向うの電線で歌っている朝の頬白の声を誰よりも先に聴きつけるのも彼女なら、あの音はご用聞きの何屋、あれは新聞配達、あれは速達、あれはいつもの「郵便屋さん」と、悉く言い当てて間違った事のないのも彼女である。無論今玄関のベルを鳴らしたのが自分の娘か、男の孫か女の孫かを聴きわけるくらい、彼女にとっては全く日常茶飯事である。「おじいちゃんはこのごろ大分耳が遠くなったわよ」としばしば言われる私としては、まことに残念だが仕方がない。
 だが待ってくれ! と言うのは、音楽を聴くとなれば私はこれでも一人前なのである。今鳴っている弦楽四重奏の中でどちらの音が第一ヴァイオリンでどちらのが第二ヴァイオリンか、ヴィオラとヴィオラ・ダ・ガンバの音がどう違うかぐらいは直ぐわかる。幾人か来るご用聞きの音を聴き分ける聴覚なんぞ、妻よ、犬に呉れてしまえ! とはいえ宅ではあいにくどんな犬も飼っていないが。    (喜八)

 

 

目次へ

 

 蜜蜂と蜘蛛

 白い腹をした蜘蛛、真珠のような円い腹をした一匹の蜘蛛が、あどけない蜜蜂を食っていた。
 恐るべき動物は、実を言えば、その餌食をむさぼり食っているのではなかった。彼女は相手の頭を襲撃して麻痺させたに違いない。彼女はそれを飲んでいるように見えた。楽しみながらゆっくりとその内容全部を吸い上げているらしかった。
 何はあれ、私は自分がロビンソンになりかねない気がした。人食い人種が互いに殺し合おうとしているのをとめるために、物かげから発砲したあのロビンソンに。
「悪党め!」と私は蜘蛛に言った、「俺の眼の前でこんないやらしい食欲を平気でさらすとは、貴様いったいなんという図々しい奴だ」
「旦那さんよ」と真珠の腹をした蜘蛛が答えた、「もう十分も前に女中があんたを食卓へ呼ぶ鈴りんを鳴らしましたよ。あんたの羊の腿の焼肉がさめちまうでしょうよ」
 まごついた私か其処を離れるや否や、くだんの虫は笑い出した。彼女は嘲るような調子で叫んだ、「行っちまえ! 蝸虫ででむし食い! 行っちまえ! 蛙食い! いかもの食い! ぺっ! 下司げす野郎!」                             (デュアメル)



 

 フランス人の庭に棲むフランス生まれの蜘蛛の事だから、フランス人のこういう食習慣を知っての上でこんな罵声を放ったに相違ない。
 さて丁度これを書いている今朝、私もこれと全く同じ場面に遭遇した。晩秋の朝日の当る庭の芝生でいつものように簡単な体操をやっていると、目の前の綺麗に紅葉している三葉ツツジの枝の間に糸を掛けた一匹の大きな女郎蜘蛛が、その網に引っ掛かった一羽の黄蝶に飛びつこうとしている。今年最後の者らしい蝶はなよなよしているが、大きな雌蜘蛛はまだ丈夫らしく体もがっしりして、色も多彩で鮮かだった。私の眼が速かったのか蜘蛛の脚が遅かったのか、黄蝶は助けられてひらひらと飛び去った。蜘蛛は私の差し出した竹の棒に驚いて三葉ツツジの枝から屋根のひさしへ逃げ帰ったが、日本人の庭に棲む日本生まれの女郎蜘蛛は、日頃のたしなみもまた違うせいか、さすがに「行っちまえ、雲丹うにの卵巣食い! 行っちまえ、魚の生作いけづくり食い!」とは罵らなかったようだ。          (喜八)

 

 

目次へ

 

 群衆中の苦悩

 生まれたばかりの蝶が風のまにまに漂流している。それは驚くべき数である。たそがれの田舎は彼らでうずまったように見える。もしもこれが昼間だったら、空もそのために暗くなるだろう。翅と翅と触れ合って、彼らは泳ぐように飛んでいる。
 どこから彼らは来たのだろう。どこへ彼らは行くのだろう。世界について何を考えているのだろう。隣人たちに何を言っているのだろう。生きることが楽しいのかしら。彼らの悪魔はどんな悪魔で、またその神はどんな神だろう。
 こういうのが、正午に奔流のようなアムステルダム街註1を上がりながら、百度も私か自分に課した質問である。                            (デュアメル)

 訳者註1 パリ第九区にある長い街。



 

 たまたま東京へ出かけて、アムステルダム街ならぬ新宿や渋谷あたりの繁華な通りや停車場内で人波に揉まれていると、私もこんな質問を自分に課する事が時々ある。そして買物や用事もそこそこ、早く電車に乗って自分の住んでいる落ちついた静かな町へ帰りたくなる。ごく最近も目白の聖マリア大聖堂ヘオルガンの演奏を聴きに行ったが、聖書の朗読やバッハの作品の荘重さに引きかえ、あの目白駅前の自動車の行列や、山ノ手線電車の満員寿司詰めにはあいそが尽きた。しかもそういう何十万という人達の心の中を推測する事などは到底出来もせず、ただ想像出来るのは、夕暮の彼らにそれぞれ帰って行く家なり家庭なりが有る事だった。従ってその人達が私同様それぞれの家路を急ぐのは当然だった。そしてこの思いが私の心を柔らげた。
 生まれたばかりの無数の蝶の行衛定めぬ漂流よりも、一人の貧しい寂しい人間に、今宵もまた宿るべき処のある事を、この雑踏の中で私はぼんやりと願っていた。                               (喜八)

 

 

目次へ

 

 一匹の猫からの教訓

 白猫が不信の眼で私を見ていた。まるで私がときどき彼という不潔な動物を欺こうとしたり、彼にいたずらを仕掛けたり彼の疑心を正当化するようなことをしたがってでもいるかのように。
 結局私は心中ひそかに諦めて自分の道をすすんだ。信じない者の不信を是認することは彼に道理ありとすることであり、また他面彼を満足させ、彼を喜ばせてしまうことでもある。私はこの白猫に対して、彼の哲学が賢明で、且つ善いものだと信じさせるわけにはゆかなかったし、又そうしたいとも思わなかった。
 猫というものは極度に狡獪な動物である。このことは彼らを幸福にはしない。彼らは自動車のくるのを、注意ぶかい、小賢しげな様子で見ている。彼らは瞞されてたまるものかという気持をひたすらわれわれに示そうとする。そこで自動車に轢かれるようなことにもなるのだ!
 往来のまんなかに寝ている犬を轢くということは決してない。話ではよく聴くにしても、犬が轢かれるということは極めて稀である。
 車で出かけるようになって以来、私はたった一匹不仕合せな獣を轢いたことが有るだけである。そして、ああ、それが私の白猫だった!                (デュアメル)



 

 私は猫という動物を好かないので、普段から彼らに対してほとんど何らの関心も持っていない。もしも彼ら相応の道理があり哲学があるならば、その理性や哲学にしたがって勝手に生きて行くがいいと思っている。「何ちゃん」と呼ばれている何処かの家の飼猫にせよ、名も無くて其処らをうろついている野良猫にせよ。
 台所から魚や肉の切れはしでも盗んで行けば妻は怒って怒鳴りつけるが、食う物も無くて腹は減るし買う事もできないとあってみれば、人間としてはこれも結局勘弁してやるのほかは無い。その代りたまたま宿無しの野良猫が、自己過信か人間愚弄のためか自動車に轢殺されたと聴かされようと、私はびくともしなければ大した教訓もそこから受けない。
 このごろは野良犬も多くなった。これなども私にとってだんだん猫に近くなった。今に車に轢かれる奴も増えるかも知れない。           (喜八)

 

 

目次へ

 

 若い病人

 羽根のぬけた小さい鵞鳥が、禽舎の中でひどく野蛮な刑罰をうけていた。彼女の姉妹きょうだいたちは彼女を翼で押しこくり、雄鶏はくちばしで攻撃し、高い所にとまっている鳩でさえ、その糞を彼女に浴びせかけた。なんという悲しげな、みじめな姿だ! 彼女は残忍な群衆全体の中でのなぶり者だった。その負傷とその凌辱とで、もう今にも死にそうだった。
 われわれは彼女を禽舎から出し、一人だけにして草原へ放してやった。其処で休息し、生気をめぐむ孤独のなかで、安んじて静養をするようにと!
 羽根のぬけた小さい鵞鳥は、牧場の草の中にいて幸福ではなかった。彼女は一日じゅう鉄柵に身を押しつけたままで動こうともしない。彼女は燃ゆる愛情と悲しみとをもってほかの鴛鳥たちを、自分の姉妹きょうだいたちを、餌を奪いあう牝鶏どもを、不作法な雄鶏どもを、誇らしげなレース飾りをつけた鳩どもを眺めている。そして此の小さい鵞鳥は歎くのである。
「なんのために人間は私をひとりで外へ出して置くのだろう。なんのためにこんなペスト患者みたいな扱いをうけるのだろう。こうしてずっと一人でおかれたら、私は夫を見つける事もできまい。誰にも悪い事をした覚えのない私に、人間はなんというむごい事をするんだろう。いいえ、いいえ、私はもうなんにも食べたくない。もう生きていたくない」      (デュアメル)



 

 多勢で一緒に暮らして来た者が急に孤独な身になって、そのため当分一人で生きるに堪えないのは人間でも他の動物でも同じかも知れない。この鵞鳥にしてもそうで、どんなに仲間からいじめられようと、馬鹿にされようと、ひどい仕打ちを受けようと、さてその仲間から一人引き離されて自分だけ自由の草原へ立たされてみると、案外その寂しさに堪えられないのは群生動物として当然な事なのであろう。
 私は多年病院の看護婦をしていた一人の女性を知っているが、こんな務めはもう厭だ、早く夫を持って子供を持って、一家の主婦として人並みに生きたいと願った事が幾度かあったが、さてその一旦その職業をやめてみると、あの病院という物の特殊な空気が、検温器の感触や薬の匂いが、患者や同僚や先生達との毎日の接触がたまらなく恋しくなるという話だった。こういうのは、事によったら停年退職になった大学教授のような人達の場合でも同じではないかと思う。そのためにまさか病人になる事もあるまいが、退職後たまに電車に乗ろうとして方向を間違えて、逆に今までの学校の方へ行ってしまったという例も聴かされた。     (喜八)

 

 

目次へ 

 

 郷愁の書取り

 百日草ジニアよ、わが美わしの百日草ジニアよ、汝等はすでに力尽きたり! ああ我われゼナイド或あるはゾエと共にザンジバルの島に在らましかば! 我はしばしば其の夢のごとき風景のなか、花文字のZゼットの上に坐して生きん事を願いたりき。我はわがアルジェリア歩兵ズアーブが人のよく絵画の縁へりに立てるを見るなるかの投槍ザゲーもて、縞馬ゼーブル・瘤牛ゼブュのたぐいを狩るを見るならん。ザラトゥストラの狂信者ゼラトゥールなる我は、妬心の批評家ゾイルを遠く、不和の源ジザニーを遠く、零ゼロを、帯状胞疹ゾナを、亜鉛ザンクを、はたズーズー弁の動物誌研究者等ゾオグラフを遠くさかりて、わが手の拳をわが頬骨ジゴマに、天頂ゼニットあるは黄道帯ゾディアックへの瞑想にふけりつつ、かの無邪気なる植虫類ゾオフィットの如く生くるなるべし。かくて最後の曲折ジグザグまで、終局の「馬鹿ジュット!」にまでも我は到らん。                  (デュアメル)



   我がこの一文、ツジ(活字)を植うるに労多くして、そのセイ(成果)甚だ少なきをイ(如何)にせん。されど(斯)くの如き筆のすさびもンキョウ(感興)にませて君が(駆)れば、すなわちならずしも空しらず、ズ(数)多き読者のなにはカカ(呵々)と笑いて迎うる者も少ならざらん。いとまのままにZのシラジ(頭字)をぞえれば、そのズ(数)二十五を超ゆるなるべし。ただいささ無理なる君がZのツヨウ(活用)も、これを(閑暇)の戯れと見ればタイ(大過)ならん。もしわれ字をもてこれに報いんとなれば、その拙きケッ(結果)けだしおおむね(斯)くの如き。 (喜八)

 

 

目次へ

 

 我ら、別の文明が……

 もしも私か庭というものを持っていなかったら、戦争その他多くの事件にもかかわらず胡麻塩になった髪の毛その他さまざまの不幸にもかかわらず、多くの別離や痛恨事にもかかわらず、もしも私が庭を持っていなかったら、時々、まる一時間のあいだ、私は死というものを忘れることができるだろうと思うのだ。
 しかし庭は私のまわりで、到るところ生き且つ死んでいる。それは同じ豊かさで生きたり死んだりしている。それは誕生と喪とにほかならない。
 時には一本の大木にその終焉の来ることがある。私はそれを悼んで、われわれの巨木の死のために、一篇の哀歌を歌いたいと思う。時にはそれがてっせんの、或いは藤の運命のこともある。そしてわれわれは、彼女らが惜しみなく与えてくれた花のすべてを、その死に対して献げたいと思う。彼女たち、あんなにも永い間われわれの生活を装飾した彼女らは、逝くに臨んでわれわれの心から何物かを持ち去ってゆく。また時には一種族の全体が庭の中から姿を消してしまうことがある。種子がすこしずつその力を失って行くように見える。或る日その植物は一つの文明のように死滅する。私はそのことを園丁に言う、「あの八重咲きのにおいあらせいとうはどうなったのかね。影も形も見えないが」園丁は微笑して両腕をひろげる。「どうも私としたことが、先祖を絶やしてしまったらしいです」
 別の家族たちが住みつく。別のいくつかの文明がその絶頂へ進んで行く。毎朝、生きている庭が死んだ庭の灰のうえで歌ったり踊ったりしている。            (デュアメル)



 

 花の盛衰、季節の推移というものは、多くの人々にとって静かに移る自然の変化そのものとして美しくも感じられ、楽しくも思われるに違いないが、年をとった私などには、時にはそれが余りに迅すぎて、いささか心細く感じられることがある。
 ついこの間まで盛りだった紅や白の梅の花が惜しげもなく散って行き、それを追ってジンチョウゲ、アミガサユリ、クロッカス、各種の水仙、更にレンギョウ、ボケ、カイドウと咲いては散り燃えては消える私の家の狹い庭の眺めの移り変りではあるが、花好きの私にも拘らず、つい「盛者必滅、会者定離」の思いにとらわれてしまう。それでは駄目だ。そんな弱気でどうすると自分で自分の心を鞭打ちはするが。
 青々と木々に包まれていた山の中腹が造成されて灰色のマンションが建ちならび、蛙が鳴き白鷺の群れていた広い田圃が一変して工場の敷地になり、心を打った牧歌は亡び、俗悪浅薄な流行歌が栄える。自然のおのずからの推移にはそれでもなお穏かな順列があり秩序があるが、今日ではその景観でさえ突然の破壊や変貌の手にゆだねられるのが実状である。環境の保全や美化の事に当たる人々がどれほど力を尽くしても、狡獪で強引な時代の蚕食を防げないのは、エゴイスト文明の当然の成行きと言うべきであろうか。
 今は故人のデュアメルの邸や庭が、やがて一つの語り草となるのも、そう遠い未来の事ではないのではないかと危ぶまれる。             (喜八)

 

 

目次へ

 

 季 節

 春が、ひどく早く、ひどく急いでやって来る。私か呼んだわけではないのに。
 昔は、いつでも、少なくとも二つの季節だけ先へ私は生きていた。九月の朝のうちだというのに、もう翌年の四月の匂いを探すのだった。こんにちでは、毎晩、まだ心残りを感じながら、その日の黎明の光のことを、夜あけの風の音のことを思い出すのだ。
 私にはまだ全く準備ができていない。春は私をまごつかせる。私はなお少しばかり、私の心に、そうだ、これを最後として私の心に冬を、あの醜い冬を抱きしめたい。  (デュアメル)



 

 前記のような気持ではいながら、しかし春を待ち、夏や秋を楽しむ心も亦まだすっかりは失われていない。季節季節の野山もよければ海のほとりも谷間もいい。幼い頃に海水浴や水泳に親しみ、長じては山登りを愛したので今もその好みが抜けないせいか、たとえもう水へ入ったり高い山を志したりしなくなった今でも、彼らの眺めの美しい頃となると必ず何処かへ出掛けずにはいられない。それぞれの季節が私を呼ぶのだと言ってもいいかも知れない。
「盛んなる者も必ず滅ぶ」や「会う者必ず離る」は動かしがたい真実に違いないが、それが本当に身にしみて感じられるまでには、なお未だいくらか許された、いくらか眼や足腰の自由な時間がありそうだ。とは言えこの真実の言葉は決して忘れてはならずこれをしっかりと腹に据えた上での生の喜びでもあれば感謝でもなければならないと思う。                        (喜八)

 

 

目次へ

 

 招待状

 この幾日、私の田舎はどんよりと曇り、私の庭には生気がなく、私の心は寓話から見放されている。すべての葉をそよともさせずに、私たちの樹々はもう歌うことを忘れてしまった。花たちは物語を聞かせてくれず、そのまま私を行き過ぎさせる。私は世界を取り上げられてしまった。
 誰が私に、私の富を返してくれることができるだろう。誰が、また新しく私のために、昆虫どもに光を放たせ、石に語らせ、草に溜息をつかせることができるだろう。どんな親切で浮々した友人が来て、ただの一瞥、ただの一語で、すべての色彩を燃え立たせ、すべての囁きを呼び覚まし、私のすべての寓話を鼓舞してくれる事かしら。            (デュアメル)



 

 世界がそんなに貧しい物に思われる日が私にもある。そういう日私は妻に向かってこんな愚痴をこぼす。「厭な日だね、憂鬱な日だね。僕はやっぱりカラリと晴れた日が一番好きだ」。すると働き者の妻が答える。「本当にそうですよ。今日はたくさん洗濯物が溜まっているのにこのお天気じゃあ」と。なるほどこれもまた一理である。彼女にとって晴れた日の太陽は、私にとってのそれのように単に美しいとか、気持を晴れやかにしてくれるとかの対象ではなくて、遥かに家政的実際的なのだ。はて、招待状はどうしたものか?………。           (喜八)

 

 

目次へ

 

 エレオノール、又は誠実な魂

 エレオノールが、彼女の籠から、いとも小さい一つの土鉢を慎重に取りいだす。その鉢の中では一本の衰弱した植物が苦しんでいる。
「これは病気です」とエレオノールが言う、「それも大変重いのだということを私は知っています。でも、あなたの温室へ入れてやってください。熱と光とが善くしてくれるでしょう。たぶんあなたはこれを助けてくださるでしょう」
「そりゃ勿論」と園丁が言う、「助けることはできるでしょうよ。しかしそれにはかなり時間が掛かりますよ。もうこいつのことはお諦めなさい。私か別のを上げますから。無論おなじ仲間をね」
 エレオノールは顔をあからめる。内気で優しい隕の上でまぶたかしげたたかれる。
「いいえ、いいえ」と彼女はすこし怒ったような声で言う、「いいえ、やっぱりこれの面倒を見ていただきます」
「なんですって?」と園丁は叫ぶ、「もっと良いのを上げると言っているのに……」
 エレオノールは言う。ひどく小さい声で。
「いいえ、私か愛しているのはこれなのです」               (デュアメル)



 

 たとえばどんな精薄児であろうと身障児であろうと、母親にとって我が子は我が子、かけがえのない愛児である。いかに丈夫そうな怜悧そうな、玉のような子であろうとも、他人の子は他人の子。そんな子と自分の腹を痛めた子とを取り換える気などは毛頭無い。
 いくら体が弱くてもいくら知恵がおくれていても、そういう母親の真心によってわれわれは皆大事に愛され、育てられて来たのだ。
 世界中のエレオノールはみんな正しい。みんな誠実な魂の持ち主だ。私はこの文章を本当に美しいものと思う。                   (喜八)

 

 

目次へ

 

 均衡の法則 

 人が近づくと、木虱きじらみは、キャベツの奥のほうへ隠れようとしてこまかい霰のような音を立てて跳ぶ。哀れなキャベツよ! なんというみじめな姿だ! 彼らは魂までも食いつくされてしまった。その葉はもうレース細工に過ぎない。汁液は落胆して、彼らから遠ざかってゆくように見える。
 気の毒なのはキャベツだけではない。あらゆる十字花科の植物がやられている。みんな衰弱してゆくばかりだ。赤蕪も、蕪も、においあらせいとうさえも。園丁は頭を振っている。またも不作の一年。
 だがあの高い所では、丘の上では、百姓たちが喜んでいる。木虱はからしなを、小麦の畠をだいなしにする――もう一つ別の十字花科の植物――からしなを、全滅させたのだ。
 かくてここにわがシャルル・ニコル先生をあの均衡の哲学者を満足させる事実がある。 
                                    (デュアメル)



 

 デュアメルの畠に又もや不作の一年を、又もやキャベツを、赤蕪を、蕪を、においあらせいとうをさえも全滅させる一年をもたらした木虱が、そのデュアメルを嘆かせながら、或いは怒らせながら、向うの高い丘の上の畠の持ち主を大喜びさせている。全く同じ木虱が、植物学上同じ仲間のからしなを全滅させて、彼らの大事な小麦を救ってくれたという事で。
「あちら立てればこちらが立たず」は古い諺だが、われわれの地球上にだって、大きな視野からすれば似たような事が行われている。北方に雪の多かった翌年は南方が大旱魃に見舞われる。機械工業が猛威を振えば新しい病人が増え、観光開発で太る人間が現れれば痩せて乾いた山が出来る。
 シャルル・ニコル先生は均衡の哲学者だそうだが、その専門のティフスや百日咳や麻疹にはどう対処したのだろうか。(ニコル。フランスの医学者、ノーベル賞受賞。一八六六年−一九三六年)                          (喜八)

 

 

目次へ

 

 怠け者の生徒のための口頭弁論

 君がこの枠箱の中に見る元気な、青々した花の咲いている大きな月桂樹、百人の詩人の二十人の学者の、十人の競技者の、二人の征服者の、そして極端に厳密にいえば一人の政治的雄弁家の額ひたいをさえ飾るに充分なだけの葉をつけているこの大きな月桂樹、この誇らかな月桂樹は、これがまだ小さかった頃には、まる二年間を壜に活けられて過ごしたのだ。
 我慢づよい園丁はときどき水を換えてやった。小さい枝は緑の色こそ保ってはいたが、たった一本の根を出そうという決心さえしなかった。そのうちに、突然、彼はスタートを切った。今それは立派な樹だ。
 私はこの寓話を、思慮も浅い十歳の子供に最終判決を下すことを主張する乱暴な立法者たちに献じたい。
 私は彼ら立法者が学位でもなく、知識でもなく、また叡知でさえもなく、少なくとも子供を持つことを要求する。                           (デュアメル)



 

 どういう最終判決か知らないが、思慮も浅い十歳の子供にとあれば当然緩和してやってもいいような規則か法律に違いない。それを楯に取って頑迷に主張するから乱暴な立法者たちと言われるのだろう。ちょっとした怠け心か悪癖か、いずれにしても子供ばかりが悪い世の中ではない事を、立法者白身胸に手を当てて考えてみるがいいのだ。デュアメルの言うとおり、そういう子供を裁く大人たちにとっては、必要なのは学位よりも、知識よりも、叡知よりも、まさに単純に自分の子供を持つ事である。前記のエレオノールのように諸君の場合では、本当の父親の心になって考える事だ。そのうちに突然子供はスタートを切るだろう。思いがけなく永年沈黙していた根を出すだろう。そして頑迷な大人たちを尻目に、誇らかな月桂樹として立ち上がるだろう。                         (喜八)

 

 

目次へ 

 

 愛の眼

 黄金虫こがねむしの幼虫を、何かもっともらしい不快の念なくして見るということはかなりむずかしい。そういう気持は一種の排斥を意味するので私は厭なのだが。
「僕はね」と、そのぞっとするような小動物に私は言う、「僕は君を愛の眼で見たいんだよ。公平であるためにね。もちろん容易なことではないんだけれど。しかしそれはすべての物を本来の位置に返すたった一つの方法なのだそうだ。僕は君をたとえばだね、君の許嫁いいなずけの眼で見たいと思うよ」
 真昼の太陽に悩まされて虫はのたうつ。彼は不平家の口調で答える。
「僕の許嫁ですって? 何を言ってるんです。僕らはね、僕らのような者は愛なんか知らないんですよ、お馬鹿さん。許嫁を待つのは僕らの蛹から剥けて出た黄金虫です。しかしそれも後のことです。ずっとずっと後のことです」
 まさにそのとおりだ! 寛大と愛情とで黄金虫の幼虫を見ることはやっぱりできない。
                                    (デュアメル)



 

 愛の眼で物を見る事は楽しくもあれば美しくもある。然しそれは始終はできない。それだから「公平」な心が要る。別に彼らの「許嫁」の眼を借りなくても蚊は蚊でいいし、ぼうふらぼうふらでいい。公平な心は成虫を成虫とし、幼虫を幼虫として見る。そして彼らを愛さないまでも寛大に、或いは健全に認識する。愛の眼がたまたま公正を欠く事をわれわれは要心しよう。          (喜八)

 

 

目次へ

 

 逆境の利益 

 もしも私が北へむかって緑の並本道を進むとすれば、もしも私が北のほう、即ちわれわれの家からは見えないが、其処に友人アンリョーが、彼の妻君や息子たちと楽しく暮らしているネールの方角へ進むとすれば、私はまともに風をうける。私は寒く、私はさからい、そして私は早足で行くのだ。
 もしも私が緑の並木道をオーヴェルの方角へ、其処にヴァンサ・ヴァン・ゴーグが彼の弟テオの傍らで憩っているオーヴェルの方へむかって行くとすれば、私は北風を背にうける。するとうしろから押されるように、殆んど何もする事が無いように、私は夢み、私は足を引きずり、そして私は早くも疲れる。                          (デュアメル)



 

 たとえば緑の並木道を、寒い北風にさからってネールの方角へ急ぐとしても、其処には親しい友人アンリョーとその暖かく楽しい家庭が待っている。らくらくした歓談と、おそらくは新しい美しい音楽さえも。
 もしも緑の並本道を、北風に追われて南の方オーヴェルヘ向かって行くとすれば、心は夢みつつ足は引きずり、早くして疲れながらも其処に彼を待つものとして、あの懐かしいヴィンツェント・ファン・ゴッホと、その愛弟テオの並んで眠っている墓がある。
 むかえ打つ風と送り風。前者に友の家庭の歓待があれば、後者に不遇で逝った天才の墳墓の寂寞がある。この際そのいずれを選ぶかは人それぞれによって、また時にとって異なるだろうが、私などには親しい友も親しい墓も二つながら善い。なぜならばその行く道が苦境であれ順境であれ、私本人はまだこの世に生きているのだから。生きていればこそ友と楽しむ事も故人を哀惜する事もできるのだから。そして寒い風に向かったとかそれを背に受けて急いだとか、その境遇の順逆の程はともあれ、快楽にせよ、尚そこから何らかの利益りやくをうける事はできるのだから。                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 感傷的な散歩、又は緑の贈り物

 家から外へ出るや否や、私は一足ごとに、手で、帽子で、眉で、眼で、または心で――言うまでもなくいつも心でだ、――挨拶をしなくてはならない。
 これはあの優しいアレー夫人から貰ったヴェロニカ註1だ。此処にあるこの八重咲きのきんぽうげ、これはラペルシュ君からのものだ。花の無いこの季節にこのサクシフラガ註2、おお記念の花よ! これをわれわれは女友達のリュシエンヌ・サンレックから贈られた。温室の硝子ごしに親しい「今日はボン・ジュール」を言おう、コレットが種子をくれたあの可愛いバジリック註3に。そして直ぐに見よう、オクターヴ・オーブリーの手でセント・ヘレナで採集されたかいざいくが、われわれの代官の庭でナポレオンの栄誉を再興しようと決心したかどうかを。ルル小母さんのあじさいが塀にもたれて顫えている。彼らはひどく逃げ出したがっている様子だ! この小粒のトマトたちが、なんと彼らの母親ママンの名を、あの申しぶんのないフェルナンド・ラマールの名を恥ずかしめないことだろう! そしてリュック・デュルタンの桃の木に、どうか立派な桃の実がなるように!
 此処は友情の陳列館である。旗に飾られ、佳い香りを漂わせ、感じ易く傷つき易くて、すべての生あるもの同様、いつかは滅ぶべき陳列館だ…… ああ、ああ! このいらくさはいったい誰から貰ったのかしら。君からだったかな、古い仲間よ。またこの薊あざみをくれたのは誰だったろう。これが食物になると威張って保証したのは誰だったかしら、このまるばのほろしは何処からだっけ。この緑の毒人参は誰からだっけ。
 さて、ゆっくりと樅の樹の墓まで行こう。まるで子供をかかえるように腕にかかえて、友人たちがフィンランドから持ってきてくれたあの樹が枯れたのはあすこなのだ。石の腰掛へ腰をおろして、いや、正確にはサグリエの腰掛でちょっとのあいだ休みながら、われわれは樅の樹のことを誠実な心で考えよう。それにあの腰掛もやっぱり生さているのだ。苔を生やしているからには。
 生ける庭よ、人間から人間への贈り物よ! もしもわれわれにして自分でかち得た物を持っていないとしたならば、なんとこの世が薄暗いことだろう! 又もしもわれわれにして自分でかち得た物以外には何一つ持ちもせず、又それのみしか愛さないとしたならば、なんとこの世が物寂しいことだろう!                           (デュアメル)

 訳者註1 ごまのはぐさ科の草本で碧い花が咲き、わが国のるりとらのお等に類似。
 訳者註2 ゆきのした科の草本で、わが国のゆきのしたしこたんそうを思わせる小型の植物。
 訳者註3 唇形科の草本で佳香を放つ。



 

 鎌倉の私の家の庭はいたって狭いが、家族が、特に私を初め妻や娘が植物を好きなので、面積の割にはたくさんの木や草が、或いは露地に或いは鉢に、歩く場所まではみ出して繁茂している。庭木で言えば三月末の今はレンギョウ、イヨミズキにトサミズキ、それに各種のツバキが最盛期か咲き初めである。そして小さい花壇には、クロッカス、ハナニラ、ユキノハナ、ヒヤシンス、クロムスカリなどが盛りである。そしてこれからは前記のものに次ぐ色々な花が咲いて、やがて梅雨つゆ時のアジサイがあちこちの片隅に薄碧い夢をひろげるまで、毎日の目の楽しみ、庭の飾りは絶える事がない。
 狭い庭の中だから「散歩」という程の事はできないにしても、これらの植物とのめぐり合いをこのデュアメルのように思い出して行けば、辿って行けば、私にもまたその一つ一つから「感傷」は生れる筈である。これらの二十数種のツバキは群馬県渋川の町に住む或る新聞社の社長さんが、あんな遠方から自動車でわざわざ運んで来てくれた物だとか、このコメツガは十数年前、信州の或る高校の校長さんが大切に抱くようにして持って来てくれた物だとか、あの月桂樹は東京から移って来た時に古い出入りの植木職が私の仕事の祝福にと、ウメやツツジと一緒に植え替えてくれた物だとか、花壇の草花はすべて妻と娘がこまやかな種子や小さな苗から叮嚀に育ててこんなに見事に咲かせた物だとか、ああ、一々履歴を挙げたら果てしがない。
 デュアメルがフィンランドから贈られた一本のモミの樹の、その墓の事を書いているから私も自宅の門柱になっている二本のシラカバの事を書いて置こう。このシラカバは三十年もの昔私が北アルプスの或る山の麓から若い細いのを二本こっそり抜いて来て、東京の庭に移植した物である。それが年々太くなり、高くなり、あの飾り紐のような花を咲かせた。ところが数年前の或る暴風雨の夜、二本とも根元からぽっきり折れた。見れば幹の中心部はすっかり虫に食われて空洞だった。しかし私はそれを捨てたり焼いたりするに忍びず、皮つきの太い材に仕立てて鎌倉の新居の門柱にした。それが今でも二本、私たちの毎日の出入りを左右から衛っている。
 自分で手に入れた物と友人から贈られた物とでいっぱいの庭。猫のひたい程の私の庭も、小公園を想わせる広々としたデュアメルの庭も、本質的には変りはあるまい。そして最後に書かれている数行の感慨についても、私はデュアメルと全く同感である。                             (喜八)

 

 

目次へ

 

 節操なき者

 もしも私があのひどく愚かしい、そして繩よりもしつこい一つのシャンソンに悩まされなかったら、散歩はきっと楽しかったのだろうが。
 助けてください、ジャン・セバスチャン・バッハ! 助けてください、救いの巨匠よ! あなたの子供の思想の中に調和を再建しに来てください!
 ジャン・セバスチャンにはほかに心配事があるに違いない。彼は私を困惑させて置くことに極めたらしい。
 睡りに落ちる瞬間まで、それなら此の悪者共と一緒に生きるのだ。     (デュアメル)



 

 してみるとデュアメルさん、あなたの家にもシャンソンに悩まされる時代というものがあったのですね。あなたをして止むを得ず「節操なき者」たらしめた時代が。
 ああ、しかしこうした私にも大バッハに救いを求める時が絶無とは言えない。それは下の部屋から時には遠慮勝ちに、又時には大びらに訪れて来た。以前にはエレキ・ギターが、最近にはロックが!                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 能力についての短い問答

 鳳仙花バルサミーヌに私は言う、「そんな名を持っているなら註1、お嬢さん、あんたは庭じゅうを薫らせてくれなければいけないのに。だがあんたにはまるっきり匂いが無いね!」
 鳳仙花はひどく軽蔑したような様子で葉をそびやかす。それから横柄にこう答える、「私には匂いが無いと仰るんですね。私のほうじゃ又あなたは嗅覚が無いんだと思っていましたのよ。ではムッシュウ、これであいこ」                      (デュアメル)

 訳者註1 バルサミーヌbalsamineはギリシア語のBalsamon(香油)から出た言葉である。



 

「高雄って名にしては、あなた割合せいが低いわね」と、すらりとした美しい女の生徒が同じ級クラスの男の友達に言う。
「君も薫って名にしちゃあ、あんまり良い匂いがしないね」と、肩幅の広いがっちりした男の生徒が、わざと鼻の孔をぴくつかせながら、少し見上げるようにして言う。
 これで互いに大笑い。実は級中でも共に勉強がよく出来て、評判の仲善しの二人である。                             (喜八)

 

 

目次へ

 

 流寓の苦しみ

 リュクサンブールの薔薇の木が、へつらいの名声を先に立てて、私たちの家へ運ばれて来た。
 われわれの所の土質はひどく重かったから大きな穴を掘って、美味で、風通しがよくて健康で、栄養に富んだ土を埋めこまなければならなかった。
 リュクサンブールの薔薇の木は、しかしそれでも満足しなかった。彼らは厭いやいや花を咲かせた。
「お前たちは何が欲しいのかね? 何が気に入らないんだね?」と私は言った、「もう少し肥料こやしが欲しいのかい? 事によったら飾りだけの副木かな? それとも何だい? 銀の剪定鋏かい?」
「いいえ」と、仲間のうちのいちばん年をとったのが放心したような様子で答えた、
「私たちは必要な物は頂いています。しかし、あすこに見えるあの丘をみんな余り好かないのです。それだけのことです、ムッシュウ。そしてそれが重大な事なのです。   (デュアメル)



 

 君達のその気持はよく解るが、リュクサンブールはリュクサンブール、ヴァルモンドワはヴァルモンドワ。「処変われば品変わる」で、いくらあの丘が気に入らないからとて、やはり諦めて早く新しい土地に順応するより仕方はない。この私にだって覚えがある。私は信濃の高原に七年という長いあいだ住んでいた。それから東京の町中へ帰って来た。その時一緒に連れて来たのが今、庭に茂っているシラカバやイチイや、シャクナゲのような山の家の植物だった。彼らはいずれも初めの幾年間はしょんぼりして、苦しんで、伸びもしなければ花も咲かせなかったが、年月がたって落ちついたら俄かに元気さが目立って来た。そして今ではこの鎌倉の家の庭にいるが、土地の風土にもすっかりなじんだか、シラカバもイチイも急に背丈けが伸び、シャクナゲなどはこの春あたり二十幾つの真赤な花の束で庭じゅうを照らしている。
 リュクサンブールからの薔薇君たち。元気を出せ。「流寓」などという言葉はそういつまでも記憶されはしないのだ。私は敢えて言わせてもらう、「住めば都だ」と。                               (喜八)

 

 

目次へ

 

 使 者

 われわれに親しい蟻、われわれの家の蟻、われわれの砂糖を食い、われわれの酒にひたり、また時には目もくらむサハラ砂漠のようなテイブルクロースを横断する我らの蟻は、淡水タンクの下、厚い土台の中に巣を作っている。私たちは色々な小さい徴候から、彼らが其処に自分たちの城砦を、堅固な住かを持っていることを知っている。一方彼らの側からみれば、たとえわれわれが立ちのきを迫るとしても、家そのものを石一つ一つから取り壊してゆかねばならず、そんなことは所詮われわれにできないことを知っている。家は事実上彼らの物になっているのだ。彼らは外側の壁の裾に一本の国道を建設して、一日じゅうその上を急いだり行き違ったりしている。彼らは明るい季節の間ずっとわれわれの存在を黙認している。ところがわれわれの方は無論それほど寛大な性質でもなく、また自分たちの帝国の在り方について奇妙な考えを持ってもいるので、そう彼らを許してはおかないのである。
 夏の最盛季の、夕立でもやって来そうな静かな夕暮、私たちの家の蟻の巣では盛大な婚姻飛揚が行われる。儀式はいつも同じで、もう数年来つづいている。私は暑さの具合から正にその時のきたことを感じる。私は虫どもが姿をあらわす締めきりの室へ入って行く。彼らは壁の割目を長々と進んで来たのだが、煖炉の近くの床板と土台とのあいだまで来ると、其処から自由な空間へ飛び出すのである。大きな羽根をもった婚約者たちはひどくまごついたような様子をしている。恐ろしく小さい労働者たちが彼らに随行し、彼らの世話をし、彼らを元気づけているように見える。そこで私は窓をあけてやる。すると蟻の巣の希望が、燃えるような不安にみちた夜の中へ、あぶなっかしく飛んで行くのである。
 私はしばしば、心の中で、蟻の巣の迷宮をあるき廻ってみた。隠れ家が深いだけに、其処の温度はあらゆる季節を通じて同じでなければならない。それならば戸外の宵が好調で時は今だということを誰かが巣の中へ教えることができるのだろう。それはきっと労働蟻である。彼らは一日じゅう庭の探検に出ているのだから。
 私はずいぶん幾度もこういう使者を藁のきれはしで立ちどまらせて、低い声で二、三の正しい注意をしてやったものである。「暑いね。それは極まっているが」と私は言った、「しかし晴雨計は下かって、じきに雨がやって来そうだよ。女王様のところへ行って、もう少しお待ちになったほうが宜しいでしょうと言いなさい」
 彼らにはいつも私の言うことが解らなかった。私は蟻の言葉で話しだのだが、アクセントが巴里風パリジャンだったので。                        (デュアメル)



 

 今から凡そ二十年ほど前、デュアメルがその本国フランス政府の文化使節として、妻君同伴で日本を訪れた。講演をしたり名所旧蹟をたずねたりしての忙しい日程だった。
 その或る時私は彼と同伴で鎌倉へ行った。そして建長寺の広い静かな境内を一緒にぶらぶら歩きながら、折から頭の上で鳴いたり歌ったりしている小鳥の事を問われるままに説明していた。「今鳴いているのは?」と訊かれると、「あれはビュルビュルでわれわれの国ではヒヨドリと言います。たぶんフランスにはいない筈です」などと答えながら。
 「今のは?」。「あれはメザンジュ。シャルボユエール(シジュウカラ)」。「あの群れでしゃべっているのは?」「あれはプティ・ヴェルディエ・ジャポネー(コカワラヒワ)。賑やかな連中です」などと、冷汗ひやあせをかきかき、時には英語をまじえて、みずからはフランス語と称する怪しげな言葉で彼の問いに答えていた。
 しかしそれが我等の客である文化の使者」にすっかり解ったかどうかは甚だ疑わしい。私もまた蟻の言葉ならぬ彼の国の言葉で話したつもりだが、何しろこいらの発音やアクセントからして既に余りに日本風ジャポネーだったから。   (喜八)

 

 

目次へ

 

 しあわせな道路

 われわれは平野の住人である。小さい水蝕谷に刻まれた一枚の大きな粘土のテイブル。われわれの土地では道路はしあわせである。
 かなた、中部や南部の荒々しい山岳地方。私はそういう地方を、青年時代に、百度も徒歩で遍歴した。其処では道路は障碍物によって生きている。彼らは一足ごとに深淵や絶壁にぶつかる。だがそういう土地の道路がなんと細心だろう! なんと彼らが聡明で用心ぶかいことだろう! 彼らは冒険にむかって出発する前に永いあいだ躊躇する。彼らは迂回と緩慢とをもって地の傾斜に近づいて行く。彼らは努力というものが永きを要することを知っている。窮極において、また必要からも彼らは崇高なものとなったのである。
 われわれの土地では、道路はしあわせである。彼らはどんな努力も知らない。それゆえ一つの丘陵に出逢いでもすると、彼らは大急ぎで、活潑に、向う見ずにさえ体を投げ上げる。それで旅人は、喘ぎながら、いくらか腹を立てながら思い出すのである。あの、息も切らずに雲の上を行くことのできる、堅固な道理にかなった道のことを。            (デュアメル)



 

 私も若い頃はずいぶん色々な山を経験した。だから歩いた山路や越えた峠も数知れない。そしてそういう路が土地の人々によって昔から、どんなに賢く切り開かれて来た物であるかを思って感心した事も幾たびかあった。まったく筆者も言っているとおり、そういう山国に住む人々は努力というものの常に永きを要することを知っていた。そして、それ故窮極的には、また必要上からも、そういう山路は崇高なものとなったのである。
   ところが我々の住む都会の美しく整備されたように見える道路には、しあわせどころか、至る処に変事や危険が待伏せしている。そんな処を走らせる真似を車に強行させるから、元来悠々たる境地であるべき山の路でさえ思わぬ事故が突発するのである。本来ならば山では車を禁じるか、細心な車だけに彼らの穏やかな走行を許すようにすべきであろう。                   (喜八)

 

 

目次へ

 

 路上の話題 

 坂道は急で、太陽に焼かれている。其処を真昼間に登る人たちは、自分の前に自分の影を行かせ、その影に汗を振りかけるのである。
 私は自発的に車を停める。そして言う、
「私のわきへ乗って行きませんか」
 道行く人はちょっと考え、肩をゆすぶり、そして答える、「では折角の御厚意だから」
 彼は包みや上着と一緒に自分のからだを空いている席へ運び上げる。そしてわれわれは話を始める。と言うのは、旅人がしゃべって私かそれを漠然とした耳で聴いているという意味である。
「あなたの車は何ですかな? ああ、なるほど! シトロエンですな…… 私なら、私がもしも車を持つんだったら、ブガッティのほうが良いと思いますね。少なくともあれは走りますよ、ブガッティはね。でも、かなり高価です。悪い車じゃありませんよ、あれは。私に義理の弟が一人ありましてね、その男がきれいな車を一台持っています。たしか、ロールスでした。少なくともね。弟は、あの男は運転が上手です。と言っても、何も別に…… いやいや。ああ! しかしあれは用心ぶかい奴です。別に比較するわけではありませんがね……おっと、気をつけて下さいよ! ねえ気をつけて! 自動車という奴は、これで時間をかせぎますな。殊にこんなふうに丘にかかったときにはね。私の義理の弟ですが、あの男は飛ばします。用心ぶかくって、それでいて飛ばすんです。運転てものを心得てるんですな。何ですか、今の小さい音は。このごろの車は変ってますな。足の置場も無いんだから。もっともまるっきり無いよりはましですがね。あんたは道を間違えてやしないでしょうか? 私は、ふだんは、近道を行きます。そのほうが気持がいいですから。あっ、此処でおります。どうぞ構わないで下さい。ただ忘れ物さえしなければね。なんだか少し体が凝こってきましたよ。いや、それにしてもありがとう」
 いつでも同じ歌である。その歌はかなり私を面白がらせる。その面白さは私の受ける利益以上のものではないにしても。もっと変った歌を書き留めなければならない。   (デュアメル)



 

「いつでも同じ歌」と言うからには、デュアメルは時々こんな人間を同乗させているとみえる。何という図々しい、一人善がりの、しゃあつくな、乗せたこっちがあいた口のふさがらないような男だろう。世間を広く見て、時にはこんな面白さから何か利益を得る事もあるのだろうが、読んでいるこっちがおかしいよりも腹が立つ。それにしても日本には、今のところ、幸い、此処まで徹底したエゴイストは見当たらないのではなかろうか。                  (喜八)

 

 

目次へ

 

 徳の曲折

 両手をうしろに、うつむいて、心をある瞑想に奪われながら、庭の小径を私はそぞろ歩いている。その瞑想のもっとも小さいものをも私は語ることができるし、又みごとなものだと思っている。私は宥しについて、寛容の精神について、晴れやかな諦念について、これら自分が大いに培つちかいたいと願っているすべての美徳について、深い思いに沈んでいる。
 それにしても、もしも犬のカストルがあの愚かしい仕方で咆えることをつづけるとしたら、もしも若いカストルが宥しや諦めについての私の平和な夢想をさまたげるとしたら、たぶん私は止むなく彼を叩いてしまうだろう。
 もしも犬のカストルが小鳥だったら、恐らく私は彼が歌っていると言うだろう。
                                    (デュアメル)



 

 寛容な精神、宥しの心、晴れやかな諦念。そういうものを自分の中に培いたいと願いながら、わが庭の小路をうつむいてそぞろ歩きしているデュアメルは美しい。まぎれもなく求徳の人であり、心豊かな詩人である。そして私達もそうであり、そういう姿でありたいと思う。
 しかし犬というけものをどうしよう。この賢い、心柔かな詩人はあいにくカストルを飼っている。カストルは若くてぴちぴちしていて、その主人に忠実でさえあるが、何しろ根がけものであって人間ではない。散歩をしている主人の美徳への夢想などには、てんで関心も無ければお構いもない。だから時には急に吠え立てたり、いきなり走り出したりする。今が今まで宥しや諦念の事に静かな思いを馳せていた主人の三昧境などには無関係に。ところが折からむこうの林か畠の中で一羽の小鳥が鳴いている。彼に従えばそういう鳴きである。大きなけもの声ならば無風流な吠え声、小さな鳥の声ならば優稚な歌。そこで一人の求徳者の心の磁針が乱れるというわけであろう。                        (喜八)

 

 

目次へ

 

 繁栄の法則

 南瓜かぼちゃが彼女の本分を守って、滑らかな肌を見せている。膨らんだ以上は音がするようになり、打診する指に陽気な答えをしなくてはならない。
 輝かしい季節のあいた、自尊心のある南瓜ならば見る見るうちに太ってゆくはずである。そうだ、「見る見るうちに」と私は言う。だが彼女が一時間でも膨れることを停止すれば、注意ぶかい園丁は内部の乱脈を看破するのだ。頭を振りながら彼は言う 「この南瓜は我儘者です。もうお仕舞です。見込みがありません」
 財政家諸君にとって、これは見事な比喩イマージュではあるまいか。まったく。
                                     (デュアメル)



 

 私は財政の事には至って暗いが、南瓜ならばこれでも幾度か作った事がある。東京上高井戸の畠や信州富士見の開墾地で。両方共さして上手うまくは出来なかったが、自分の手塩にかけたせいか、味はそんなに不味まずいとは思わなかった。そしてその栽培中、「見る見るうちに膨れる」事もなかったが、さりとて「内部の乱脈」、つまり腐れや虫害などという事も無かった。言わば素人しろうと並みの出来で素人向きの味であり、平穏無事の南瓜だった。
 そしてそれらの南瓜同様に、私のところの家計も終始一貫どうやらだった。 
                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 天使の喇叭

 顧客おとくいに知らせるために、行商人が首から吊るした小さい喇叭を鳴らしている。
 それは悩ましい喇叭である。聴いていると私は暗い気持になる。それが遠くのほう谷間の奥で鳴りひびくと、悲哀が私に襲いかかる。商人が息をつくと、毒されたような沈黙が落ちる。それからまた新しく喇叭は飛び立つ。すると忘れたものと信じていた思想が、たちまち深淵のもっとも渾沌とした底のほうから上がってくる。枯れしぼんだ古い悩みがふたたび血を流しはじめる。ああ! あの商人が遠くへ行ってくれたら! 彼は私の一日を駄目にした。彼はあの小さい喇叭で私の胸を引き裂いた。
 その商人が通る。彼は赤ら顔で脂ぎっている。彼はすべてのおかみさんたちに笑みを送る。彼はすべての通行人に陽気な言葉を投げかける。それは人間の中のもっとも幸福な人間である。彼はその喇叭の中へ唾を吹きこむことで一つの強烈な快楽を味わっているように見える。
 ああ! それならばこの支離滅裂な宇宙が私にどんな意味を持っているというのだ。
                                    (デュアメル)



 

 私の住んでいる静かな谷の中腹でも、このごろは「天使の喇叭」がときどき鳴る。それが豆腐屋の喇叭の時もあれば、「竿屋さおや、竿竹」の呼び声の時もあり、町の商店やデパートの開店オープンを知らせる若い女の金切り声の時もあれば、尾籠びろうな話ではあるが古新聞や雑誌の類をトイレット・ペイパーと交換する事を告げる人間の落ちつき払った太いバスの声の時もある。
 古い名高い寺々を近くに控えた静謐せいひつな住宅地の片隅で、昼間は私も物を書いたり考え事をしたりしている。周囲の山は緑に空は明るい。ラジオの音も全く聴こえず、電車の轣轆れきろくも此処までは届かない。遅筆ではあるがペンも進み、タバコを吸いながらの瞑想の世界もひろがる。スズメやシジュウカラやヒヨドリの声はあっても、常の事として心が乱される驚きもない。
 と、その世界へ思いもかけず飛び込んで来るのが私の天使の喇叭である。その天使の姿や顔を少なくとも一度はいずれも見て知っているから、全然我われ関せずの気持にもなれず、心はおのずからその叫び声に、そしてその人間に吸い寄せられる。よしんば「支離滅裂な宇宙」とまでは言わなくても、自分はさて措き、先ず次第に町中の様相を呈して来るこの古都の谷間の未来を考えずにはいられないのも事実である。
 それに私はデュアメルのように戦争には行かなかった。       (喜八)

 

 

目次へ

 

 八月四日の夜

 燃えるような、劇的な或る夕暮だった。私は庭のなかの高みに立って、収穫とりいれに輝く丘を眺めながら物思いにふけっていた。にがい香りを含んだ風が地をすれすれに這っていた。すべての草は怒りをいだいて正義を要求しているかに見えた。言うに言われぬ一種の威迫が世界の上にのし懸かっていた。
 私のまわりに羽根の生えた蟻が出現したのはこの時である。彼女らは丸々とふとって、栄養がよく、真珠母のような、長い、貴族的な翅をよそおっていた。彼女らは活気にみちて往ったり来たりしていた。と、突然、もっとも高貴な者たちの中の一匹が驚くべき仕草をした。一種粗暴な力で自分の翅をもぎ捨てたのである。すると忽ちその姉妹たちがこれに倣ならった。間もなく地面は千百のほのめき光る翅でおおわれてしまった。この犠牲が果たされると、虫たちは此処かしこと忙しそうに質素な労働蟻と同じように走りはじめた。そして、私としては、恐怖と感嘆とで身も震えるばかりであった。
 私は緑の小径を厳粛に歩きはしめた。私は感激に高められていた。私はあの勇敢な者たちを羨んだ。そして考えた、「私も、私もまた犠牲を払おう。私も、私もまた抛棄しよう!」と。
 それならば、私は自分の魂からもぎ捨てるべき翼を持っているとでも言うのか。なんたる自負だ、正しき天よ! 狂人を憐みたまえ、正しき天よ!            (デュアメル)



 

 こういう光景には私も幾度か遭遇した。信州富士見高原の落葉松からまつの林の中で。
 これは恐らく蟻の婚姻飛揚の場合だと思う。大きな山蟻の一群が彼らの古巣を捨てて別に新しい一国を建設しようとする時に、その支配者である女王蟻が翅つばさをそなえた多数の雄蟻を引き連れて空中へ飛び上がり、一妻多夫の主人公として彼らと交尾し、それから地上へ降り立って彼女の男妾たちと共に翅をもぎ捨て振り落とす時の壮観を描いたものだと思う。そう言えば私の場合もやはり夏、しかし昼間の事だった。
 婚姻飛揚が終わってもう用の無くなった翅を捨て、もう犠牲を果たしてしまった虫たちが、今度は生まれ変わったように普通の労働蟻と一緒に走り廻り始めるところは、まことに目に見るように生き生きと書けている。物を書いたり考えたりする人間がたまたまこういう光景を見たら、まったく一種の恐怖と感嘆とを覚えずにはいられまい。                            (喜八)

 

 

目次へ

 

 成功の苦味

 地下室がひどく暗く、ひどく静かで、又ひどく冷たいので、馬鈴薯たちはいちばん奥の隅のところで退屈していた。彼らは換気窓から落ちるほのかな光をじっと眺めながら、その種族の讃歌を低い声で歌っていた。「われら下界の影のなかに生くれども、そは未来の或る日われらの葉の、太陽をほめたたえんためぞかし!」
 やがて春の息が換気窓から忍びこんで来た。すると馬鈴薯たちは逃走の決心をした。彼らは芽を出しはじめ、柔かい、蒼白な、長い茎を伸ばして這いはじめた。
 換気窓は遠く高い所にあるので届くには骨が折れた。透明な弱々しい茎は胸をおどらせて突進した。幾週間、何力月。旅路は長かった。人間たちはこの地下室の存在さえ忘れてしまったかに見えた。
 旅人らは忍耐と勇気とをもって進んで行った。彼らはさまざまな障碍物に出逢った。多くのものは道を失って自分の上へ巻き返り、もつれ合い、復讐の女神の頭の蛇のように、痛ましくも互いに争いはじめた。ほかの者たちは樽や壜に鼻面を打ち当てに行った。また別の者たちは古箱類の渾沌のなかへ果て知れずに迷いこんだ。
 ただ一本だけが目的地へ着いた。
 彼は壁の附根つけねまでその細い緑がかった頭を届かせた。彼は自分の道を見つけることができた。彼は這い、跳ね、飛び、樽をめぐり、凍った深淵を奇蹟のように躍りこえた。彼は行きついた。彼は試煉の終る所に行きついた。しかし悲しくて絶望していた。なぜかと言えば、地下室の隅では、使い果たした馬鈴薯そのものが、一箇のしなびた巾着きんちゃくに過ぎなくなっていたから。                                  (デュアメル)



 

 冷たい地下室のくらやみの底から太陽の光を求め、遠い苦難の道をたどって弱々しい茎を伸ばしてゆく馬鈴薯の姿。それはまた吾々普通の人間の一生の姿でもあれば運命でもありはしないか。私もそうだった。彼もそうだった。多くの知友の大方おおかたがそうだった。そして途の半ばにして斃れた者、志を遂げる事ができないままに、歳をとりながら今もなお営々と努めている者、ようやく成功の域に達したかと思うや否や、身はすでに老い衰えて生きる気力も失いかけている者。そういう者達が私の今日までの生涯の短い歴史を取り巻いて数多くいる。そして、よくよく思えば、私自身が同じ彼らの一人なのであ しかし吾々が、そんな暗い寒い穴蔵や地下室に、彼ら不幸な馬鈴薯共のように置き捨てられていていいものだろうか。いや、こういう世の中は改善されなければならない。一人一人がそれぞれの天分に応じて、志す道へと進む事のできるような世界にしなくてはならない。
 実を言えばこの不幸な馬鈴薯たちは皆彼らの存在を忘れられていたのである。そして敢えて言えば吾々自身も、すべて一箇の尊厳な人間的存在である事を忘れられている場合が多い。だからこそ毎朝毎夕配達されて来る新聞の社会面や政治面が、目を被いたくなるような記事で不愉快な賑わいを呈しているのである。                                      (喜八)

 

 

目次へ

 

 祈っている牝山羊

 牝山羊のアルマテーは何をしているのだろう。彼女はお祈りの女のようにひざまずいている。彼女は庭じゅうに崇敬とへりくだりとの敬神の場面を拡げている。いったい誰に祈っているのだろう。
 牝山羊のアルマテーは祈ってなぞいないのである。哀れな動物は誰にも祈っていないのである。彼女は綱をひっぱっている。そして膝をつけばたっぷり十センチメートル前へ出られることを知っているのである。緑の草への十センチメートル。これは健啖家の山羊にとっては軽視すべからざることである。
 しかし、牝山羊のアルマテーが祈っていないとは、しんそこでは私にも言いきれない。 
                                    (デュアメル)



 

 庭の片隅の一本の樹につながれて、一心不乱の祈りのためにひざまずこうとしているような牝山羊のアルマテー。庭に面した自分の個室で、眉の間に皺を寄せて黙々と、学校から貰って来た宿題の難問を解こうとしているように、一枚の紙に向かっている大学一年生の孫敦彦。一方を見るデュアメルにはそれが瞬間敬虔で熱烈な家畜の祈りと思われ、もう一方をちらりと見る私にはそれが我が孫の感心な、褒めてやりたい勉学と受け取れる。
 ところが実はそれが大違いで、アルマテーのは十センチ先の柔かい旨そうな食卓への執念から来る努力であり、敦彦のは宿題や復習よりも遥かに好きなデッサンの稽古、つまり大学の文学部には幾らか縁の遠い絵画への執着なのである。そして、それにも拘らず、彼らのいずれにも全然祈りの感じが無いとは、デュアメル同様私にもまた思えない。
 アルマテーの執念の唇はやがて十センチ前方の草へ届くだろう。そして私の孫は、明日あしたはデューラー展を見に行くのだと言って張り切っている。 (喜八)

 

 

目次へ

 

 現世的な富の軽蔑 

 この堅くなったパンの見事な皮、これを、事実犬のディックは欲しがらない。老いたる番人はもうひもじくないのである。彼は気晴らしから帰って来たところだ。食うことも彼にはやはり疲労である。何事も彼を退屈させ、何事も彼には重荷になる。彼は面倒臭そうに鼻の先でパンの皮をひっくりかえす。彼は溜息をつき、私がしばしば人間の駄弁よりもよく理解できる、あの犬の無言の言葉で歎く。彼は言う、「私はあなたを喜ばせる以外にはこの皮を食べますまい。あなたがどうしても食えと仰るのでなければ食べますまい」
 この気品のある倦怠が私の胸を打つ。そこで私は口笛を吹いて若いカストルを呼ぶ。私は大声で言う、「カストル、パンの切れをやるから早く食いに来い」
 老いたる犬の軍曹はやにわに身を起こす。彼の口に唾液がたまる。彼はカリカリと音をたてて皮を噛む、彼は片方の横目で身のまわりを見廻しながら唸る、「そうですとも! 私はやっぱり腹が減っていたんです。いいえどうか誰も呼ばないでください。殊にあの若い馬鹿は。あなたのパンきれ、これはほんとに結構です。もしももう一つお待ちでしたらそれも私の分ということにしてください。私は言いたいんです。私を思い出してくださいと。あなたの忠実なしもべを忘れてくださるなと」                            (デュアメル)



 

 何事にも退屈し、何事も重荷のように感じられ、食う事にさえ疲労する老いたる番犬ディックにとっては、主人の呉れるパンの皮も今では単なる現世的な富に過ぎない。若いカストルならばこの一切れに喜んで飛び着いてがつがつ食ってしまうだろうが、ディックにはもうそんな気力も興味もない。彼が今欲しいものは食い物ではない真の富、昔ながらの主人の愛情と、こんにちの自分への理解とあわれみの心である。それがもしも此の一切れのパンに表現されていると言うのなら、堅くてもかじりにくくても、面倒でも、苦痛でも我慢をしてディックは食ってしまうだろう。こんな此の世的な浅薄な富を 心の中では軽蔑しながら。    (喜八)

 

 

目次へ 

 

 三つの格言

    五月のための格言
 頭を下げることを知らない者には、若い鈴蘭は目につかない。

 最初に通った人たちは鈴蘭をすっかり浚って行くだろう。しかし最後に来た人たちも充分なだけは見つけるだろう。

    九月のための格言
 君があまり大声で話すと茸きのこたちは隠れてしまう。          (デュアメル)



 

幼な児の頬を愛撫するためには、それだけ我が腰を低めなければならない。

最初に獲得した者の眼は誇りに輝き、最後に取り入れた者の眼は感謝にうるむだろう。

探鳥会というものは、しばしば、却って小鳥を寄せつけなくするものである。
                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 世界の音楽

 私は緑の小径を歩きに行こう。そしてもしももう一度息をつくことができたら、もしもこの心臓が鎮まったら、私は世界の物音を聴くだろう。
 これは一つの幸福な世界の物音だ。ばったの雄どもが恍惚として、彼らの欲望に夢中になっている。一匹のこおろぎが村の停車場の信号のように、ながながとベルを鳴らしている。一羽の山鳩が風を切って飛んで、よく響く空気を唸らせている。遠くでは一羽の牝鶏が、小石の粒を探しながら物思いにふけっている。ピアノが、子供の手に責められて、ショパンの悲しみを微風の流れにゆだねている。待宵草まつよいぐさが黄いろい花の折り目をひろげる。すると私はその音を聴く。私には何でも聴こえるのだから。はじける種の響きさえ。ダーリアのにがい汁を木虱がゆるゆると啜る音さえ。
 私は別の音楽も知っている。残念で、神聖を瀆けがす音楽も。しかしこれら平和な音楽こそやはり私の心をかきむしるものだ。
 これは私の家の歌だ。これは私の時間だ。私の生活の時間だ。
 聴け、おお、ひっそりと立つ人! 誰にも二度とは聴けないだろうこれら永遠の物音を聴くがいい。
 この世の永遠の中で君のものであるこの時間から、その殆んどすべてを、もう君が使い果たしてしまったなどということがあり得ようか。
 永遠の中の君の部分を、もう君が蕩尽とうじんしたなどということがあり得ようか。
                                   (デュアメル)



 

 こうしてこまかい色々な物の音を挙げられてみると、なんと普段私たちの耳がなおざりであり、私たちの心が硬張こわばっているかがはっきりわかる。こういう能力は決してデュアメルだけのものではなく、本来われわれにも備わっているのだが、聴こえていても気がつかず、気がついてもこれほど詩的な感動や想像の柔らかみが行き届きもしなければ拡がりもしない。ばったを聴こうがこおろぎを聴こうが、飛ぶ鳥の羽音を聴こうが風に送られて来る遠いピアノの歎きを聴こうが、硬化した感覚や心情には触れもしなければ語りもしない。そういうものが聴きたかったら、それで心を和なごませられたり豊かにしたりして貰いたかったら、此の世の騒音や雑音から出来るだけ遠ざかって、自然の物音だけを聴こうとするのが一番善い。然しもしもそういう事が望むべくして到底叶えられない事だったとしたら、せめて世界のさまざまな音響の中から、自分たちの心をいやしたり柔らげたりしてくれる音だけを選び取るのである。
 今私の窓の外では、向うの山のうぐいすが「ホーホケキョ」を囀っている。近くの庭の木ではにいにいぜみも歌い出している。屋根ではすずめも鳴いている。しかし時折、下の坂道を登って来る自動車やオートバイの音も響く。してみれば私は自分の音楽のために、あれこれと選択し取捨しなければならない。そして深い心で聴き取り、浅い心で聴き捨てなければならない。そして其処に自分の時間を、自分の生活の時間を打ち建てなければならない。
 聴き入って深い思いにふける時間こそ永遠である。もしも君が、恩知らずにも、人間の作った真に美しい音楽に聴き飽きるような事があったら、自然に帰ってその源泉なり片鱗なりを聴き取ろうとするがいい。           (喜八)

 

 

目次へ

 

 打ち捨てられた墓

 私が死んでから千年、又はそれ以上もたった茫漠たる未来の或る日。
 一人の男が私の墓のうえを通るだろう。そして夕暮の沈黙のなかで、私に話をしようとして身をかがめるだろう。
 彼は言うだろう。私には彼の言いそうなことがわかるのだ。「よみがえれ、一分間、おお魂よ。よみがえって世界の匂いの中のどれか一つを吸いこみたいと願うがいい。匂いという匂いの中で、その大いなる悲痛な優しさによって、お前を生命にまで還すことのできる一つの匂いを」
「お前は人が秋に燃やす、最初の焚火の匂いを嗅ぎたいか。お前は村で焼いているパンの匂いを嗅ぎたいか。お前は古い道に生い茂るいらくさの、あの苦にがい匂いを嗅ぎたいか。九月の太陽に暖められた木苺の藪の、あの実の匂いをお前は選ぶか。それとも雨の夕暮の、緑のそくずの蒸発の匂いか。それとも僅かに白む夜の明けがたの茸きのこの匂いか。或いはまたお前の小さい末の男の子の、湯上りの頭の毛の匂いか」
 そうしたら、影と忘却との中に埋もれている私は、大地の底から答えるだろう、「なんのために君は私の胸をひき裂くのか、道行く人よ。私のあまた秘密の宝の中から、なんのために君は私に選ばせようとするのか」                        (デュアメル)



 

 デュアメルは聴覚も良かったが嗅覚もすぐれていた。それは彼の書いた小説や戯曲や随筆などを読むとよくわかる。そしてそれは彼と一緒に生きる時間を持った人ならば誰しも気がついた事だろう。
 私も二十年程前に彼と一緒に鎌倉の建長寺を訪れた際、彼があの深い広い森の中を歩きながら一々の小鳥に耳を傾けると同時に、香こうの薫りや森の樹の香や、海からの潮風の匂いにその鼻の孔をピクピクさせていた事を今でもはっきり覚えている。そしてそれだけに、この文章を読み返すと感慨のまことに深いものがある。彼がこの世を去ってから千年、或いはそれ以上も経った茫漠たる未来の或る日!………この深刻な想像は私にとって悲しい。私も好きだ、花の匂いを。今ならば我が家の庭のかわらなでしこだのばらの匂いを。刈り干されたすすきだのかやの匂いを暑い日光とすがすがしい風に乾かわいてゆく洗濯物の家庭的で健康な匂いを。朝、ふとドアを開けて入って行った時のピアノ室のひんやりとした匂いを。又好きだ、朝食の後で妻が必ずいれてくれるコーヒーの匂いを。そういう食物の匂いの漂ってくる食堂その物の匂いを。
 ああ、数え上げたら切りがあるまい。そして私が死んでからの未来の或る日、夕暮の沈黙の中でこんな質問をする人間が有ったとしたら、デュアメル同様私の答えもこうだろう。
「それは私の数多い思い出の宝だ。どうかそのどの一つにも意地悪い質問の指先で触れないでくれ!」と。                      (喜八)

 

 

目次へ

 

 丘と川

 川と起伏のはげしい丘とのあいだに、人間は一本の築堤を一本の美しい道路を造った。その上を一日じゅう、自動車や、旅人や、百姓や、家畜の群が通る。
 或る夕方、その道路のへりをぶらぶら歩いていた私は、われわれの丘が夕闇の中で歎いているのを耳にした。彼女は言っていた、
「昔私は、地平線まで、この土地を支配していたものだった。ところがあの執念ぶかい川のやつが、少しずつ私をかじって行った。あいつは私の足もとを攻撃する。あいつは私を揺さぶり、私を崩壊させる。あいつは私の苦痛、私の恐怖、私の永遠の折檻せっかんだ。何時かはあいつが私を征服しおおせて、私は海底の砂以外の何者でもなくなるだろう」
「なんだってお前は歎いているんだね」と、私は丘のほうへ向いて囁いた、「もう何も心配することはないよ。われわれが、人間が、この道路を造ったからね。これは堅固で、土台もしっかりしている。たとえ洪水のときだって、川はお前のところまで届くことはできない。さあ、安心して眠るがいい。ほんとうに、なんだって歎きなんぞするんだろう」
 丘は返事をためらっていた。だがついに極めて低い声で、彼女のすべての草の声でこう言った、「けれども、千年たっても、あなたがたは此処にいらっしゃるでしょうか。千年か二千年の後にもなお、お気の毒な方たち、お気の毒な勇敢な方たち、あなたたちは此処にいらっしゃるでしょうか」                               (デュアメル)



 

 これは地球表面の変貌であり、流木による土地の浸蝕の現象である。よしんばどんなに堅固な堤防を造ったり長い岩壁をしつらえたりしても、水という自然の絶え間のない破壊力に逢っては、到底千年や二千年もの間を抗しきれるものではない。早く言えばそれは、人間の一時の気安めであって、決して永遠を保証する事は出来ない。やはり夕闇の丘の歎きのとおり、未来に対する彼女の心配のとおりどんな起伏も、どんな山や丘も、結局は平坦な土地となってしまうに相違ない。
 そこで私も言おう、「丘よ、すべてはお前の言うとおりだ。しかしすでに先の知れている私のために、今更そんな事を思い出させないでせめて此の夕暮を安らかに、お前と共に、お前の上を歩かせてくれ」と。           (喜八)

 

 

目次へ

 

 無作法者

 きんみずひきの黄色い小さい花が、道をゆく私に皮肉な一瞥を投げる。それで私はどういうわけかしらといぶかる。それは地味な風采をして、疑わしい効果を云々されている植物である註1。私はさっそく彼女に話しかける。
「お前は其処で何をやっているんだい? 道ばたで。お前はそんなに物見高いのかね?」
「たぶんね」ときんみずひきが答える。
「なるほど!」と私は言う、「お前にとっては気の毒なことだよ。此処には栄養に富んだ土という物がほとんど無いからね。お前は野原のまんなかへ行って暮らすほうが良くはないのかね? すがすがしくって、物のたっぷりある場所で、牧草たちと一緒にさ」
 小さい粗野な植物は陽気に笑い出す。
「いいえ、どう致しまして。私は自分のいる処で満足ですの。私の実はもうじきできるでしょ? あんた御存知ね、その実には害をしない細い鉤がびっしり植わってることを。実は秋が来ると熟しますね。ちょうどその時分にはブランシュさんが、あんたの奥さんが、毛織りの着物を着はじめますね。そうしてあの人はこういう道を歩くでしょ? すると私の実たちが着物へ引っかかりますね。その着物はもっと遠くへ、世界のいろんな道へあれたちを運んで行くでしょ? だってあんたがたは、人間は、私たちの寛大な奉仕者たちは、しょっちゅう旅行をしているんですから。ところでもし私があんたの牧場のまんなかで花を咲かせるとしたら、私の子供たちは私の足もとで大きくなって、私から光を取り上げちまいますわ。これで私が道ばたを選ぶわけがわかったでしょ?」
「ふう……」と私は呪いながら答える、「お前の返事はいくらか目的原因論者フィナリストの口吻だな」

「フィナリストですって!」と、小さな花は横目で空を仰ぎながら繰り返した、「フィナリスト! フィナリスト! それで人間は智慧があるって言われているのね。それで人間はたまには一を聞いて十を知るって言われているのね!」               (デュアメル)

 訳者註1 きんみずひきは日本でも殆んど到る処に見られる草で、林の樹下や路傍に多い。着物に附着するその
  
晩夏や秋の実は誰でも知っているだろう。わが国でも生薬名を竜牙草と言って下痢止めに特効があると称せら
  れている。
 



 

 ダイコンソウも、オナモミも、メナモミもヌスビトハギも、今ここで問題になっているキンミズヒキ同様、山野を歩いている時のわれわれ人間の衣服や他の動物の毛皮にその鉤や棘のある実を附着させる。そして、それがために、おのずから彼らの実は諸所に流布される事になる。これは路傍に黄色い花を咲かせてデュアメルに皮肉な一瞥を投げるキンミズヒキの母親の言うとおりである。
 その正当らしい雄弁な返事をいくらか目的原因論者的な口吻だなと思いながら、一応受け入れるデュアメルの気持は寛濶で面白い。なぜ寛濶かと言えば、私は今までにも芸術や学問の方面で、こういう論法を用いる多くの相手に接して来たからである。
 たしかに本の実や草の実が、人間や他の動物に食われたり附着したりするのも、それによって子孫の世界がひろがり、一族の繁栄が期待されるからであろう。しかし食われたり拉致されたりする者が動物である場合には何と言おう。知れた事である。彼らは護身のために身をもって逃れる術を知っている。彼らの子供らや卵たちを保護する事も知っている。意志的に移動できる者とできない者との相違が此処にはっきりと現われている。そこで目的原因論者と言われて余り迷惑でもなさそうなキンミズヒキ女史の、得意気な黄色い花の顔がちょっぴりと想像される。
 しかし他人の着物に迷惑な何かをこすりつけるなり粘着させたりして置きながら、自分の遠大めいた目的や深刻めいた理由だけを喋々して憚らぬとしたら、それはやはり一種の「無作法者」と言われても致しかたが無いかも知れない。
 近頃では音楽や絵画のような芸術の世界にも、こうした無作法的風潮がひろがってはいないだろうか。                      (喜八)

 

 

目次へ

 

 詩人と獅子

 ポール・クローデルが私の家の中に立っている。彼は一語一語に一種穏やかな爆発するような力を与えて発音する。青玉色サファイヤの火花が彼の眼鏡の厚い水晶硝子の中できらめく。彼は微笑する。しかしそれもかすかにである。彼は言う。
「ベルナルダン・ド・サンピエールのメロンは冷笑された。メロンは気安く食われるために筋がある物なんだが! それはそれで宜しい! 少なくとも面白くはあるからね。ところで、それでもなお何か文句をつけると言うなら、僕は即座に宣言してやろう。獅子はあの大きな喜劇的な頭と一緒に、靴墨の鑵へ描かれるために造られたものだとね。そうだ。特に獅子はルーヴルの倉庫の頭文字の上へうずくまるために創造されたものだと」
 詩人は一分間考えこむ。そして言葉をつづける。真面目まじめに。
「僕は真面目な人たちを好かない。常に真面目である人たちを」       (デュアメル)



 

 デュアメルは今世紀最大の劇詩人と賞讃されているポール・クローデルと親しかった。クローデルはフランス大使として日本にも在勤していた事もあるから、その名を知っている人も少くないだろう。熱烈なカトリック信者で、死の直前のロマン・ロランをカトリックに入信させたという話も聞いている。彼の書く物はいずれも深い詩魂に貫かれているが他面またすばらしい機智にも富んでいる。
 さてメロンと獅子の話だが、私はメロンに筋のある事は知らなかった。なるほどそう言われれば種子のまわりに繊維のような物があったような気はするが、はっきりとは覚えていない。だからそれが冷笑されようと気安く食われようと別に文句のつけようもない。そして獅子についても同じである。ライオンは私もたまには動物園などで見ているが、別に彼の大きな頭を喜劇的だと思ったことも無いし、それが靴墨の鑵へ描かれたり、ルーヴルの倉庫とやらの頭文字の上にうずくまっているのを見たことも無い。だからこの話に関する限り私には何も言えない。然しこの機智の詩人クローデルが「僕は常にまじめである人を好まない」と真顔になって言ったとすればそれはどうも友人デュアメルに対する彼のとっさのからかいだという気がする。余り糞まじめになって聴いていたであろうデュアメルに対する。 (喜八)

 

 

目次へ

 

 利口な花売り娘

 野生の人参、その根から蟻を誘惑したり引きとめたりする佳い匂いを出す野生の人参は美しい季節のあいだに、輝きも瑞々しさもない白色傘形の花を一つ着ける。しかしこの真白な花の中心部に、奇蹟のように、紫がかった紅い小さな花が一つ咲いている。この小さい花は、ほかの者たちのまんなかにいて、浪費されるには余りに貴重な液体で養われた一人の神秘な女王のように見える。
 正午の暑さの中で花の咲いているとき、人参に聞いてみたまえ。この不思議な気まぐれのわけをたずねてみたまえ。
 彼女は何冊かのいい本を読んだことと、それは考えさせられることだということを告白するだろう。
「現状では」と彼女は言う、
「私たちはどうしても広告の力を無視できません。買手を引きつけなければなりませんものね。いま昆虫たちがどんなに誘惑されているかをあなたが御存知でしたら! お客様って、いちばん狡猾な者のところへつくものですわ」                   (デュアメル)



 

 これで見ると、巨大な白色傘形であるべきニンジンの花の中心部に、たまたま奇蹟的に変った色の小花が咲いたらしい。これならば人目にもつき、殊にはキアゲハ、カメムシ、アブラムシのような常連を引きつけるのに充分であろう。
 私はそんなニンジンの突然変異を見たことが無いが、いちばん狡猾な商人がいちばん客を引きつけるという事は、この読書家で思索者である利口な花売り娘の言葉どおりであろう。そして引きつけられるお客の中には無論熱心な植物学者もいることだろう。                            (喜八)

 

 

目次へ

 

 権力の哲学

 子供たちが囲地かこいじで遊んでいた。彼らはその遊びでなかなか骨を折っていた。或る子たちはシャヴェルや鶴嘴つるはしを手に、大きな穴を掘っていた。或る子たちは土を運んでいた。又ほかの子たちは壁を築いて、石のかけらを積み重ねていた。
 ベルナールとジェラールはその工事場の中を往ったり来たりして、仕事を監督し、命令を与え、最後に一切を処理していた。
「どういう権利があってお前たちは人を服従させているんだい?」と私は彼らに言う「きっといちばん偉くって、いちばん教育があって、いちばん賢いからだろうね」
 二人の男の子は少し困ったように私の顔を見まもる。
「それはそうよ」とジェラールが言う、「僕たちは指導しているんだから。だけどそのことはみんなに言わないの。そうと知ったらきっと騒ぎ出すもの」
「それにねえ」とベルナールが付け足す、
「あんなに人数は多いけれど加算たしざんだの、暗算だの、僕たちの遊びを進めて行くのに必要なことをするのをみんな厭がるんです。だけど僕たち二人はそれが望みなんです。それで僕たちが指揮を取っているんです」
 それに対してなおも言うべきことは一つも無かった。それで私は何も言わなかった。
                                   (デュアメル)



 

 たまたま公園の砂場や学校の庭の片隅などで、こういう光景を見ることがある。そしてその巧みさ、その賢さに感心する。私などが子供の頃にはこんな事をしもしなかったし出来もしなかった。一般に幼稚だったせいもあろうし、そんな事を計画して力を合わせる仲間がいなかったせいもあろう。協力して物を構築しようという才覚も器量もなく、第一そんな事をする為のシャヴェルも鶴嘴つるはしも無かった。
 どんな権利があればこそ他人を服従させているのか。それは彼ら二人がいちばん偉くて、教育があって、いちばん賢いからであろうか。
 それとも彼ら二人がそれを使命と感じて、望みとして、他の子どもたちを指導し、命令を与え、この作業のための指揮に当たっているのであろうか。
 いずれにせよこの遊びに必要な知的な部門をみんなが厭がって二人に任せている以上「権力」であるかどうかは判らないが、その面倒な方をしぜんに引き受けざるを得ないようになったのは、つまり彼等二人の運命と言えるであろう。
 私はそれでいいのだと思う。とにかく立派な小公園だか保塁だかがみんなの手で出来上がるのだ。創作されるのだ。権力の哲学よりも何よりもこれがいちばん大切な事だ。これが、この協力による完成が何よりも美しい事だ。     (喜八)

 

 

目次へ

 

 アリースと老人たち

 アリースは村の広場を横ぎりながら、二人の年寄りの百姓が、疑いもなく夫婦とおぼしい二人の老人が、双方全力をあげて口論しているのを見た。
 私たちの女友達で、心の優しいアリースはこんな悲惨な光景には我慢ができない。彼女は他人もまた休息をしているのでなければ、自分の休息を楽しむことのできない女である。世の中にはこういうふうに生まれついて、そうした高貴な欠点のために、本意ほいなくも苦しむ人たちの少なくないのを私は知っている。
「あなたがたは和解したほうがいいとは思いませんか」と、柔らかい熱のこもった声で、アリースが老人たちに言う、「そうして、もうお互いに苦しめ合うのをおやめになったら? あなたがたのお年では、和合の実例を見せなくてはいけませんわ」
 男のほうの老人は、皺のあいだに隠れている口で笑い出す。年寄りの女のほうは、御しがたい眉を上げると、突然胴着から大昔の型の耳喇叭をひっぱり出して、それを耳にあてがいながら怒鳴った、「聴こえないよ。もう一度言っておくれ。そうしてもっと大きな声でね」
 真赤になり、魂の底まで錯乱させられて、アリースは、自分の道理ある言葉、人がそんなにも好んで柔らかな熱のこもった声で言うその言葉を、今や絶望的に叫びはしめた。
                                    (デュアメル)



 

 おそらく夫婦であろう二人の老人が村の広場で口論をしている。しかも双方全力を挙げてである。全力を挙げるとあるからは、声を限りに言い争っているに違いない。
 其処ヘアリースが通りかかった。アリースは優しい心の娘である。他人もまた休息しているのでなければ自分の休息を楽しめないというような。
 そういうアリースは当然二人の間へ分けて入って、柔らかい熱のこもった声で和解をすすめる……。事柄は書いてある通りだから繰り返す必要は無いが、しかし一体こんな婆さんが世の中のそんじょそこらにいるものだろうか。こんな悪たれた、こんな意地の悪い婆さんが。フランスの田舎は知らず日本で、幸か不幸か私はまだこれほど因業いんごうな老婆に出逢ったためしが無い。
 それにしても気の毒な羽目に落ち込んで、のぼせ上がったアリースを書きながら、筆者もどんなに苦にが苦がしい気持だったろうと、それを想像せずにはいられない。
 好人物のアリースよ。君もさぞ興奮し、疲労し切ったことだろう。しかしお爺さんの方はともかくとして、こんな婆さんにはもう二度とかかわらないようにすることだ。何しろ食って掛かる相手がいくらでも欲しい婆さんなのだから。 (喜八)

 

 

目次へ

 

 慎重な寄食者

「君は恥ずかしくはないのか」と、沈黙のなか、風の二つの怒号のあいだで気むずかし屋の小さい樅もみの樹が鋭い声で言う。
 樅の樹の近くにいるのは、背の高い、眠たそうなポプラーだけだった。冬はその何本かのポプラーをもう骨格だけになるまで掃除してしまった。彼らは夢の中のように生きているので返事さえしなかった。
「キアキアック!」と一羽の気違いじみた鵲かささぎが言った、「あんたは誰のことを怒っているの?」
 喧嘩好きの樅の樹は昂然と頭を振った。
「お前じゃない、おしゃべり女」
 そして直ぐに続けてまた罵りはじめた、「君は恥を知るべきなんだ! 他人の家に厄介になるなんて恥知らずでなくてはできないことだ」
 風の騎馬隊がわれわれの谷の上を通って行った。それでたっぷり一分間、聴こえるのは彼らのギャロップの音だけだった。ふたたび沈黙が落ちてきたとき、何か酸味を帯びたような小さい声がした。それは一本のポプラーの幹に房のように着いている、一束のやどりぎから出たものだった。
「おお、解った解った」とやどりぎは呟いた。
「あいつがあんな不愉快なことを言っているのは僕に対してなんだ。あいつは暇さえあれば僕を侮辱し、僕を非難し、とりわけ僕の生き方を誹謗している。パア! あいつにはまるっきり何も解ってはいないんです。なるほど、僕に根の無いことは確かです。しかしそれが僕のあやまちでないことは、どうか皆さんに知って頂きたい。僕は自分に対して不正な見方をして貰いたくないのです。美しい季節のあいだ、おそらく四ヵ月か五ヵ月のあいだ、僕は王侯の食卓で食べています。そうです。僕はそのことを否定はしません。しかし残りの幾月かを僕の寛大な宿主はずっと眠り通しているのです。御覧なさい。僕のほかには、この寄食者いそうろうのほかには、何一つとして緑の物は無いじゃありませんか。永い冬のあいだ、僕だけが働いたり息をしたりしているんです。此処には役に立つ者なんぞ居やしません。こうしてです、紳士ならびに淑女の皆さん。こうして僕は人から借りた物を残らず返しているのです。そうです、僕は恩知らずではありません。やがて来る四月まで、僕がこの家を生かして行くんです。とにかくこういうことを知って頂いて、そうして僕という者を正当に判断して貰わなくてはなりません」
「キアキアック! 何か返答することがありますか」と、樅の樹へ飛び上がりながら、からかうように鵲が言った。膨れ面をした小さい樅の樹は黙って引きさがった。どうやどりぎに詫びたらいいでしょうか。どういうふうに、神よ、われわれが侮辱を与えた人たちに詫びをしたらいいのでしょうか。                              (デュアメル)



 

 永い冬をやどりぎという植物が、こんなふうにして生活している事を、実のところ私は全く知らなかった。「キアキアック! 何か返答する事がありますか」と鵲に椰揄されるまでもなく、私もまた思い上がった樅の樹同様、何とか、彼、慎重で謙虚な寄食者に無礼の詫びをしなければなるまい。          (喜八)

 

 

目次へ

 

 ささやかな報償

 空が低く垂れこめて光もまた乏しいとき、私は特に選んで並木路を散歩する。そこへは私のうちの園丁が新しい砂をすこしばかり敷いたのだが、その砂が私には太陽になるのだ。
 もしも天気がほんとうに暗澹としていれば、「豚を放しなさい!」と私は叫ぶ。
 それはこの上もない思いつきである。豚は自分の小屋から出してもらうと、草の中へおどりこむ。
 彼は実にいい薔薇色をして、実によく脂ぎっているので、草原全体が明るくなる。時々、太陽が嫉んで眼をひらき、私たちをまぶしがらせる。              (デュアメル)



 

 曇り日の散歩路に、新しい砂が少しばかりだが敷いてある。それが目には慰めでありその薄い光が太陽のようにさえ思われる。
 もっと天気が悪くて風景全体が暗澹としていれば、「小屋の豚を放しなさい」と園丁に言う。豚は出してもらうと喜び勇んで草原へ躍りこむ。
 彼がいい薔薇色をして、よく肥って脂ぎっているので、草原全体が明るくなり、時には本当の太陽ですらこれを嫉んで雲間から光を落とし、こちらの目をまぶしがらせる。
 この新しい砂だの、若い豚だの、羨ましくて顔を出した太陽だのは、まことに暗い曇り日の散歩者への報償でもあればつぐないでもある。
 いつも心にこれだけの用意があって歩くとすれば、人はそれだけ幸福だと言わなければならない。世の中にも途上にも、啓示や報償はいつでも君を待っている。
                                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 寓話の愛好者

 マチュウが、ある日、私に言う。
「僕も寓話を書けたらばと思います。僕の庭の寓話を。しかし残念なことに、僕は庭を持っていないのです」
 この困った附け足しが一晩じゅう私を考えこませた。
 まだ庭という物を持たなかった頃、私はリュクサンブールの林の中で寓話の咲くのを眺めたものだ。熱心な愛好者にとって寓話を育てるためになら、ほんの小さな庭が一つあれば充分だ。
 私ならば窓のへりに置いた鉢からでも、それを生長させるだろうと思うのだが。
                                    (デュアメル)



 

 寓話を思いつくという事は、これもまた一つの報償であり賞与でさえある。常にすべてのものをよく見、よく感じる事ができれば、美しい寓話、意味深い寓話はそこから生まれる。何も自分の物として庭や草原を持たなくてもいい。寓話の種は、材料は、君の知恵や善意のそそがれるところどこにでもある。「世界を所有する」としての言葉の真意がここにある。                 (喜八)

 

 

目次へ

 

 庭の戒め

 君はもう君の選ぶ果物や、君の選択による野菜を食うことはできないだろう。君の食う物は君の庭から与えられる物だけで、ほかの物ではないだろう。
 君はもう太陽をも雨をも、心しずかに楽しむことはないであろう。庭のいろいろな要求は、君の楽しみよりもその目方が重いのだから。
 やたらに体を掻くきたもうな。それは先ず第一に植物の生える場所で、君をむずむずさせるだろうから。
 庭は君に林檎よりも希望のほうを与えるだろう。しかし林檎の希望こそ、人間を大いに酔わせることのできる林檎酒をつくるのだ。
 君は菊の花の咲くのを見ようと急ぐだろう。そのために何時もあやめを見そこなうだろう。
 毎年四月になると君は考えるだろう、「さあ今年はいよいよ杏あんずが採れるぞ!」と。だが君を見張っている運命は、その小さな幸福を君のためにまだ永いあいだ保留するだろう。
 もしも君の庭が嫉妬ぶかくないならば、確かに君は昔のように、世界全体を所有することができるだろう。
 しかし庭というものは、どの庭でも嫉妬ぶかいものなのだ。        (デュアメル)



 

 広い世の中と同じように、「嫉妬ぶかい」と言えばどんな庭でも嫉妬ぶかいのだ。何でも自分の思うようになると考えるのは大違いで、大抵はあてが外れると覚悟しているのが安全であり賢明である。
 そして、もしもその中から一つでも二つでも目的通りの物が手に入ったら、大いに仕合わせだと考えていいだろう。君の食う物は実際では限られていて、庭の中で君の望む心静かな楽しみは、実はその庭の植物の旺盛をきわめた生活力に圧倒されているだろう。
 繁茂した草は、君の皮膚をむずむずさせ、果樹の希望は、君のよりも遠大だろう。菊の事ばかり考えている君を、あやめの花は裏切るだろう。
 前節で私は「世界の所有」を口にしたが、それが吾々の理想に過ぎない事をもまた庭はこうして教えてくれるのである。               (喜八)

 

 

目次へ

 

 又の世のための草案

 もしも二百年あるいは三百年を生きるために、いつか又この世へ来ることがあったとしたら、私はたぶん一篇の物語を、たぶん一篇の喜劇を、或いは――誰か知ろう、――一篇の戯曲を、私の寓話のそれぞれから作るだろう。
 今度はだめだ。私のゆくてにはもう時が無い。私は種子を提供することしかできない。それを君たちの庭に播きたまえ、おお全世界に生きている私の友らよ! それを君たちの花壇に播きたまえ、かたみとして。それは君たちに花を贈るだろう。そして君たちは私を思い出してくれるだろう。                                 (デュアメル)



 

 愛するデュアメルよ。君の庭からの幾多の寓話自体やその種子を吾々は確かに受けった。そしてそれは既にめいめいの鉢に播かれ庭に播かれて、中にはもう可憐な、或いは小さい荘重な芽を吹いている者さえある。私達はその彼等からやがて花を贈られるだろう。友よ、君の「草案」は此の世で立派な役目を果たした。そしてそれを見るたびに、吾々は愛をもって、敬いをもって思慕の情をもって君を思い出すことだろう!                          (喜八)

 

 

目次へ

 

 夕べの風のためのコンチェルト

 間もなく夜のとばりが落ちてくる。私の蜘蛛らは皆眠った。白い牝猫が、なにか思想のように、たそがれの闇をよこぎる。
 遠くで、丘の靄のなかで光っているのはなんだろう。いや、あれは星ではない。あれは秋の耕作に磨かれた鋤すきの刃だ。
 私の息子のシャンが、百年を経たピアノにむかって、恐らく自分で作った物らしい微妙な音楽を、軽やかな一本の指で弾いている。
 水車から伝わってくるのはなんだろう。それは小麦の匂いだ。私はその匂いに語りかけたい。人間の友達を迎えるように迎え入れたい。
 霧のなかで真珠の玉をつづっている薄荷はっかの葉を私は見る。
 私は人々が大きな樹を伐る頃には、もう此処にはいないだろう。あの恐ろしい伐採のひびきは、再生の時まで私につきまとって放れまい。息子は、何か溜息のようなものをピアノから引き出した。その調べに私の胸がひき裂かれる。
 寒くなってきた。窓をしめよう。
 私は自分がまだ一人の詩人であることを哀愁をもって認める。       (デュアメル)



 

 夕暮れの風が吹いている。一人の独奏者のようにたそがれに語りかけるフルートを吹いている。
 庭の蜘蛛たちは皆眠り、白猫が一匹闇をよぎる。遠くの丘の靄の中で秋の農夫の鋤の刃が光っている。息子の弾く古いピアノが新らしい旋律を奏でている。水車から小麦の香が伝わって来る。彼はそれをも迎え入れる。夕霧を透かして露に光る薄荷の葉が見える。人々が森の巨大な樹々を伐り倒す頃にはもう彼はこの世にはいまい。彼はその無残な音を嫌っていたのだ。ピアノからは何か溜息のようなメロディーが引き出され、それが聴く者の胸を引き裂く。もう窓を締めずにはいられないほど寒くなって来た。
 こうしてさまざまな音や光や彭の合奏群から夕風のための協奏曲コンチェルトを作り出す彼は、自分自身が今なお一箇の詩人である事を、ああ! 哀愁をもって認めるのである。                            (喜八)

 

 

目次へ 

        


   尾崎喜八・翻訳トップに戻る / 「詩人 尾崎喜八」トップページに戻る