スマホ版 詩人 尾崎喜八

詩集
田舎のモーツアルト   (1966年)

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 目 次

冬の雅歌 不 在
妻 に ハインリッヒ・シュッツ
秋   霧と風の高原で
岩を研ぐ 春の葡萄山
モーツァルトの午後 出会い
歳 月 田舎のモーツァルト
ひとりの山 七月の地誌
回 顧 車窓のフーガ
高処の春 あかがり
復活祭の高原 山中取材
野の仏 蟬  
或る石に刻むとて 湖畔の朝
鴨   和田峠
馬籠峠 上越線にて
受胎告知 春 興
桃咲く春 高地牧場
故園の歌 十年後
朝の門前で 草津白根
予 感 飼育場風景

 
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冬の雅歌

日曜日のおだやかな朝をくつろいで
書斎の電蓄でパレストリーナを聴いている。
「われは色黒けれどなお美わし」と
「わが上に彼のかざせし歌は愛なりき」、
フリブールの少年聖歌隊が清らかな声で
ほとばしるようにけなげに歌う
   ソロモンの雅歌だ。
私のためにそのような愛や誇りや、
かぐわしい風、せせらぐ小川はすでに遠いが、
老境の太陽はいま庭の枯れ木を柔かに染めて、
冬の大空がその歌のように晴ればれと青い。

 
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不 在

孫の一人は房総の海べへ水泳の
   合宿に行っている。
その姉は白馬の登山に母親とけさ出かけた。
ひっそりと後に残った妻と私、
閑居というには少し寂しすぎる家と夏だ。

どんな波を凌いで小さい彼が
   遠泳の試練に堪えているか、
どんな定めない天候が若い
   彼女らの登攀を待っているか。
壁に貼られた日課表や主あるじのいない
   ピアノを見るにつけ、
遠く放ってやった幼い者らの上に
   不安な思いが行きさまよう。

妻は彼らの不在の部屋部屋を掃き清めている。
私は書斎でペンを手に苦吟している。
蟬が鳴きしきり、風と熱気の吹きかわる家で、
私達にそれぞれの日の営み。

「汝らこんにちまで我が名によりて
   祈りしことなし」
それでも私は老いたる家長だ。
私の夏の勤労は彼らにもいささかの
   貢献でなければならない、
今夜妻と聴こうと思う「われは善き
   羊飼いなり」に価しなければならない。

   *バッハのカンタータ第八七番と八五番。

 
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妻 に

晩い午後のひとときを私が
   なおも机にむかって
ペンを手に一篇の文章と闘つている時、
お前は音もなくこの部屋へ入って来て
静かに憩いと慰めの茶を置いて去る。

四十幾年の生活を倦みもせずにいそしんで
お前が常に私のかたわらに在ったということ、
遠く人生の大河を共にくだった
   私たちの小舟で
お前がいつも賢い揖かじ取りで
   あったということ、

それはお前が私にとっての守護の天使、
この家と家族にとっての守護の
   霊だということだ。
そしてそのお前への深い信頼の中心に
私は安んじて生の錘おもりを下ろしてきた。

人々への善意と、自分自身へのきびしさと、
たわむことのない忍耐力とは
   お前にあっての三つの徳。
私のたまたまの我執がしゅうの闇を
   明るく優しく照らすために
お前は静かに愛と警告の灯を置いて去る。

 
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ハインリッヒ・シュッツ

静かに齢の坂をくだる丘の上で、シュッツよ、
或る日私はあなたの音楽に初めてまみえた。
そしてヨーハン・セバスチアンの
   豊かな世界の広がりの上に
遠くあなたの星座の輝くのを見た。

それ以来あなたの芸術は
私の仰ぎ見る精神の天界図のなかで、
いよいよ独自の光を強め、輪郭を
   明らかにしながら、
善に通ずる美への遥かな郷愁を奏でている。

あなたの高らかな決然とした抑揚は
ともすれば凡庸に堕する私の生活を
   奮い立たせて、
私を最後の旅路へと充実させる。

そしてあなたの凝縮された宗教的情緒は
時にゆるやかに解かれ、花のように
   咲きひろがって、
私の最後の園を聖なる薫りと色とで満たす。

 
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風が一日じゅう家の中にいた。
窓をめぐる林の木々に
朝から黄ばんだ乾燥の響きがあり、
敷居をこえて横たわる板いたの間の日光に
きんのような重みがあった。

いつか洋書店の棚で見た小説の題の
Merveilleuz nuagesメルヴェーユー ニュアージュ
   というのがしきりに思い出された。
だが私の窓からの青空にも
一連の高い白い雲が
十月のきれいな分散和音を撒いていた。

物を所有して物の生命いのち
   語らせようとする心から、
書棚の隅でひっそりと古びている
スイスの牧場の小さい羊の鐘を振ってみた。
堅い橡とちの実の舌が黄銅の鐘壁を打って、
私の国でない国の秋の響きで柔かに
   私を満たした。

   *『すばらしい雲』

 
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霧と風の高原で

濛々と打ちよせる美うつくしヶ原はら
   霧の中に
私の詩をきざんだ石の塔が
白く寂しく立っている。
若い頃の勢いこんだ未熟な詩だ。
それにしてもこれを書いてもう三十年、
年月は知らぬまに私を老いさせ、
放牧の牛馬うしうまは昔のままだが、
この原のもとの姿を著しく変えた。

霧の波濤を運んで吹きつける強風が
四角な塔の角々で鋭い笛を鳴らしている。
防風のヤッケに厚い手袋、
この老いをあざけるように、怒るように、
私の髪の毛も風に揉まれて逆立っている。

鎖を引いて塔の高みの鐘を鳴らせば、
遠く飛びちるその響きが
無常迅速の警鐘のようだ。

 
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岩を研ぐ

早春の縁側に花茣蓙はなござを敷いて
さっきから岩のかけらを研いでいる。
クローム・モリブデン鋼の定盤じょうばん
金剛砂を振り、水を垂らして、
むかし信濃の奥山で採集した
緻密で、堅く、夜のように蒼い
一塊のアルカリ石英斑岩を研いでいる。
書くという作業の中で草案の詩が形を成し、
時に抜群の一句が躍り出るように、
平静な心をこめた研磨をとおして、
研ぎ汁の雲のようなもやもやの底から
絢爛たる石理の彩あやが浮き出るのだ。

きさらぎのそよかぜ庭をわたり、
白梅しらうめの枝から枝へ
   四十雀しじゅうからが鳴き移る。
手の中の岩石むかしを歌って
聳々しょうしょうと五竜、鹿島槍の
   思い出をそばだたせる。
腕をまわして私は研ぐ、私は研ぐ。
粉を振り水を滴らせて
   この堅硬を研いでいる。

 
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春の葡萄山
 (或る年の四月十七日、甲州勝沼にて)

葡萄山ぶどうやまの葡萄の株は
まだその蔓を編むにいたらない。
脚榻きゃたつへ乗った女たちの鄙びた手で
張りひろげられた太枝の均斉から、
柔かいあかがね色の蔓が伸び
葉の萌発が歌のようにはじまるまでには、
雨と太陽と週間日と日曜との
なお長い一月ひとつきが待たれるだろう。

土地をこぞって満開の
桃の花の桃いろの雲に圧倒されながら、
雪と豪毅の山岳に見まもられて
葡萄山の葡萄の株の
みやびやかな「時」の中でのこの隠忍。

 
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モーツァルトの午後

気だてのいい若い綺麗なおばさんのような
マリア・シュターデルが
   モーツァルトを歌っている。
「すみれ」、「夕暮の気分」、
   「別れの歌」などを、
日本の音楽堂でのリサイタルだというのに、
まるでスイスの自宅でのもてなしのように
くつろいで、まごころこめて歌つている。
これが本当に歌というものだ。
そして一曲が済むごとに、
聴衆の溜め息と拍手に答えながら、
伴奏者の夫君にも片足引いて
ピアノ越しにお辞儀をする。
こんなに家庭的で、幸福で、貞潔な
モーツァルトというものに
   出合ったことがない。
この音楽の神の寵児は重い借財と屈辱と
死への諦念の晩年に
いくつものこんな珠玉を書いたのだが、
それをこうして供される心が涙ぐましく、
深く喜ばしく、敬虔だ。
シュターデルは最後に晴ればれと
   「ハレルヤ」を歌った。
そとへ出ると初夏の昼の東京が田舎のようで、
日が照って、雲が浮かんで、並木がそよいで、
いかにも今聴いたモーツァルトにふさわしく、
友と私とはとある町角のビヤホールで
重たいザイデルをがっちりと打ちあわせた。

 
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出合い

松本や大町でなら知らないこと、
東京も中央区西銀座の夏の夕べの
憂欝で綺羅をつくして圧倒的な
人と物との空しい大渦巻のまんなかで
ばったりと彼に出合つたのだ。
ふるさとの山の香や原生林の匂いのする
いつもの上着にかぶり古したベレー帽、
小里頼忠おりよりただは私の肩に
   あの肉の厚い両手を置き、
人なつこい美しい眼を大きくあけて、
東京もこんな処であなたにと、
問いただすように私を見た。
山で結ばれた男同士人間同士の真情は、
六月宵のこんな都会の雑沓の中でも、
颯々と西風わたるアルプスの
岩の小径の上でのように通じ合った。
囂々ごうごうたる時と空間の流れを堰いて
そこに我等の時点を確立した一瞬が、
なんと静かな深い永遠だったろう。
そしてもしも別れた後の私たちの行動に
何か非凡なもの、清冽なものが
   あったとしたら、
それはこの数分間を高鳴った
幸福な和音の余韻だったに違いない。
ハレルヤ! 

 
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歳 月
  (信州富士見にて)

むかし春の空気に黒鶫くろつぐみが歌い、
夏の光に葦切よしきりが鳴きしきった
あの美しい三つの沢を横ぎって、
いま、白い堅い大道が無遠慮に走っている。
それで私の心がほのかに痛む。

むかし野薔薇が雲のように咲き埋めた
尾根の突端にいま知らぬ他人の家がそびえ、
蓮華躑躅れんげつつじが赤や黄の炎をかざした
丘がうがたれて乗合バスが揺れてゆく。
心よ、傷つけられた思い出に哭くなら哭け。

しかし眼を上げて遜かを見れば
残雪の鳳凰、甲斐駒、八ヶ岳。
耳をすませば草吹く風に飛蝗ばったの羽音、
高原の魂まことに旧を懐わせる。
それならば、心よ、せめてこの瞬間の現実の
高く遠く変らぬものに慰められてあれ!

 
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田舎のモーツァルト

中学の音楽室でピアノが鳴っている。
生徒たちは、男も女も
両手を膝に、目をすえて、
きらめくような、流れるような、
音の造形に聴き入っている。
そとは秋晴れの安曇平あずみだいら
青い常念じょうねんと黄ばんだアカシア。
自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
新任の若い女の先生が孜々ししとして
モーツァルトのみごとなロンドを弾いている。

 
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ひとりの山

若い仲間は男も女も
軽い翼を足につけて
颯爽と氷雪の高みへ出発した。
私は古い重たい山靴に岩を嚙ませて、
水が浸み出し枯木がけむるところを
   登っている。
大した山ではないが千メートルの登高だ。
人生をあつい思いで抱きしめながら、
時にはその愚劣さを怒り、かなしむ。
老年の山登りはこの多元不協音の解決だ。
若い世代を今日は伴わない単独行。
老ジャン・ジャックの孤独の散歩も
ちょうどこんなだったに違いない。

 
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七月の地誌

「右 山道、左 農道、中 十文字峠道」と
開墾地入口の太い丸木の道標に
墨くろぐろと立派な書体で書いてあった。

ここは信州梓山戦場ヶ原、
えぞ春蝉の斉唱が波のようで、
豹紋蝶がぴかぴか飛んで、
あやめ、うつぼぐさが咲き続いて、
梅雨つゆ晴れ七月のまっぴるま、
照りつける日光はさすがに暑いが、
そよそよと千曲の谷から吹き上げる
緑の風は水のように冷めたい。

路傍の木陰こかげで弁当をひらく。
息子ほどにも若い道連れの地理学徒が
周囲の山とこの台地との調和景の成因を
太古の湖に結びつけて推論する。
私はその意見に傾聴しながら、
二十数年前曾遊の糸のような山道を
暑熱に霞む三国山の中腹に目でさがし、
浄福とは生涯の喜び悲しみのアラべスクを
織り上げた果ての広々とした
    憩いにあるのだと、
『我は足れりイヒ・ハーベ・ゲヌーク』の
   秋のようなカンタータを
心の中で歌っている。

むこうの谷の斜面に慈悲心鳥の声、
近くの樹からあおじの落とす念珠ロザリオの歌。
十文字峠が三日月のようにたわんで、
一片の雲を浮かべた秩父の空が
   青貝あおがい色だ。

 
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回 顧

いたるところに歌があった。
いくたの優しいまなざしがあり、
いくつの高貴な心があった。
こうして富まされたその晩年を
在りし日の愛と感謝と郷愁で
装うことのできる魂は幸いだ。

 
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車窓のフーガ
    (串田孫一君に)

疾走する列車の振動とリズムにつれて、
波のように旋回しながら
近づいてはまた遠く行き去る
玉虫いろの夏の自然と
真昼の山々の壮大なフーガよ!

たえず風景の変遷する車の窓に片肱っいて、
やがて三時間、君は私と対坐している。
それは安んじて見ることのできる
   三十何年の顔、
しかも今にしてなお新しく
思わぬ発見に驚かされる人間の顔だ。

いかに愛すればとて、人はついに
他のたましいの暗い天には徹し得ない。
しかし互いに似かよい、転回し、逆行し、
或いはひろがり、或いはリズムを変えながら、
友情の長い一曲を織り上げてきた。

それは調和の技法にすぎなかったろうか。
否、その対位法には異った個性の錬金があり、
誠実の造形と創造とがあった。
そしてその君と私とのたまたまの旅の車窓を、
今、人生と夏の眺めの壮大なフーガが飛ぶ。

 
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高処の春
  「今宵ここに咲く薔薇あり」
    べルリオーズの「ファウスト」

下界はもう春も尽きて水無月みなつき
   という六月だが、
ここ日本アルプスの高い谷間は
峯々の雪がようやくゆるんで、
なごやかな季節に目ざめたばかりだ。
徳沢の原をいちめんにうずめる
みやまたんぽぽの黄と
   てんぐくわがたの空色、
ところどころに岳樺だけかんば
   落葉松からまつの巨木が立ち、
そこらじゅうから赤腹の歌がきこえて、
たけなわというのも強すぎるような
柔かに深い高処の春だ。

草の上にのびのびとあおむけに寝て、
私はほとんど何も思わず、何を
   考えようともしない。
ただ極みもなく青い空の深淵を見上げ、
奥股白おくまたしろの大きな裂け目に
稲妻のように光る残雪をながめて、
「遠く来たな。高い処にいるのだな」と、
そんな意識がふと頭をかすめるばかりだ。
塵労の都会へ帰れば容赦もない
   生計たつきの仕事。
今はただ魂をこの静寂に遊ばせて、
思い出に重い老年を谷間の春にゆだねている。

 
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あかがり
   (冬の夜ばなし)

あかがり。つまりあかぎれ。
そのあかがりで思い出すのだ。

山みちにはちりちり紙の造花のような
まんさくの黄色い花がひっそりと咲いていた。
雪解ゆきげの水にしたたか濡れた
   朽ち葉の下から
堅い岩かどが靴底を嚙んだ。
ちょうど峠の登りがぐるりと廻る山の鼻、
朝日のあたる崖のふちにたたずんで
僕は最後の一瞥を昨夜の貧しい村へ送った。
谷が見え、橋が見え、分教場の校舎が見え、
僕を泊めた小さな小さな旅人宿も見えた。
そしてその低い二階の障子の白さが
なぜか悲しく僕の心をしめつけた。

ああ、その時だった。
頭の上から朝の空気を押しやぶって、
まるで何か天体が接近して来るように、
学校へゆく少女の一団が歌を
   歌いながら下りて来た。
 あかがり踏むな後あとなる子。
 われも目はあり先なる子……

それは強く美しい輪唱カノン風の合唱だった。
古代日本の豪毅で素朴な民族の感情が
早春三月の水のように
潺々せんせんと惻々そくそくと胸を
   打ってくる歌だった。
さざなみの滋賀しがの都や青丹あおによし
   寧楽山ならやまかけて、
あかぎれ切らし、たもとおった
   鄙ひなの乙女ら。
遠くその血をうけついだ者が
   隊伍を組んで通過する。
或る子は古いゴム靴を、或る子は下駄を、
或る子はすり切れた草履だった。

その行進には若い動物のそれの
   ような精気があった。
そして一人一人が僕にぺこりと頭を下げた。
僕も帽子の庇ひさしに手をかけて、
崖を背に、道をゆずった。

少女の列はつむじ風のように過ぎ去った。
やがて再び聞こえて来るあの合唱、
麓をさしてしだいに遠く
ちぎれちぎれになるその歌ごえ、
  あかがり踏むな……
  ……目はあり、目はあァりィ……
  ……先なる子ォ……
  踏ゥむなよォ……

 
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復活祭の高原

長い冬をひろびろと枯れた高原に
けさは柔かな風、清らかな光がながれて、
どこからか祝祭日の鐘が響いてくるようだ。

瑠璃いろの山肌に千筋の滝かと
銀を走らせている残雪の縞模様、
浅間の山の浅い春がいかめしくも優しい。

よく見れば落葉松からまつにも涙の
   ような緑のつぶつぶ、
おりおりの風にざわめく笹原にも
やがて鶯の試みの歌が聴かれるだろう。

小さい角のような花の芽をつづった白樺、
その枝でもう鴫っている一羽のあおじ
山の端をはなれる雲の形もすでに春だ。

 
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山中取材

孫のような年ごろの若い女性を道づれに
私は晩春の花南岩の谷を登っていた。
四十年前にその頃の友と一緒に降った谷、
一つの登山の帰路に急いだ谷を。

女は革紐がその柔かい肩へ食い入るばかりに
仕事のための重い録音機を掛けていた。
私にはそれがいじらしく痛々しく思われた。
だが私は私で老いには
   重い袋を背負っていた。

道は白い岩の楼閣の中の狭くて急な
足にも膚にも触れれば粗剛な登りだった。
しかしみそさざいの棲む水はつねに
   涼しく清らかに、
山吹や岩つつじの花が谷のそこここを
   照らしていた。

私は目に触れたもの、気づいた事を
   何くれとなく
このけなげな女に教え、女に話した。
若い彼女は私の老いの富から汲みとった、
その器量に応じて、好ましいと思うものを。

谷のつめに一すじの高い滝が懸かっていた、
ねじれてほどけた布のような美しい滝が。
女は滝壷近くまで岩伝いに下りていって、
録音機のスイッチを入れ、テープを廻した。

私は用意のコニャックの封を切って
   彼女を待った。
滝の音も小鳥の歌もうまく採れたらしかった。
彼女は私から祝福の一盞をうけとると、
「おじいさま」と言いたげに、
   にこやかに乾杯した。

 
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野の仏

景勝の地に彼らを置くな。
むしろ星の流転るてんと雨風あめかぜの浸蝕、
草木の盛衰にそれをゆだねよ……
ああ、これら、
やがてはすべての煩悩ぼんのうから
   解き放たれて
純粋な歌と化し、
匂いと化すべき愛惜の形姿のむれを。

 
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生いしげる木立に囲まれたこの家を
晴天の毎日、今はさまざまな種類の蟬が
早い朝から日の暮れぐれまで
   鳴き埋める夏だ。

すでにいくらか数は減ったが
まだ綿々とつづく細い強い糸のように
耳の底や湿った苔にまで浸み入る
   ニイニイ蟬の声、
夜明けと夕暮の広々とした涼しさに
複音のハーモニカを吹き鳴らすヒグラシ、
暑い昼間を一斉に鳴きつれて
煮えたぎり泡立つようなアブラ蟬、
高い木々の太い幹から悠然と歌をはじめて
しだいに力を増す荘重な声の振動で
空間を圧するミンミン蟬、
さては熱と光のこの季節を
早くも秋へと誘いこもうとするような
ツクツクホウシの性急な輪唱カノン
彼らはその姿すべてとりどりに美しく、
鋳金や七宝を想わせる堅い
   きらびやかな頭や背に
玻璃のように薄くて透明なのや
飴色で不透明な長いつばさを伏せている。

この土地の夏の主あるじ、この家の夏の客、
輝かしい一季節を歌いつぎ生き深めながら
やがて秋の初嵐に
或る朝その軽く乾いた小さい骸むくろ
なお栄える世代の樹下や草の間に横たえて
よく生きた者の悔いなき死を
   教える一つの典型よ!

 
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或る石に刻むとて

流転の世界。
必滅の人生に、
成敗はともあれ、
人が傾けて悔いることなき
その純粋な愛と意欲の美しさ!

 
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湖畔の朝

路傍の岩の突端に腰をかけて、
大正池の青い奥深いひろがりと、
その水面に夢のようにゆらゆら揺れる
大らかな穂高の投影と、
むこうの原の果てから山腹へ
   濛々と湧きのぼる
岳樺だけかんばの夏の緑に見入つている。

朝の時間がまだ早いので
路には車や人の影もない。
四方にそびえ立つ山の砦とりで
その真上だけこうこうと抜けた夏空。
アルプスの朝を一人我が物としている
  という思いに
ふと、都会の人達への憐みが心をかげらす。

岳鴉だけがらすが一羽やわらかに鳴きながら
いま、水の上の空を飛んで行った。
気がつけば焼岳のふもとの林でも
しきりにるりびたきが歌っている。
その焼岳の押し出した広い泥岩流の紫を
点々と彩っている若木の緑が玉のようだ。

 
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旅の秋が隈なく晴れて
姨捨おばすてから猿ヶ馬場さるがばばへの
   もみじの炎、
そこの森閑とした山上の大池に
おりから星羽白ほしはじろの大きな群が
   下りていた。

午後の弱い日ざしをうけて
   赤銅しゃくどういろに輝く頭、
漆黒の胸と灰白色繧繝うんげん模様の
   まるい背中、
彼らは或いは水上に浮き、
   游泳し、逆立ちし、
或いは渚なぎさの砂に暖かく
   まどろんでいた。

そのつやつやと張りきった
   船底ふなぞこ形の胸や腹が
私に鴨類への食欲のようなものを
   感じさせた。
しかし詩人ジュール・
   ロマン*でなかった私は
赤い葡萄酒を思って宿へ
   急ぐことはしなかった。

その夜稲荷山での招宴に鴨の肉が出た。
葡萄色の大切れが厚い鉄板の上で
   かんばしく焼けた。
私はあの池での不覚な欲望を
   心中に恥じながら、
笑止や、それとこれとを
   峻別するのに大童おおわらわだった。

 *ジュール・ロマンの詩に「コモ湖畔の四羽
   のアヒル」という佳品がある。

 
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和田峠
   (押韻十四行詩)

かみの諏訪すわ、下しもの諏訪かけ
桃、桜、花さく春を、
山高く、ここ和田峠、
さるおがせ錆びし青色あおいろ

岩の間の節分草に
いじらしさ添うる春の陽
そが上の芽立ちの枝に、
歌清し、一羽のあおじ。

わが性さがの石を愛ずれば、
黒耀のかけらいくつか、
拾いてぞ手にして立つを
真似てけん、兄と妹の
山越ゆる幼な同胞はらから
彼らまた、石をからから。

 
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馬寵峠
   (押韻十四行詩)

草もみじ、木々のもみじの
ほそみちに苔むす巌いわお
たまたまの水は冷めたく
張りめぐる霧の蜘蛛の巣。

人たえて通わぬゆえか、
蓼、野菊、分けもて行けば
靴濡れてズボンもしとど、
山鳥やまどりの羽音のどどど

木曾行きて六日の旅に
いやはての今日の峠路とうげじ
晩秋おそあきのあおぞら割れて
やがて立つ馬籠まごめの峠、
木曾恋し、美濃は明るし、
藤村とうそんの里に乳牛ちちうし

 
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上越線にて
    (鈴木仁長博士に) 

この世での他人とのほだしやきずなを
あだしごととして思い捨てない心には、
旅の車窓から眺めてすぎる誰彼の
生まれ故郷が歌のようだ。

群馬総社、渋川、沼田がそれだった。
やがて清水トンネルから魚野川の流域へ。
そこに『北越雪譜』の鈴木牧之の
冬は豪雪にうずまる塩沢があった。

さて次なる駅の六日町こそ
私の健康を管理している人のつつましい郷里、
東西を山に挾まれた帯のような渓間盆地に
青々と晩夏の稲田がそよいでいた。

疾走する列車の窓から熱い
   まなざしで私は見た、
人がそこで育ったという田舎の町を。
今のドクターでない少年の日の
   彼への思いが私に芽ぐみ、
飛び去る山里に歌のような余韻があった。

 
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受胎告知

静かな町角を曲がった私が
ふと或る邸やしきの庭に聴きつけて
じっと佇んでしばし見とれた
   四十雀しじゅうからよ、
お前はあの針のような嘴から、
   自身のうちの早春を
銀いろの旋律につむいで
二月の庭の枝から枝へからげていた。

そして午後を傾く日光と
こうこうと晴れた空の下、
ふたたび歩きつづける道の上で、
お前にもらった早春の歌から、
冬と老いとにむすぼれた私の心に
今、ゆくりなくも嬉しい変潮の
   きざしがある。

 
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春 興

人の世へ出て一本立ちができるように
作品には丈夫な手足と、美しい頭と、
熱い心臓とがっけてある。
だからめいめいどんな他国へでも散って
ひろびろと固有の運命を生きるがいい。
詩人はおもむろに晩年の生に習熟してきた。
ああ、今冑きさらぎの琥珀こはく
   酒をくむ宿から
梅花の渓たにのなんと壮麗な夕日だろう!

 
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桃咲く春
   (病中の北原節子さんに)

庭は緋桃の花ざかりだ。
その色と香が明るく、艶あでに、ほのぼのと
あたりを照らし薫らせているので、
匂いある人が赤い衣裳で立っているようだ。

つぐみの歌や山鳩の声が響くにつけ、
雲の輝きがやがての夏を想わせるにつけ、
時の歩みの迅速さに老いの
   自覚がおびやかされる。
だが創造の喜びはまだ私に許されている。

「我は足れり」のアリアがおりおりは
   ロにのぼるが、
「眠れ、安らかに、汝疲れた眼よ」を
   まだ私は歌わない。
常に摂理に聴く者は摂理の声に
   従わねばならず、
光あるうちは光の中を歩まねばならない。

春の大きな雲が暗み、明るみ、
海のような空が青々あおあおと柔かで、
小鳥の声があの空間にも、この枝にも。——
庭は緋桃の花ざかりだ。

 
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高地牧場

海抜二千メートルの熔岩台地、
空間の海のような
   美ヶ原うつくしがはらの高原で、
ここに三頭、かしこに五頭と、
すらりとした馬のむれが立っていた。
残雪匂う北アルプスの山々や、
木曾駒、御嶽、北信五岳を
そよそよと吹き撫でて来る春の風、
その清らかな輝くばかりの春風に
昂然と頭を上げ、耳をふるわせ、
たてがみをなびかせて立っていた。
燃えるつつじの花の中、
金色こんじきたんぽぽの島のあいだに、
海抜二千メートルの地平線を刻んで、
動く林か記念碑のように
馬という美しい高貴なけものが立っていた。

 
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故園の歌

郷愁が私をそこへ駆り立てた。
私は山と高原の風景にうなずき、
昔の憩いの席だった
道のべの苔むす岩をいとしんだ。
やがて白樺、落葉松からまつのしんしんと立つ
森へ入ると懐かしの山荘が現われた。
しかし私の夢に交響するものは
   一つもなかった。
自然とはついにかくも非情なものか。
歳月とはかくも恬淡てんたん
   ものだったのか。

永い不在は見知らぬ美しい女のようで、
逢っても何事も始まらず、
山の空には疎遠の雲が二つ、三つ、
小鳥の歌も鄭重に遠のいているようだった。

 
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十年後
   (信州富士見高原にて)

田圃たんぼへ下りてゆく青い細道、
靭草うつぼぐさの花に埋もれた七月のこの道は
かつての私に瞑想と散策の道、
そして今ではすべての思い出が老境の
夏に装われて軽やかな道だ。

整然と並んで清さやかにそよぐ
涼しい苗間に水鶏くいなの声。
むかしは鳥を眼で求めたが、
声あるところに厳存を信じる今は
ひとつの啓示としてそれを受け取る。

かって試みた山が四周の夏を横たわり、
愛した雲が昔の姿で空に浮かび、
かの日の少女は妙齢の女として
   畦間あぜまにいるが、
今はこの遠くからの再会に心足りて、
私は山にも雲にも人間にも呼びかけない。

 
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朝の門前で

もう毎朝がかなり冷めたい。
葉の落ちた木々の空でひよどりが鳴き騒ぎ、
生垣にさざんかの薄紅うすべにが咲き崩れて
やつでの花の白い道を、
けさも勤めの人たちが駅へと急ぐ。

昨夜のモーツァルトが
   まだ頭の奥で鳴っている。
ピアノ協奏曲変ホ長調、
そのはかない、澄んだアンダンテが、
地に堕ちた天使の郷愁の歌で
私の朝のあらゆる思いをいろどっている。

落ち葉を踏み、時どき空を見上げながら
勤めへの道を急ぐ若い女や男の姿が、
ふと、あの天使とその歌とを想わせる。
そして私は何かに身を捧げたいような
熱い思いで彼らのゆくえを見送っている。

 
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草津白根

むっとして、酸っぱくて、銭ぜに臭くて、
気のせいか何か軟膏ザルベの匂いさえする
湯の町草津の湯煙りが下になる。
渋峠の暗い山みちにかけすは鳴くが、
むかし鉈なたを打たせた鍛冶屋の
   小屋は影もない。
半分白いまたたびの葉が昔は昔と
諦めたように谷沢の太陽に萎えている。
やがてからりと開けた
   芳ヶ平よしがたいらの草本帯、
案内の小男はひどい汗っかきで、
うらじろきんばいの可憐な花や赤い砂磯に
手放しの汗をぽたぽた垂らす。
煙草をやって、こっちも一本吸いながら、
遠く近く北アルプスや日光連山。
だんだんせり上ってくる夏山の
生きの姿に汗でかすんだ目を凝らす。
もうすぐむこうに湯釜の火口湖、
硫気のなびく空の広がりが
   壮大な挽歌エレジーだ。
「今にここもゴルフ場が
   出来るってね、旦那……」
そう言う顔が愚かで、卑屈で、なさけなく、
なぜかむしょうに腹が立ってきた
しかしその私のけちな不興やむしゃくしゃを
草津白根を巻いて流れる夏風が
歯牙にもかけず広大な空間へ吹き飛ばす。

 
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予 感

森の木々はまだおおか
針のような裸の枝や
石柱のような幹の冷めたさを眠っている。
しかしその根もとのうず高い古い雪には
移ろいやすい午後の日光が 
瞬間の屈折や反射をもとめて流れている。

森のそとには三月の風が荒れ、
高原の白茶けた起伏が遠くなびく。
すごいほど澄んだ瑠璃いろの空に
きらきら氷った山々の輪郭。
しかし水辺の榛はんの木は紫の
長い花穂かすいから金の煙を散らしている。

こんな予感は何ものでもなく、
真実の春はなお未だしと人は言うか。
だが耳を澄まして静寂を聴けば、
どこかでチチと鳴く小鳥の声がする。
目を凝らして荒寥を見れば
雪間の野薔薇に芽のルビーも光っている。

 
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飼育場風景
    (東京都下五日市にて)

きじの飼育場は渓谷に臨む村落のうえ、
春まだ早い山の中腹にあった。
南へ向いた段丘の暖かい青い空気に
紅白の梅が星のつぼみをほどいていた。

どの禽舎もおびただしい数の雉だった。
つやつや光る赤や緑や紫紺しこんや金、
燦然として逞しい山野の美鳥が
精悍の気をみなぎらせて濶歩していた。 

山も谷も麗らかな二月の土曜日、
簡素で清潔なその事務室に
ものしずかな職員二人、
小さいラジオの凾が
   小さいモーツァルトをやっていた。

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