スマホ版 詩人 尾崎喜八
詩集
花咲ける孤独
目 次
告 白 若葉の底にふかぶかと夜をふけて 疲れているのでもなく 非情でもなく、 私だ。 |
冬 野 いま 野には |
詩 心 私に 私の世界が見える。 |
本 国 私には ときどき 私の歌が |
新らしい弦 森と山野と岩石との国に私は生きよう。 なぜならば私はもう此処に |
存 在 しばしば私は立ちどまらなければ |
落 葉 ひろびろと枯れた空の下で |
夕日の歌 夕日のひかりの最後の波が |
土 地 人の世の転変が私をここへ導いた。 その慕わしい土地の眺めが 今 |
秋の日 そしてついに玉のような幾週が来る。 |
首 (造形篇の一) 釉薬くすりのかかった赤と焦茶の秋の壷、 |
トルソ(造形篇の二) そして見よ、その首もない。 |
短 日 枯葉のような旅の田鷸たしぎが |
朝のひかり 朝々の白い霜のうえに |
十一月 北のほう 湖からの風を避けて、 |
雨氷の朝 終日の雪に暮れた高原に |
春の牧場 あかるく青いなごやかな空を |
夏の小鳥が‥‥‥ 夏の小鳥がふるさとの涼しい森や緑の野へ |
薄雪の後 まっさおな空をふちどる山々の線の上に |
旗 石を載せた屋根を段々にならべて |
冬のはじめ 黄ばんだものが黄いろくなり |
本 村 花崗岩の敷石づたいに 清潔な牛小屋と厚い白壁の土蔵とのあいだに 私はあの玉虫いろの空の下から そして或る日私を呼びとめて、 |
夏野の花 神のおおきな園のなかで 惜しまれることを期待もせず、 すでに咲き消えた はやくも秋めく青い木この間まを |
或る晴れた秋の朝の歌 又しても高原の秋が来る。 名も無く貧しく美しく生きる やがて野山がおもむろに黄ばむだろう、 |
雪に立つ 雪が降る。 わたしはスキー帽をすっぽりかぶり、 わたしをして老いぼれしめず、 雪は縦に降り、横なぐりに降る。 |
足あと けさは 森から野へつづく雪の上に、 雪と氷の此の高原の寒い夜あけに 鑿のみで切りつけたような半透明なあしあとが それならばいよいよすばらしい。 |
雪の夕暮 窓をあけてお前は言う、 遠く、そして柔かく‥‥‥ ほんとうにお前の言うとおりだ。 お前は言う、 そして私は言う、 |
春の彼岸 山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて 草木瓜くさぼけの赤、たんぽぽの黄が 煩悩ぼんのうの流れをあえぎ渡って、 |
早春の道 「のべやま」と書いた停車場で汽車をおりて、 開拓村の村はずれ、 私はこの画の中にしばしばとどまる、 |
復活祭 木々をすかして残雪に光る山々が見える。 枯草の上を越年おつねんの山黄蝶が 萌えそめた蓬よもぎに足を投げ出し、 人生に覚めてなお春の光に身を浮かべ、 |
杖突峠つえつきとうげ 春は茫々、山上の空、 |
夏 雲 雷雨の雲が波をうって 残雪をちりばめ 這松をまとって 眼下をうがつ梓の谷に |
山 頂 一人一人手を握り合ってプロージットを言う。 |
秋の漁歌 信州は南佐久、或る山かげの中学の |
農場の夫人 お天気つづきの毎朝の霜に |
冬のこころ ここはしんとして立つ黄と灰色の木々がある。 |
地衣と星 お前は辞書を片手にハドスンを読んでいる。 「アルビレオって何ですの」と いま雪の上に雪の降りつむ富士見野を、 |
雪山の朝 服装をととのえて 小屋を出て、 空は世界の初めのように 瞬間の生涯回顧と孤高の心 |
安曇野あずみの 春の田舎のちいさい駅に 絵のような烏川黒沢川の扇状地、 |
葡萄園にて 厚い緑の葉の上へずっしりと載った わが友葡萄作りは口いっぱいに 完璧を期しながら一作ごとに持つ不満、 |
八月の花畠 バーベナ アスター ジニア ペテュニア ああ その柔らかい植物の炎の上に きょうこそ秋も立つという日の |
晩 秋 つめたい池にうつる十一月の雲と青ぞら。 枯葉色のつぐみの群がしきりに渡る。 |
炎 天 高原の土地の村から村へ 記憶のなかで大きい画帳のペイジを繰り、 |
盛夏の午後 歌を競うというよりも むしろ その中間の低い土地は花ばたけ、 すべての山はまだ夏山で、 二羽の小鳥はほとんど空間を完成した。 |
路 傍 田の草とりの百姓たちが日盛りの田圃で |
幼 女 一人でままごと遊びをしている女の児、 実みはとつぜん だがその真珠いろの円い粒の一つ一つが |
老 農 友達の若い農夫が水を見にゆくと言うので、 用水のへりを通ると、一人の年とった百姓が 数日たって私はその老農に招かれた。 |
フモレスケ 庭のひとところを夏の虹色にしている |
或る訳業を終えて 明るい夏は昼も夜も 今ことごとく産みおわって しかし思うに、お前自身の仕事の成果を |
展 望 今私たちは夏のおわり 秋のはじめの 都会からの身が習慣を変え、 人や土地への敬虔なこまかい接触が |
かけす 山国の空のあんな高いところを |
詩人と農夫 若い夫婦が白黒まだらの牛を使って よく馴された牝牛はいつもほとんど従順だが、 ああ 独りである事の自由を欲する心から |
林 間 秋を赤らんだ木々の奥から 木々が目ざめ、空間が俄かに立ち上がる。 しかしやがて先達の鋭い合図の一声に |
初 蝶 日あたりの窓にならんだ幾鉢かのプリムラの |
葡萄の国 山間の平地から山の中腹の斜面まで、 彼らと葡萄作りの農夫らとの間に この葡萄の国の野鳥誌を書いてみたいと |
単独行 汽車に別れて閑散な田舎のバスへ、 |
木苺の原 小みちの薮に木苺きいちごがぎっしりと けさはすべての山々からの蒸発がさかんで、 暑い日光が頼もしく、清涼を運んで来る おのれの魂の務めへのうながしから おりおり運ばれて来る波のような |
日没時の蝶 沈む太陽の赤い光線の波におぼれて、 |
音楽的な夜 日が暮れると高原は露がむすび、 夜空をかぎる山々の黒い影絵も |
黒つぐみ すべての独り歌う者のように、 あたかも過飽和の溶液から |
郷 愁 いつか秋めいて来た丘にすわって 高原の草に落ちるその音が なぜならば天使らが進んでその心を与えるのは |
雪 急に冷えこんで来た一日の 冬ごとに最初の雪を迎える心は 今それは しだいに濃く はげしく、 |
人のいない牧歌 秋が野山を照らしている。 谷の下手しもてで遠い鷹の声がする。 この冬ひとりで焚火をした窪地は |
巻積雲けんせきうん 赤とんぼやせせり蝶の目につく日、 真珠の粒を撒いたような 今あの空につらつらとならぶ巻積雲が なぜならば家畜や虫や花野や空が |
故地の花 山の田圃を見おろして行くあの細みちの 私たちにななたびの 押葉となって手紙の中に萎えてはいるが、 |
言 葉 彼らのつかう言葉はおおむね壁だ。 粗大な意味だけで通用する言葉が 然しほんとうの言葉は生きた象徴だ。 |
林檎の里 林檎園から林檎園へと 灰いろの幹や大枝を ねっとりと滋味にみちたえりぬきの耕土から 灰ばんだ青い葉むらのあいだから |
夏の最後の薔薇 夏の最後の薔薇よ、 あした私は遠く旅立つ。 訣別という事のいさぎよさが おのれを抑えて別れをうけ入れる |
Pastoral
scolastique しんしんと青い木立にかこまれた ピアノの音の波の輪の 亭々と立つきささげの並木、 |
晩秋の庭で もう黒と焦茶のひたきが現われ、 |
反 響 私にいささかの発熱ある秋の日の暮、 ああ、二十年前の「荒寥への思慕」、 |
夕日の中の樹 いつか私に正午は過ぎて、 病んだ枝も 虫ばまれた葉も 好ましい歌 悪しきしらべが 多くの葉が私に燃え、 |
詩 術 ちいさい軽率な木の葉たちが 林のへりで しかしその言葉たちが真によく選ばれて |