山と芸術


   ※ルビは「語の小さな文字」で、傍点は「アンダーライン」で表現しています(満嶋)。

 山と芸術                                   

山と芸術

ある単独登山者の告白

                           

 

 山と芸術

 私の演題は、ただいま黒板を見ますと「山と芸術」ということになっておりますけれども、これは主催者側の石原さんが、尾崎にはこんなことをしゃべらせたらいいだろうという、多分御自身のお考えで急にお極めになったものらしいのでありまして、私のほうでは、実はたとえ何かお話しなげればならん羽目にぶつかるにしましても、こんなむずかしい、題としては問題の範囲がさも狭く見えるくせに実際では境界のひどく漠然とした、こんな困った性質の題目を取扱おうなどとはちっとも考えておりませんでしたし、従って必要な準備なども全くして来なかったのであります。
 しかし今度のような有意義な美しい集りで、しかもこういう立派な自然と、いかにもそれにふさわしいこのヒュッテで、毎日それぞれ専門の方々から非常に有益な、滋味溢れるばかりの御講演を拝聴し、後にはまた武田博士の興味津々たる御講話が期待されております時、主催者のお気持で、その間へ挾まれてみますと、不肖ながら文学をやっております自分としては、この際演題の如何などは二の次と致しまして、ともあれ文学の上で、何かしら御参考になるような話を、後になって一度ぐらいは思い出して頂けるかも知れないと思うようなお話をして、それで些かでも自分の責を塞ぎたいというのがたった今私の心に生れた覚悟、と申しては大袈裟になるかも知れませんが、まあ私の奮発心であります。それで、二三十分間御清聴をいただければ仕合せだと思います。
 もちろん私のは、自然界の千万の現象を観測し、観察し、これを記載し、あるいは統計にとり、それらの実証をそれぞれ正しい系列のもとに配置統一して、これによって自然の法則を突きとめたり、世界像を抽象したり、又はその妙機を活用して人間の生活に利益したりするような、いわゆる純正あるいは応用の自然科学の話とは違いますので、お話している内には知らず識らずいろいろ主観的な、自分だけに専ら都合のいいような独断的なことを申しあげる惧れが十分にありそうな気が致しますが、そこは前もって御容赦を願っておきたいと思います。もっとも近頃は新進の物理学者などの間に、学問そのものよりも学問をやっている人の階級的自覚、あるいはその科学者の社会的イデオロギーの如何などに関して、なかなか精悍な、峻厳な説をなす人を見受けることも事実であります。しかしそれはそれと致しまして、私の場合では話が話でございますから、小さい方かたはキャラメルをお上りになるなり、大人の方は寛くつろいで煙草をお吸いになるなりして、ただの座談として呑気にお聴き下さったほうが実はこちらでもしゃべりいいのです。
 さて、前置きが少し長くなったようでありますが、山と芸術、これは前例の有るような無いような実にむずかしい題目でありまして、豊富な研究の材料でも持ち合せていればとにかく、題を出された瞬間においそれと話ができてそれでもってある程度まで聴き手を首肯させる事のできるような、そんな調査や研究の積まれている、誰の頭にでもすでに相当な意見がある筈だという、そんな種類の問題ではないのであります。恐らくこの問題が意識的に取り上げられたとしましても、それは極く最近のことでありまして、しかもこれを論ずる側の人に、不思議なことには、ある批評家とか評論家とかいう型の人にあってはむしろ当然なのかも知れませんが、日本ではそれが普通一般なのかも知れませんが、そういう側の人に、どうも自然というものに対してわれわれほど親密でない、自然に対して実は普段から余り感じを持たない、深いフィーリングを持っていない、そういう人が多いように見受けられるのであります。言葉を換えて申しますと、日本の自然、独特な地形や気象や気候から成り立っている自然、その上でわれわれ人間や動植物の生活が古往今来いとなまれている自然、つまり我が国の風土的自然でありますが、そういう自然に対して余り感じを持たず、またそういう自然が我々の心におのずから湧き起させる美感とか、詩的情緒とか、愛とかいうものに対して、頗る同情の無い、むしろたまたま意地悪くさえ見える批評をくだす人のいないでもない実状のように思われます。それならばそういう人たちの言説にわれわれの旧套を変えさせるだけの論拠なり権威なりが有るかといえば、遺憾ながら、どうも今のところそんな物も無いらしいのであります。ロダンに俟つまでもなく、自然は見れば見るほど美しく、知れば知るほど面白味の尽きることの無いものでありまして、その美、その面白味を感じることのできるのがわれわれの富、何人の持物をも減らすこと無しにわれわれが持つことのできる唯一の富、最後までこれを護って敢えて恥ずるところのない富なのであります。一昨日のように、この高原の大きな八月の空に現れたさまざまな形の雲を見て、みんなが「ああ美しいな」と叫ぶ。雲の語る心や意味は人おのおのに取っていろいろでありましょうが、とにかく皆が讃嘆したり感動したりする。これは幾ら叱られても笑われても、そういうことになってしまうのだから仕方が無い。たとえ「古いぞ!」といわれても、悔いもせず揺らぎもしない深い陶酔なのだからどう仕様もない。そしてこの陶酔、この感動がすなわちわれわれの富なのです。この富の分配のことについて実は後ほど少しお話してみたいと思っているのですが、とにかく、そんな感動はいけないというのは、やっぱり他人の富にけちをつけることでありまして、われわれの良識ボンサンスからみれば、結局万人とともに楽しむことのできない一種の不幸な心というのほかはありません。
 ところで今度はその万人の楽しみのことでありますが、御承知のとおりこの頃は登山とかスキーとか、ハイキングとか小旅行とかいうものが非常な勢いで流行しております。鉄道省などは中でも宣伝の親玉で、そのほかの乗物の会社などもお客を自分の方へ吸収するのに大童のていであります。これなどは一体どちらが主動者なのか分りませんが、多分お客のほうが載せられているのでしょうが、何しろ驚くべき勢いでありまして、今まで余り出つけなかった人も出かけるようになりますし、小さい登山団体なども簇々とできますし、毎月幾らかづつ掛金をして置いて時どき山とか名勝地とかへ出かける、いわば昔の講中のような物も復活しますし、家庭の娯楽なんかも以前とはずっと変って来て戸外的になり、スポーツ的になる。つまり人が当てがい扶持でない楽しみを、自分の体力や工夫を費して自分の力で色々にヴァリェイションのある、変化のある楽しみを得る、そんな傾向が著しくなって来たのであります。極端なのになると、家にラジオがあって日曜日毎にハイキングができれば、書物なんぞは読まなくても宣しいといっている人さえあるくらいであります。これなどはもちろん特別な例ですが、とにかくこういった戸外スポーツの流行が、一般国民の保健上に多少の好影響を与えている別の一面には、書物を読んだり、真剣になって物を考えたり吟味したりする重要な機会を、そういう精神的な生活を、だんだんに人々の内から奪ったり遠ざけたりしていることも、確かに事実と思われるのであります。そして特にこういう面から今日の実状を見ますと、さきほど申し上げたような、万人の楽しみといえども直ちにこれに同ずる事のできない人にも、全く立派な理由がある事になるのであります。これはわれわれも常に念頭に置かなければならない重要な事だと思います。それに幾らか関連して、たとえば外国でありますけれども、フランスの作家で評論家のジャン・リシャール・ブロックという人が、スポーツの流行と国家主義との関係を論じたことがありますし(Jean Richard Block : Destin du Siecle)、またロマン・ロランは、そのスイスの大学青年連盟に与えた書翰の中で、「スポーツの二つの徳である勇気クーラアジユと節義ロワイヨーテ」とを提げて、平和のための動員に応ぜよというような事を書いております(Romain Rolland : Par la Revolution, la Pix)。しかしこれらの事柄は今日の演題には直接関係がありませんからこれ以上触れないことに致します。
 さて、話が大分横道へそれてしまって申し訳がありませんが、まず、山の絵のことについて、洋画について自分の考えを少しばかり述べてみたいと思います。
 この頃は、御承知のように、展覧会の出品などにも山をかいた絵が大変多くなって来たようであります。大家といわれる人の中にも、十日なり半月なり、長いのになれば一ヵ月以上も何処かの山へとじこもって、そうして大作や連作を試みる人があります。その位ですから若い画家などは無論のことです。若い人は体力もありますし、概して純真で芸術上の野心にも燃えていますし、また山が好きで山の経験も相当に持っているという人も中には有りましょうから、今までは(もっとも今でもそう考えている人は沢山ありますが)、今までは絵にならないといわれていた山岳というこの新らしい対象と、むきになって取り組んだ絵も現れて来るわけであります。私の友人などにもそういう若い画家がおります。
 ところが、いま申し上げたように山の絵というものが大変多くなって来ているにもかかわらず、その割にはどうも感心するような作品がたんと無い、というよりも稀である。ことに高峻山岳と呼ばれているほどの山を描いた場合に、それが著しいように私などには思われるのであります。大家の作品でも、山岳のデッサンやクロッキイには見るべきものがありながら、タブロオとなるとどうもよくない、何となくペンキ画じみて来る、非常に大きく引き伸した山の写真に絵具で着色したように見える。こんな気が往々するのであります。これは私の考えが間違っているのかも知れませんが、同感の士もまた少くないのであります。
 これは一体どういう訳かしらと考えてみた事もありますが、そうして別にそれらしい結論を得た訳ではありませんが、ただ朧気ながら感じられるのは、画家がその対象とする山に即し過ぎて、つまり穂高なら穂高、剣なら剣という山に即し過ぎて、その山の外観的な特徴の説明に汲々とするためではないかという事であります。自分の眼をも満足させ、登山界のエクスパートをも納得させようとする気持が暗々裡に働いて、それで如何にも穂高なら穂高らしく描いてはあるが、造型美術という側から見ると少し困った絵になってしまう事があるのではないかと思うのです。セザンヌはよくマルセイユに近いエスタークの風景を描いておりますが、実地の写真と較べて見ると随分違った勝手なことをやっていながら、それで絵としては実に立派な物になっている。恐らくヴァン・ゴッホの数多いアルルの風景にしても同じだろうと思うのであります。つまり余りにも山の部分的な地形とか、地質とか、天候とかの表現に捉われてしまって、内面的な深みや自由を得る余裕を失うのではないかと、素人考えでは思うのであります。
 もう一つは高峻山岳というものが、何と申しましょうか、いま適切な言葉が思い出せませんが、まあいわば自然のエレメントに近いという事であります。つまり、大洋の水の広袤であるとか、星辰の高くきらめく天であるとか、雲であるとか、そういう物と同じように、空間を占める岩石の莫大な容積である山岳というものが、それを眺めそれを瞑想するわれわれに無限の意味と感じとを与えながら、しかもそれ自体としては、先ず頗る単調なものだということであります。海の波濤を真に迫るように描いた海洋画家、英国などにはよくありますがそういう海専門の画家、あるいは写真のように正しく描く雲の画家、こういう画家たちの作品が絵画としては案外つまらないのは、元来それだけでは造型美術には向かないからではないのかと思うのです。これが映画や写真だと、物によれば遥かにわれわれに感動を与えます。海ならば海、雲ならば雲、山ならば山だけで、それだけですでにわれわれに訴えて来るところがあります。そこで、結局するところ、山の画というものは、他の附随的な条件との調和があって初めて成り立つもので、単に山それだけでは美術としての絵画には成りにくいのではないかという風に私は考えるのであります。
 こう考えて来ますと、例の有名な山の画家、セガンティーニの消息が幾らか分って来る気がします。セガンティーニはスイスのアルプス地方のアトモスフェーアは描いたが山岳だけを描くという事はしなかった。彼の画から感じられるものは、皆さんも御承知のとおり、高地の自然の詩であります。セガンティーニその人の生涯と同じように、悲しいほどに高潔なアルプスの詩であります。この詩がわれわれに歌って来もするし、またわれわれを打っても来るのです。彼の画から受けるものには、従って文学的な味が非常にあります。しかし元来造型美術にあっては、文学的要素はしばしば余計なものになります。邪魔なものになります。ここにセガンティーニに対して異論の生れて来る理由もあるのですが、とにかくあのくらい自分をめぐる孤独の中で、高く高くと歩いて行った足跡というものは、確かに美しい偉大なものでなければなりません。私などは自分も山が好きですから、やっぱりセガンティーニを愛しています。
 序でに、あのセガンティーニの描法ですが、つまり美しい色の練絲を並べたようないわゆるディヴィジョニズムの方法、あれをセガンティーニが初めて編み出した方法だとするのはどうかしらと私は思います。あれはやっぱりそれよりも少し以前の印象派の方法から転化してきたもので、もう一方の点描派ボアンテイリストなどと同じ根幹から派生したものではないかと思うのです。そしてセガンティーニもその一方の驍将として、何処までもあの描法を押し進めて行ったのではないかと思うのです。彼がアルプスでその孤高の芸術境を窮めている同じ時代には、モネーはアルジャントイユ・ベトイユと居を移して、いよいよモネーの本領を発揮していますし、ゴッホはゴッホでもうアルルにいて、おのれを焼きつくす勢いで描きに描いています。そのゴッホがもしもスイスにいてアルプスを描いたら、そもそもどんな画ができたろうと思います。静的で主観的なセガンティーニと、動的に主観的なゴッホ。恐らく素晴らしい対照ではないかと、そんなことも思うのです。
 さて私の話も漫然と長くなったようでありますが、最後に、さきほど自然の美のことを申し上げた際に、その美を感じることがわれわれの富であると申して、その富の分配についてお話するお約束を致しましたが、それをこれから少しばかりしゃべりまして私の話を終ろうと思います。これは私が山のことや自然のことを書く時の心構えでありまして、私にとって物を書く時の心掛けというのは、今のところこれ以外にはないのであります。
 マタイ伝、あるいはマルコ伝に出て来ますキリストのパンの奇蹟、すなわちキリストがわずか五つのパンを五干人という多勢の人に分け与えて、しかもその五干分の一を食べた誰も彼もがみんな満腹したというあの奇蹟は、これを科学的な立場から考えますと、全く荒唐無稽な、取るに足らぬ馬鹿馬鹿しい、まあせいぜい、或る美しい宗教上の伝説ぐらいにしか過ぎないもののように考えられます。しかしこれを道義上の立場から、モラールの立場から考えますと、このことが人間の魂にとっての栄養物とか、その栄養物の無限の増大とかいう事柄の意味を持って来ます。そうしてそれは、実はわれわれが毎日眼にするところであり、またそれがわれわれの悦びでもあり、勇気でもあり、われわれに対する力づけでもあるのであります。
 物質的の富の所有、或いはその独占、これはそのことがひとり一個人の満足に属する事柄だというので排斥される傾きがあります。ここに、仮に私が一つの上等な林檎を持っていると致します。この一つの林檎を、私があなた方の内の誰か一人に分けたいと思うならば、私はこの一つの林檎の半分だけを食べて楽しむように自分を制限しなければなりません。又もしも私たちが四人の場合ならば、この一つの林檎を四等分して、その小さい一切れづつをみんなが味わって楽しむことになります。それならば、たった一杯の水で万人の渇きをいやし、たった一切れのパンで万人の飢えをみたすことのできた人は、実に祝福された幸いな人だったといわなければなりませんでしょう。
 しかしながら、こういう奇蹟は、実は毎日私たちの眼に触れているのであります。精神的の富、モラールの富というものは、万人の所有となるために絶えず増加しているように思われます。何か一つの真理が認められ、それが幾人かの人々によって承認され、そしてそれが伝播すればするほど、その美、その魔力、その効能などというものも増大します。たとえば皆さんがバッハやベートーフェンの音楽とか、ミケルアンジェロの彫刻とか、あるいはゲーテの言葉とかに讃美や尊敬を持つとします。しかしその讃美の念や尊敬の情の動くのは、こういう深遠な、美しい作品や言葉を、その宝を、きれぎれに切断して自分のものにするのではなくて、その全体から、まるごととしてそれ自体から、私たちの夢想や悦びの実現された、一層強大に実現された、そういう高尚な情緒やあこがれの対象を見出しているのであります。そしてすべての偉大な観念というものが、みんなこういう放射の力を、光を放射する力を持っています。これらの偉大な観念は、まるで雪崩のように空間と時間とをつらぬいて進みます。それは、その触れるもの一切を運んで進みます。そしてこれこそ、われわれが決してそれを細かくして分け合おうとはしない富の唯一の物であり、また唯一の宝であります。
 このことが、私たちをして、私たちの真理の謙遜な忍耐づよい伝道者たらしめ、また私たちの発見した物の宣伝者たらしめ、精神的な富の分配者たらしめるのであります。実際、私たちが本当に幸福を感じますのは、自分の悦びの中へ愛する人たちを誘い込むか、あるいは彼らをその悦びによって改宗させるという処にあるのであります。そうして、彼らが何かしら悦びを受けとるのを見、彼らの満足の原因が自分であるということを知るに及んで、私たちは一層彼らを親しく思い、一層彼らを愛することになるのだということが考えられます。
 私たちが何処かへ旅行しまして、もしもそのとき誰も道連れが無かったような場合、私たちはその旅の思い出に対して、何かしら物足りない、何かしら満たされないものを感じます。つまりそれは、私の讃美の念を、驚きの情を、共に分け持つべき相手を一人も持たなかったからであります。日本アルプスでも宜しい、あるいは風と波との輝やく海辺でも宜しい、とにかくそんな雄大な風景を前にしながら、道連れを持たなかった私たちは、自分のたった一人の感動を訴えることができず、心のときめきを自分一人にとじこめられていた訳であります。そこでその時の感動はいくらか弱いものとして残ります。いくらか貧しいものとして残ります。またもう一つの別の例をとりますと音楽であります。私が、たとえば一人で新響の演奏会を聴きに行ったとします。バッハのブランデンブルグ・コンチェルトと、ベートーフェンの第四スィンフォニーとが、まるでこの世の物では無いような、あるいは深い、あるいはひろびろした、高い天上的な感じをもって私を打ったとします。ところが私のそばには友達がいない。私は見知らぬ人々の中で孤独である。その場合、実は私のうけた感銘は、私が友達と一緒にいなかったという理由で、友達と一緒の時よりもずっと弱いのであります。このことは、すでに皆さんも経験されたところだろうと思います。よい絵の展覧会を見る時などでも同じことを経験します。つまり他人と感動を分け合うことが、その感動を富ますこと、豊かにすることだからであります。
 しかしながら、私たちはまた一方では孤独を愛します。一人であることを愛します。この孤独というものは、沈黙した、冷たい、澄んだ泉のようなものでありまして、私たちの魂が時々その中で清められ、又堅く、しっかりさせられるものであります。しかし、もしも私たちが自分の孤独に没頭するのあまり、自分の富を分け与える相手を持っていなかったとしましたならば、一体誰がそこに積上げられた宝を役立ててくれますでしょうか。
 朝、皆さんが家を出られたとします。散歩をされるためか、或いは毎日の勤めに赴かれるために、朝早く家を出発されたとします。その途中には、往来の片側に一つの池があって、その冷たい澄んだ池の水に、折柄の夏の空が、緑を含んだ藍の色を、爽やかに敬虔におとしていた。そしてそれがあなたの、今朝できたての、何物にも敏感な優しい心を感動させたとします。あなたはその風景を、その感動の原因を、どうかして私の心にも、さながらに移し植えようとして色々な工夫と、さまざまな美しい言葉とをもって私に話して下さる。すなわち、あなた御自身の楽しみとして、悦びとして、私に親切をして下さったのです。あなたは、あなたの富を、あなたの心の富を、私という者に分けて下さったのです。
 又ここに、AならAという一人の人があります。この人の心の悲しみを私に伝えてくれたのは誰でしょうか。忽ちにして私の眼を明けさせて、この一個の魂の深い悩みを私に知らしめるのは誰でしょうか。それは皆さんの中の一人です。私はまたもやあなた達の友情的な敏感におどろき、その心の豊かさに打たれるのであります。
 昨日の夕方、このヒュッテの向うの草原を、二人の若い人が食後の散歩か、何か楽しそうに話しながら歩いて行くその後ろ姿を、あれをごらんなさいといって私に指さして教えて下さったのはあなたです。
 又ゆうべ、私は友だちと二人で外へ出て、そこの草の中に立ちながら、千万の星をまきちらしたような高原の夜空を仰いでいました。友は一言も話しかけませんでした。けれども、私には、彼がその時、その場所で、或る恐ろしいような、測り知られない無限の思いに満たされていることが解ったのであります。つまり彼の沈黙のおかげで、あの背負い切れないほどの、ほのぐらい涼しい天地の富を、彼とともに分け合うことができたのです。
 私が知らなかったこの立派な本を、誰が私に読ませてくれたのでしょうか。この本について熱心に話して聞かせてくれたのは誰でしょうか。彼です。今度もまたあなた方の一人です。
 ここで一昨日初めて知り合うことになったにもかかわらず、ほとんど偶然の機会に結ばれた間柄にもかかわらず、もう昨日は忽ち何年来の友達のようになって、その善良な大きな手を振り廻しながら、私のために、私の知らない土地や人々のことを熱心に、まるでそのままのように、私に話してくれたのはあなた達の一人でした。自分でも話すことを楽しみながら、また相手を喜ばせることで自分も喜びながら、その富である思い出を気前よく分けるという晴れやかな、一点の曇りもない善事をなしたのはあなた達の中の一人でした。彼が、果して今の話が完全に解ったかしらと心配しているらしいのさえ、いよいよ私の幸福を増すよすがとなるのでした。
 私が疲れている時に、夜の海の奥から吹いて来る風のような、あの物悲しい、深い静けさと、遠い朧ろな光とをもった歌を、私のために歌ってくれたのは誰であるか。君だ。愛する友よ、君はそれを覚えている筈です。
 私はあなた達の親切の幾百という証拠を数え上げることができるし、あなた達の口から発せられた幾千という伝道者の言葉を数え上げることもできるのです。
 皆さん、私の新らしい、また古くからの友である皆さん。皆さんは毎日、他人のところで、その人たちが知らずにいたり等閑なおざりにしていたりするような、幸福の無数の要素を発見することができます。その時、皆さんは決して躊躇なすってはいけません。その人たちが、自分たちの財産としなければならないような有益な部分を、皆さんは手に取り上げて教えてやらなければなりません。
 そうしてそれに対する報酬としては、ただ一個の与え手、一個の道案内であるということをもって満足なさらなければなりません。
 私たちの世界を支配している悦びの総額は、万人にとって重要な物を実に沢山含んでいます。でありますから、それを殖やすために、直接の名義者が誰であろうとそんなことには関係なく、絶えずみんなが働かなければなりません。結局、一個人ではないのであります。
 そうして、この世界の実際的な大きな災厄、たとえば戦争とか、大地震とか、風水害とか、大火災とか、つまり万人が一緒に苦しむ時に際しまして、最も厚顔無恥なエゴイストの享楽家が不機嫌になるというわけは、とりも直さず、彼の法外な愚かしい快楽を誰一人見てやる者がなく、それを一緒に分ける者が無いからであります。悦びにもあれ悲しみにもあれ、それを共に分けるべき相手のない者の寂しさが、ここにもあるわけであります。私は今度の会で、自分のこういう信念をますます強固にする幾多の実証、幾多の支持を得たことを確信して深く喜ぶ者であります。そして皆さんがまた私と同様に忘れがたい悦びを得られたとしますれば、それは私たちがお互いに惜しむところなく与え且つ受けたからであろうと思います。
 こうしてわれわれは互いを隔てる高慢な垣根の必要を感ぜず、また気取りもせず恩きせ顔もせず、朗らかにさっさとわれわれの礼儀を行使して、お互いの富を浪費して、遠く散らし、しかも貧しくなるどころか却って富んで、喜びに満ち力に満ちて下の世界へ帰って行くことができるのであります。
 私のお話はこれで終ります。御清聴を賜ったことを厚く感謝いたします。

     (昭和十年八月二十一日霧ガ峯における「山の会」での講演大意)

 

 

 

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 ある単独登山者の告白

  雑誌「山」の編集者石原君の同意を得て単独行のことを書くことになっていたら、『登山とスキー』の二月号が届けられて、ゆくりなくも船田三郎氏の『単独登山』という一文のあるのに気がついた。それで何よりも先にそれを読んだ。かつて『山と渓谷』へ寄せられたそのマッセンアルピニスムスの提唱を二三の集会で批判した事のある自分としては、あれから五年を閲みした今日の船田氏の心境を知って、うたた感慨の無量なものを覚えずにはいられなかった
 彼はこう書いている。

「しかし、いつも登山団体・山岳会・学校山岳部の一員としての行動は、統制の名の許に拘束せられて、高いアルプスでの五月の夜の嵐が白いいぶきで一夜に山肌の縞を吹き消して終うように、山を愛好する少年の厚かましい『単独行』や『自分の山』の夢を吹き消してしまった。
「やがて学生生活を卒えて社会へ抛り出された。しかも僻邑の工場へ抛り込まれて終うと、又、登山社交界とは次第々々に絶縁されて元の単独登山者へと還元されて来た。だが、元のような若者の持つ気軽な単独登山者ではなくなっていた。
「登山社交界から放たれた孤独な登山者の心情は、ついにそうした孤独荒涼たる高い山上へと登らしめなければならなかった。荒涼とした雪の山又山が打ち連なる山稜から山稜へ、谷から谷へ独り漂泊する山旅こそ、胸に泌み入ることの多いものとなって来た。(中略)「永年にわたる雪の山の漂泊生活から、今や全く自然そのままの姿を心ゆくばかり味うことを何よりも念願する孤独登山者になろうとしている」


 ああ、赫々たる登高の閲歴をになうこの雄々しい真面目な登山家の心の顫えが、これを読む僕の胸へも何と切々として伝わって来ることだろう! その雄図の夢に価しなかった市民たちと彼コリオラン。冬、太陽は遠ざかり熱は衰える。しかしその光と色とは一層美しい……。 翻って、僕の山の経歴などは、船田氏はおろか、どんな登山者のそれよりも貧しい。いわゆる山登りをはじめたのが三十を越してからのことだった。もとより学校山岳部員の味も知らず、生死を共のザイルを結んだことも無く、技術上の指導者も持たなければ正規の訓練をうけたこともなく、むしろ少しぐらいは味わってみたかったような、団体統制の拘束のようなものにさえ無関係で過ごして来た。道連れといえば例の河田禎君ほか二三の人に過ぎないし、山にしてもいわゆる低山・中山が九分である。だから同じ単独登山とはいっても、船田氏のような人のそれと僕のとは、そうなった契機にせよ、登る山それ自体にせよ、すべての点で深刻さが違っている。従って僕はこういう告白を読んでも、彼の氷雪の山の清水を我が生ぬるい溝瀆の水とごっちゃにはしない。
 僕が一人で行く時にはどうしても市民臭いのだ。素性の知れないこの流行語を、字面の感じからも、音からも、それが今の日本で醸し出している雰囲気からも賤み嫌って、腹の底では自分をもっと純粋な血筋のつもりではいながら、やっぱり「氏より育ち」か、そう見えるらしいから仕方がないのだ。同じ夏草の霧ガ峯を同じ路から登っても、シャツの上からルックサック、手拭で頬かぶり、焼げつくような火山砂のほこりに汗だくだくの松方三郎には、しかもちゃんとアイガア・ヘルンリグラアトのような偉物えらぶつが、幾つもいくつもちゃんと後に控えているのだ。誰にしたって僕よりも素人ではなく、そんな経験があったならばと僕の羨まぬ相手もない。
 僕の山登りは自然への愛から発展した。それも徐々にだ。その愛のそもそもの起原がどこにあったかしらと考えてみたこともあるが、そんなことは、自分の衷に優しく萌えた「永遠に女性なるもの」への思慕の起原を考えるようなもので、今は安らかに眠っている昔の霊たちを揺りさまして、悲しい微笑みを見せられるだけだから止めてしまった。しかし僕の魂の生長に、いつも自然への愛があずかっていたことは事実だ。物心ついて本を読むようになってから、美しい平和な自然を叙述した文章に出会うと、僕はたちまちそこに住む自分を空想した。物が変れば自然の顔も変り、変るたびに僕の空想も形を変えたが、変らないのはいつでもそこに「住む」ということだった。しかし実際にそんなことができようか。そこで残るのは限りない空想と、期待と、鏡の中なるヘレナの姿への憧れだけだった。また眼をもって見、手をもって触れる自然にしても同じことで、たちまちにして去らねばならぬ自分なのに、明けはなれた穀倉の爽やかな匂いを嗅げば、幾年の夏をそこに夢想し、暁ほのかに白みわたる緑の草原の一瞥に、無限未来の約束を契るのだった。
 こんな経歴の中に長いあいだ放恣に自分を育てて来て、今でもそうした習慣から抜けきりにはなれない僕であってみれば、そんな僕の単独でする山登りが、いわゆる真の登山家アルピニストのそれと似て非なのは詮方もあるまい。主義プリンシプルというものは王侯プリンスのように無用なものだと思っているが、僕の我流は、僕のやがて四十幾年になる永の歳月の歩き振りでできてしまった歩き癖のようなもので、主義ではないがどうしようもない一つの傾きなのだ。
 或る見知らぬ自然の風景が地図の上で僕を誘惑する。どんな風がそこの山々を彩っているか、どんな雲影がその高原の牧場でけものの群と遊んでいるか。そうするともう限りない空想への没入だ。僕は自分の気まぐれな欲望に対して、ついぞ厭な顔を見せることのない家族の者への後侮に似た感情を抱いて出発する。そして、もしもこうしてさまよい出た自然の中で僕が同時に素直であり奮然たる者であることができるとすれば、それはこんな夢中アングレエスと苦痛アメルチウムとの奇怪な双生児を寛大に見てくれる家族へのいつもの信頼と安心とから、一層自由におのれを発揮するためかも知れぬ。
 とはいえ僕は冒険をしない。たとえその緊張の幾ときの、充実しきった生命感を想像したり讃美したりすることはできるとしても、若い時からそういうことに訓練されていなければもう今の年令では到底できない。それのできる人々を羨ましいとは思いながら、やっぱり僕は僕に相応な山路を行く。それはいつでも誰かの足跡を印している路だ。それは常に幾らか通俗だ。市民的でさえある。しかしそんな世界においてもなお且つそこばくの新奇な発見があり、深く思いをひそめるに足る何物かを認め、そこから自然の中なる神の指示するところを感得し綜合することができるとすれば、それは辛うじて馴れるに至った詩的再建の小さな能力によるのだろう。
 地形学、景観地理学、動物学、植物学、気象学。人がその一生を捧げてなお足らぬこれらの学問に対する自分流儀の哀れな独学も、僕にとってはやっぱり夢中への溺没だ。生甲斐だ。生の充実感の対象だ。そういう学問を正規に勉強できなかったことへの痛恨が、ここでもまた僕を駆り立てて、結局は僕がそう成るところの一つの型の詩人にする。そして詩人とは永遠に渇を訴える乾燥の神の子ではないだろうか。
 こうして窓を吹く風のひびきにも青々と扉く草原を胸にえがき、「ヌッスバウム」の歌のきれはしに広大な夏をよみがえらせ、或る日の空の雲をねむり、木の葉とともに戦ぎ立ち、「われらを引きて往かしめる」者の姿を衷なる衝動として追いながら、たとえその辿りつく先がどこであろうとも、これが僕という単独登山者、一人の漂泊者の影が打ち明ける、誰へともない告白である。

                           (昭和十一年三月)

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