重なって行く年齢のためでもあろうが、音楽への自分の好みがだんだんと古い時代の宗教的な作品や、同じ頃の作者の名も分らないような世俗的な物へと移って行くのがこのごろ切に感じられる。フィデリオの勝利のラッパの響きが遠くなり、ヴァルキューレの騎行の轟きが時のかなたに薄れ、夜想曲やポロネーズの調べが霞む。これはそのまま受け容れていいか、淋しく惜むのが当然の成り行きか、どちらかよく分らないが、正直言ってこういうのが現在の私の心境なのである。
バッハの壮麗な管弦楽組曲や協奏曲を聴きながら、心ひそかに、小さい物でもいいから同じ彼の敬虔な教会カンタータでも聴く事ができたらばと思う時が少くない。バッハヘの愛や誠や傾倒にいささかの変りも無いのに、この微妙な願いの変化はどうしたと言うのだろうか。「目ざめよと呼ばわる声す」を今だに心躍らせて想いながら、「わが心には患い多かりき」を歌おうとする此の瞬間の気持を何と解明すべきであろうか。若い頃から音楽の多彩な花園をあれほど愛していたジョルジュ・デュアメルが、自分の死の瞬間にはバッハの「ヨハネ受難曲」の最後の歌を歌うか聴くかしたいと願っていた気持がおのずから分る気がする。そしてそう告白した当時のデュアメルよりも。現在の私の方が遙かに歳をとっているのである。
私はラジオの音楽の時間というものを余り、と言うよりも寧ろほとんど聴かないが、それでもNHKがやる週間日の午後五時十五分からの「バロック音楽のたのしみ」だけは大抵聴く事にしている。此の曲目には皆川達夫さんと服部幸三さんとが解説を受け持っておられ、単にバロックと言うよりもそれ以前のもの、つまり中世やルネサンス時代のものが多く登場するので、この時間を楽しみにしているのである。勿論両氏とも自信をもって選曲し、それらを吾々に分り易く説明しておられるせいもあるのだろうが、こういう古い音楽の持っている独特の美と純真さとを、たとえ短かい時間とは言え味わわせて貰う事はまことに嬉しい。つい最近も皆川さんの時間にオルランドゥス・ラッススの「七つの懺悔の詩篇歌」というのを初めて聴いて、その深い美しさに魂を打たれた。ここにはシュッツにもバッハにも無いルネサンス的な、フランドル楽派に特有で多彩なポリフォニー技法が花と咲いているように思われた。それで皆川さんに無理にお願いして、同氏の手になる日本語訳を頂戴した。そして必ずや近くそのレコードが手に入るようになるだろう事を確信して、その時の楽しさを延ばしている今なのである。
十五世紀から十六世紀にかけての最も重要な作曲家の一人であるハイソリッヒ・イザークについても同じような思い出がある。此処でも皆川さんが主役を演じているのだが、同氏が主催している中世・ルネサンス音楽協会の合唱会の時、その終りに必ずイザークの「イソスブルックよ、さようなら」が、多勢の聴衆の中にぽつんと混じっている私のために歌われた一時期があった。私が山好きで何年間か山登りに熱中していた時代のあるのを皆川さんが知っていた為だろうと思うが、ステージから名を呼ばれて、「最後に尾崎さんの為にイソスブルックよ。さようならを歌いましょう」と言われると、聴衆の間から立ち上がりはしたものの、頭を垂れ汗をかいて、それでも小さい声でステージの合唱団の歌の大波に和して歌うのだった――
Innsbruck, ich musz dich lassen,
Ich far dahin main strassen
in fremde Land dahin……
私は哀愁が漂いながらしかも雄々しく簡潔な此の歌をひどく好きで、今でも新緑や新雪などの山を歩いている時にはしばしば歌う。永く住んでいた生れ故郷の東京を去って此の鎌倉の新居に移る時も、運び去られて行く庭の樹々の下でこれを歌った。「東京よ、今私はお前を去って、遠く見知らぬ土地へ行かねばならない」と。しかしそのイザークの「四旬節第四の主日ミサのための固有文」からの数曲と共にフィンク、ジョスカン・デ・プレ、ゼンフル、ホーフハイマー達のものを聴いていると、「インスブルック」と銘打ったその一枚のレコードがひどく貴重な、また甚だ愛すべきものに思われてくるのである。
高名なジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ。私は古くから生れ故郷の名で呼ばれているこのパレストリーナを好きで、「教皇マルチェルスのミサ曲」を初めとしていろいろそのレコードを持っているが、中でもいちばん気に入っていて時々聴きたくなるのは旧約聖書ソロモンの『雅歌』から抜萃された六つのモテットである。そして本当は全部で二十九曲有るのだそうだが、私の持っているのはフライブルヒの少年聖歌隊の合唱による六曲だけである。しかしその歌がすべて如何にも清純で透明で豊麗で、同じルネサンスの大道をたどりながら、あの疲れを知らない旅行者オルランドゥス・ラッススを時に凌ぐような趣きさえある。その六つの曲と言うのは「エルサルムの娘らよ。われは色黒けれどなお美わし」、「彼、われを携えて酒のうたげに入れ給えり。そのわが上にひるがえしたる旗は愛なりき」。「わが愛する者の声聴こゆ。見よ、山を越え丘を飛びて来たる」、「わが愛する者はわがもの、われはまた彼がものなり」、「わが女友ともよ、なんじまことに美わしくして汚れの影だに無し。花嫁よ、レバノンよりわれに着きレバノンよりわれと共に来たれ」、「エルサレムの女子おなごらよ。われなんじらに固く請う。もしわが愛する者に逢わばなんじら何とこれに告ぐべきや。われ愛によりて病めりと告げよ」と。つまりこういうのがそれぞれの歌の最初の句である。私は或る年に大病で入院して、やがてわが家へ帰って来た日の翌朝、飛びつかんばかりの思いで此のレコードをかけて聴いた時の嬉しさを今でもはっきり覚えている。それは私にとってもまた再生の雅歌だった。
「現代に生きる中世及びルネサンスの音楽」という二枚組のレコードがある。マショー、ダンスタブル、デュファイ、イザーク、ハンス・ザックス、オケゲム、ジョスカン・デ・プレ、スヴェーリンクのような名のほかには「作曲者不明」とあるのが多いが、その不明の中にすぐれた物が少くないのである。たとえば十字架のもとに立った聖母マリアの歎きの言葉で」"Lasse! gue deviendrai je?"「ああ。私はどうなるのか!」とフランス語で歌われるのであるが、その無伴奏の女声の歌が如何にも純真で、淋しく美しい。そして聴いている内に自分までが野中の十字架の前に一人立って悲歎にくれている女のような気がして来る。そして心は結局清められ和められ、いつまでも聴いていたいような思いに沈みこむ。私はこれもまたあの「雅歌」と一緒に短かい詩に書いた記憶があるが、何はあれ一人でも多くの人が此の歌の切々たる感情や美に打たれる事を願いたい。そのほかにも諧謔的なもの、自由奔放なもの、瞑想的なもの、敬虔なもの等いろいろ有って、私などの親しく知らない時代や世界の音楽が春や夏の山野の花のように咲き広がり、心して聴くほど新らしく身になる物が発見される。そして服部さんや皆川さん達がこの方面の開拓に力をそそいでおられる理由がよくわかるのである。
このように自分の余生の日々を喜ばせたり、慰めたり、飾ったりしてくれる古い時代の音楽を聴いていると、今まで知らなかったものの実におびただしい事に改めて驚かされる。つい最近も或る若い友人からカンプラという私には未知のフランスの作曲家の「レクィエム」の盤を贈られ、その美しさに深く深く心を打たれた。一六六〇年にプロヴァンスのエクスに生れた人だと言うからバッハよりも年長で、A・スカルラッティやパーセルと同じ年頃の音楽家である。ところで私を感嘆させたそのレコードと同封の友人の手紙なる物がまた余りにもよく此の「レクィエム」の心なり美しさなりを伝えているので、無断ではあるがその一部を此処に載せさせて貰う事にしたい。
「……さてここにお送りしましたレコードは、とりわけ奥様に聴いて戴きたく、正月に求めてあったものです。南仏プロヴァンスの陽光と素朴な風に、神への敬虔な信仰が流麗に優しく醸し出されています。そして健気にも悲みが昇華されようとしています。
アンドレ・カンプラは大バッハと殆んど同じ頃の人で、偉大なバッハと一律に較べることは不当かも知れません。しかし私はカンプラの此の「レクィエム」から華美なフランス宮廷文化の枠を越えた人の願って求める美の原質が流れている事に心を動かされます。たまたま知り合った未知のものから思いも寄らなかった、恐らくは以前から慕っていただろう美の触れ合いに、その豊かに広い美の世界との出会いに心がときめくのです。誰彼の、階級や身分や民族や時代の比較の枠をこえた美の滲透力を思わずにはいられません……」
ここに挙げた音楽の心も手紙の心もまことにはこの通りで、私にはこれに一言半句も附け足しようがない。ただ志ある諸君がこれを聴いて、手紙の主や斯く言う私と同じような感銘を得られるとしたら本望である。
音楽への感動から詩が出来るような事を此の中でも私は書いた。そこでこれが満更の嘘でもない証拠として此処に一,二篇の自作を紹介して、この方面にも興味を持たれる諸君に読んでいただけたらと思う。
冬の雅歌
日曜日のおだやかな朝をくつろいで、
書斎の電蓄でパレストリーナを聴いている。
「われは色黒けれどなお美わし」と
「わが上に彼のかざせし旗は愛なりき」、
フリブールの少年聖歌隊が清らかな声で
迸るようにけなげに耿うソロモンの雅歌だ。
私のためにそのような愛や誇りや、
かぐわしい風、せせらぐ小川はすでに遠いが、
老境の太陽はいま庭の枯れ木を柔かに染めて、
冬の大空がその歌のように晴ればれと青い。
或る音楽会で
(高野紀子さんと東京ルネサンス・コンソートの人々に)
片膝に載るほどの小さいオルガンを弾く娘は
役割りを変えて白い短かい縦笛も吹く。
悠然と並んだヴィオラ・ダ・ガンバの弦の響きは
涼しく、雅みやびて、おっとりと
イギリス・ルネサンスの舞曲をかなでて、
古い善い時代の夢と秩序とをよみがえらせる。
しかもそれがすべて揃いの衣裳を裾長く曳いた
匂うばかりの若い女性の合奏なのだ。
ああ、私にしてもっと若かったら!
しかしもう続かない息、固い指、かすれた声、
諦めもさして苦痛ではないほど歳をとった。
今は焦燥もなく、歎きもなく、羨望もなく、
彼女らの町や宮廷や野の歌に静かに聴き入り、
その画のような輝きに見惚れなければならない。
それが受容だ、それが救いだ。
そしてそれが老境の知恵というものだ。
(昭和四十八年) |