ゆたかに涼しく甘やかな、ほんのり赤い五月の夕日が、この谷間の村落の、――其処を或る古い峠みちの走っている、又その周囲の山々や断崖きりぎしに我が国最古の岩層が睡ったり歌ったりしている――この美しい平和な山村の、新緑にうずもれた風景を一日の終焉の稀有な光で満たしている。
二日の旅を終えて明日は都会へ帰ろうとする私に、自然はなんという美酒をながしてくれることだろう。私の短かい旅行は完璧だった。色さまざまな岩石がいろどり、薄紫の藤浪がゆらぎ、日光が金色の縞を織る若葉のしたに、清冽な水が奏でていたあの渓谷。赤や樺いろの躑躅が燃え、郭公が清朗な日の笛を吹き、りんどう色の空をおりおりの雲がよぎるのを私の見たあの山道。それから白や黄の花を星のように散らして風のまにまに靡いては高まる青ぼうぼうの牧場の斜面を、柵にそって登って行けばやがて一つの山頂だった。そうして其処から飽かず眺めた碧い遠方、やさしい国原。それは私の至愛のアイヒェンドルフの、ヘルマン・ヘッセの、太陽を浴びた哀愁の歌――無限なものへの郷愁と、晴れやかな諦念との、大空のように薄い光の面紗を懸けた、また大空そのものの本質でもある歌であった。
そうして、今はもう、山の春のたそがれだ。この村にたった一軒の宿屋の二階から最後の壮麗を眺めていた私の眼に、五里をへだてた峠の上の、あの金毛のような巻雲も消えた。どこか近くで車井戸の綱をあやつる音がする。つづいて桶にあける水音がする。夜になる前に誰よりも遅れて汲みに来た若い娘の、清涼な、高い、澄んだ水の音だ。それでは昼間私が見た、あの石段をおりてゆく井戸のあたり、その井筒に金緑色の苔がやわらかに蒸していた井戸のあたりには、もうほのぐらい夜の影がさまよいはじめたことだろう。私はその水汲みの娘の姿を心にえがく。妙齢の特権である犯しがたい美しさ、得もいえぬ頸筋と愛くるしい小さい捲き毛、すこやかな肩、強壮な腰……だが、今や私はあの若いヴェルテルでもクヌルプでもない。齢四十を越えて、私の生活の秩序も、私の心の神秘も、小さいながら調和の自然に似通おうとしている。私はゆっくりと、均等に、均質に、無限に大きくなる円球でありたい。どうか私の「詩」が常にこの発展の夢に先行して、それを常に少しずつでも現実のものにしてくれればいい。
そして其の夜、春の谷間に、暗く深い山風の揺藍の歌のながれる頃、私は古い宿屋の小さい卓にむかって、ヘルマン・ヘッセに捧げる次のような一篇の詩を書くことができたのだった――
夕べの泉
君から飲む、
ほのぐらい山の泉よ、
こんこんと湧きこぼれて
滑らかな苔むす岩を洗うものよ。
存分な仕事の一日のあとで
わたしは身をまげて荒い渇望の唇を君につける、
天心の深さを沈めた君の夕暮の水に、
その透徹した、甘美な、れいろうの水に。
君のさわやかな満溢と流動との上には
嵐のあとの青ざめた金色こんじきの平和がある。
神の休戦の夕べの旗が一すじ、
とおく薔薇いろの峯から峯へ流れている。
千百の予感が、日の終りには、
ことに君の胸を高まらせる。
その湧きあまる思想の歌をひびかせながら、
君は青みわたる夜の幽暗におのれを与える。
君から飲む、
あすの曙光をはらむ甘やかな夕べの泉よ。
その懐姙と分娩娩との豊かな生の脈動を
暗く涼しい苔にひざまづいて干すようにわたしは飲む。
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