祝詞に代えて
秋桜子さんのこのたびの芸術院賞受賞をお祝いして、年ごろ日ごろの傾倒と、すこし纒った研究とを披瀝したい気持でいたところ、ここに書く必要のない別の仕事や雑用にさまたげられて不本意ながら志が果たせない。それで思案の末、昨昭和三十八年一月号から今年の六月号までの『馬酔木』に発表された二百六十九句のうち、敬服してノートに書きとめて置いたのが十三句ほどあるので、それを挙げてお祝いの微衷のしるしとしたい。俳句の上では元より初心者。ただ、一人の詩人が、どんな句をどんなふうに受けとって感心したかを見て頂ければそれで充分なのである。
浦 安 や 春 の 遠 さ の 白 魚 鍋
行徳でもなく、桑名でもなく、音感も字づらも共に安らかに懐かしい下総の浦安なのである。そして春はまだ遠いその浦安での白魚鍋。春も遠ければ湖浅い海の眺めも果て遠く、ことによったら「雲薄し」や「明ぼのや」の芭蕉の記憶もまた遥遠である。「春の遠さの」中七、沸々たぎるちり鍋の佳肴と相呼んで、一句の味わいまことに言いつくせぬものがある。そして私には、葛飾の桃の籬まがきの昔さえ思われる。
霞 む 海 紅 梅 蘂 を 撥 ね に け り
秋桜子さんが好んで詠む熱海・伊豆山の句の一つである。そして彼が伊豆のあのあたりの海岸を好きだという事は、私には特に芸術的にも象徴的なことのように思われる。かつて紅梅の上を波の流れるのを詠んだ秋桜子さんに、歌人実朝のよく踏みこみ得なかった一層雄強な境地へ踏み入ったのである。うらうらと霞む伊豆の海を背景に、某々と雄蘂の束を立てた紅梅もそうである。紅梅に対する彼の殊愛もさることながら、これが白い梅だったらやはり印象はぼやけてしまったであろう。
春 暁 を 降 り い で す ぐ に 大 雨 な り
「春暁」であり「大雨」なのである。まずこの二語の音感と含蓄と広がりとを味わわなければならない。しかも息もつかせず「すぐに」大雨なのである。春の夜明けを低気圧が襲来したとか前線が通ったとか、そんな気象談義をやっている暇もなく、そのまま、いきなり、天地をこめる槍ぶすまのような大降り。「すぐに」俗語が力源となり、濁音の「豪雨」でない清音の「大雨」がこの句の生命となっている。うっかり真似たらおかしな物になるだろう。一事不再発の「すぐに」であり「大雨」であることを銘記したい。
林 檎 咲 き 荒 瀬 北 指 す 川 ば か り
白馬岳紀行十一句中のすぐれた一句である。仁科三湖の青木湖から北流して、途中松川、中谷川、大所川などを併せた姫川は、深い峡谷をうがったり慰め薄い礫原の風景を展開したりしながら糸魚川の西で日本海にそそぐ。「北指す川ばかり」のその川がこれらの諸川であり、「荒瀬」はその峡谷や礫原の水の姿である。しかしこの句のいのちは三、四と切れた「荒瀬北指す」の中七の切迫した語調にある。すなわち音楽で言うフーガのストレッタ、主題の入りと応答の入りとの時間的間隔を小さくして、そこにリズム的緊張感を生む手法である。そして「川ばかり」の座五へ流れこむ中間部のこのストレッタが、寥郭たる日本海の空の下を北流する川の荒涼景を直叙し、おりからの林檎の花をさえ、ほかのとは違った寂しく白く凛々りりしいものに見せているのである。
雪 渓 の 雲 く づ れ 落 つ 黒 部 谿
これも白馬岳紀行中の一句だが、句が言おうとしている実景の暗く深く厚みのある美は、或いは黒部渓谷を見た人でないと切実にはわからないかも知れない。その厚みが「雲くづれ落つ」にあり、しかも「雲」と「くづれ落つ」と「黒部谿」の三つの「く」の音のなだらかな重なり合いが、そのほのぐらい効果を強めていると見るのは私の思いすごしであろうか。しかし言うまでもない事だが、俳句は声に出して読んでみないと本当の味はわからないのである。これは詩でも同様だが、わずか十七字という叙情的な短詩形にあっては尚更のことである。
雪 橋 や 獣 行 き け む 痕 蒼 き
これも白馬行の一句。雪橋はスノウ・ブリッジの日本語訳。「せっきょう」と読むのであろう。そしてここでもまた「獣」の「け」と「行きけむ」の「け」とが金属的に響き合い、それが高山の空の色を吸った獣の足跡のくぼみの蒼さと怪しく美しく照応しているように思われる。「ける」と共に秋桜子さん愛用の「けむ」という雅文調がここでも雄勁にしかも優美に働いて、その獣を気品のあるカモシカかオコジョのように想像させる。勿論そんな処にはいもしないだろうが、同じ獣でも猪や狸のような仲間は思わせない。
学 園 や 郭 公 楡 を く ゞ り 飛 ぶ
学園は札幌の北海道大学であり、楡はあの校庭にあって余りにも有名なエルムの並木である。そして北方の夏を欝蒼と茂ったそのエルムの大樹の列の下を一羽の郭公がくぐって飛ぶ。建物も植物も由緒深く、歴史に重い北大の構内。郭公さえもそこいらの高原でざらに見る郭公ではなく、北海道のこの最古の学園の鳥なのである。何でもないように見える「くゞり飛ぶ」に無量の重みがあり、「学園や」に一挙にして尽くされた古く遠い歴史の広がりがある。句の中で郭公の鳴かないのがなおさらいい。
薫 風 の 来 て 海 豹 に 波 ま ろ ぶ
前句や後の二句と同じように北海道紀行「砂丘と花園」の中の作である。海豹あざらし必ずしも美しい動物ではないが、「薫風の来て」や「波まろぶ」の措辞のために濡れ濡れた海獣の姿態、まことに愛讃すべきものとなっている。波が小さく寄せるにつけても丸い鈍重な彼の砂上の寝姿がよみがえる。波もまろべば海豹もまろぶ。そこへ生気をそそぐのが能取のとろ岬の夏の縹渺として匂やかな海風なのである。
泉 湧 き ゆ が み て 戻 る 鱒 の 列
「虹別孵化場にて」という前書がついている。孵化場や養魚池で見る稚い魚は、いつ誰がどうしてリーダーになるのか知らないが、先頭をゆく魚に従って何十匹というのが行儀よく列を作って泳いでいる。この可愛い鱒たちもそれである。ところが行く手の水の中に水が湧いて、水勢や水圧が変わり、無数の気泡がはじけながら林立している。そこで突如としてリーダーが方向を転換する。すると今まで整然とおとなしく泳いできた稚魚の列の先頭にちょっとした狼狽と混乱が起こる。そこで連続的な行進隊形に僅かながらひずみが生ずる。言ってしまえばそれだけの事だが、私の姦臣するのはこの「ゆがみて戻る」である。ちょっと動揺しながらも柔和に且つ黙々と転向するその幼い魚たちの隊列の動きを、たった七字でさながらに言い現した平常語の決定的な使い方である。
澄 む 水 や 蟹 ひ そ む 石 起 し て も
「水澄む」は人も知る秋の季語である。そして「石起しても」だから、ここでは「澄む水や」でなくてはならない。しかし遠い北方の旅にあって、谷だか海辺だかで試みに石を起こしてみると、その下に一匹小さい蟹がひそんでいて、そこに溜まっている水もまた澄んで冷たかったというのはいかにも美しく秋らしい。まことにすぐれた一句であり、「物ダス・ディング」の句である。そして秋桜子さんに物に即した秀句の多いのを、私は彼の俳人生命の長続きする兆候だと思っている。思いをひそめて見れば見るほど物はわれわれにそれ自身を語り、しかもそれ自体けっして尽きることがないからである。
冬 の 梅 は げ し き 夜 雨 に 匂 ふ な り
ここでもまた「雄勁」の形容がぴったりし、作者の気性の強い一面が想われる。まっすぐに言い放たれた十七字は直下じきげのもので、その間なんの細工も思わせぶりもない。梅は冬の梅、雨は夜半の雨でしかもはげしい。私には窓から闇夜の庭をのぞいている人の姿が想われる。雨は空の微光か窓からの明りを吸って白い滝のように見える。花咲く梅はしたたかな雨のつぶてに打たれている。「はげしき」の一語にその雨の量感と質感とがある。映写幕エクランに現れた瞬時の情景ではあるが、机上の想像などではとうてい出来ない触目の純粋感動の一句である。熱海の紅梅の「撥ねにけり」といいこの夜の梅の「匂ふなり」といい、二つの終止形が共に雄々しく梅らしい。
岩 は 皆 渦 潮 し ろ し 十 三 夜
「足摺岬に句碑を建つるとて」という前書がある。そう言われてみるとこの渦潮は、言葉こそ同じだが風景の性格が阿波鳴門のそれとは違って、もっと平遠で、もっと寂しく、もっと白々しらじらと荒れている。果てしない沖に臨んだ岩は一望の岩礁であり、その岩礁に寄せてひろがる水はすべて干渉し合って渦をなし、おりからの十三夜の月光を浴びて白い。これは前出の蟹や梅の句などと違って大景の句である。大国土佐の南端、それも室戸岬などとは趣きを異にした岬端風景を目に描かないと、この実景は生きて来にくい。これからの観光客がどう思って読むか知らないが、この句の隠れた主眼は太平洋の夜のひろがりであり、黒潮に煙った未知の水平線への郷愁なのである。壮大なロマンティシズム。渦潮しろしがそのかなめであると言おうか。
木 瓜 の 荷 を 解 く 紅 白 や 植 木 市
植木市が立って、集まった植木屋の一人が、繩でしばって運んで来た木瓜ぼけの株をほどいているところである。しかし一体「荷を解く」という言葉の語感が、中年前の読者にどれほどに、またどのようにわかられているだろうかが実は私に疑問なのである。簡潔で微妙に具象的なこの言葉などは、永く保存したい日本語の一つだと思うが、「荷」は普通「荷物」と言うのとは少し違い、「解く」も場合によってはまた幾分ニューアンスが違う。しかしとにかく「荷を解く」。そしてその荷というのが花の咲いている木瓜なのである。その花や蕾を落とさないように気をつけて、張っている枝をなだめるように撓たわめ集めて、要所要所を藁繩でしばった売り物の木瓜。それが荷であり、その荷を今植木市でほどいているのである。そしてパラリとほどけたその木瓜は赤と白。堅く根廻しをして繩でくくった根は土団子。枝の間には売り値を書いた荷札のような紙切れがもう細い針金でつけてある。売り物ながら植物への愛と細心の注意。そう乱暴に繩をパチパチ切り放したり、むげに枝を押しひろげたりしたのでは植木屋とも言えないだろう。抱きかかえるように扱って道の片隅に見えよく飾る。
そしてその植木屋のこれだけの手数、これだけの心くばりが、実に「木瓜の荷を解く」の七字で活写されているのである。
(一九六四年五月)
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