前書き
ロマン・ロランと自然。これは果たして問題となり得るだろうか。私はなると思う。少くとも私にとっては。これは私にあって久しい以前からの関心事であり、着目と注意、同感と讃歎との対象であった。二十一歳のむかし、初めて『ジャン・クリストフ』を英訳で読んだ時以来、その作者ロランの自然への深い感情は、すでに早くから芽ぐんでいた私の自然愛を一層いきいきと、一層みずみずしく育てた。私は胸とどろかせて物語の筋を追いながら、ゴットフリート叔父との夕暮の川の岸や、フィレンツェの画家が描いたようなしっとりした甘美な女性、若い未亡人ザビーネとのとの夕涼みの情景や、善良で悲しい老教授シュルッと出あう牧場の春や、めくらの少女モデスタの村への徒歩の旅の、まるでミレーの虹の画か『田園交響曲』の終楽章のような得も言えず美しい叙述にひかれて、同じ数行のあいだを幾たびも往ったり来たりしたのだった。
あの『ジャン・クリストフ』から、『コラ・ブルニョン』から、ましてや『クレランボー』からさえ、ロランの自然へのまなざしを採り上げて問題にするというのは本道をそれた事であり、少くとも第二義第三義に属する事だといって一笑に付されるだろうか。もしもそうならそれでもいいが、私としては彼が画家モネーについて書いた美しい文章や、『昆虫記』のアンリ・ファーブル、スイスの博物学者オーギュスト・フォーレル、特にフランスの野鳥研究家であるジャック・ドゥラマンの本へのほとんど郷愁的とも言える讃辞を忘れることができないのである。またエコール・ノルマルでの地理学の先生、あの偉大な人文地理学者ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュの思い出に愛をもって触れながら、「彼のすばらしい講義がわれわれを投げこんだ熱狂の中に、私は〔大地への〕自分の特別な愛の確証をにぎった」と書いた今は亡いロランに、なつかしさの目をみはるのである。
ロマン・ロランと自然。いつか私はこの主題で一篇のエッセイを書くことができるだろうか。 願わくばそうあって欲しいとは思いながら、自分のためにすでに傾いた道のゆくてをながめればその成否もおぼつかない。せめて手もとの日記から――『富士見日記』と『再びの東京日記』とから、――素材的な断片を抜き書きして、あり得べき亡失に備えておきたい。
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寒さがきびしい。夜も十時をすぎた今ではなおさらしみる。外は皎々と晴れた月夜だが、この富士見の高原一帯、いや、信州の山野一帯が、きらきら光る厚い霜にうずもれて、仮死のような眠りを眠っていることだろう。表座敷ではもう妻も若夫婦も寝たらしい。今夜はロランの『聖王ルイ』の第三幕を読んだ。一九二四年のクリスマスにロランその人から贈られた本だ。東洋に遠征した十字軍の陣営とつるべ落しの夕暮。マチュー・ドークシーとティボー・ド・ブレーヴとの対話が悲しくも美しい……
マチュー「ああ! なんと遠くわれわれは来たことだろう!」
ティボー「君はぼくの心を締めつけている事を言う」(沈黙)
マチュー(思いにふけって)「クシーに夜が来る。塔のてっぺんで最後の明るみがためらっている。白い霧が牧場から湧き上がる……(沈黙)で、君は、君は何を見ているんだ?」
ティボー(同じように夢想にふけりながら)「いろんな物を! ……ぼくの国の、いくらか色褪せた灰色の空。野の上を流れてゆく雲の大きな影、とり入れ物のまどろんでいる金色の大平野。藁葺き屋根の村々、麦のあいだに隠れた雲雀の巣のような。花の咲いている生垣に囲まれた牧場の丈高い草の中にうずくまって、きれいな眼をした白い牛たちののどかな啼き声。明るい水際で歌っているポプラー。いい匂いのする葉に被われたくるみの樹の円い屋根…… おお、モルヴァンの地よ、その青い丘々と、すきとおった川の流れと、軽やかな小川のように蒼ざめた銀いろの柳。森の深い円天井。平野を見おろす岩山の上に立つヴェズレーの町、二つの強固な塔を持つその聖堂からとどろく荘厳な鐘の響き。ぼくの懐かしいニヴェルネーから此処まで運ばれて来る遥かな歌よ!………」
なんというノスタルジックな歌だろう! そして当時二十九という若いロランもパリの片隅でこれを書きながら、その生まれ故郷である同じニヴュルネー、同じヴェズレーの空や野を心の眼前に見ていたに違いない。ここに響いているものはその視覚的な要素と共に、べートーヴェンならばさしづめ第二交響曲のラルゲットだ。
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「生の二つの深淵。すなわち自然と音楽」とロランは書いている。(『フモワール』)
「まず最初に自然! 自然は私にとって常に書物の中の書物だった。それを閉じていた封印は、 一八八一年、私に対してフェルネーの展望台で破られた。その時、私は見た。彼女の中に私は読んだ。狂気のように読んだのである。生活のために闘わなければならなかったあの脅かされた青春の幾年間、私にとって自然が、わけても山が、生きている神であり、パリの一年の十ヵ月を、その抱擁への期待の中でどんなに私が息をはずませて生きていたかを充分に言うことは到底できないだろう。そして夏の門が開かれるや、そもそもいかばかりの愛の熱狂で、彼女の体にこの身を投げかけたことだろう! 私のノートは、(わけても自分の闇の奥底まで読破する事のできるようになった一八八八年から八九年にかけてのノートは)、巨人の両腕の中で圧しつぶされたあの恋する女の痙攣でいっぱいである」
そしてロランは、マッターホルン山群の問で暮らした一八八九年九月のノートにこう書いている。「……私は抱きしめられて衰弱する……もしも自分一人だったら、私は地上に身を投げ出したろう。石を、つやつやと光った緑と暗紅色の美しい石を、又金の火花のような砂塵を嚙んだろう。私は自然の自由になった。あたかも手ごめにあった女のように。それは私の魂が私から去って、ブライトホルンの光り輝く山塊に溶けこんだ瞬間だった……そうだ、たとえそれがどんなに非常識に見えようと、幾分間というもの、私はブライトホルンになったのだ……」
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ロランが『ドロテア・チェチリア・ソナタ』と呼んでいるベートーヴェンの作品一〇一番のピアノ・ソナタを、久しぶりに今日レコードでやってみた。あのすばらしい『復活の歌』の中で、この曲のためにロランが割いているページは、それが多いだけ私には楽しく嬉しい。ロランの美しくも精緻な分析を吉田秀和氏の訳で読みながら、楽譜を前にその音楽を聴く夜の時間のなんいう重さ、なんという輝かしい深さだろう。立派な芸術は愛と同じに、これに馴れたりこれを濫用してはいけないと自分で自分に言いきかせた私が、我慢に我慢をして二た月ぶりに聴く『ドロテア・チェチリア』だ。今その最後の和音のフェルマータが鳴り止んだ。別れのように惜しくなっかしい余韻である。
訳者にしたがって、ロランがこの曲の研究として書いた文章の最後のところを写して置こう。
これは見事な要約であり、こういう文章は筆写する事その事がすでに楽しい。
「これは内面の生の一日である。晩夏のひと日。五十五歳――時間の飛翔は一時中絶される。この一八一四年から一六年にかけて、ベートーヴェンの魂は過去と未来、郷愁と希望の間を定かならぬ足取りでただよう……私には原野の中央の彼の好きなブリュールにいる彼が見える……彼は幼い日の美しい郷さと、ラインの岸の地方をもう一度見ようと夢想する……彼はイギリス旅行の計画を夢想する。そうして帰って来たら田舎の村に定住する……百姓の家……「おお、森の甘い静けさ……」ひょっとすると彼は過ぎさった友情を夢み、『遥かな恋人』の姿が再び現われてきて、彼を抱きしめるのを夢みているのかも知れない…だがなぜ、幸福はもどってこないのだろう……」(人生の慰め)……「時は奇蹟をもたらす……」……「さればたとえ苦難の中にあっても、常に上機嫌であれ!」
「……べートーヴェンは夢みる。そうして自分の夢をうれしそうに笑う。彼と共に笑い、この最後の時を味わおうではないか! 優雅と快活の下に、そのはかなさが感じられるだけに、その魅力はいや増す」
私にはこの文章のためにあのソナタが一層好きになったのか、あのソナタヘの愛のためにこの文章に一層強く(時には悲しいほどに)打たれるのか、もうわからない。
「優雅と快活の下のはかなさ」と、それ故にこそ「いや増す魅力」……私はこの同じ魅力をあのザビーネに見るべきだろうか。それともあのグラチアに待つべきであろうか。
「何だろう? 今ここで、私の耳を、こんな大きい、こんなに優しく甘美なひびきで充たすのは、はたして何者だろう!………」(スキピオの夢※)
※註 『ジャン・クリストフ』第十巻『新らしい日』の終り近く出て来る言葉。
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今朝(昭和二十二年四月二日)床の中でうつらうつらしていると、突然プラッタン・フェヴリエ(二月の春)という言葉が頭に浮かんだ。きっと、その時ちょうど森の中で鳴いていた一羽のツグミの早春の歌から誘い出されたものに違いない。私はアンズの花から草の上へころげ落ちる数滴の露の玉のようなこの言葉を二度三度くりかえして言ってみながら、自然と歴史とのイメイジにきわめて豊かな、またほとんど音楽的ともいうべきこの言葉を、ずっと以前にロランから学んだことを思い出した。それはたしか一九一八年にスイスのジュネーヴで出版された小さい薄い仮綴じの本、『アグリジェントゥムのエンペドクレースと憎みの時代』にあった言葉だ。それで妻と二人の朝飯をすますと本を持って森の家を出て、八ガ岳や高原を見晴らす丘の枯草の中で、むかし赤鉛筆の括弧でかこんだ箇所を二十幾年ぶりに読んだ――
「こんにちのジルジェンティ(往古のアグリジェントゥム)はいかにも貧しい。しかし町を載せている惚れぼれとするような額ぶち、そのゆるい斜面が作っている半円形の桟敷は、広々としか海を抱いている。遠い昔の二月の或る日、私はピュヴィス。ド。シャヴァンヌの『古代のまぼろし』に描かれているように小さい自馬の駈けている、其処の石浜のなぎさの方へ下りて行った。町には人影もなく、住民たちは神殿の下で饗宴をひらいていた。オリーヴの林に囲まれたその神殿のえもいえず美しい廃墟は、まるで町の帯の留め金のようだった。すると一人の若い娘が人々のむれから離れて、私に飲み物をすすめに来た。そして私が、いったい今日は何のお祭ですか、と聞くと、今日はお天気がいいものですから、と答えた。エンペドクレースの生きていた頃にも、いいお天気の日はたびたびあったのだ。そして騒がしい情念のとりこともならず、ギリシャ人の精妙さとアフリカ人の柔媚な官能とで生を味わい楽しむこの逸楽的な民衆にとって、晴天の日はいつでも祭だったのである」
確かに読んだ事のあるはずの「二月の春」にはついに出会わなかったが、なつかしいロランが言葉でえがいたシチリアの古都の画と音楽とにこの早春の富士見高原でふたたびまみえた事は、私の一日への思いもかけない祝福だった。
(附記) そうだ、いい天気の日は私にもたびたびあった! しかし悪い日もまた。私が試みられなければならなかったような嵐の日もまた! 私はあの戦争の嵐とまっくらな夜の中で、ロランという先導の鳥から離れて、遠く迷いの空にみずからを失った渡り鳥の一羽だったのだ。しかしロランは、その友アルフォンス・ド・シャトーブリアンと一緒に写した写真に書いている、「われわれの精神は互いに相反する二つの陣営に加わったが、君にたいする私の愛情はそのためにいささかも揺るぎはしない」と。この私も同じ言葉が聴きたいが、今その人は平野の空に雲のたたずむブレーヴの小さい墓地で、彼の永の休息を眠っている!
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昭和二十二年四月十日。翻訳をすることが、私にとって、化学の定量分析か動物の反応実験のように思われる時がしばしばある。そういう時はもともと動機が自発的だから、つまり頼まれてするのでないから、同じやっていても気持がいい。ゆっくりと適訳をとらえ、字句を練って、できる限り等価的にテキストの美とリズムを再現するのである。やはり詩がいちばんむずかしく、文章の方が比較的には楽だ。今日はそんな気持から、この森でもまた小鳥の歌の盛り返してきた晩い午後のひととき、『コラ・ブルニョン』のブレットの章の一節をやってみた。色々な試薬とわずかばかりの霊感に事は欠かないが、文章自体がロラン独特の詩だけに大汗をかいた。三十年も前に横取りされて人妻になっている昔の恋人を、何十年ぶりかで道のついでにたずねた老指物師コラが、その帰途の一夜の野宿から目をさます……(初版原書一三七頁)
「太陽は目をさました。樹は小鳥たちをいっぱいとまらせて歌っていた。歌は両手で押しつぶす萄葡の房のようにしたたり流れた。アトリのギョーメ、駒鳥のマリー・ゴドレー、鋸の目たてシジュウカラ、おしゃべりのムシクイで鼠色をしたシルヴィー、それからわしのいちばん気に入りの相棒ツグミ。なぜかといえばあの鳥は、寒さにも風にも雨にもとんと平気で、しょっちゅう笑っていて上機嫌で、夜が明けるや真先に歌って、歌いやむのも最後だからだ。それにあれはわしと同じに、赤い鼻づらをしているから。ああ! あの可愛いちびたちが、なんたる心で歌いわめいていた事だろう! あれたちは夜の恐怖から抜け出したばかりだった。日が暮れるときまって一枚の網のように落ちて来る罠でいっぱいの夜。息づまる闇……わしらの中で非業に死ぬのは誰なのだ……だがファリラリラ!……ふたたび夜の幕が上がるやいなや、遠い曙のよわよわしい微笑が生命の氷った顔や白茶けた唇をいきいきとさせるやいなや……オイティー、オイティー、ラライー、ラララ、ラドリ、ラリフラ……そもそもなんたる叫び、なんたる愛の熱狂で、わしの友だち彼等が昼間を讃えることだろう! 苦しんだ事も、心配した事も、無言の恐怖も、つめたい眠りも、すべてが、何もかも、オイティー、みんな、フルルット、忘れ去られた。おお昼間、おお新らしい昼間!……わしのツグミよ、日毎の新らしい曙に、捧げて変らぬ信念でよみがえるお前の秘密を伝授してくれ……!
ツグミは口笛を吹きつづけた。その逞ましい諷刺はわしを陽気にした。地面にうずくまってわしも彼のように口笛を吹いた。カッコウが、《白カッコウ、黒カッコウ、ニヴェルネーの薄鼠うすねずカッコウ》が、森の奥で隠れんぼをやっていた。
《カッコウ、カッコウ、悪魔がお前の首折るぞう!》
わしは立ち上がる前にとんぼがえりを一つ打った。通りかかった野兎めがそれを真似た。彼は笑った。あいつの唇の割れているのは笑ったためだ。わしはふたたび歩き出し、胸いっぱいの声で歌った、
――すべては善い、すべては善い! 仲聞たちよ、地球は円い。泳げない者は底へしずむのだ。このわしの明けっぴろげた五感から、大きな窓から、すべすべの揚げ蓋から、世界よ、はいって来るがいい。この血の中へ流れこめ! 欲しい物が一つもままにならぬからとて、あの大馬鹿者のように、わしが世の中をすねるとでも言うのか。もしもおれが持ってたらとか、いつかおれが持ったらばとか、そう欲ばり出したら切りはない。人間いつでも失望して、いつでも貰えない物を欲しがることになるわけだ! ヌヴェールの殿さんにしろ、王にしろ、父なる神にしろ同じこと。何ものにも限度があるし、誰しも自分の輪の中にいるのだ。其処からそとへ出られないと言って、わしが騒いだりうめいたりするだろうか。ほかへ行ったらもっと善い事でもあるだろうか。わしは自分の家にいる。わしは此処に居すわっている。そして、何をくそ、できるだけ永くいるつもりだ。一体何が不足でわしが文句をつけるというのだ。結局誰もわしに義理は無いし、わしにしたところで生きない事だってできたのだ……やれやれ! そいつを考えると背中のあたりがぞっとする。ブルニョンのない此の美しい小さな宇宙、この世の中! そして生命のないブルニョン! なんと不景気な世界だろう、おお友らよ!……すべては在るがままで結構だ。わしの持っていない物なんぞはどうでもいい! だが持っている物、わしはそいつを放しはしない……」
訳は、結局、汗をかいたばかりでへたな一人ずもうに終ったが、相手にした本物とその実質のなんというすばらしさ、なんという豪邁で豊かなスケルツォーだろう! もしもクリストフがあの『広場の市』や『家の中』の時代に、たとえばこの『ブルニョン』を読んだとしたら、必ずや愛読措くところを知らなかったろうと思うほどだ。しかしこういうロランの軌道の夏至げしを多くの人がほとんど知らず、その万象茂る大地の歌、星かげ涼しい夜の歌、彼の交響曲にあっての「第七」や「第八」に耳を傾ける人もほとんど稀だ。しかし私は聴く。その森のざわめき、その小川のしらべ、その微風、その嵐、その小鳥たちの合唱と羊飼いの感謝の歌とに深く聴き入る。ロランは射手だ、サジッテールだ。その矢、その流星は精神宇宙の八方へ飛ぶ。彼を解き放とう。心酔者たちの密室やクラブヘ閉じこめられたら、彼のエンペドクレースが、コラーブルニョンが、クリストフが、窒息を嫌って飛び出すだろう。ロマン・ロランは解放と自由の霊、無数の可能性の根源エネルギー、偉大なる予感だ!
附記 文中朝の林のくだりに出て来る《白カッコウ、黒カッコウ云々》の原文は、 Cocu blanc, Cocu noir, gris Cocu nivernais となっている。また『カッコウ、カッコウ、悪魔がお前の首折るぞ』はフランスの古い童謡である。
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