一年の耀き (一九六二年)


   ※ルビは「語の小さな文字」で、傍点は「アンダーライン」で表現しています(満嶋)。

                                 

1 芝生の中の宝石

2 イソギクの小曲

3 水辺の一場景

4 枯葉の歌

5 真冬のヒバリ

6 ふるさとの水の上に

7 波のように

8 皿の上の早春

9 受胎告知

10 町をゆく牧歌

11 ヴェロニカ・ペルシカ

12 まがきのほとり

13 王朝風な時間

14 別れの笛

15 山荘の森の灯

16 美の哀愁

17 世代の移り

18 初夏を彩る

19 初夏の歌

20 或るメーデー歌

21 警 告

22 自然詩人の花

23 セレナード

24 高原の炎

25 庭の裁断師

26 水上の夏の歌

27 まろく、重たく

28 渓流の美魚

29 シャロンの野花

30 霧のコルリ

31 夏の焦燥

32 路傍のムクゲ

33 空の黒片

34 水を運ぶ母

35 晩夏の詩の花

36 初秋の輪唱

37 たそがれの夢の花

38 貝しらべ

39 誠実な訪問者

40 秋光燦々

41 寒気に追われて

42 充実と落下

43 合戦尾根にて

44 信濃路の秋

45 百合の木の歌

46 美しい吸血鬼

47 カラマツ荘厳

48 賢者の石

49 野性を恋う

50 微生物に思う

51 冬にも緑

52 年輪の含蓄

                                     

 

 1 芝生の中の宝石

 朝のうち霜の真白だった庭が昼ごろには乾いて、厚い芝生が暖かい金色に光っている。それを見るともなしに見ていると、美しい黄玉色をした小さい甲虫が一匹、毛のような茎や葉の上を歩いている。体長六ミリばかりのウリハムシだ。畑にキュウリのあった夏ごろからの生き残りらしい。するとその近くでもう一匹、濃い紫水晶のネクタイピンのようなのが動いている。今度のは体長八ミリほどのヨモギハムシで、これも裏庭のヨモギの草むらで冬ごもりをしていたのが出て来て、きょうの一月の好晴に、まだ遠い春の夢をもう柔らかに編んでいるらしい。両方ともまるで動いている宝石だ。
 冬のさなかの枯芝や甲虫。こういう小さな単純な者たちに心を与えてじっと見ながら、私はあのヘンデルの自然の中の神への賛歌、Meine Seele hört im Sehen を思い出さずにはいられない。「わが魂は造物主の御業を喜び、この世界の美に見入りつつ聴く」というその歌を、ソプラノのヘレタ・フレッペが、感動にふるえる装飾音をなびかせながら晴れやかに堂々と歌うのである。

 

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 2 イソギクの小曲

 フィンランドのすみれ色の小さいガラス花壜に活けられて、心も新たな正月の机上を飾るイソギクの花。これを私は去年の暮に、暖かい南房州の砂丘から折ってきた。
 草丈ようやく二十センチ、箆形へらがたの小さい葉の表は緑で、裏は茎と同様綿毛を敷きつめた銀白色。たくみに蒸散と寒気とを防ぐ構造になっている。
 その茎の上の方にこまかい枝が茂り、その枝先がまたいくつもに分かれて、そのまた一つ一つに筒状花だけから成る黄いろい毛糸玉のような菊の花が、頭をそろえて密集している。まるで花で造った小鳥の巣のようだ。それが半月後の今日もみずみずしく生きて、寒い都会の正月に、目を楽しませ心を喜ばせてくれるのである。
 丸くすっぽりと天与の形を整えたこの簡素な装いのイソギクの花を砂丘で見ながら、私は何ということなしにブロックフレーテの音色を思ったのだった。すると濡れた砂浜を照らしてちらちら光る日光がチェンバロの銀色のアルページョに思われ、南房州の磯波の音が、そのままリュートやガンバの通奏低音だった。

 

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 3 水辺の一場景

 宅から近い二子多摩川の河原の石に腰をおろして、川の中洲なかすの水際でにぎやかに餌をあさっている二十羽近いセグロセキレイの活動を見ていた。すると対岸の空から一羽のコサギが柔らかにおりて来て、その中洲の砂の上ヘヴァイオリンのように立った。雪白の羽毛は日の当たった部分が金色に、日陰の部分は大空の色を吸ってほんのりと青かった。
 するとそこへまた一羽の真っ黒なハシボソガラスがおりて来て、つかつかとサギのほうへ近づいて行った。望遠鏡でよく見ると、サギの足もとの石の陰に一羽のイカルチドリがうずくまっている。銃弾でも受けたのか、それとも病気か、丸くふくれて震えていた。カラスはそれをなぶり殺しにして食ってしまおうというのらしい。とたんにセグロセキレイの間に大騒ぎが起こって、二十羽の彼らが貪欲なカラス目がけて前後左右から突撃した。その烈しさはまるで黒と白との矢ぶすまだった。
 露骨なカラスはついに辟易へきえきして飛び去ったが、続いて青空に姿を消した善い子の顔の雪白のコサギが、はたして腹の中まで綺麗だったかどうか、彼の日ごろの食性や行状から考えるとはなはだ怪しい。

 

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 4 枯葉の歌

 点々と雪のついた前秩父の山をむこうに見わたす多摩丘陵の雑木林ぞうきばやし。濃淡の雲が波のようにならんだ寒空の下で、私は息をこらして木管の小さい笛を吹いていた。
 林はいわゆる薪炭用の輪伐林で、クヌギ、コナラ、クリなどの雑木が、切られた後からぞっくりと伸び育ち、自然が明るく広々と枯れた今の季節には、小鳥たちのためのいい遊び場や隠れがになっている。そしてその下が一面にふかふかした枯葉の床だ。
 人間一人すっぽりと埋まってしまうような、この清潔で健やかでよく乾いた木の葉の厚いしとねから、その金褐色の一枚一枚を取り上げて見て、私は改めて彼らの美に目をみはり、葉という物の機能に即した構造の精妙さに驚くのだった。クヌギはクヌギ、クリはクリ。いずれも間違いようのない独自の形姿のすばらしさ。
 その枯葉の底深く、タマノカンアオイやスミレサイシンの芽が動いているだろう事を私はよく知っていたが、「愛のおのずから起こる時まではことさらに呼び覚ますことなかれ」の『雅歌』のいましめに従って、このしとねの下をうかがうことはしなかった。

  

 

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 5 真冬のヒバリ

 一月十六日の昼前、書斎の窓をあけて対岸川崎市郊外の景色を眺めていると、土手の空からヒバリの囀りのような声がきこえてきた。耳をそばだてて確かめてみたが間違いはなかった。私の頭にパッと一脈の光が流れ、にわかに心の暖まるのを覚えた。
 ヒバリの初鳴日は関東平野では大体二月初旬とされている。ここ十年間の私の記録によってもほぼその日づけだから、半月以上も早い今年はまさに異例と言えるだろう。
 やがて来る二月二日は聖燭節だ。私は天へ火を取りに行ったヒバリが毎年この日に地上へ帰ってくるという話をロマン・ロランの物語で読んで、自分も主人公のコラ・ブルニョンのように二歳になる孫娘を背負って、そのヒバリを迎えるために信州の雪の高原に立った覚えがある。しかしその孫も今では十四歳のマドモワゼルになって、大きくて重たくて、とてもおぶって歩くどころの騒ぎではない。
 それならば何年後かの聖燭節に、「平安と喜びとをもて我は逝く」のバッハの衆賛前奏曲を、 今度は彼女が私のために弾いてくれるといい!

 

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 6 ふるさとの水の上に

 もしも東京のような大都会を相手でも、自分の生まれて育った片隅をふるさとと呼んでよければ、私のふるさとは隅田川右岸の鉄砲洲てっぽうず、今の中央区湊町の河岸通りだ。きのうはそのふるさとの水のほとりへ、昔なつかしいカモメの姿を見に行った。
 佃つくだの渡しを往復したり、河岸かしの路傍にたたずんだりして飽かず眺めている間じゅう、柔らかに霞んだ冬の太陽と空の下、まんまんと流れる隅田川の水の上を、影絵のようなかちどき橋から永代橋へかけて、薄青い背と黒い翼の裏、カモメの群れは十羽二十羽と長い羽根をゆたかに打って、のびのびと飛び回っていた。逆光のために脚や嘴の色ははっきりしなかったが、大型なのは普通のカモメで、小型のほうはユリカモメと思われた。ひるがえる時は月の輪のように、水面の獲物をめがけて飛びこむ時は落下傘のようだった。
 川の上にたえず響く発動機船の排気の音、両岸の町の盛んなどよもし、もうじき無くなるという佃の渡船場、青い潮の香形にまじる重油のにおい。歳月は私から幼なじみのことごとくを奪い去ったが、ふるさとの水の上に、まだ懐かしのカモメだけは残してくれた。

 

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 7 波のように

 肉感的でいきで爽快で、そのくせ古典的に強くて哀愁さえ漂わせた美鳥オナガは、以前から私にモーリス・ラヴェルの音楽を連想させていた。
 片隅の水仙が咲きおわって、そろそろ梅のつぼみが動きだす頃になると、妻は毎朝枯葉の庭の薄鉢へ、賽さいの目に切った食パンを入れてやることを始める。スズメやツグミやオナガの群れが集まって、めいめい腹いっぱい食べている壮観を見る楽しみのために。
 中でもオナガは体が大きくて、空色と黒と白との羽毛が滑なめらかで美しく、しかも十羽二十羽と群れて来るのだから見ごたえがある。その来るや波の寄せるがようで、その去るや潮の引くが如くである。黒いくちばしに白い柔らかいパンをくわえて近くの枝へ飛び帰ると、長い体を前後に重たく揺らせながら旨うまそうに呑みこみ、また帰って来て押し合いへし合い、食う物のあるかぎり同じことを繰りかえす。そのオナガが今朝も来ている。総勢二十三羽。庭は彼らの熱気でいっぱいだ。それで私はどうしてもラヴェルの『ボレロ』を思ってしまう。同じ主題が数珠じゅずつなぎに出て来て、それがだんだん強くなり逞しくなって、いつ果てるともないあの『ボレロ』を。

  

 

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 8 皿の上の早春

 珍しく感冒形かぜで寝こんで漸く起きた五日目の朝、食欲が出るようにと気をくばって、妻の並べてくれた食卓がこまこまと賑やかだ。コーヒーにトースト、ベーコンに半熟の卵、チーズにマーマレード。それに可愛らしいガラス皿にオリーヴの実が四粒。
 まだ熟しきらない卵形の実の頭を薄くそいで、芯しんを抜いて、そこヘピーマンを詰めたこの緑と赤のオリーヴのピクルが、いかにも今朝の早春にふさわしい。夜の宴で酒のさかなにつまむそれとは、同じ物でもわけが違う。
 四粒のうち二粒はスペインの舶来品で、他の二粒は内地小豆島の産だというが、病やまい癒えたる者の感謝と寛容の心をもってすれば、その味にも香りにも俄かに甲乙はつけがたい。あるかぎりの図鑑や写真帳を卓上にならべて、オリーヴについての植物学や園芸上の知識をひたすら神妙に取り入れるのだった。
 そして凛としてうぶな庭の木々や、多摩川の早春の空とその雲を眺めながら、このオリーヴの実と真珠と薔薇の花とを賛美したハイゼの詩によるあのフーゴー・ヴォルフの歌、「小さい物でもアオホ・クライネ・ディンゲ」を口ずさむのだった。

 

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 9 受胎告知

 救いの契機は思わぬ空から翼に乗って来るものだろうか。なんとなく心が結ぼれ、生活にも思考にも輝きの失われたここ数日来の私を救済してくれたのは、実にきのうの午後のあの一羽のシジュウカラだった。
 せめて頭でも刈ったらと思って出かけた理髪店からの帰り道、宅にちかい或る家の庭の前まで来かかると、いきなり「ツーピー・ツーピー・ツーピー」と叫ぶその鳥の声が静かな周囲に鳴り響いた。心をひそめてじっと見ると、鳥はその庭の大きな桜の木の枝にいて、力に満ち、生気に溢れ、黒と白との小さい体をたえず烈しく動かしながら、全身にみなぎる歌の潮を針のように細い鋭いくちばしから振り散らしていた。寒い冬のあいだ雌雄の性を失っていた彼に今や心身の春が目ざめて、聖なる発情が歓喜と創造の歌をそそぎ出させているのだ。
 家へ帰ってさっそく妻に話したら、たぶん同じ鳥と思われるシジュウカラが今しがたまで、うちの庭でもずっと鳴いていましたということだった。それならば私への受胎の告知、充実した仕事の昼と夢多い夜々の春の告知は、すでに早くもなされていたのだ。ホザンナ!  

 

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 10 町をゆく牧歌

 朝は静かな上野毛かみのげがの屋敷町、家々の塀や生垣の上から梅の花ののぞいている清らかな舗装道路を、ずんぐりと背が低くて、寸づまりの大きな顔の頭から首筋まで房々とたてがみに被われ、脚が太く短くて尾の長い、体高一メートル三か四ぐらいの、まるで大人子供のような一頭の粟毛の馬が、若い騎手を乗せててくてくとやって来る。この辺では見ることもできない木曾馬だ。
 東京では珍しくても、木曾の開田かいだや新開村では普通に見る日本馬。従順で働き者で、粗食に甘んじて、力も強い。飼い主の家族といっしょに寝起きし、山林や田畑の仕事もすれば物も運ぶ。女子供に愛せられ大事がられて、あの木曾谷をふるさとの地として生きてきた馬だ。それが福島町の馬市で競売せりうりされて、流れ流れて東京も、この多摩川べりの馬術教習所へ買われて来たものに違いない。
 そのうしろ姿を私の見送る小さい馬よ。ここにはお前の眉間みけんを照らす木曾御岳の星もなければ駒ヶ岳四雪もないが、望郷の病にかからず、永く愛されて丈夫で暮らせ!

  

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 11 ヴェロニカ・ペルシカ

 もうクローカスも咲き終わり、福寿草の黄金の輝きも老いあせて、今はみずみずしく白いクリスマス・ローズが盛りの私の庭だが、その庭のむこうの塵塚に、気前よくサファイアの粒の花を撤いているオオイヌフグリよ! お前のことも書いておこう。たとえ精神は貴族でも心は庶民の私だから。そしてお前は春から秋まで、無償の花を与えて惜しまぬ庶民の草だ。
 私は腰をかがめてお前を見る。花はちぎらず、茎を持ち上げて、ツァイス二十倍の拡大鏡を近づける。腰をかがめるのは愛情と敬意の姿勢。どんな山野の雑草でも、本来そういう処遇に値あたいするのだ。
 私はお前を見る。塵塚を被う春の若草にひざまずいてつくづくとお前に見入る。
 昔のよき日の空の色の花よ。お前の属名ヴェロニカが、私に二人の聖女を思い出させる。兜かぶとのような四枚の花弁の中央に、勇ましく立つ二本の太い雄蕊おしべはまさしく銀の鍬形だ。お前の種名ペルシカに私はまた。ペルシャの海の青も思うが、ああ、それよりもなおあのジオットーの、中世イタリアの空の青こそ連想される。

 

 

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 12 まがきのほとり

 自然界の春が波のように寄せる。私の毎日の野外ノートが忙しい。ともすれば本職がなおざりにされがちだ。
 奥庭は梅もおわり、連翹れんぎょうがほころび始めて、今は黄いろい山茱萸さんしゅゆが空気を染めるほどの花盛りだが、門からの通路の南へむいた生垣の下には、空色の大イヌフグリ、田舎ふうに濃い紅べにをつけたホトケノザ、それに銀色にさざめく幼いナズナの花などが、深い柔らかい唐草模様を織っている。そして今朝はその中に五、六本ゆらりと立った貝母ばいもの茎の頂から、別名をアミガサユリの名にふさわしく、内側に紫いろの網目のはいった淡い黄緑色六弁のつりがね形の花が、しとやかに顔うつむけて咲いている。ここ十数年私の愛護にこたえて、三月半ばには必ず咲く可憐な花だ。

 中国の原産だというが、それがどうしてこの庭の雑草にまぎれこんだのだかは分からない。ともあれ今朝、その笠のような花の中で何かブンブン言っているものがあるのでよく見たら、小さな小さなあぶの一種、幼虫時代を蟻の巣で過ごして、成虫の今は花粉の媒介などもする、美しい瑠璃色のアリスアブだった。春の彼岸の籬まがきのほとり、心を空しくして折りかがめば、自然の歌はもう泉のように噴きこぼれている。

 

 

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 13 王朝風な時間

 書斎の裏の杉林でもう巣をはじめたキジバトが、毎朝「デデッポッポー」と鳴いている。いとものどかなその歌に、麗らかな春の空間が形づくられ、冬を乗りこえた詩人の心が野川の水と共にみなぎって、世界や自然との優しく賢い調和をねがう。
 奥庭では土佐ミズキ、レンギョウ、サンシュユなどの花の黄色を背景に、大木の緋桃が咲きはじめた。古色を帯びた逞しい幹から無数の強壮な枝を張って、その豊かな花とつぼみとで庭じゅうを照らし、赤らんだ空気に甘い匂いを溶かしている。私はゴッホの桃の木を思い、徽宗皇帝のそれを思い、ボナールを思い、蕪村を思い、さらにヘルマン・ヘッセの詩を思う。あでやかに豊麗で、いにしえのように根源的だ。
 こういう時には春風の梢で鳴いているキジバトの声も、「デデッポッポー」よりもむしろ「十一の宝塔」というように聴こえる。
 今夜は自然のこの王朝風な時間のために、優雅で剛健なラモーのクラヴサン組曲を聴こう。それともリュリーにしようか、クープランにしようか、いずれにしても笛か弦、フランスのバロックを聴くことにしたい。  

 

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 14 別れの笛

 練馬ねりまではもうツグミの姿も稀になったと、いつか嘆いていた下村兼史さんにはお気の毒だが、ここ多摩川べりの上野毛では、もうじき北の故郷へ帰って行くそのツグミで、毎日の庭や林がにぎやかだ。春三月も二十日を過ぎて、私のところへもぞろぞろ来る。枝にいるのや地面に下りているのを合計したら、きのうの午後は一どきに三十八羽をかぞえた。
 彼らは大陸の繁殖地で夏じゅう歌い暮らすべき歌の稽古を、ここ東京の郊外で半月ほど前から始めている。まだ豊かな霊妙なメロディーには程遠いが、それでもフルートの指馴らしぐらいには聴こえる。円くて透明で情味があって、人の郷愁を掻き立てるには充分だ。
 けさも庭へ来た十羽ばかりのうちの一羽が、いっぱいに蕾のついた桜の枝で鳴いている。そこでガラス戸を細めにあけて、木管のソプラニーノで柔らかなアルページョを吹いたら、ややしばらく翼を垂れて聴いていたが、やがて彼もまた自分の歌をとりもどし、今度は前よりも気を入れて私の笛と張り合った。

 ヒロリ・ヒロリ、ピョロリ・ピョロリ。しばらくは鳥と人間とが一体だった。

  

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 15 山荘の森の灯

 朝の雨が上がって雲がはげ、散歩の道を西風が吹いてツグミが鳴く。ほうぼうの家の庭でコブシの花が咲き出している。比較的若い木もあり老木もあるが、まだ葉の出ない枝先に紫色を帯びた六弁曇り水晶の花をかざす木は、どれも皆しっかりして古い雅致をそなえている。そしてこの花を咲かせているのはおおむね富裕な人の庭で、岩石の配置、草木の手入れにも申しぶんがない。しかしその中でただ一軒、椿の茂った崖を背にした古い農家が、その大木のコブシと周囲の鄙ひなびた静かさとのために、ここを何処かの山里のように思わせる。
 山里といえば信州富士見の旧居の森にもこのコブシの老木が一本自生していて、毎年四月も末になると、ほのぐらい池畔の空気を照らすように無数の花を開いたものだ。そしてその大木の股のところに可憐なエナガの夫婦が巣を営んでいて、コブシの花にもまごう白い羽根をひるがえして飛び回り、時々は愛の滴りのような「チルルルー」という、えならぬ声を漏らすのだった。残雪の八ヶ岳をすぐむこうに。
 コブシの花の咲く頃には復活祭がめぐって来る。富士見の森の家でも妻が賛美歌を歌って私が笛を吹いたものだ。何はなくても葡萄酒とパン、卵と蜂蜜。その懐かしいならわしを今も東京でつづけている。

 

 

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 16 美の哀愁

 柔らかい鎖のような花をぶらさげた庭の白樺の木の下、畳半畳敷きばかりの地面を埋めて、十幾株という桜草がぞっくりと出た。そして細かい縮れと銀いろの毛とをもったみずみずしい浅緑の葉の間から、薄桃色の米粒のような蕾をのぞかせ、中にはもう今朝あたり、二、三輪の愛らしい花を開いている株もある。
 この桜草は十年ほど前に、信州上諏訪の或る若い女の人から贈られたものだが、その時の二株か三株が今ではこんなに繁殖して、貰い物の多い私のこの友情の庭に、かくも純真な春の一角を形づくっている。
 信州の春の山野をそのパステル紅あかで彩る桜草は、皆このように丈が低くて花が大きい。たいがいは白樺や榛はんの木の疎林に自生しているが、周囲の山々や小鳥たちの歌と共に、憂鬱なまでに美しい高原の春を現出する。そしてそういう世界では、私のように老いた人間の死への思いもさして胸苦しいものではなく、「私の愛した処ではいつもいつも、死の息が美の息とまじっていた」というアラン・ポーの詩やモーツァルトの音楽の真実が、きわめてしぜんに、かつすなおに受け入れられるのだった。

  

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 17 世代の移り

 もう五年ほど前、その頃小学校の三年生になりたての孫娘と、或る日電車を待って駅のプラットフォームに立っていた。線路のむこう側の掘割りの中腹を、薄いだいだい色の地に黒い紋のたくさん付いた羽根をした蝶が二羽、さっきから何か捜し物でもしているようにさまよっている。孫が言う、「おじいちゃん、あの蝶々なにしているの? 蜜を捜してるの?」「そうじゃないだろう。あれはキタテハという蝶のお母さんでね、きっとあのモミジのような葉をしたカナムグラという草に卵を産みつけているんだよ。」
 私はさっそくその翌日、濃い緑の切子きりこガラスのような卵の着いたカナムグラを近所の空地から採集して来て、幼虫、蛹さなぎ、成虫の順を追って、彼女のためにその飼育の指導をした。そしてやがて一人前になった二十羽を飼育箱をあけて放してやった時、「さようなら、さようなら。丈夫でね」と手を振りながら叫んでいた彼女とその弟の姿や声が、今もなつかしく思い出される。
 キタテハは東京では年三回の発生だから、いま宅の庭を飛んでいるのは、数えてみれば、あれから大体十五世代目ぐらいになるかも知れない。こんな事にも時の推移が知られるわけだ。

 

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 18 初夏を彩る

 シューマンの歌のように「えもいえず美しい五月が来て」、風薫る庭の中空に黒や赤の鯉幟こいのぼりが揺らぎ、カワラヒワが鳴き、竹垣のアーチにテッセンやカザグルマが藤色に、桃色に、或いは涼しい水浅黄に、六弁から八弁の大きな花を開いている。
 テッセンとカザグルマとを見分ける事はわれわれしろうとにはむずかしい。花びらの色や数がどうだとか、茎や葉に毛が有るとか無いとか言うが、園芸変種が多いのでそれも余り参考にはならない。だから私は一括してクレマティスの学名で呼んでいる。
 それにしても片隅に躑躅つつじ、黄菖蒲きしょうぶの咲き輝くこの庭で、冷たく匂うシャーベット。トーンの彼らが楚々として晴れやかだ。
 クレマティスの訳語を英・仏・独の辞書で当たってみると、市河三喜さんのだけは別として、たいていボタンヅルかセンニソソウで済ませている。いずれも近縁種には違いないが、この方が山野の雑草、他方が庭園の美花だとすると、小説や随筆の翻訳で、フランスやイタリアの初夏の庭をいろどるのにボタンヅルはなさけない。むしろクレマティスでいいのではあるまいか。  

 

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 19 初夏の歌

 二十九年ぶりでLP盤になった昔なじみの『オーヴェルニュの歌』を聴いていると、「そうそう、そういえばけさ河原のほうでセッカが鳴いていましたよ」と妻が言う。
 フランス中央高地の夏を想わせる古い懐かしい民謡と、わが国の夏の草原に空と大地の情趣をひろげるあの小さい鳥の歌。この二つのものの偶然のめぐり合わせが深く私を喜ばせた。
 仕事を終えて夕日のころ、私は多摩川の土手下の広い草原へ行ってみた。なるほど茶色で地味なセッカは今年も来ていた。性急せっかちに忙しそうに「ヒッヒッ」と鳴き、扇のように尾羽をひろげて低く飛びまわる姿も見えた。もうじき細い禾本科の草の茎をよせたわめて、白い涼しい蚊帳かやのような巣を造るのだろう。
 心を遠くひろびろとさせ、遥かな愛や美へのあこがれを引き出す『オーヴェルニュの歌』が実にいい。そしてその思いに答えるように、わが初夏はつなつのセッカの声。ちまたの騒音に消されがちでも、傾聴する心のあるかぎり、絶えることのない二つのしらべ。祝福された夏を予感せずにはいられない。

  

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 20 或るメーデー歌

 この五月一日の昼、私は信州和田峠と霧ヶ峰との中間にいた。下諏訪や上諏訪のような都会を遠く、田園も遠く、海抜一六〇〇メートルの山の高所は春まだ浅くて、カラマツさえも金の涙のような芽を解かず、時おり吹き上げてくる谷風に、斜面の笹がいっせいに鳴るばかりの静けさだった。
 岩だらけの小径のゆくてに一本の老いた白樺が立っていて、その枝でアオジが一羽、非の打ちどころもないような見事な歌を十分間ばかり歌いつづけていた。「チョッ・チョッ・チョッ・スピリース、チョロリ・スピリース」――それはこの山中の静寂に、玉を刻み銀を鋳るようなしらべだった。比類もまれな清らかさが空間に凝って、そこに全く新たな高い次元を打ち建てているように思われた。
 時どき雲間から日が射してその茶色を帯びた暗緑色の羽毛を照らし、彼のとまっている白樺の幹や枝を、古いハインリヒ・フォーゲラーの画のように見せた。
 息を殺し目を熱くして、見入り聴き入った深山みやまの昼のアオジのしらべ。それが私にとってのメーデー歌だった。

  

 

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 21 警 告

 現存するフランスの大作家で自然哲学者で、詩人のジョルジュ・デュアメルが、その『動物譚と植物誌』という本に、蝿を相手の見事な寓話を書いている。いやらしいニクバエや、狂った音楽家のクロバエや、礼拝の輪舞に夢中のイエバエや、叩き殺せば壁やガラスにいつまでも残る赤い殺害の痕のことを。
 庭や花壇の花が一応終わって青葉になると、私の家は家じゅうが、甚だ「非文化的」にも、彼ら蝿どもの遊び場になり、食堂になる。茶の間は彼らの舌のための、書斎は彼らの悠然たる思考や涼みのための空間だ。
 女房は朝から殺虫の噴霧器を抱いて駈けまわり、私は禍根は鶏舎にありと断じながら、その鶏舎からの卵だけは平気で食い、書斎では今のところまだ二、三機の甚だのんびりした飛行を見のがしている。
 だが蝿よ、『自然手帖』の材料よ、気をつけろ! 今日の午後はあの日本の自然哲学者が、『博物誌』の詩人が、すなわち串田孫一さんが、前もっての電話でその来訪を告げている!

 

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 22 自然詩人の花

 裏の林で三光鳥が歌い、チゴモズが鳴くようになって、私の庭の一隅はいま野薔薇の花の花ざかり。
 ヨシキリの鳴く初夏の河原へ出て見れば、その長い土手の上でも花ざかりだ。枝に生えた棘とげの上から二、三対の複葉を緑に茂らせ、先端のくぼんだ五枚の花弁のまんなかに、切りそろえた黄いろい房のような雄しべを擁して、白や薄紅の円錐花序をそよ吹く風や強い日光に薫らせている。
 そして時にはその密生した枝の間に、ホオジロの巣と卵とが発見されるが、それにも花の移り香がありはしないかと思うほどだ。
 あのリルケの肉感的な、厚く畳まれて甘くほのぐらい薔薇の詩、あのガブリェル・フォーレの端正で匂やかで、後半から目もさめるような転調をする薔薇の歌。私はそういう詩や音楽の豪奢な薔薇を愛しながらも、やはり彼ら野生の薔薇、単純で健やかで平民的な野薔薇の花、「花うばら故郷の道に似たるかな」の蕪村の薔薇や、「わらべは見たり」のゲーテ=シューベルトの薔薇のほうがずっと好きだ。

 

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 23 セレナード

 私はさっきから木管の縦笛でヘンデルの曲を練習している。その深夜の書斎の窓近く、一羽のアオバズクが二音符の歌を歌っている。今年も時をたがえずに帰ってきて、一週間ばかり前から声を聴かせている夜の鳥だ。私のはニ短調のガボットだが、彼のは昔ながらのセレナード、情愛こめて雌を呼ぶト音の二拍子だ。
 星明りの空を背にして、こんもりと茂った樫かしの枝に彼の黒い小さい姿が見える。ミミズクとはいえ突っ立った耳羽が無いので丸い頭が坊主のようだ。「ホーッ・ホーッ」と鳴くその声は、つやがあって丸く甘やかに響くこと、私の吹く笛に似ている。だからそれに誘われてか、宅のまわりへ毎晩来る。そしてセレナードで私と競う。
 友人のドイツ文学者富士川英郎さんは、彼の書斎をミネルヴァ学窓と呼んでいる。女神ミネルヴァの侍者がすなわち夜を守るフクロウだからだ。この夜ふけ、その勤学の窓の外でもアオバズクは鳴いていることだろう。星かげ暗い鎌倉山の青葉の谷で。

 

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 24 高原の炎

 上高地からの帰りに富士見へ寄った。穂高を仰ぐ谷間では、三日のあいだ水墨画のような漠々と深い雨景だったのに、八ヶ岳の高原へ来てみると、あけ放たれた野にも山にも六月の微風が吹きわたり、陽快な初夏の光がみなぎっていた。
 丘を越え、沢を渡り、森林を抜け、野道をたどる四時間の散歩の間じゅう、いたるところレンゲツツジの満開だった。樺色のもの、赤いもの、時には黄いろいのさえまじって、新緑の高原の花ある風景、ここにその絶頂に達したかと思われた。そして行く先々でカッコウ、クロツグミ、ヒガラ、キビタキの歌、アカゲラの明るく軽い太鼓連打。ツツジの炎を主としたこの自然をすぐれた音楽にたとえれば、さしづめワーグナーの「ヴァルキューレの騎行」か「森のささやき」の世界だった。

 戦後七年を住んだ分水荘の森でもその花は盛りだった。そこにも小鳥たちの歌が響いていたが、思い出の家と懐かしの森林とは、その鬱然とした静かさとほのぐらい涼しさとの故に、むしろベートーヴェンのト長調のピアノ・ソナタ、あの故園の歌のような作品十四の二を想わせた。

  

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 25 庭の裁断師

 本来ならば先の尖った広卵形であるはずのライラックの葉が、一枚のうち二か所も三か所も円形か半円形に切りぬかれて、何か別な種類の木の葉のように見える。ライラックばかりではなく薔薇もそうだ。これはすべて庭の腕利きの裁断師、ハキリバチの仕事である。
 長さ十二、三ミリの黒い体に金銀の毛をよそおったハキリバチは、左右三本ずつの脚で柔らかい葉の裏表をかかえこみ、鋭利な大顎おおあごを縦にかまえて、コンパスのように切り進み切り放つ。渋滞も狂いもなく美しい円や卵形を切りぬくその速さは、大体五秒から二十秒の間だ。
 裁断が終わると彼女はその布片の表が内側になるように軽く畳んで馬乗りになり、羽音を響かせて六月の空間へ飛び立つ。そして数分後にはまた帰って来て仕事を続ける。こうして運ばれた葉の布片は、何枚も何枚も重ねられ糊づけされて、地中の穴で彼女の生む子供のための円筒形の育児室や、その食糧貯蔵庫の壁となるのである。
 時どき彼女が裁断を中絶した葉があるが、その切り口は空しく黒く枯れ乾いている。絶ちきられた歌のように。書きかけで放棄された詩のように。

 

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 26 水上の夏の歌

 書斎の窓から双眼鏡で眺めると、多摩川の水の上を今日もコアジサシが飛んでいる。対岸のエメラルド色のゴルフ場を背景に、彼らの姿が白い小さい紙きれか、風にひらめく遠い純白なハンカチのようだ。
 頭が黒くて背中が淡い涼しい灰色、帆のように上げた長い両翼の裏とほっそりした腹は雪白。黄色い嘴とだいだい色の足をして、「キチー・キチー」と鳴きながら、コアジサシは水上の空を低く矢のように流れたり、弾力的に、楽々と、空間の同じところに漂ったりしている。彼は頭を直角に下へ向け、首をたえず左右にかしげながら、水面に現われる小魚やエビや、軟体動物の類をうかがう。そして獲物を認めるや、大きな白い燕のように身をひるがえして水へ突っこむ。
 コアジサシは広々とした水景を持つ平野地方の夏の歌だ。堤防の草が風にそよぎ、オオヨシキリの声がきこえ、遠くに青い山脈がかすんで、その上に大理石のような積雲が並んでいる六、七月の広大な風景。そういう時と処でこそ、この鳥の真の美しさは味わわれるだろう。

 

 

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 27 まろく、重たく

 雨の庭にびっしょり濡れて、アジサイの花が咲いている。日本在来のアジサイと、西洋からの園芸変種のハナアジサイだ。鮮かな緑の葉を茂らせた大きな株が、白から碧へ移るのと、金から桃色に変わるのと、ふた色の霧の毬、ふた色の水の精のようなのを、世界の深い湿気の中でまろく重たく咲かせている。
 一生の間に見てきたこの花の最も遠い記憶は、今の東京都中央区、昔の京橋区築地の外国人居留地や、子供の頃の異人館の庭にある。眠ったような運河に沿って静かに鉄の垣根をめぐらしたどの家の庭にも、ちょうど今ごろ、芝生の隅にこの花が咲いていた。どこからともなく西洋料理の匂いがし、いつでも金髪のかわいい女の児が遊んでいた気がする。そしてたぶん、一つの雨の窓からはピアノの音さえ……。
 アジサイはその花色の盛衰を静かに見守ってやるべき花だ。リルケの『新詩集』にも傑作「碧いアジサイ」と「桃色のアジサイ」の二篇があるが、両方とも色の命あえかに悲しく、空からのうつろな光を吸いながら詩人の庭に咲き褪あせてゆく。

 

 

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 28 渓流の美魚

 十日を置いて再びの信州富士見。高原のツツジの炎はもう跡方もなく消えて、それにかわる白い卯の花はなと野薔薇の道。だが今日は釜無かまなしの谷へ来ている。武智鉱泉から二キロの上流、甲斐と信濃の高山が両岸に迫った深い深いV字谷。聴こえるのは眼前をうねり流れる川瀬の音と、時おりのホトトギスやジュウイチの声ばかりだ。
 河原の石に腰をおろして見ていると、水のフーガに巻きこまれたり、岩を越える水の布から飛び上がったりする魚影がある。なるほど遠く二、三人、イワナ釣の姿も見える。
 岩壁の陰の静かな淵のような処をのぞきこむと、水底の白い砂に鰭ひれを伏せて休んだり、のびやかに泳ぎ回ったりしているイワナがいる。暗緑色の背中と夜明けの空のような薄黄の腹。体の両側に星を散らした渓流の美魚である。
 おおい! 甲州穴山の太田黒さぁン! 釜無谷は元より君の漁場だが、領分だが、その上流の信州から、今日は手をメガフォンにしてご挨拶をする!

 

 

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 29 シャロンの野花

 きのうは雨の中を日本橋まで出かけて、或る百貨店の切り花の売場から数本のササユリを買って来た。山ユリに似てそれよりも小型で、陶器光沢をもった薄紅うすべに匂う六弁の花と、いさぎよい笹形をした互生の葉には、犯すべからざる気品と野趣とがある。
 私はこの花を木曾路の旅でいくたびか見た。鳥居峠でも、王滝の谷間でも、また奈良井や開田かいだの山中でも。そして季節も常にちょうど今頃だった。しかもこの花を見るたびに必ず心によみがえる歌のような思いは、木曾で知ったあの貞潔でけなげな娘たちへの、特別な愛といつくしみの感情である。
 このつつましく薄紅匂うササユリを前に、今私は久しぶりに日の光を見る部屋で、十七世紀ドイツの大オルガン奏者ブクステフーデのカンタータ、「われはシャロンの野花、谷の百合なり」をレコードで聴いている。その堂々たる歌は明るく敬虔で、若さと喜びとに脈打っている。そして私は、とても叶わぬことながら、今のこの時この歌を、愛する彼女らと共に聴けたらばと思う。

 

 

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 30 霧のコルリ

 七月十四日午前五時。信州扉とびら鉱泉で小鳥の声に目をさます。声はコルリ。カーテンを引くと深い朝霧が立ちこめて、めくらになったような明るい空無だ。その柔らかいもやもやの奥、目の下の渓流の崖のあたりから、切って落とすような激しい歯ぎれのいい早口の歌。「ピーチョッチョ、ピールリ・ピールリ」
 霧が晴れたら扉峠への山道も、しんしんと茂った青葉の谷も、空色と白との二枚貝のような彼コルリの、きびきびした美しい姿も見られるだろう。
 午前七時。霧が上がって山あいの空が真青。朝日を浴びた向こうの崖の中腹を峠への道がかよっている。再び歌い出したさっきのコルリが、望遠鏡の中ですぐそこにいる。頭部のすばらしい空青色、背から尾へかけての暗い青、雪のように白い胸と腹。鳥は「チッチッチッチッ」という小さい導入音をまず聴かせて、さていきなり噴水のような歌をそそぎ出す。そして今ではキビタキやヤマガラの歌もそれに加わっている。
 東京では二人の孫がそれぞれ学校へ出かける時間だろう。ようやく暑くなる一日の朝の日かげを、遠く国立くにたちと成城の学校へ。

 

 

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 31 夏の焦燥

 芭蕉の立石寺りゅうしゃくじの句「閑しずかさや岩にしみ入いる蟬の声」のそのセミが、おそらくニイニイゼミだろうという小宮豊隆さんの説に私は昔から賛成だったが、七月にはいって二十日あまり、私の家の庭や林でもそのニイユイゼミが全盛だ。
 彼はめくら滅法みたいに飛んで来て、貼りついたようにぴたりと木にとまる。そしてすぐさま「シーッ」と鳴き出す。そしてそのシーたるや緊張と弛緩のくりかえしで、無限無終の単調さをもって人の頭の芯しんに食いこむのである。薄緑と灰色の彼は木工品のように愛らしいが、ちょっと見では地味で目につきにくいこと、キツツキでいえばコゲラに似ている。
 暑い毎日と気ぜわしい七月下旬、頼まれた校歌も作らなければならないし、ドビュッシーの原稿も書かなくてはならないし、彫刻家のために顔のポーズもしなくてはならないし、その間には手紙書き、電話の応接、来客との応対。しかもその「ならない」ずくめの朝から晩まで、このニイニイゼミの執拗のしらべだ。岩にしみ入るどころの騒ぎではない。

  

 

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 32 路傍のムクゲ

 朝の郵便出しと煙草買い。庭を通りながら母屋おもやの孫に声をかけると、弟のほうは夏休みの宿題、算数。姉のほうはピアノの練習で、シューベルトの『即興曲』作品九〇。その四番目のアレグレットが森と泉の歌のようだ。ふと何処か山へ行きたくなる。
 静かな屋敷町の両側に、ところどころムクゲの花が咲いている。紅あかみがかった紫のもあれば白一色のもある。その五弁の真中にたっぷりと白い花粉にまみれた蕊しべを立てて、乾いて茂った葉の間から、いくらか田舎娘のように、強く厚ぼったく咲いているムクゲの花はまさしく盛夏のシンボルだ。
 また芭蕉だが、彼の『甲子かっし吟行』に「道のべの木槿むくげは馬にくはれけり」の一句がある。「馬上吟」という前書きがついているが、いかにも旅中触目の即興らしく、さらりとしていて音感豊かな佳句である。「道」、「むくげ」、「馬」など、名詞のマ行の活用と「くはれけり」の受動形とが大らかで、昔の海道筋の閑散な景がよく出ている。ムクゲがうまいかまずいか知らないが、田舎馬が大きな口で無造作むぞうさに、ムシャムシャ食ってしまうところは俳諧の境地に違いない。

 

 

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 33 空の黒片

 晴れわたった八月の暑い一日の、日没近い空の高みを、一匹の黒いチョウトンボが風に吹かれて飛んでいる。風を背にすると案外すばやく、風に向かうとなよなよと、ひらひらと、しかしあまり遠くは行かず、ただその行動半径を少しずつ移動するだけで、青々と張りつめた空の海の、ほぼ同じところを漂うように飛んでいる。
 細い小さい体に思いのほか大きい黒い四枚の羽根。しかも後の二枚が前の二枚よりも幅が広くて、おまけに三角の筒袖のような形をしている。この格好で羽根自体もあまりぴんとしていないのだから、彼の飛び方は或る種の蝶のように弱々しく見える。そのくせ高い空間が好きで、いつでも田園の高みの風に住んでいる。どうも根性こんじょうに一癖も二癖もあるらしい。
 望遠鏡で拡大しながら姿を追うと、その黒い羽根が時どきすばらしい藍紫色に輝く。彼は自分でもその美をいくらかは意識しているようだ。そしてたぶん、あの小さい頭についている鋼鉄色の複眼で、広い涼しい空間に優しい雌の影を求めているのだろう。もう一つの空の黒片を。

 

 

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 34 水を運ぶ母

 晴天と暑熱の毎日、私の庭ではハチの水運びが賑やかだ。ハチは黒いふくれた腹部に黄色い紋を二つ装った、体長十六ミリばかりのフタモンアシナガバチ。小さい睡蓮の池へ入れかわり立ちかわりやって来ては、円い葉の縁にとまって水を汲み上げ、庭の中のめいめいの巣に運んでゆく。その盛りは正午近くから午後二時ぐらいまで、つまり一日中でいちばん気温の高い時間だ。
 その仕事をするのは母親らしいが、吸った水を餌袋に満たして、なおあまった小さい涼しい水玉を、口と二本の前脚とでうまく支えて、落とさないように飛んでゆく。二本の後脚を長く垂らしたその空中の飛び姿は、壷をささげた天女のようだ。そしてパルプ造りの巣へ帰ると、それぞれの個室で羽根や脚をちぢめて待っている子供たちに、たっぷりと飲ませたり振りかけてやったりする。そしてまたすぐに池へ飛び帰るのだ。
 おりからの快晴で正午の気温三十二度。ヤブカラシにアオスジアゲハ、ノウゼンの花にクロアゲハ。トンボきらきら、セミ斉唱。自然よ、私はおんみの盛夏のバランスを賛美する。

 

 

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 35 晩夏の詩の花

 玄関の前、小道に沿った砂利のあいだに、赤、黄、桃色、牡丹色と、美しい切り紙細工を想わせるマツバボタンの花が、無数に軽くひらひらと燃えるように咲いている。八月の終り、九月の初めの庭の輝き。空飛ぶ雲の白さにもそこはかとなく秋を感じる微妙な日々に、夏のうたげの最後を告げる地の花火だ。
 このマツバボタンの事を、カロッサが美しい詩に書いている。栗の樹の林と噴水のある中庭、金色に苔のついた門があいていて、そのむこうに九月の陽を浴び、半ば枯れたマツバボタンの花がまだかすかに燃えている。夏の斜陽にまみれながら、さまざまな不安に心重たい少年ハンス・カロッサが、その熟した小さい実のカプセルをつまんで砕くと、黒い種子が手の中ではじけて、光の中でたちまち灰色に変わるのだった。
 これは詩人が昔の両親の家の庭をおとずれて、その少年時代の晩夏の花を思い出して書いた詩だが、どうか私の孫たちも、いつか成人の夏の日にこの花を見たら、彼らに親しかった祖父母の庭を思い出してくれるように!

 

 

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 36 初秋の輪唱

 もう夏霞の季節もすぎたのか、今朝は書斎の窓から遠く高尾山だの陣馬だの、西のほうの山が黒々と見える。水色に輝く空に白い雲、黄の色の勝ってきた多摩川沿岸の風景に日光が照りさざめき、窓の前の木々をすかして涼しい風のかよう中を、後から後からと追いかけるように鳴くツクツクホウシの晩夏のカノン。
 昨夜晩くなって読んだへッセの詩を、けさ私は一応訳してみたところだ。つい二十日ほど前、スイス・モンタニョーラでの埋葬式に、その友人の一人が墓前で朗読したという今は亡い詩人の作である。われわれに喜びと苦しみ、幸福と悲惨とを与えた、永遠に若く美しく貪欲なこの世界、この「現世夫人」への別れの詩だ。そのはかなさの美が私を打つ。
 晩夏初秋の窓の前、ツクツクホウシの輪唱はまだやまない。生の喜びだか無常だかのそのカノンは。そしてやがては私もこのへッセのような悟りに達するだろうが、あわれ今のところ煩悩ぼんのうの火はまだ赤々と燃えている。

 

 

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 37 たそがれの夢の花

 無色透明の小さいグラスを一点の曇りもないように磨いて、洗って、水を満たして、それヘカラスウリの雌花のつぼみを一輪挿す。そして夕方の涼しい窓際で、心をひそめてその開くのを待っている。
 白いところへ淡緑うすみどりの筋の入ったそのつぼみの、ふっくりした円い頭がやがてすかっと五つに割れる。弾力のある菓子のマシュマロかエヴァーソフトを、よく切れる薄刃の刃物で切ったように。真白な割れ目は厚みがあって、なめらかで、いさぎよい。
 さて、いよいよ神秘な開花だ。五つに割れた肉質の白い花弁は、その先端が網のように切れていて、それが千筋の糸の端の端までひろがるのだ。天然のレース細工、春雪の八方なだれ、白糸の滝。綾なす繊維の末はけむって、そのあえかさは、水分の圧力と細胞の膨脹とが織り上げたたそがれの夢だ。
 もしも人間の粗野な熱ねつっぽい指でも触れたら、息でもかかったら、たちまち覚めて破れるか溶けるかしてしまうだろうと思われる。

 

 

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 38 貝しらべ

 夏休みも終りの小、中学校の生徒のように、私も今日は貝類のしらべをやっている。
 子供を連れて葉山の海へ行ってきた若い母親が、桜紙で柔らかくくるんだ小さい貝を三つくれた。うすい紫色の巻貝で、波うち際の砂にまみれて転がっていたと言う。美しい貝よ、君の名は? 元より無言。そこで道具や書物を並べ立てての名のしらべだ。
 まず持ちあわせの図鑑を当たって、巻貝のところを根気よくさがす。色の点では怪しいが形はそっくりのが見つかった。ヒメルリガイと書いてある。コンパスと物差しで寸法を測る。高さ十二ミリで直径十ミリ。これも合っている。そこで今度は大冊の動物図鑑を開いて、同類のルリガイの解説から、これが大洋上で浮游生活をしていること、暴風雨などで海岸近く運ばれて来ること、またその貝殻の尖った先端にガラス質の粒のついていることなどを知った。拡大鏡で見ると、その粒はまさにレコード用の宝石針。水に入れてもよく浮かぶし、それに葉山には最近台風の余波の襲来があった。ヒメルリガイという私の同定もどうやら当たっているようだ。いささかうれしい。

 

 

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 39 誠実な訪問者

 今夜は中秋の名月だという日の昼過ぎ、ふと聴きたくなってテレマンのオーボエ協奏曲のレコードをかけると、とたんに窓のすぐ前の木立にブルッという鋭い羽音があって、一羽の小鳥の飛び立つのが見えた。頭と背中と両翼が黒、腰と腹が黄、のどが赤みがかった水仙色という目もさめるようなキビタキだ。飛び立つとは言ったがむしろひらめき。しかもその黒と黄との閃きたるや一瞬の事で、鳥はすぐ近くの枝にとまるといきなり「ピョ・ピョ・ピョ」とひよこのように鳴き出し、「クルル・クルル」という咽頭声のどごえを繰り返した。山林の樹間に響くあのあでやかな、六、七月の歌は今はない。
 キビタキは毎年の今ごろと、晩春五月の初めに必ず私のこの林を通る。夏は内地の山での営巣、繁殖。冬は南方各地での避寒。その長途の旅の途中でここへ寄るのだ。信州富士見の山荘では、実に七たびの夏を彼らと暮らした。
 誠実な鳥よ、私の林はこんもりと暗く涼しい。名月といわれる月の下、豪壮で甘美なテレマンの曲をよそながら聴いて、明日あすの旅路のために今夜は安らかに眠るがいい。

 

 

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 40 秋光燦々

 奥日光の九月二十日、彼岸の入り。一夜を眠った光徳の森の宿から明るく開けた戦場ヶ原の乾燥湿原へ来ている。山々のもみじにはまだ早いが、風景は隈なく晴れ、空は玉のように澄んで、原をわたる南の風がそよそよと涼しい。赤トンボが飛びかい、ノビタキが鳴く。私のまわりでは青黒いハリイやスゲの類にまじって、真白なウメバチソウの花が今を盛りだ。
 すこし扭ねじれた細くて強い長い茎の、その中程を抱くようにした一枚の小さな葉と、てっぺんに開いた梅の花がたの白い大輪。
 このウメバチソウは今ごろの季節に山を歩いていると、古い焚き火の跡や炭焼小屋のほとりでよく目について殊勝な秋を感じさせるが、こんなに広やかな群落に出あうと秋光燦々、天地の大を思わずにはいられない。
 或る一本の花に濃い緑いろをした一匹の美しいカメムシがとまっている。小さな彼は、先端の赤い細い鬚を動かしているが、その飛んでゆく先も、やはり、この光みなぎる大きな秋の天地の中だ。

 

 

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 41 寒気に追われて

 三日ほど前からぐっと気温の下がってきた九月三十日、窓のむこうの林のふちにヒヨドリの帰来第一声を聴いた。「ピーチョリ、ピーチョリ、ピーチョリ。」おりから私は八ケ岳の谷間で採った変朽安山岩で、文鎮兼用の岩石標本を作ってやろうと、定盤じょうばんとカーボランダムで一塊の石を研いでいたのだった。
 毛ばだった灰色の頭と栗色の顔、黒いくちばし。春の五月にここを去ったヒヨドリが、山地での夏の生活をすませると、俄な寒気と霜に追われて帰って来たのだ。まだ先着の一羽だけだが、これからは日ごとに数を増して、来年の春まで賑やかに冬を越すのである。
 多摩川べりの秋の朝、水のような空気に響く「ピーチョリ」の声よ。昨夜古稀を祝われた私もいよいよ心を新たにして、人生の秋の仕事に充実しよう。
 その仕事にかかる前の楽しみの石磨きだ。水をたらして指の腹で撫でると、すべすべに光った面から白い斜長石や黒い輝石が数千万年の歴史を歌う。それに合わせてこの朝を、ヒヨドリと私の心も「在ることの喜び」を歌っている。

 

 

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 42 充実と落下

 栗が落ちる。栗の実が落ちる。電動ポンプ小屋のトタンを叩き、和室の屋根やひさしを打って。昼となく、夜となく。だが湿度のいちばん小さい午後二時か三時頃がいちばん多い。
 老いて壮さかんな樹なのでたくさん実が生る。ふくれたいがが秋の日ごとをおのずと笑えんで、実の入りきった大粒がバラバラ落ちる。植込みの中や土の上には発見して拾う楽しみの、褐色に光った実がいたるところに散乱している。その楽しみを私は二人の孫たちのために取っておく。学校から帰って来て宿題をすませた姉と弟が、歓声上げて捜す姿を想像しながら。ああ、これもまた人の子の祖父たる者の幸福の一つだ。
 栗の実には未来の栗の大木がまるごと詰まっている。この事実は厳粛で美しく、意味また深い。時には逆境を生き、時流から無視されながら、その孤独の中での精進と充実で未来につながる実もあるだろう。
 詩人リルケも歌っている、「だがこういう落下を限りもなく優しく、両手にうけとめる誰かがいる」と。

 

 

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 43 合戦尾根かっせんおねにて

 十月十二日。去年の同じ日私は信州野辺山ノ原にいた。今日は北アルプス燕岳つばくろだけふもとの中房温泉から、燃えるようなもみじの下を合戦尾根へ取りついている。もうじき例のネマガリダケの中の長い急な登りが始まるので、まず一息入れて煙草を吸っているところだ。
 あたりは真赤に紅葉したカエデの類や、ヤマザクラ、ツリバナなどの冷たい炎。それにまじって枝を差しかわしているコメツガの緑いよいよ濃い中で、「チリチリ、チリチリ」と極めて小さな鈴を振るような囀りが聴こえる。いるなと思って目を上げると、果たして二羽のキクイタダキが金鈴の声を振りながら、枝から枝へと可愛く餌をあさっている。鮮かな金仙花いろの羽冠とオリーヴ色の背、灰色の腹と黒白の風切り羽。雪のように軽く、手の平のくぼみに乗るほど小さいのが、濃緑と深紅しんくの樹間で「チリチリ、チリチリ」鳴いている。
 立ち上がれば合戦尾根は蕭々しょうしょうとそばだって、白と青との秋空のもと、たてがみ振う天馬のようだ。

 

 

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 44 信濃路の秋

 満山紅葉の中房から飛ばしてきた車を穂高町でとめて、まず碌山美術館へ。そして今は安曇平あずみだいらのまんなかで、秋のワサビ田を見おろしている。
 田とは言っても田圃ではなく、一面に白い小石を敷きつめた曲線ゆるやかな帯のような浅い谷。その中を清くつめたい伏流の水がきらきら流れて、見通すかぎりぎっしりと植わったワサビの苗を太く豊かに育てている。両岸をポプラやアカシアの深い林にまもられて、金色に澄んだ信濃の秋の日光の下、純白な石の床を埋めたその葉の緑のみずみずしさ。この水、この石、この日光に養われて、根茎は肥大し、辛味と芳香とを増し、その分子いよいよ細かく、柔らかく、ねっとりと、数滴の醤油に一段の生気を添えるのである。
 その絵のようなワサビ田のあちこちで、しきりに嚇っているセグロセキレイ。振り返ればもう薄雪に装われた常念や燕つばくろの北アルプス。しかし安曇平はとりいれも終わって、秋から冬への変わり目の微妙な一日を憩っている。

 

 

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 45 百合の木の歌

 その晩春のフルートの歌であれほど私を喜ばせたツグミが北の旅から帰ってきて、たった今到着の第一声を聴かせた今日十月三十日は、同時に窓のむこうのユリノキの紅葉の最も美しい日でもある。紅葉とは言ってもむしろ目もさめるような金褐色で、背景をなす多摩川沿岸の風景を高く高くぬきんでて、燦然と四周の秋に君臨している。
 ユリノキの名は英名チューリップ・トゥリーの訳で、初夏の候には実際チューリップによく似た淡黄緑色の花を若葉の間に杯のようにかざす。しかし別名のハンテンボクは、その葉の形が人の着る半纒を想わせるところから来たのである。その秋の黄葉の美観はイチョウに似て一層華やかだ。今私の窓のかなたで、おりからの夕映えに、その一本の大木が驕り輝いているのである。
 丸ノ内の東京新聞社の前には、昔はこの木の立派な街路樹が立っていたが、今あるのはその二代目だそうだ。しかしあいにく受付嬢も文化部の人も、また私といえどもその事は知らなかった。
 しかし後で聴いた話によると、その後丸ノ内界隈では、かくべつ珍しくもない並木になっているそうである。

 

 

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 46 美しい吸血鬼

 レコードをかけながら銀杏いちょうや白樺、黄色い枯葉の降ってくる庭を見ていると、木立の間のクモの網ヘ一羽の黄蝶が引っかかって懸命になってもがいている。文化の日の朝、おそらく今年のしんがりとして生まれた蝶だ。私はすばやく庭へ飛びおりると、糸を伝って襲いかかるクモと競走でこの黄色い淑女を助け出した。クモは三段の網をかまえて生贄いけにえを待つジョロウグモ、成熟しきって体長三十ミリもある妖艶なヴァンプ。精力的な腹を黄と薄青の横縞でいろどり、臀の先を血紅色に染め、黒光りする八本の長い脚に金のリングをはめている。そしてその八つだかある眼がすべて、私への憤怒に燃えていたことだろう。
 生物の真剣な営みの中へ人間の感情で割りこむのは悪いと思うが、目の前でかよわい者がしいたげられるのは見るに忍びない。それに私がくつろいだ気持で聴いていたのは、あの昔なじみの「チョウチョ、チョウチョ」の旋律を主題としたモーツァルトのピアノ音楽、『眠れるリソン』の変奏曲だったのだ。ゆるしてもらおう。

 

 

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 47 カラマツ荘厳

 むかし信州富士見に住んでいたころ、「崩落といふは落葉松からまつもみじかな」の一句を物したことがある。その富士見を十一月十四日下り急行列車で通過しながら、懐かしい旧居のあたり、すベてのカラマツがもう全く散りつくしているのを見て、感慨のまことに深いものがあった。しかしその日、遠く美うつくしケ原はら連峰の下、左右に山の迫った入山辺いりべやまの谷へ入ると、あらゆる山脈が熟しきった酒のような、人々をして陶然とさせる、崩落に一歩手前の美々しいカラマツもみじだった。
 あすの校歌発表式に参列のために出かけた私達は、その夜の宿へと渓谷沿い十キロの山道を車で疾走していた。すると宿まであと四キロというあたりで、二つの黒い小さい人影がヘッドライトに照らし出された。同行の校長とPTAの会長とが同時に声を上げ、車がぐいと停まってその二人を拾い上げた。寂しく暗いこの夜道を谷のどんづまりの家まで帰る、中学生の兄と小学生の妹だった。二人は座席の隅にちぢこまり、妹は兄にしっかりとつかまっていた。ぐっとこみ上げてくる私の眼に、ヘッドライトに照らし出された谷のカラマツが荘厳だった。

 

 

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 48 賢者の石

 日立ひたちへ行った時にした講演の中で、石を採って来て岩石標本を作っているという話をしたら、その鉱山の未知の人からきれいに印刷されたラベルと一緒に見事な標本が十幾種、きのうごっそりと届けられた。鉱山のことだから片岩の類が多かった。緑泥片岩、絹雲母片岩、滑石片岩、角閃片岩。それにまじって薔薇色の脂肪のような石膏や、金と赤とすみれ色に輝く黄銅鉱。
 いま、初冬の朝の日光の中、ヤツデ、サザンカのひっそりと咲いている庭を前に、この石たちを手に取ってためつすがめつ眺めていると、それぞれの質や形象や重みをとおして、あのみちのくの海に近く、低く平和に長々と横たわっている阿武隈山地の、幾百万年幾千万年という太古の地史的イメージが、心の中で美しい抽象絵画のように燃えたり消えたりするのである。
 石はいい。手に取って瞑想するとき岩石は更にいい。私は今後も行く先々で石の標本を集めるつもりだが、凡庸を化して黄金おうごんとする「賢者の石」を、いつか、どうかして見つけたいものだ。

 

 

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 49 野性を恋う

 或る朝は遠い南の日光と霜の花、また或る朝は波のような冷たい雨、寒気の冬がぎりぎりに、論理的に押しよせて来る。私の仕事の夏の繁茂はどこへ行った? 心に期するところはありながら十二月、ようやく火を入れた煖炉を前に、自然のきびしい変貌をじっと見ている。
 その孤独の窓近く、杉の林でカケスが鳴く。オナガの濁声だみごえやヒヨドリの賑やかな叫びをよそに、時おり聴かせる低い、柔らかい、「ジャー、ジャー」という声でそれとわかる。机越しに窓からのぞく。彼はいる。杉の林からナラの樹へ、その葡萄色の体と黒い尾羽と、両翼の白と瑠璃色の飾りが美しく動いている。秋の中ごろから住みついているのだが、数多いどの鳥とも一緒にならず、おおかたは林の暗がりで、一人暮らしの野性の鳥だ。
 その野性を今の私はせつに欲しい。「ロッホ・ローモンド」や「ロッホ・ナガール」の歌の無性むしょうになつかしい今の私だ。山の湖畔の森の鳥よ、ナラの実に食い飽きたらもういちど鳴いてみてくれ!

 

 

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 50 微生物に思う

 接物レンズを六十倍、接眼レンズを十倍に組み合わせ、倍率六百倍にしたエルザの顕微鏡で、睡蓮の池の底から採った一滴の水の世界をのぞいている。清らかに晴れた初冬の午前の、静かで、瞑想的で、尽きることのない楽しみだ。
 直径十ミリに足りない円形の水のひろがりを、水晶や色ある宝石を精巧に刻んだような微生物が、ゆるやかに流れたり、じっと浮かんだり、くるくる回転したりしている。水晶はワムシ、緑玉はミカヅキモ、黄玉はヌサガタケイソウ。いずれもこんな小天地から水に溶けた塩分その他の栄養を摂っているのだろうが、中でもワムシに至っては、体の前方にある繊毛の輪をタービンのように動かし、自分で水流を起こして食い物を吸い寄せている。そしてみんな反射鏡からの透過光線に照らされて、花のように咲き、星のようにきらめいている。
 戦時中応召を前に、愛用のプランクトン・ネットを送ってくれた未知の奇特な大学生があった。その後どうされたろうか。命全く、今では立派な生物学者になっておられることだろう。お会いしたい。

 

 

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 51 冬にも緑

 十二月の落葉に埋まった私の庭に、一本のモミの木が立っている。高さまだ漸く一メートルほどの幼い木だが、数年まえ信州松代の中学の校長さんが、「わたくしが実生みしょうから育てた木です。どうかお庭の片隅へでも植えてください」と言って、親切にもわざわざ持って来てくれたウラジロモミだ。
 今それが枯葉の下に眠っている諏訪からの桜草と、その湖の南方後山うしろやまからの福寿草とを守るように、冬の日光に濃い緑の葉を光らせて強く逞しく立っている。そしてそのいかめしい枝先には、大粒の玉のような芽がそれぞれ三つか四つずつ、来年の春を約束しながら薄紫の皮をかぶってぎっしりと付いているのだ。
 「おおモミよ、モミの木よ、お前の葉のなんたる誠実。夏の日のみか、雪降る冬にもなお緑。」ドイツ語で歌うこの歌の懐かしいクリスマスももうじき来る。私の愛する幼いモミ、誠実な校長さんに抱かれて来た信州のモミの木よ。大いなる救い主の生まれ給うたその日のために、星かげ寒いこの幾夜をいきいきと伸び茂れ!

 

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 52 年輪の含蓄

 一年の輪がめぐり、四つの季節が循環して、またもや訪れてきた十二月の末とその自然。太陽は黄道を一巡してふたたび元の射手座へ帰り、夕べ夕べの東の空から、牡牛、オリオン、御者ぎょしゃ、大犬。鮮烈華麗な冬の星座が泉のように噴き上がる。
 朝はおおむね氷と霜。ことし正月の「手帖」始めに、ハムシと自然の中の神の賛歌のことを書いた時の庭の芝生も、やはりあのとおり見事に枯れて金色になった。半ば氷った薔薇がちいさく咲き、水仙の花の包みがすっくと立ち、フレームの中の温かさに、シャコバシャボテンの紅あかい蕾がふくれ出したのも去年と同じだ。そして河原へ行けば冷たく流れる水のふちに、例によってカラスやセキレイも群れている。
 年の輪が一巡し、同じ季節が回帰する。私という樹にも一年間の形成を跡づける年輪層が一つふえた。若い頃にくらべればその輪の幅こそ狭いだろうが、組織は一層緻密になり、含蓄もさらに深くなって、できるならば今後なお有用の材たり得ることを信じたい。

 

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